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刀ミュ『静かの海のパライソ』感想

ミュージカル刀剣乱舞『静かの海のパライソ』感想です。


※DMMアーカイブ配信版
※ネタバレあります
※超長文です




パライソ、本当によかった。今後再演することがあればチケット申し込みたいくらい。



※説明のため文中で曲名を挙げます。曲名を知らなくてもわかるよう時系列順に書くようにしていますが、違うところもあるのでご了承ください。

※この記事は文字数が約16,000字ありまして、1分に500字読むペースだと読了に30分以上かかる計算になります。



ミュージカルではオープニングがかっこいいのをよく好きになるのですが、パライソはまさにそれ。オープニングがとてもよかった。一人で優しく歌うところからの、厚みのある大勢でのコーラス。これは民衆が主役の話しなのだと思わせます。

レミゼラブルのLook downからはじまるオープニングが好きな方はパライソも気に入りそう。

歴史に詳しくなく、なんとなく島原の乱がテーマなのだろうとざっくり知っているだけでしたが、それでも見応えありました。



冒頭では白髪で背が丸まった老人が『おろろん子守唄』を歌いながら海辺で幸せそうに過ごしている。しょっぱな方言で始まってのどかな気持ちでいたのに、そこからじょじょに音楽が歪み村人が苦しみだし、『インフェルノ』が始まる。

「インフェルノここは 闇の果て
ここに明日はない 光はない」
(『インフェルノ』)

アーカイブ配信だとわかりにくいですが、この老人はこれから登場する山田右衛門作と考えていいと思います。彼は長生きした右衛門作なんですかねえ。


『おろろん子守唄』はこのあとも何度か歌われます。歌詞は少しずつ違っているけど、旋律はどれも同じで、ほぼすべて右衛門作が歌います。

「朝ん木漏れ日に
昼んぬくさに
ゼズス様はおっとばい
やったら夜はどこに
おっとやろか
見えんばってん
そこにおるやろが
すぐ側に おるやろが」
(『おろろん子守唄』)

実際に九州で歌われていた子守唄を元にしていると思いますが、聞き取って書いたので違っていたらすみません。ゼズス様はオランダ語由来のキリストのことです。

「見えんばってん そこにおるやろが」って素敵な歌詞ですね。

天草四郎といるとき、右衛門作にとっては彼が「光」だったのかな。

この曲がこの公演での第一曲目に歌われ、また人間である右衛門作の心情表現に使われるのは、それだけこの公演にとって大切なテーマだからだと思います。

大事なことがわからなくなったり、見えていたはずのものを見失ってしまう瞬間、そういうときは誰にでもありえる。この一曲目が余りに幸福で平和的で故郷を想起させる方言で歌われるから、その後の心の揺らぎや絶望感を、より繊細に訴えかけてくる気がします。


また、この公演はテーマが普遍的でわかりやすいところもいいと思います。

信じていたものの存在が不確かに思える不安とか。自分がしたことの罪悪感に苛まれる苦しみとか。朝には確信していたのに、夜暗くなると見えなくなってしまったり。

それはあるときは刀剣男士ならではの悩みのようにも語られるけど、根底にあるのは私たちが生きるうえでの共通の苦悩であるように思います。だから右衛門作は『おろろん子守唄』を歌うし、彼の心象風景のようにも見える場面から舞台が始まる。


右衛門作を演じた中村誠治郎さんは博多のご出身らしいですね。2部でバキバキの殺陣を見せてくれるけど1部では絶妙なよぼよぼ具合を演じられていて逆にすごかった。

ちなみに劇中ではほとんど標準語ですが、他の登場人物も含めて時折話される方言がとてもいい味を出していました。私の父が博多出身だからそう感じるだけかもしれませんが。



右衛門作が扇動して民衆を集めます。オープニングが好きと書きましたが、『おろろん子守唄』からの『インフェルノ』『神の子』『鯨波(とき)の声〜謡えパライソ』の流れが全体として好きです。何度でも見られる。

「光はない 明日はない」
(『インフェルノ』)

「集え! 神の子のもとへ!」
(『神の子』)

「天と地はひとつ 父と子はひとつ」
「我らは行く パライソへ!」
(『鯨波の声謡えパライソ』)

民衆は天草四郎の元に集って信仰を得ていく。みんな背筋が伸びて天草四郎のもと調和した動きを見せる。観劇する側も天草四郎という神秘的で美しい青年に魅入ってしまうし、なんとも言えない不思議な高揚感を味わえます。

3曲目の『鯨波の声』では民衆はパライソを「我らをつなぐ言葉」「我らを導く教え」と言っている。そしてコーラスで「パライソ パライソ 痛み苦しみを超えて 何も怖くはない よろこび よろこび……」と歌詞が続く。

いやいや、なんだこの公演は。

だって彼らはこの後……。

何が幸せなのか。闇の底でただ死んでいったのと、どっちがよかったのか。彼らは光を得たのか。


はじめ右衛門作は民衆を扇動するように振る舞って、民衆はそれに乗せられていくだけにも見えます。

このあたりの流れ、高揚感があってどきどきしますが、その一方で『神の子』で右衛門作が劇中初めて「パライソ」と歌い、その後に天草四郎が「パライソ」と口にする流れが存在します。やがて信徒たちも口々に「パライソ」と歌いはじめ、それまで神の子や光を求めていた信徒たちの目指す場所がパライソへ誘導されていく不気味さがあります。

でもね、『謡えパライソ』で民衆が「パライソ」と繰り返し歌うとき、民衆は自らパライソを求め叫んでいるような確かな力強さがあるんです。だって飢えているのは変わらないし相変わらず税は重い。何が変わったかと言うと、彼らの心の持ち様だけ。

自分たちは闇の底にいる、明日はない、光はないと嘆いていた人に確かにいっとき光を見せたのは天草四郎であるし、右衛門作だったのではないかな。

誰かに言われたからとか、口車に乗せられてとか、それだけじゃない。欲しかったもの、見たいと思えるもの、信じられるものに気づけた人間の、生への活力みたいなものがある。少なくともそう表現されていると私は感じました。

それは右衛門作も同じではないでしょうか。

民衆を煽っているとき民衆の方ばかり気にしていた彼が、「天と地ひとつ 父と子ひとつ」と歌うときには天草四郎と同じ音階、同じ調子で、切実そうにユニゾンする。彼も光を求める民衆のひとりであるかのように。

最後の「主よ 我らは行く パライソへ!」のところでは右衛門作と天草四郎と民衆が一緒に歌い、全員が同じ方向を見て、同じ光を見ている。

なんて美しいんだろう。

ここの一連の流れを見ているときの興奮ったらないよ。



場面が変わって鶴丸のソロが始まります。鶴丸のソロ、本当にかっこよかった。

この曲は『無常の風』というタイトルです。無常の風は時を選ばず、という慣用句から取ったものでしょう。無常の風が時を選ばず吹いて花を散らすさまから、人の命もいつ終わりを迎えるかわからないのだということを意味している言葉です。

「驚きを生め
あがけ もがけ
ただ無情に吹く風に
逆らえるなら
逆らってみろよ」
(『無常の風』)

無常の風を止めることはできない。だからこそ穏やかなときを喜ぶのではなく、突然吹く風にもあらがい逆らって生きてみよと言っている。

人でも刀でもずっと形の変わらない「モノ」は存在しません。モノであるならどんな重要な刀剣だってある日突然失われてしまうかもしれない。所在不明の豊前はあったかもしれない鶴丸の姿かもしれない。「神様だから普遍」なんてことは言えないのが現実ではないでしょうか。

役者の声質もあってか、すごく迫力のある曲です。聞くひとに選択を迫るような。でも同じくらい静かな曲です。

鶴丸はこのあとヒップホップとかポップな歌をいくつも歌うけど、彼の内省はこの曲なのかと思うとぐっときます。任務のため色々な歌を歌うけど、彼の中に流れている音楽はこれなのかと思うとね。すごく静謐で、それでいて勇ましい。


歌いはじめてからしばらくは鶴丸は刀を持たずに歌っています。それからお待たせ!と言わんばかりに刀を抜いてくれる。

部隊のみんなに言えることですが、この公演のあいだ簡単に刀を抜かないんですね。簡単に刀を抜いてはいけない、その思想がこの公演を通してずっと貫かれていて、こういう演出や振付けにも行き届いているのが素晴らしいです。

刀を抜かずに戦うと手や足が出るのでかえって乱暴に見えるけど、実際はまったくその逆なのではないかな。

ちなみに農民の武器は包丁とか農具から自作したものだから、刃が常に剥き出しです。

刀を鞘に納めているのだって大変なんだ。

『無常の風』の終わり、抜いた刀をしまうとき、「キィン!」って効果音が入ってすっごく気持ちいいです。他の公演でもこうだったかな? 記憶ない。でもとにかくかっこいい。



次はいよいよ松井の出番で、ソロです。待たせるねえ! 彼が舞台に立つと真っ赤なサスが入って扇情的です。

ところで、この公演に登場する刀剣男士は鶴丸、松井、大倶利伽羅、豊前、日向、浦島の6振です。うち3振は赤が差し色の男士で、松井と浦島は青系です。これは視覚的にまとまりがあっていいなと思いました。海辺の村、それが血に染まっていく。青い空と燃え上がる炎。赤と青。照明も赤と青が多用されます。

2部のことを考えたら担当カラーは見分けやすい方がいいに決まっているんですが、だからこそこの編成はそういうことはちょっと後にして、編成される「意味」に重きを置いているように思えます。

松井についてですが、松井は青グループです。その青いはずの松井が、血の幻影を見ることで舞台上で赤い照明を浴びる。最初に登場したときは特にそう。暗転した舞台から青い照明をバックに登場したかと思ったら、原色みたいな真っ赤なサスが点く。

赤い照明を浴びる松井は、倒錯的で、扇情的で、浦島や豊前とますます対比されます。

この赤と青の構造が印象的なので、鶴丸がのちに言う「白の中にも黒がいて、黒の中にも白がいる。赤だって青だっているかもしれない」というセリフは、一揆軍だけでなく、自分たち刀剣男士のことも言っているように聞こえました。そんな鶴丸は白なので、ニュートラルに、あるいは少し異質な存在として表現されているのかもしれません。


話しを戻しますが、松井が歌うのは『滾る血』。

「ぽたり ぽたり」から始まるこの曲、もったいぶらせるようにためて歌うから、血が滴るさまが伝わってきます。

「どれだけ流し続ければ
拭い去れるだろう
錆びた血の記憶
くすんだ血の匂い」
(『滾る血』)

松井の血の記憶とはなんだろう。松井は恍惚としているようで、でもどこか苦しそう。

松井が歌い終わると赤い照明は消えて、豊前が颯爽と現れる。このときの豊前、高さ2メートルはあろうかという壇上からスムーズに降りてきます。もう初見から爽やかで速くてかっこいい。


刀剣男士はキャラデザが本当にいいなあといつも思います。イラストで見てかっこいいだけではなくて、立体にして動いたときにも目を引く。蜻蛉切の後ろ髪とか、にっかり青江の肩にかかる死装束とか、小狐丸の内番着のラフさの中にある上品さとか。本当に純粋にキャラデザのよさに驚かされます。2.5はキャラデザの良さを堪能できるのも魅力です。

豊前が歩くと揺れる右肩の、鎧で言ったら大袖にあたる部分、あれがすごくちょうどいい具合に揺れるんですよね。いつも速く動いている豊前にピッタリで、体を防御すべき鎧の代わりに掴みどころのない柔らかな布があることも、すべてが豊前らしくてかっこいい。

あと、ここの松井と豊前とのやり取りで、豊前はけっこう前からこの本丸にいたんだなあと思いました。このあとの殺陣や振る舞いからもそれは伝わってきます。


松井のソロ曲で気づいたことが他にもあって、ここ、松井とたくさん目が合うんですよ。カメラワークやスイッチの技術が上がっているのもあるだろうし、カメラも含めたテクリハも重ねているのではないでしょうか。

そう思うと他の場面でも他の男士ともよく目が合うことに気づかされます。意識できないくらい当たり前にカメラを見てくれている。

現地で観劇する楽しさも知っているのですけど、配信だからこそ味わえる優位性も用意しているところが2.5らしいというのか、DMMらしいと言うのか。配信のクオリティが高いから何回も見られるのかもしれません。



続いて日向、浦島、大倶利伽羅が登場します。

日向は、紀州に長くあったというだけにしては異常な梅干しへのこだわりがあって、それがなんだかかわいくて癒されました。浦島が亀吉を探しているのも、知ってる!って思えて楽しかったです。

しかしゲームのセリフをこれでもかと取り込んでいてゲームファンを喜ばせるのがうまいねほんと。


ちなみに、さきほどは村正と蜻蛉切が、ここでは蜂須賀と長曽祢が「旅に出た」と言われていました。

個人的には独立した舞台なら他の公演を見ていないとつまずくような思わせぶりなセリフは入れるべきではないと思っています。本筋と違うところで頭に残っちゃうから。村正や蜻蛉切って誰なのかのわからない人もいるのだし。

豊前が松井に対して言った「たいそうなお出迎えだったそうじゃないか!」くらいの、知らなければそれで済むし、知ってるともっと面白くなるような触れ方が一番好きです。



島原では一揆軍の行動がエスカレートしているさまが演じられます。右衛門作が信徒にやらせていることが、超えてはならない一線を超えていると同時に、右衛門作自身が天草四郎に対して信徒と同じような救いを熱心に求める仕草をしているのが印象的です。

『鯨波の声』では、革命前夜のような、緊張と熱気が高まる感じがありましたけど、ここではすでにその次の段階へ移行してしまっているように思えます。

報告を受けた伊豆守は怒りに震える。

天草四郎は、『神の子』では「私たちは何を許された?」の問いに「愛すること 愛されること」と答えた。『御霊と共に〜謡えパライソ』では武士身分らしい人を殺す信徒を前に微笑みながら同じ口振りでやはり「私たちは許された」と歌う。

信徒は、辿り着くべき「パライソ」への道程で、「愛すること」からかけ離れた行いで手を血に染めてしまった。

もう戻れないところまで来てしまった。



鶴丸たちは日向と浦島と大倶利伽羅と合流して主と対面する。豊前はこのときも鶴丸に対して「どうなっているんだ?」って気さくに声をかけられる立場で、古株っぽいの嬉しいです。

めーっちゃ今更だけど明らかに年配の男性審神者を「君」って呼ぶ鶴丸いいですね。「つーぎーのー、任務!」とかわがまま言ってたのもよかった。ゲームで聞いたことある気がするもんな。

鶴丸はなんでもどんどん決めていくけど、仲間の意見も聞かないこともないんですよね。

出陣するときの鶴丸、豊前と松井の「異論はねーよ」「血にまみれに行こうか」と言う言葉を待ってから「決まりだ!」と出陣を決定したところ、今回の任務が二人に負荷がかかるものだとわかっているからなんだな。

この鶴丸は松井が途中で帰還したいと言えば「そうか!わかった!」と言って全然引き止めなさそう。その分、本人が頑張っているあいだはサポートしてくれているんだろう。


出陣が決まり『刀剣乱舞』が始まる。

豊前の指ぱっちんがかっこよかった。



島原に着いた6振。戦うときに機動順に出てきてくれるお約束が嬉しいです。ゲームファンを喜ばせるのがうまい。

鶴丸が一歩引いたら豊前と大倶利伽羅が同時に出てきて息ぴったりに刀を振るうの最高でした。互いの信頼関係や実力の拮抗を想像させる。

時間遡行軍が引いたときに「逃げた? いや違うな!」ってすぐ気づく豊前もよかった。

このミュ豊前は初期実装組よりはあとに顕現したけど、それでもけっこう経験豊富っぽく設定されているようで、意外性があって好きです。豊前を経験豊富なサポートポジションに置くっていう発想に拍手。松井をサポートしてくれるし、鶴丸のことも理解している感じ。それでいて自分を犠牲にしたり歴史において死んでいったひとに心を痛めるほどの献身さはなく、自由で個人主義。

ミュ陸奥守が近いけど、彼には垣間見える影があったのだけど、豊前はそういうのもなくてさっぱりしていると思います。

泣いている右衛門作を引きずる鶴丸を守って、「一応戦闘中だぜ?」って言った豊前も大好き。まあ守るっていうか、鶴丸も自分の実力に自信があってどうとでもなるから無防備にしている風なところがあって、強キャラ感増し増しでした。

殺陣もよかった。太刀と打刀の中間な大倶利伽羅は、一太刀が重くて、速さが際立つ豊前と対照的でよかった。


天草四郎が死んだあとの右衛門作の嘆き具合もよかった。無気力になってめそめそ泣いて、時間遡行軍の攻撃目標が余りに的確で笑っちゃう。

ここで天草四郎が死ななくて鶴丸たちがいなくたって三万七千人は死んでいるのだとわかっていても右衛門作の背中を撫でてあげたくなるよ。

この辺からあとずっと鶴丸が右衛門作に冷たく当たっているようなのですが、天草四郎が死んで浦島や松井がうろたえ歴史が変わりつつあるなか、鶴丸は諦めずなるべく放棄された世界をつくらないよう手を尽くしていて、それは別に鶴丸自身のためではなく主のためなんだと思うと、刀剣男士って健気でいじらしい。

天草四郎が死んだあと大倶利伽羅たちが鶴丸に追いついたとき、鶴丸は仰向けに寝転んでいたんですよね。それもなんだかよかった。

寝転んで、無常の風が雲を流すのを見ていたんでしょうか。

ああ、人間は突然死んでしまう。

死んだ人間と墓場に埋められたことがあったかもしれない鶴丸、死んだ人間は「生きていない」と思い知っただろう。死体と墓場にずっとあったなら、鶴丸だって人に忘れられ、ただの錆びた鉄塊になっていたかもしれない。

人間は突然死んでしまうし天草四郎が死ぬことだってある。それを鶴丸はよくわかって遺体を「モノ」と言ったのだろうけど、無常の風にあがいてもがいて逆らって生きる道を歌っていたのも鶴丸なのだ。

鶴丸の熱い心はここではよくわからないけど、主には見せているし私たちも知っているという構成ずるいよほんと。


鶴丸は歴史に善悪はなくただの事実であると突きつけた。歴史が変わるというのは事実が変わるだけ。生きたり死んだり生き延びたり、そこには善悪による因果関係なんてない。

それじゃあなおさら鶴丸たちが戦うのは、主のためなのかと思える。

なんてかわいい奴らなんだ。

なんのために顕現したのか、それはこうして戦うため。事実を変えないため。こうだったらいいみたいな感傷が動機であってはならない。

でもその感傷にさえも善悪はなくて、なんのために生まれたのか、それは問い続けるしかない。刀剣男士も、私たち人間も。(『乱舞狂乱2019歌合』のエキス。)


めそめそした右衛門作が歌うのは歌詞違いの『おろろん子守唄』。

「その光はガラサ
ばってん消えた 消えてしもうた
夢やと誰か言ってくれんね」
(『おろろん子守唄』)

ガラサは神の恵みのことです。右衛門作は、一曲目の『おろろん子守唄』では、ゼズス様には「夢ん中なら会えるやろう」と歌っていた。悲しいとき、寂しいとき、光を見失ったとき、それでも目を閉じれば光はあると歌っていたのに、目の前にあった光が消えてしまったとき、これが夢なら覚めてくれと歌うのだ。

現実がつらいときはいい夢を見たいし、希望に溢れていた現実を失ったときには悪い夢だったと思いたい。

人間はもろくていい加減で身勝手だ。



鶴丸は、歴史を守るため、天草四郎を演じることで難局を切り抜けようと提案する。歌うのは『パライソ讃歌』。これは『謡えパライソ』に代わる刀剣男士版の天草四郎テーマソングです。まず鶴丸が歌う。

「目的地はひとつ
道は無数
辿り着きゃいい
手段は任せる」
(『パライソ讃歌』)

歌の最後の「エイメン(アーメン)」がキリシタンである右衛門作をおちょくってていい。ただし「嘆いてねえで付き合えよ おろろん おろろん」っておろろん子守唄を改変して口ずさむところはもっと最悪で最高でした。

右衛門作の憎しみのこもった目を笑って受け流す鶴丸格好よかった。

これが鶴丸の最適解ですか。これくらい憎まれなきゃ、その人に憎しみを持ち続けられないですからね。右衛門作を可哀想だとか思って同情したら、使命を果たせなくなってしまう。


三振は天草四郎を演じるにあたって、彼のカリスマ性、パライソへ導くもの、秀頼の忘れ形見であるという側面をそれぞれが分担して担っていく。

鶴丸はカリスマ性を、浦島はパライソへ導くものを、日向は秀頼の忘れ形見を。

すごい。脚本が気持ちいい。

この分担について劇中でははっきり説明されません。鶴丸が直感で天草四郎を演じるよう指示したように見えるけど、それもきっと計算づくなのでしょう。


『パライソ讃歌』では、音階の違いで民衆の歌っていた「パライソ」が失われて塗り替えられてしまったように聞こえます。

民衆の歌う『謡えパライソ』では「パライソ」は「ラ」で下がる谷型。

鶴丸の歌う『パライソ讃歌』では「パライソ」は「イ」で上がる山型。

まったく違う言葉で「パライソ」へ導こうとしているのに、鶴丸の歌の上手さが圧倒的な説得力となって民衆は疑わず着いていく。これこそが鶴丸が担う天草四郎のカリスマの部分なのだとあとからじわじわ実感しました。こういうの、ミュージカルならではの表現で好きです。

いやしかしカリスマの部分を自ら担って実行するところ、鶴丸のすごさですね。



浦島は、刀剣乱舞(ゲーム)をやっているとわかるのですが、顕現すると「ヘイ! 俺と竜宮城へ行ってみない?」と言います。竜宮城は存在しないかもしれないがあると信じたいものであり、パライソと似ています。その浦島が「パライソへ行こう」と言う役を演じる。

刀ミュがゲームのセリフを引用するのはファンサービスに近いと感じていたのですが、それだけではないと気づかされました。

浦島は亀吉を探していたり、虎徹の「兄」の話題に触れたりします。それによって「パライソへ行こう」という誘い文句とゲームでの「竜宮城へ行ってみない?」というセリフが結びつきやすく工夫されている気がします。もちろんゲームのことを知らなくても公演は楽しめるけど、浦島はたまたま天草四郎の役を与えられたのではないのだということです。


浦島にはまた別の役割もあると思います。

『浦島虎徹』という刀には浦島太郎らしき人物が彫られているけど、亀が彫られていないそうです。亀吉をよく見失ってしまうのはそのせいではないかな。そもそも彫られているのは浦島太郎ではないとも言われていて、浦島の求める竜宮城や亀吉の実在性はいっそう希薄になっていく。

浦島は平和な時代に打たれ人の血を知らない。彼の夢想する竜宮城は「パライソ」のように闇の果て、闇の底にあるのかもしれない。それでも実在を証明する手立てはなくても、あるかもしれないと信じることで楽しく生きられるなら、その方が健全です。

浦島が島原の乱のあとに打たれることは劇中で明言されます。浦島が朗らかでいられるのは、このあとの平和な時代を当たり前に過ごしたからかもしれない。

「見えんばってん そこにおるやろが」

浦島にとってのそれは竜宮城であり、戦のない平和な時代なのかもしれません。

信じたいと思うからそこにある、とも言える。それは救いを求め天草四郎に集った民衆も同じなのかも。



続きまして日向。

右衛門作が『右衛門作音頭』で「秀頼公の忘れ形見」と歌うとき、日向が短刀を提げている腰のあたりに触れていて、ダブルミーニングになっていることが暗示されています。天草四郎がそうではないかと噂されていた「かの太閤殿下のお孫様」ということと、秀吉に所有されていた『日向正宗』としての「形見」であること。

浦島だけでなく日向も天草四郎を演じる因果があったんですね。

日向に集まる民衆は、はじめ6人だけど、歌の終わりには13人に増えており、多くの民衆が次々と集まっていくさまが視覚的にわかりやすく表現されています。

豊前の「インチキくせえ気がするんだが」「嘘っぱちじゃねえか」に対して「嘘ではない! あれは光だ。人は光を求めているのだ!」と答える右衛門作。天草四郎が死ぬ前、右衛門作がどのように人集めしたか垣間見せるようにもなっています。たしかに「インチキくさい」。


また豊前のキャラクター性もさらにわかってきます。

豊前は重要刀剣に指定され確かに存在した記録のある刀だけれど、現在は所在不明になっているそうです。かつての来歴を頼ってアイデンティティとすることもできただろうけど、それより「今は所在不明」ということに重きを置いて、それを受け止めているということです。

存在しない(所在不明である)ことを自分らしさにするなんて、本当に豊前は潔い男士だ。

かもしれない仮定や推測より、今がどうか。

豊前にとっては嘘かもしれない「太閤殿下のお孫様」なんてうたい文句は魅力的でないし、人を集める手法として問題があると思っているのでしょう。

実際ここで集まった信徒たちがこのあと何をするか。

やはり何事もインチキはよくないですね。



大倶利伽羅ソロ。

「己からこぼれた息
白く染まり 消え行く
見えぬはずのものが色を持つ」
(『白き息』)

「息」は普段は目に見えないものだけど、白くなって目に見えることもある。見えないから存在しないわけではない。そして息があることは生きていることの象徴でもある。

また「白」という色は慣例的に無色と同一視されがちですが、実際は違います。白にも色がある。

刀剣男士も白い息に似ています。いつでもそこにあるものではないけど、確かにそこにあって、でも見え方は一定でなくあっという間に消えてしまいかねない存在。だから自分が存在していること、その意味を必死に肯定したり否定していかなければならない。

このソロからの流れも好きです。

歴史は、大勢の信徒が集まったところから、その信徒が虐殺されたという流れを辿り始めます。止まらない川の流れのように、流れる雲のように、時代が望まない人の波に乗せられ進んでいくような息苦しいくらいの勢いがある。



島原では、日向のもとに集まった信徒たちが強引な勧誘をし、そしてそれを拒む人たちも現れる。

民衆は日向が秀頼に似ていたかどうかコミカルに言い合っていたのに、ふと暴力を振るったことが引き金となり事態はどんどん悪化していきます。

ここは、右衛門作が「嘘っぱち」で集めた民衆が人を殺したことで、右衛門作の手法の不誠実さを示している場面でもあると思います。

暴力を振るったら暴力で応じられるし、さらに凶暴な力に発展する覚悟も必要になる。

その連鎖を断ち切るための手段が「敵を全員殺す」になるのは、正直どうかと思いますが、このあと江戸時代では大きな内乱がないのも事実。そもそも暴力がなければ「刀」という武器も存在しなかったわけで。

歴史に正解はない。

歴史は事実。偶然だろうが必然だろうが。

そこに善悪を求めちゃいけませんね。

ともあれ右衛門作を単に不憫で同情されるべき存在にしないようバランスが取られていて、そこもいいなと思いました。

事態はさらに悪化し信徒は寺社を襲い非武装の僧侶をも殺していきます。

正しい歴史のはずなのに誰かに手を加えられたかのような狂気がたまらないですね。何が史実で何が嘘っぱちか、もう誰にもわからない。

浦島が意味を知らずに兄弟に「パライソへ行こう」と言っていたこと、反乱に加わった他の信徒も同じだったのかもしれません。



ついに信徒は原城を奪い『三万七千の人生(ライブ)』が始まります。ライブはコンサートと命の両方を意味しています。

城を落とすっていうのは容易じゃないですよ。地理的に攻めにくいようにできていて、職業軍人(武士)がそれを守っているわけですから。これは只事ではない。城主側(幕府)は強い危機意識を持ったと思います。

一揆軍は飢えた農民や信徒だけではない、攻撃的な力を持った集団になっていたということです。

ここに集まった民衆を見ていると武家身分っぽい人は刀を持っていて、農民っぽい人は棒に包丁をつけたような武器を持っている。さまざまな人が寄り集まっていることがわかるよう丁寧に表現されています。

この歌がまた格好いい。

「轟かせよう三万七千の鼓動
俺は名指揮者
歴史に残る
ライブをしようぜ」
(『三万七千の人生』)

好きだ。天草四郎(シロー)、白(シロ)、城(シロ)で韻が踏まれているのとかどうでもいいくらい歌がいい。

たくさんの人が死んでいく。でも誰が生きて誰が死ぬか、それは誰かが選べるものでは決してない。それは刀剣男士も同じ。

歴史(事実)を守る以外の選択はあってはならない。死んでいった人が正しく死ぬように事実を守ることが任務。歴史というのは死の累積という気もしてくるなあ。だから鶴丸に許されたのは、生きた証を残すことくらいだったのかもしれない。

三万七千というただの数字ではなく、ひとりひとりの違う人生を鶴丸が受け止めてくれているようで、彼はこのあと民衆が死ぬよう先導しているっていうのに、もっと生きろと言ってくれているようで、無常の風に逆らう鶴丸の生き方を体現しているようで、勇ましくて格好いい。おそろしいほどのカリスマ性とともに。

でも死へ導いているのも事実。

「この城は俺たちの城
キリシタンのパライソだ」
(『三万七千の人生』)

違うだろー!

みんな思ったはず。

パライソはこんなところにはない!

みんな思ったはず。

でももう引き返せない。引き返せないことが正しい。



鶴丸が板倉内膳を討ち取るとき、彼の殺陣がサブリミナル的に刀と鞘で十字をつくっていてそれで次々に人を斬るんでこわいですね。天草四郎のまま人を殺している。

鶴丸と大倶利伽羅のデュエット『静かの海』ではタイトルを回収します。「静かの海」は月の地形につけられた名前でした。月には砂地しかないですが、海があると想像して行ってみたいと話す鶴丸たち、かわいいなあ。

「見えんばってん そこにおるやろが」

それは人の心次第。

光、竜宮城、パライソ、秀頼の忘れ形見、豊前江、天草四郎、静かの海、月の裏側、血の記憶、吐く息、神の子と信徒、三万七千の人生、平和な時代。そのどれも信じればそこにあるし、ないと思っている人にとってみればないのと同じ。

見ないように考えないようにして生きることもできる。

それを月にある海に例えた鶴丸、詩的で完璧すぎる。


「そこに風は吹かない
退屈な場所さ」
(『静かの海』)

「静かの海」に対して大倶利伽羅が「穏やかな場所」と形容して、鶴丸は「退屈な場所さ」と返す。

劇中、鶴丸の人生観は一貫しています。

野暮な説明になりますが、月には大気がないので風が吹かないんですね。それを「退屈な場所」と言うんだ、鶴丸。

無常の風が吹かない世界なら突然散ってしまう花の命はないのだろうけど、「予想し得る出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」。「退屈で死んでしまいそうだぜ」という鶴丸のボイスを彼の生き様として徹底的に表現している。

風に逆らうのは簡単なことではない。

でもそれは生きているからできること。

いつか死ぬから何もしないのならすでに死んでいるのと同じ。苦しくてつらくてひもじくて喉が渇いて自分の命を散らそうとする強い風に吹かれても、それに逆らって生きるのが鶴丸の人生なのだ。



続いて松井のソロから始まるのが『明け暗れ刻』。赤いサスが差して海も空も月も真っ赤になっています。でも松井の心境には変化があると思う。

登場時『滾る血』では「鮮やかな血が映えるのは静かな月灯りのもと」と歌っていたけど、今回は朝日を期待するように「朝ゆく月の仄かな光」「今はまだ明け暗れ刻」と歌う。明け暗れ刻は夜明け前の明るくなりつつある時間のことです。

豊前は途中から現れて松井とデュエットします。

松井が「耳に残る遠い海鳴り」と歌えば、豊前は「風が運ぶ遠い海鳴り」と返してくれる。

この二人のデュエットは、寄り添っている感じがとても強い。

他の人からしたらただ夕陽に赤く染まっただけの海だとしても、松井にとってはそこから聞こえる唸りが自分を責める叫びに聞こえるのかもしれない。それを豊前は否定せず、「俺にだって聞こえるさ 海の歌」と返す。

海の音、風の音、それは豊前にも聞こえていて、でも豊前にとっては「海の歌」なんだ。豊前にだって迷うとき、苦しいときはきっとあったと思うけど、今は違う。松井だっていつかこの海の音を、滅んだ者たちの叫び声ではなく、ただの海の歌なんだと思えるときが来るかもしれない。豊前はこのデュエットでそうして松井に寄り添っているいる気がします。

「今がまだ明け暗れ刻なら
ともに朝を待とうか」
(『明け暗れ刻』)

豊前は、朝は来るとか、明けない夜はないとか、そういう励ましじゃなくて、そのときがいつになるかなんてわからないけど、一緒に朝を待とうかと優しく言ってくれる。かっこよすぎか。


松井がはけてから豊前のソロ。

「朝の光だけじゃない
同じ赤に染まってやるよ」
(『明けに染まる刻』)

はあ、優しい。

豊前は明るい場所で待ってるだけではなく、朝は来るって言うだけではなく、まだ暗いなか朝を待っているとき隣にいてくれるんだ。この豊前、地獄へ行くなら一緒に行こうかって言ってくれるタイプです本当にありがとうございました。豊前のポテンシャルがすごいんだわ。

松井に寄り添うデュエットのあとの豊前のソロ、嬉しい。

私はずっと、豊前は今回の公演で、自我がないキャラクターだと感じていたんです。お金を払ったら隣に座ってくれるホストのごとく、自分というものがない。何が君のしあわせ?って聞きたくなる。

自分のことも幽霊みたいなものと飄々と言うし、松井が島原に来たのも任務だから仕方ないくらいにしか思ってなさそう。人間を斬るのにもちゅうちょがないし、インチキに加担していると感じても結局そのまま流されちゃう。

だからこのソロを聞けてよかった。

松井に対して「しんどいだろうけど」と心理的な寄り添い方をしてくれた。

豊前に自我がないように感じたのはそれは脚本の狙いと言えばそうかもしれないけど、彼は何かに抗って逆らって光を求めるタイプじゃなかったからなのかもしれない。

鶴丸の生き様を見せられて、それが「強さ」だと思っちゃってた。

豊前はそうじゃなくて、無常の風に吹かれているとき隣にいて、風に逆らうのかまだ決められてなくても、朝を待つって言うなら一緒に待つと言ってくれる。血の海を見ているとき、一緒に見てくれる。そういうリーダー像なのではないでしょうか。

「大したリーダーだよあんたは」と豊前は鶴丸に言ったけど、豊前だって頼もしいリーダーだよ。

待つタイプのリーダーだから、豊前は松井が人を斬るまで何十年でも待てるんだろうと思えたし、それに気づいてからは逆に鶴丸はショック療法的に他に選択肢がなくなるまで追い詰めていく感じで自分の上司にはしたくないと思っちゃったね。

だいたいノルマを課しつつ「手段は任せる!」って言って任されるのこわいわよ。

ともあれ豊前が「あんがとな」と言うとき、鶴丸への一瞬の憤りも感じた気がするし、鶴丸は鶴丸で自分の意図を察した豊前にほっとしていて、なんだか大人なやり取りでした。

リーダーだってつらいよね。

組織には鶴丸みたいな物事を進めるひとが必要だし、豊前のように優しく寄り添うひとも必要。どっちも必要。あんがとね!

この二人、リーダーとしての心構えが全然違うから、お互いにときどきヒヤッとさせられてたら楽しい。お互いのやり方に口は出さないけど、ちょっと違うよなっていう瞬間はちょくちょくあったりしてね。



松井がとうとう人を斬るとき。

朱に染む。赤い照明を舞台だけでなく客席にも向けるから、文字どおり会場一面が血の海になって、それはそれまで松井の見ていた血の幻影どころじゃなくてセンセーショナルだった。

三万七千人が死ぬ。

縛られた右衛門作によって『おろろん子守唄』が歌われる。歌詞は「夢ん中なら会えるやろう」に戻っています。

鶴丸がまた「おろろん」を歌うのだけど、それを聞いたときの右衛門作の反応が、一度目の故郷を踏みにじられたような憎しみの表情と違って、今回は自分のしたことへの悔恨を浮かべているように見えました。

右衛門作に「長生きしろよ」って言う鶴丸、私には全人類にそう思っていそうな慈愛を感じました。後悔を抱えて生きろってことではなくて、もっと優しさのある言い方だったんです。

だって鶴丸の生き様は無常の風に逆らって生きることだから。

いまが悲しみのどん底でも、この先もずっとそうとは限らない。大切な人、無二の光を喪ったとしても、二度と光を得られないわけではない。

島原の乱では一揆軍だけで三万七千人が死んでしまう。幕府方にももちろん犠牲はあっただろう。歴史を学ぶとき、歴史に触れるときにいちいちそんなことに心を砕いていられない。でもあとで、どこかで、そういう時間がとれたらいいね、そんなことを鶴丸たちが言っているような気がします。



島原が地獄の様相を呈するなか兄弟によって歌われるのが『誰も教えてくれない』。

「誰も教えてくれない
大切なこと何ひとつ
誰も答えてくれない
大切なこと何ひとつ」
(『誰も教えてくれない』)

それは誰かが教えてくれるものではないかもしれないけど、教えてくれたかもしれない人たちはみんな死んでしまった。

「生きるその意味
死に行くその意味
教えてください」
(『誰も教えてくれない』)

この兄弟は、母が一揆に加わらなかったことで殺され、今度は生きるために一揆に加わって死んでいく。生きる意味、死に行く意味、そんなものないのではないか。歴史から見たら彼ら兄弟はどうあっても死んでいて、死ぬのが正しいみたいに思えて悲しい。


最後、ずっと鶴丸が下げていたロザリオをお兄さんの遺体にかけることで任務が終わる。天草四郎の最後の要素は、「神の子」だったのでしょうか。

構成的には、最初に天草四郎を演じた役者が最後また天草四郎になるところが収まりがよかった。



パライソが死後の世界なら三万七千人はパライソへ行ったのでしょう。

この公演は歴史に名前を残さなかったものたちへのレクイエムみたいに思えます。鶴丸は「お前の言う歴史ってなんだよ。歴史に名を残した奴ばかりが歴史を作ったわけじゃねえんだぞ」と言う。

この公演では、歴史に名前を残さなかった人物の名前は徹底的に伏せられています。一揆軍の誰一人として、人を斬れないとふざけ合っていた幕府側の二人の武士も、あの兄弟も。美術館に所蔵され、記録され、語り継がれる刀剣とはまるで違う。

実在した兄弟の名前をつけることも、実在しない武士の名前をつけることもできたのに、あえてそうしなかった。脚本もうまくて、名前が出てこない違和感はほとんどなかったと思います。気づかない人もいるかもしれない。

でも名前が残っていないことと、存在しなかったことは違う。

あの猿みたいな人、口元を隠してた人、白髪のおじいさん、襲われた女性、武士、僧侶、名前はわからなくても心に残った人が誰か一人でもいたならこの公演は成功なのではないでしょうか。歴史に名前を残さなかった人、この公演のあいだ名前を呼ばれなかった人、でも確かに存在した。


右衛門作が内通者だったかどうか言及しないのも個人的には良かったです。島原の乱の真実、みたいなことはテーマではないから。

インフェルノ、パライソ、ゼズス様、神の子、秀頼公の忘れ形見、豊前江、竜宮城、血の記憶、歴史に名前を残さなかった人、光、明日、朝の木漏れ日、吐く息。見えたり見えなくなったり、信じたり、信じられなくなったり。でも「見えんばってん そこにおるやろが」なんですよね。フィクションでこういう問いかけしてくるの、罪深い。


本丸に帰還して、笑い合う人たち、そこに島原で死んでしまった人たちも一緒になって笑って終わる。パライソねえ……。

地獄を経由したパライソはパライソと言えるのでしょうか。

その答えは彼らだけが持っている。




以上、感想おわり。

問わず語り(刀ミュ)

問わず語り聞いて泣いちゃった。

「誰もいなくても 大地はそこにある
誰もいなくても 空はそこにある
誰もいなくても 風は吹き荒れる
でも誰かがいなくては 歌は生まれない」

好きだ。

江はすごい勢いで追加実装されてしかもすぐミュージカルに抜擢されて(山伏推しとして)嫉妬してないこともなくて見ないようにしてたけど、桑名くんいい子だな……。かわいい。大地は大事だよ。桑名くんから歌い始めるの…いいな…。


「誰かが言った 覚えておいてと
誰かが言った 忘れてくれと」

「誰かが言った 見つけてくれと
誰かが言った 隠してくれと」

好きだ。

恥の多い人生ですので、目立ちたくないし、全世界に忘れられて誰にも気づかれず小さくなって静かに消えていきたい。そういう人間もいるわけじゃないですか。

心覚見てないからまだなんとも言えないけどさ。

忘れてほしい歴史とか、知られたくないと誰かに託された歴史だってあるでしょう。天下を取ったり、義を貫いて死んでいった人だけが歴史じゃない。

ああ、間違えちゃったなあ。

そんな風に死んでいった人もいるでしょう。



乱舞狂乱2019歌合を見て書いた記事。

「人間なんかいなくても花は咲くし鳥はさえずるし風はそよぐ。でもそれを美しいと思って歌を詠み、千年後まで歌い継ぐのは人間だった。」

そうなのよ。

世界に人間は必要ないのよ。

地球にやさしく?
環境を守ろう?

なーに言っちゃってんの。

人間が人間にとって生きやすい世界を維持することを、まるで地球が望んでいるみたいに言っちゃって。人間が絶滅したら喜ぶ生物だっているでしょう。

でも人間がいなかったら歌は詠まれない。畑も季語もなくなって、生きるために生きる生物があふれるんだろう。桑名も蜻蛉切さまも歌仙も燭台切もみんないなくなるんだろう。

それってちょっと寂しいな。


刀ミュはたぶんもう随分前から人間讃歌していたんでしょう。人間なんかいない方がいい!っていう感情を、丁寧に、慎重に、否定して。

愛だなあ。

なんかもうほんとに早く人間辞めたいのはずっと変わらないけど、ちゅうちょなく見たい公演の配信を購入するために今日も働いている。

世界に人間は必要なくても、人間には人間が必要なんだ。

愛だよねえ。


刀剣乱舞くんの愛が今日もどっかで消えてなくなりたいと思ってる人間を救っているんだろうな。愛。

燃えよ煩悩/ぶしさに

※刀さに(ぶしさに)
※女審神者




音もなくしとしと雨が降っている。風も吹いて肌寒い。薄着の二人は布団の中でもつれ合い、やがて深く口付けた。

「主殿」
「うん……」

山伏が私の寝間着に手を差し入れた。素肌が触れ合う。手甲がない。

「主殿」
「うん……」

服を脱ぐ。あまり受け身だと飽きられてしまいそうだけど、慣れていると思われてかえって良くないかしら。まあ、今さらか。神様のことはわからない。

山伏にじっと見られているのがわかる。緊張する。でも嬉しい。緊張なのか興奮なのかわからなくなる。

私も山伏を見る。山伏は美しい。そして逞しい。その山伏が私を見ている。

うまくいって、お願い。私は心の中で願った。

私には気がかりなことがある。

「山伏も、」
「ああ」

肌けたところから触れる山伏の手が熱い。彼はなんてちょうどいい加減で触れてくれるのだろう。優しすぎず、山伏の力強さを感じられるちょっと強引な、でも決して無理を強いない加減で。その彼の手がとても熱い。

山伏は何もかもが熱い。

彼の大きな手も、私に向けられる視線も、かけられる言葉も。

なんて熱いのだろう。

山伏が一層深く抱きしめたとき、私の指が思わず跳ねた。快感からではない。その余りの熱さ故に。

やっぱりだ。気のせいではない。

「主殿?」

心配そうに声を掛けてくれた山伏にどんな言葉も返せないまま、もう一度山伏の背に腕を回すが、とても我慢できそうになかった。熱い、熱いのだ。余りにも。

山伏が再度深く抱きしめようとしたところで、私は彼の胸に手をついてそっと押し返した。

「ごめん、ちょっと……本当にごめん」

山伏は普段からは想像できないような優しい声音で「お気に召されるな」と答えて、私の寝間着を整えてくれた。聞こえるはずのない夜更けの雨音が、私たち二人のあいだにまで届いた気がした。


 **


ここのところの私の悩みは山伏との夜のことだ。それはつまり、恋人として過ごす、夜のこと……。実は、初めて服を脱いで山伏に触れたとき、その余りの熱さに彼を突き飛ばしてしまった。山伏はびっくりしていたし、直ぐ私に謝罪した。私はとにかく誤解のないよう、山伏に好意を伝えたが、どこまで伝わっていたのかわからない。そういうことが三度あった。

それから山伏は私に何もしてこない。

これでは飽きられる前に呆れられてしまう。

季節は変わって寒さの厳しい時分となった。最後に二人で寝所に入ったのはだいぶ前のことのように思う。

この頃、朝は特に冷え込む。今日も寒さの余り私は寝たふりを決め込んでいたが、見計らったように歌仙が「おはよう、主。今日もいい天気だね」などと言いながら部屋へ入ってきて、布団のシーツを足下から強引に剥がしながら「ところで、山伏国広とはどうなんだい?」と尋ねた。私は追い出されるように布団から這い出つつも、その行動とは裏腹な歌仙の優しさに泣きつきたくなった。

私と山伏との関係は本丸内で概ね知れ渡っているようだけれど、さすがに誰彼なしにそのことを相談できるはずもない。歌仙は数少ない私の相談相手だ。

歌仙は面倒見のいい刀だ。それを歓迎する者と、そうでない者がいるだけで。初期刀として顕現した責任が彼をそうさせるのか、それは私にはわからない。

刀剣男士に個性のような違いがあることは、政府から説明されている。私の本丸の歌仙と、他の本丸の歌仙は、まったく同じに思えることもあれば、どこかが違うと感じることもある。

だから、山伏に何か他の本丸との違いがあるとすれば、それは彼を顕現させた私のせいだろう。

『山伏国広』を顕現させたのは私だ。山伏がただ居てさえくれればそれでいいとか、他の本丸と違うならそれでもかまわないとか、それでは余りに無責任だ。私と山伏とのことは、私たちが解決しなければならない。

「相談に乗ってくれる?」

歌仙は私のすがるような目線を雅に受け流し、「どうしようかな」と答えた。

私はかまわず彼に話しかける。

「歌仙さんは山伏の入れ墨に触ったことある?」
「あるよ」

歌仙は事も無げに答えた。

それは一体どんな時だったか、気にならないでもなかったが、今はそれより自分のことだ。

「実は、私、山伏のあの入れ墨がすごく熱く感じて、ずっと触っていられないの。あの入れ墨って、不動明王の迦楼羅炎、ってやつなのかな。それで、その、あれって私みたいな『人間』には、触れないものなのかな……。それとも、それは、私の問題? 私が煩悩まみれだからとか……。そのせいで私、山伏と共寝もできてなくて、申し訳なくて……」

煩悩まみれ。口をついて出た言葉だけど、そのとおりだ。

それならこれは私自身の問題であると言える。

私のせい。

私のせいで、この先ずっと山伏を抱きしめることができないということ。互いになるべく触れないようにして体をつなげることは可能だろうけど。

「主。それでは、山伏をやめて他の誰かにするかい?」
「そうだね。山伏には、その方がいいのかも」
「主はひどく残酷なことを言うね。僕たちはもうただの刀じゃない。手に取ったり手放したり、物のように扱われては山伏国広だって可哀想だ」

言わせたのは歌仙のくせに。

私は心の中で悪態をついた。

「それって私がこのまま山伏に触れないことと、どっちが残酷なのかな」
「僕が言ったのは、そういうことじゃないんだけどね」
「そうかなあ」

歌仙は私を一瞥して「なぜこの僕がこんなに情緒を解さない主に仕えなければならないのだろうねぇ」などと独り言とは思えない声量でつぶやいた。

「主。その入れ墨、今度昼間に触ってみたらどうだい?」
「昼?」

そのことについて歌仙ははっきりとは説明せず、「僕はもう行くよ。片付かないんだから、早くご飯を食べにおいで」と言って、シーツを抱えて部屋を出て行った。

歌仙は雨の日も夏の暑い日にも風流を感じると言ってはよく歌を詠んでいる。私も歌仙くらい雅な人間なら、山伏に自分の気持ちを和歌にして伝えたりできたかもしれないけど、それは難しそうだ。

私は身支度を整えて食堂へ行った。

食堂では内番に当たっていない刀が遅めの朝食をとっている。特に決められた席はないのでみんな好きにしているようだ。

「やあ、おはよう」
「おはようございます」

私は白いジャージを肩に掛けた、山鳥毛の向かいに座った。

山鳥毛にも入れ墨が入っている。彼のはよりモチーフ性が高い。ときどきアクセサリーを身に付けていて、髪型も大人っぽく整えられて色気がある、そんな彼をより魅力的に見せる入れ墨だ。

座っていると光忠が朝食を運んできてくれた。

「おはよう。どうしたの、山鳥毛くんのことじっと見つめて」

見つめていたかな?

私が「山鳥毛さんはカッコいいなあと思って」と答えると、光忠も山鳥毛を見つめた。

一度に二人に見つめられた山鳥毛は、「ありがとう。そんな風に言われると、照れてしまうな」と言って赤くなった頬を掻いた。

私は山鳥毛が恥じらう姿が好きだ。思わず目を細めて「本当だよ。カッコいいよ」とさらに褒めると、やり過ぎだと言わんばかりに光忠が「ほら、ご飯も食べてね」と言って私を小突いた。

しばらく静かに食事していると、私にまだ視線を送られているのに気づいたらしい山鳥毛が、「小鳥は何か私に聞きたいことがあるようだな」と言った。

サングラスをかけて同派の刀を率いる姿は相当な強面だが、こういう気さくなところもあるのが憎い。山鳥毛は、彼を支えなければと思わせる不思議な力を持っている。

山伏は、彼といると、どちらかと言うと寄りかかりたくなる。

同じ刀剣男士でもこんなに違う。

「不躾なお願いなのだけど。山鳥毛さんの入れ墨に、触ってみてもいい?」

山鳥毛は私の目を真剣に見返して、「ああ。手でもいいか?」と答えて左手を差し出した。大きくて、でもとても綺麗な手だ。グローブで隠れているが、手の甲から腕の方まで入れ墨が入っているようだ。

山鳥毛の手を取って、腕の方にある入れ墨を撫でてみる。彼の体温は感じるが、熱くはないし、特に痛みもない。

いつまでも山鳥毛の腕を触っていると、「主殿」と声をかけられた。

「山伏、おはよう」
「あまりそう、ひとの肌に触れるべきではない」

声をかけたのは山伏だった。山伏は、山鳥毛の後ろから私を真っ直ぐ見下ろして言ったが、その手は山鳥毛の肩に置かれたので山鳥毛を咎めるような印象を与えた。

「これは失礼した」
「すみません、私が……」

山鳥毛は落ち着いた様子で詫びて、そっと腕を戻した。私のせいで彼が詫びるなんて良くないとは思ったが、山伏の燃えるような強い視線を前にして私は言葉を失ってしまった。

山伏は嫉妬深い神様ではないと思う。妬みや憎しみからはほど遠い。仲間と楽しそうに過ごしているか、或いは静かに瞑想している。山伏にこういう目を向けられるのを、おそらく私は一度も経験したことがない。

嫉妬でないなら、軽薄な女と思われた?

私は山伏から目を逸らし、やっと絞り出した声で「お皿、下げてきます」と言って席を立った。

私はちょっと、ショックを受けた。

怖くなっちゃった。

山伏が感情を露にした、それだけでこれほど動揺してしまう。

私は山伏を神様らしい神様だと思っていた。彼に刻まれた不動明王の入れ墨、彼の戦装束、『山伏国広』という御刀、それで私は山伏をいかにも神様らしい神様だと思って、自分は無条件に庇護される立場であると高を括っていたのだ。そういう傲慢な自分にもショックを受けた。

私が山伏を神様だと思うからそう見え、そうでない一面に触れても見ぬ振りをしていたのではないか。

流しには椅子に腰掛けて雑誌を読んでいるらしい燭台切光忠がいた。

「山伏を怒らせちゃった」

私の言葉に光忠は何も返さず、私の後ろへ視線を寄越した。

振り返るとそこには山伏がいた。先程感情を露にしていたのが嘘のように、いつもと変わりない山伏だ。ただ少し、申し訳なさそうに眉尻を下げている。

「あいすまぬ。主殿へ相応しくない物言いをしてしまったゆえ謝罪がしたく」

しゅんとした山伏は「それは拙僧が」と言って私の使った食器を受け取って流しに置いた。お詫びのつもりらしい。

こういうところを可愛いと思う。

でもそれは、私が怖がらないよう、山伏が努めてそのように振る舞っていただけなのかもしれない。彼の中には激情が渦巻いていて、山伏自身もそれと対峙しているのかも。

山伏が食器を洗い始めたので私は彼の横に立って少しだけ体をくっつけた。

山伏は濡れるのも構わず手甲をつけたまま洗い物をしている。光忠はまめに手袋を外しているのを見かけるが、山伏の手甲はほとんど外すのを見たことがない。お風呂上がり、もう寝るだけでというとき、同じ布団に入って私に優しく触れてくれた彼の手を思い出す。大きくて、熱くて、私を求める手。

「変なお願いしてもいい?」

山伏は食器を水切りかごに置いて、「なんであるか?」と大らかに聞き返した。

「山伏の、入れ墨を触ってもいいかな……」

山伏は「うむ」と短く返事して、袖をまくった腕を差し出した。

山伏の腕は筋肉質で、その肌にはまるで生きものが這っているかのような炎の入れ墨が彫り込まれている。山鳥毛とはやはり違う。触っているうちに、熱くなってきた気がして、私はそっと手を離した。山伏の入れ墨は今にも体の内からその身を焼き尽くしてしまいそうな迫力がある。

そう言えば歌仙は昼に入れ墨に触ってみればと提案してくれたが、どういう意味だったのか。

「僕、席を外した方がいいかな?」

光忠におもむろに声をかけられたので、私と山伏は目を見合わせて笑ってしまった。どうやら話しの続きは場所を移動した方が良さそうだ。

「ごめん。もう出ていくね」

私は用意してもらったお茶を持って、山伏と執務室へ行った。いつもなら朝食の後は今日やる仕事について歌仙から報告があるが、歌仙が訪ねてくる様子はない。何か察して時間をつくってくれたのかもしれない。

「主殿。先ほども、山鳥毛殿の腕に触れていたようであるが」

部屋で二人きりになるとさっそく山伏に切り出された。直球だ。ごまかしは効かないだろう。

私は覚悟を決め、山伏に座るよう促してから「そのことなのだけど」と話しを続けた。山伏の入れ墨が熱く感じること、それは山伏だけ特別であるようだということ、この問題をどうにか解決したいと思っていること。歌仙に相談したところ、昼間なら何か違うかもしれないと提案されたこと。

山伏は囁くように「主殿、抱き締めても?」と尋ねた。

拒否するべくもない。

山伏は膝立ちになって私を抱き締め、「主殿の心配事は、すべて拙僧の未熟ゆえのことである」と言った。

「拙僧の体を覆う、この炎。これは『山伏国広』に彫られた不動明王に由来するものであろう」

山伏は私から離れると、おもむろに服を脱いで私に背を向けた。そこには背中をすべて隠してしまうほど大きな不動明王が、世界に災厄をもたらすものすべてを牽制するようにこちらを睨んで座している。山伏が呼吸するたび不動明王とその身にまとう迦楼羅炎がうごめいて、まるで生きているかのように錯覚する。見事だ。真に迫るものがある。

私は言葉を失って山伏の背中に見惚れた。

「この炎は拙僧の身を焼く迦楼羅炎。拙僧の未熟さがこの炎を地獄の業火へ変えてしまうのである。まさか主殿までこの炎を熱いと思っているとは知らず、心配をかけ申した。あいすまぬ」

一体どんな顔でそんなことを言ったのか、背を向けられているから想像するしかない。

『山伏国広』に彫られた不動明王という神様の浮き彫りは、鋼に彫られたとは信じられないほどに緻密で、恐ろしく、思わず手で触れたくなるような美しさを持っている。触れれば何か願いが叶うのではと思わせる力がある。

山伏国広は人の願いを聞く側の存在だったのに。

山伏国広は美しい「祈り」の御刀だったのに。

山伏国広は刃こぼれとも錆とも無縁で、生まれたままの姿を愛され大切にされてきたのに。

今や山伏は自ら願いを抱き、祈り、そして人を愛そうとして苦しんでいる。戦って、その刀で誰かを傷つけて、自分の未熟さを知って、迷って、これだけ苦しんでいるのにまだ道は続いている。

私が彼を呼んだ。それで彼は苦しみを知ってしまった。でも私がやらなくても誰かがやっただろう。未来の見えない戦況、複雑化する情勢、政府を助ける刀剣男士は増え続けている。人の心に一条の救いをもたらすようにと生まれた『山伏国広』が、誰にも呼ばれないはずがない。

私は山伏の背中に触れた。

「今も熱い?」

触れたところから痛ましいほどの熱が伝わってくる。

「うむ。熱い」

私は山伏にぴったりくっついて、彼の体に腕を回した。ちょうど目前には不動明王が見えて、その余りの迫力に、彼の三鈷剣で私の体が切れてしまうのではと怖いくらいだった。でも離れ難い。

「この炎の熱さは、私が煩悩まみれだからなのかなって思ってた」

私の腕に山伏が触れた。手甲はすっかり乾いている。

「拙僧はこの姿で顕現した。山と修行と、筋肉を鍛えることが好きである。この体を覆う炎、背中に座す不動明王、それは入れ墨とは違う。このように在るよう、はじめから定められている。腕を切られ、肌が焼け落ち、肉体を失っても、主殿に呼ばれる限り拙僧は必ずまたこの姿で現れるという確信がある。何度溶かされ、何度鍛え直され再刃されても、拙僧の在りようは変わらぬ。それは主殿には責任のないこと」

山伏を苛むもの、それは山伏の在りようそのものだ。

そんなに苦しめるくらいなら顕現させなきゃいい。それだけのことで山伏は太刀として、所有者に大切に手入れされ、穏やかな時間を過ごせる。

でも私には山伏が必要だ。

彼の炎が、不動明王が、熱くても、苦しくても、山伏の肌から離れないのと同じように。まるでそのようにはじめから在るように。

歴史修正主義者との戦いを、他の男士がいるからいいや、とは割り切れない。

私には山伏が必要なのだ。

「責任ならある。私は山伏の主だから」

山伏が「カカカカカ」と笑った。背中から私の頭の中に直接響くような大きな笑い声だ。

「では、責任を取っていただくかな」

不敵な声音でそう言ったかと思うと、山伏は体を捻って私と向き合い、私を強く抱きしめた。そして、信じられないことに、山伏はそのまま私の首元にキスを落とした。私はいま山伏と触れ合えている。

この展開は……。

驚きつつも、私はこれをチャンスと思った。

「布団ひく?」

私が小さい声でそう言うと山伏は虚をつかれたような顔で私を見返した。

言った自分も恥ずかしくなる。

「それはまた夜に」

今度こそ私は恥ずかしさに顔を真っ赤に染めた。


 **


「この炎が熱くなるのは、私の心の持ちようなのかな」

私が尋ねると山伏は自分の腕に走る炎の一筋を撫でた。興奮すると色を濃くするそれは、確かに入れ墨とは違うもののようだ。生きた、彼の体の一部なのだ。

「拙僧が、主殿に下心を覚えると炎が熱くなるのは事実である」
「え?」
「歌仙殿が昼間に触ってみるよう促したのは、その為であろう。ただし、拙僧がこの炎を熱いと思うときと、主殿がそう感じるときは同じようでいて少し違う。それぞれの煩悩の形が違うように。今日、主殿と触れ合えたのは、主殿と拙僧が、互いを受け入れる準備ができたゆえかもしれぬなあ」
「心のことを言ってる? それとも体の?」

私が笑って尋ねると、山伏に片目をすがめて「両方を願うのは欲深いかな?」と返された。

それなら私だって欲深い。

生きることは苦しみに満ちている。傷つき、苦しみ、痛み、もがき、逃げる術はなく、立ち向かい、抗い、死ぬまで生きる。でも私たちも、刀剣男士も、苦しむために生まれてくるはずがない。そんなことあってはいけない。

私は熱いくらいの山伏の体に顔を寄せて、彼がいまここに存在することに感謝した。

「拙僧は、筋肉を鍛えるために修行している」
「え?」
「苦しむためではない。この筋肉で人々を救うため。誤った方法で人を傷つける者を止めるため。主殿と心を通わせるため。その歓びは何にも変え難い」

私は山伏の言葉に呆気に取られた。

それはそっくり私の考えていたことと同じだからだ。

私のための言葉みたいに、その言葉は私のこころの奥深くまで沁み入った。

「主殿。拙僧を顕現してくれたこと、感謝である」

山伏は八重歯を見せてにっこり笑った。

「山伏……。この本丸にきてくれて、ありがとう」

この歓びを得るために私は生まれた。

燃えよ煩悩、私は生きている。生きる苦しみ、生きる寂しさ、上等じゃないかしら。この煩悩がないなら、私は死んでいるのと同じだ。そしてこの苦しみはどこまでも私一人のもので、孤独だけれど、生きているひと、みんなどこか痛くてひとりで耐えている。

だから私は、今日くらいは痛みを忘れてこの歓びに浸ろうと思った。

極められない山伏国広(後編)

※「山伏国広の極」のイラストの不備から着想を得た創作ですので苦手な方はご注意ください。
※極バレ
※刀さに(ぶしさに)
※女審神者


前編はこちら
mblg.tv












「主殿、只今戻ってきたのである。修行の結果を、我が筋肉を見よ!」

山伏が勢いよく障子を開くと、そこに主はいなかった。広間には遠征に出ていた男士も戻っており、多くの目線が一斉に山伏に集まった。山伏も彼らを見返すが、ここに一番居て欲しい人物は見当たらない。

「山伏さん」

呼びかけられて目を向けると石切丸が立ち上がって山伏のところへ歩み寄ってくるところだった。

「主は一期一振さんと居て、ここにはいないよ」

石切丸は襖の外を見た。

「一期一振殿?」
「落ち込んでいたから、慰めてもらっているんじゃないのかな? 政府に呼ばれたみたいで、いつもより遅い時間に戻ったと思ったら、わんわん泣いて寝室にこもってしまったようだね。せっかく山伏さんが修行から帰ってきたっていうのに、まったく主には呆れてしまうよ。こんな時こそ、ちゃんと出迎えてあげないとね」

石切丸はマイペースに山伏に声をかけてくれたが、他の男士たちは二人のやり取りを慎重に眺めている。それもそのはずだ。山伏は修行から帰還したにもかかわらず、修行前と変わらない姿をしている。

修行を乗り越えると力が湧いて、前より強く、そして姿形もそれに相応しく変化するものである。

山伏は違った。

「主殿を落ち込ませたのは、拙僧だと思う。拙僧はまだ未熟であるなあ」

山伏の言葉は広間の一番奥にいた山姥切国広や堀川国広にも聞こえた。山伏は明るく振る舞っているが、かえって痛々しい。堀川国広はたまらず山伏の元へ駆け寄ろうとしたが、和泉守に腕を掴まれ制止された。山姥切国広も駆け寄りたい気持ちを必死に抑えている。

まるで心臓を直接掴まれたみたいに痛む。息がつまって苦しい。

無意識に己れの武器を見る者がいた。刀身が傷つけられたかのように、実際に明確に痛みを感じたからだ。しかし刀身には傷などなく、常と変わらずあやしい金属光沢をまとっている。

頭の中に「刀解」という言葉が浮かんでくるのを、誰もが止められなかった。

広間にいる男士たちの間に冷たい沈黙が流れる。

口火を切ったのは石切丸だった。石切丸は「慌てないことだ」と告げた。その声はおっとりとして、穏やかで、とても安心感を抱かせる。

「カッカッカッ、修行は続くのであるな!」

山伏が笑って答えると、石切丸は「うん、そうだね」と優しい声音でうなずいた。

石切丸のマイペースさにはいつも驚かされる。彼のその資質を今日ほどありがたいと思ったことはない。山姥切国広はこの日からしばらく自分がもらった団子はすべて石切丸に供えることにした。それほど心から石切丸の存在に感謝した。

広間のほかの男士たちも、二人の様子を見て少しは安心した。

「主のところへ行くのかい?」

石切丸に尋ねられ、山伏は「うむ」と力強くうなずいた。

「皆にも心配をかけてしまい、すまぬな。遠慮せず、先に宴会を楽しんでいてほしいのである」
「そうだなァ、せっかくの馳走が冷めちまうもんな!」

和泉守がひときわ大きな声で宣言すると、山伏を心配そうに見ていた堀川国広も「そうだね」と答えた。兄弟が心配なことに変わりはないが、ここから先は山伏自身の問題だ。堀川国広がひっついて回っても詮ない。

「僕は歌仙さんをお手伝いしてきますね」

堀川国広はそう言って厨で宴会の準備をしている歌仙の元へ行った。

山伏は広間を去ると、主の寝室へ真っ直ぐ向かった。山伏は主の恋刀だ。主の寝室に行くのは初めてではないが、いつもより廊下が長く感じられた。

「主殿、おられるか」

山伏が声をかけると一期が「おられますよ」と答えるのが聞こえた。

主は一期一振が好きらしい。「お兄さんって感じで安心できる」というのが主の言い分だが、どうもそれだけではないと山伏は踏んでいる。

付喪神は物に宿るひとの心から生まれ出る。元来、物やヒトへの執着が強いものだ。それは愛情として表れるときもあれば、憎悪として表れるときもある。

山伏国広は少ない主に大切に所有されてきた太刀だ。美術館や寺社で多くのひとに鑑賞され、愛でられた刀剣とは違う。山伏自身も刀剣男士として顕現してからの自分に宿る「心」のようなものを、そういった来歴に由来するものかもしれないと漠然と理解していた。そしてこの「心」は、自分でよくよく制御すべきものだとも考えている。

いま山伏の心で燻るこの感情は、良くない感情だ。

一期一振に対する、この感情。

「失礼してもよろしいか」

山伏が尋ねると、主と一期の囁き声が聞こえてから、「どうぞ」と許可が下りた。

なぜ一期が許可するのか、山伏は努めて考えないようにする。

部屋の真ん中には一期がいて、床に敷かれた毛足の長い敷物に座っている。そしてその後ろに主が隠れているらしい。一期に抱きつく主の腕が見えたと思ったが、それもすぐ後ろに引っ込んだ。

「主殿、只今戻ってきたのである!」

返事はない。

主に代わって一期が「お待ちしておりました」と答えた。山伏は面白くなさそうに一期を見つめる。

「一期一振殿、ちょっと、主殿と二人になりたいのであるが……」

山伏が申し出ると、一期は「どうされますか」と後ろに隠れる審神者に伺いを立てた。返事を待つあいだも山伏にじっとり見られているので居心地が悪い。

一期は主から頼られることは誇らしく思っている。しかし他の刀剣男士とはうまくやっていきたいとも思っている。

ふむ。この山伏は誰とでも打ち解ける太刀だが、主のこととなると時折感情が露になる。そこへあえて波風を立てることもあるまい。一期は思案の後、そう結論づけた。

「主、私はここらで失礼しますよ」
「え!」

主の声が部屋にむなしく響いた。何かの動物の鳴き声みたいだと一期は思った。

一期は無情にも立ち上がり、すがるような主の目線を冷ややかに受け流して「山伏殿とよく話し合うことですな」と言って、言葉とは裏腹に、主の頭を優しく撫でた。一期も、主の傷ついた様子には心を痛めたが、今は引くべきと判断した。

去り際の潔い男だ。

残された二人だけの空間。審神者は山伏を見ると再び涙を溢れさせた。正確には、まだ山伏を直視できないでいる。鼻をかむ音がやけに響く。

「主殿、大丈夫であるか」
「山伏が……」

それだけやっと言うと唸り声をあげてまた泣く。

山伏は仕方なくしばらく主を後ろから抱いて、慰めてやった。落ち着いてきた審神者から少しずつ話しを聞くに、やはり山伏の極の姿についてのことで落ち込んでいるらしかった。

「すべて拙僧の未熟ゆえ。主殿が気に病むことはないのである」

そう言われると余計に悲しくなる。

山伏の姿が変わらないのは、政府のせいだ。審神者のせいではないし、まして山伏のせいなどでもない。

しかし、考えずにはいられない。あと少し、彼を修行に送り出すのを待っていたら、こんな気持ちになることはなかったのではないか。『不備』がすべて解消されたあとなら、はじめから新たな装いで、堂々たる姿で帰還できたはずだった。本丸の、ほかの男士たちも不安にさせた。特に堀川派の二振には。

「違うよお」と言って審神者はまた泣いて、そのあいだ山伏は辛抱強く寄り添った。

「主殿」
「なに」
「今日はもう、失礼した方がいいようである。一緒にいても主殿を悲しませるだけなようだから」

審神者が振り返ると山伏はにっこり笑っていた。

山伏の笑顔に救われる。

「山伏……」

山伏が私を悲しませているのではない、と審神者は思う。それは間違いない。山伏をようやく正面から見ることができてから、やっと気づいた。

「あれ?」

なんだろう。キラキラ光っている。山伏の、右肩の辺りで。

審神者が急に離れようとするので山伏は少し寂しく感じた。今日は失礼すると言ったのは山伏の方だが。そう思っていると、「なに?」とか「なんだろう?」とかぶつぶつ呟きながら、審神者が山伏の周りをぐるぐる回っている。

「あの、主殿。いかが召された」

主の様子がおかしい。

それも拙僧の未熟ゆえか。

山伏はいつになく悲観した。悲観というより諦念に近い。刀解もあり得る。今日が主と会える最後の夜かもしれない。自分がいなくなった後、『不備のない山伏国広』がこの本丸に顕現されるのだろう。それまで一期一振が主を慰める。その全ての原因が自分にあるし、時間は戻らない。

「山伏!」
「うむ、なんであるか」
「なんだあ! 山伏! そっかあ!」

何のことかわからない。

山伏が怪訝そうに主を見上げる。主の視線が、山伏の右肩の辺りにあるような気がする。山伏の気も知らないで、なんだかすっきりした顔をしている。

「主殿、今日は、もう」

これ以上一緒に居ても、別れ難くなるだけだ。

主にとっては、二振目の山伏国広だって、拙僧と同じ『山伏国広』でしかないのだろうか。

この遣る瀬なさも今日が最後か。

自分はここまで。

そう思うとやり残したことが多い気がする。

「山伏、修行お疲れさまでした」

審神者のその言葉が引き金となった。

「これからすること、今日限りのことと思ってお許しいただきたい」
「え?」

山伏はおもむろに立ち上がると審神者を強引にベッドへ寝かせた。

「主殿」
「はい?」

審神者は場違いだと知りながら胸が高鳴った。これは、もしかして、修行の成果がわかるのでは……?

下世話な想像をしている。

「拙僧がいない時に、一期一振殿をここへ招かないでいただきたい」

ここ、この部屋へ。この寝所へ。

山伏は真剣な面持ちで審神者の目を見つめた。

無責任な願いだとわかってはいる。おこがましい願いだとわかってはいる。しかし、先ほどの体を寄せ合っていた二人の姿が脳裏をよぎると、どうしても我慢ならない。

これは制御すべき感情だ。

山伏はそのことを理解していたはずだった。しかし今や「心」のようなものが自分の中で暴れて平常心には程遠い。

山伏は主を見つめながら、不動明王に祈るような気持ちだった。感情のまま全てを主に打ち明けたい。否、そんなことは許されない。葛藤している。苦しい。この感情を、どうか、打ち砕いてほしい。

審神者は山伏の様子がいつもと違うことにようやく気づいた。

「山伏、どうしたの。一期と何かあったの?」

審神者が体を起こして山伏の頬を手で包むと、山伏もそこへ手を重ねた。

「……修行を終えて帰還したものの、このようなことになり主殿には申し訳が立たない。どんな処遇も甘んじて受ける所存である。だから、今日くらいは、どうか、拙僧の言葉にただ頷いてほしいのである」

なんだか仰々しい申し出だっった。

「処遇って」

審神者は視線をさまよわせて政府の説明を思い起こした。

少し時間はかかるが、その時がくれば山伏は必ず「極」の姿へと変化する。そして、山伏の姿に関わらず、彼には「極」の力が宿っているし、修行を終えたことに変わりはない。

審神者は山伏の右肩を見た。

キラキラした「極」のしるしが見える。

そして、山伏の口ぶりや態度から、彼が以前とは違うとはっきりわかる。

審神者は笑った。

「ふふふ。山伏、大丈夫だよ」

ふふふふ。

まだ笑っている。

山伏はちょっとむっとした。自分は真剣に話しているのに、どういうことなのか。

「主殿」

たしなめるように呼ばれてから、審神者は改めて山伏に押し倒された。山伏に怒りをぶつけられたことがなかったので、新鮮に感じて嬉しいくらいだ。

「山伏、大丈夫だよ。修行お疲れさま。私には、わかるよ。山伏が修行を終えたこと。過去のこと、乗り越えて還ってきてくれて、ありがとう」

審神者は山伏に口づけようとしたが、届かなかったので精一杯優しく笑った。

山伏を安心させる手段がないことがもどかしい。

いつも山伏を見ると安心するのは審神者の方だった。山伏のどっしり構えた態度、山伏の笑い声、山伏の筋肉、山伏の八重歯。そのどれも、見ていると安心する。

「拙僧の修行は」
「うまくいってる!」
「この姿は」
「それは、まあ。そのうち変わるみたい」

山伏は釈然としない。

「拙僧は、修行から帰還したということになるのであろうか?」

審神者が山伏の首に腕を回して引っ張るように力を込めると、山伏は引かれるまま審神者に顔を寄せてくれた。審神者はやっと山伏に口付けた。

「『極』の味がする」

主の突然の冗談に山伏は呆れた。大事な話しをしていたのに。それに一期一振殿とのことをごまかされた気がする。

それでも愛しいと思う気持ちが勝るので山伏も主に口付けを返した。

「どんな味であるか?」
「千年に一度の素晴らしい出来。豊かで、逞しくて、優しくて……」

山伏はさらに呆れた。

でも好きだと思った。

「主殿、」

今度の口付けは深かった。


山伏が仰向けに寝転がったので、審神者は腕に頭を乗せた。山伏は好きにさせている。

「手紙ありがとう。何回も読んじゃった」

何回も、なんてものではない。手紙が汚れるのが嫌なのでコピーを取って、山伏が帰還するまで、そのコピーを肌身離さず持ち歩いていた。コピーがボロボロになるのでコピーのコピーまで取ったくらいだった。原本はすっかりしまい込んである。

「主殿の祈りはいつもこの胸にある。そして山伏国広に込められた祈りがどんなに情深く、切実なものであったかこの度の修行でよくわかった。修行へ行かせていただき感謝申し上げたいのは拙僧のほうである。主殿の祈りに応えられるよう、これからも鍛錬に励むつもりである」
「うん。私からも、これからもよろしくお願いします」
「うむ。修行はまだ続くようであるからな。よろしくお頼み申す」

山伏を窺い見ると、にっこり笑っていた。安心した。山伏は前と変わらないようで、ちょっと違う。修行は続く。戦いも続く。日々も続く。これからもそんな風に、変わりなく、それでいてちょっとずつ違う、そんな毎日になればいいなと思って眠りについた。

極められない山伏国広(前編)

※「山伏国広の極」のイラストの不備から着想を得た創作ですので苦手な方はご注意ください。
※後半刀さに(ぶしさに)






刀剣男士が修行に出ると96時間で帰還して修行の成果を見せてくれる。それは審神者が励起させた物の心より顕現した男士ならば、一振も例に漏れずにそうあるべきだった。

「兄弟、これはどういうことだ?」
「拙僧にもわからぬ」

ここにいる山伏国広は修行から帰還したにもかかわらず、『あるべき姿』をしていなかった。

極めていない姿のままなのである。

宝冠から、衣服、手甲、見た目の細かなところまで、よくよく観察しても修行に出る前と何も変わっていない。山伏自身は何やら今まで感じたことのない秘めた力のようなものは感じているが、出陣してみないことにはそれもどうかわからない。

山伏は己れの姿に困惑していたし、刀工を同じくする山姥切国広にも、この状況はまったく理解できなかった。

「拙僧は、何か、間違えてしまったようであるな」

山伏国広は目尻を下げて、申し訳なさそうに頭を掻いた。少しずれた宝冠の下に浅葱色の美しい髪がのぞいている。

「兄弟が間違うはずがない。そんな顔をするな。主が本丸に帰ってくる前に、誰かに相談しよう」

この本丸の主はよく外泊するので、本丸にいない時間も長い。今はちょうど留守にしている。長期の遠征に出陣している部隊の帰還に合わせて本丸に顔を出すつもりなのだろう。もちろん山伏の晴れ姿も楽しみにしているはずである。

「こういう時は……」

二人は顔を見合わせて、あまり冴えない表情のままある男士を思い浮かべていた。

こういった相談事には向いていない刀に思える。

しかし、仕方ない。

彼はこの本丸の初期刀である。この本丸で起きたことは、まずは彼の耳に入ることになっている。律義な刀なので一度はなんでも真面目に話しを聞いてくれる。しかし彼が何か有意義な意見を口にしたり、悩める男士に対して親身になって相談に乗るかと言うと、それはまた別の話しである。

二人は重い腰を上げて、この本丸の初期刀を訪ねることにした。

「歌仙殿。少しよろしいか」

山伏が声を掛けると直ぐに引き戸が開いた。そこにいるのはこの本丸の初期刀、歌仙兼定だった。

「やあ! 戻ったんだね。さあ、どうぞ入って」

山伏と山姥切国広は逡巡したのち、歌仙に招かれるまま部屋へ入った。

「さて、修行から帰還した日は特別だ。今日は宴会になるかな。主も帰ってくる日だし。素晴らしい日だ。皆にはもう顔を見せたのかい?」

歌仙は客人に座布団やお茶を用意しながら尋ねた。

「実は、まだである」
「そうなのかい?」

そこで漸く歌仙は不思議そうに山伏を見た。

「君の帰還を喜ばない者はいない。我らが本丸を支えてきた大切な太刀なんだからね。道場にでも行けば誰かがいるし、君を歓迎してくれるよ」

山伏は言いづらそうにして言葉を探し、けっきょく山姥切国広に助けを求めた。

「歌仙、兄弟は、修行を終えたと思うか?」
「え?」
「兄弟は、何故か、修行に行く前と姿が変わっていないようなんだが」
「え……?」

歌仙はまじまじと山伏を見た。

「なんだって……?」

今度、言葉を失うのは歌仙のほうだった。無理もない。修行から帰還したのに、姿が変わっていないなんて、これまで一度もなかったことだ。山伏と山姥切国広は歌仙の反応を見て、改めてそのことを実感した。

これは相当不味いことなのではないか?

このままでは、刀解なんてことになりはしないか?

山姥切国広はその考えの余りのおぞましさに口をつぐんだ。山伏も思案するように目を伏せた。

「修行には……?」
「ああ、もちろん。行き申した。主には三通の手紙を書き、本日、帰還した。修行先では貴重な出会いもあり、確かに修行を終えた自覚もあったのであるが、このとおりである。これも拙僧の未熟さゆえか……」
「そんな風に卑下するな! 修行の成果と俺たちの見た目は関係ないんじゃないのか?」

山姥切国広は声を荒げて歌仙を睨んだ。

べつに歌仙に怒っているわけではない。山伏に対する苛立ちを、本人にぶつけられないだけだ。

歌仙はこの二振を憐れに思った。

堀川派と呼ばれる刀は普段からとても仲が良い。無骨ながらも互いを兄弟と呼び、信頼し尊重し合っている。喧嘩なんてとんでもない。山伏国広が八重歯を見せてにっこり笑うと、山姥切国広は顔を伏せて喜び、山姥切国広が不器用に懐けば、山伏国広は誇らしげに目尻を下げる。

歌仙にはそのような関係の刀はいない。

しかし、例えば小夜左文字が修行から帰還しても姿が変わらず、自分を責めていたとしたら?

歌仙は想像するだけで息がつまった。

実際は、小夜は極の新たな装いできちんと帰還したので、歌仙は帰還した小夜の手を引いて本丸中の男士に挨拶して回ったし、小夜はそれを少し迷惑そうにしながらも最後まで付き合ってあげたのだった。

山伏が万が一にも何かを間違えたとは思えない。

しかしどんな短刀も打刀も他のどの男士でも、こんなことにはならなかった。

どうして山伏だけが、という疑問は残る。

「力になれなくて申し訳ないけれど、主を待つしかないんじゃないのかな」

歌仙はちらりと山伏を見た。

山伏はいつの間にやら常と変わらない様子に戻っており、「カッカッカッ。煩わせてしまい、あいすまぬ。これもまた修行」と言って笑った。

山姥切国広は相変わらず歌仙を睨みつけていたし、歌仙も胸が痛んだので言い返さなかった。

「大きい声出して悪かった」

山姥切国広は、部屋から出ていくときに歌仙に小さい声で謝罪した。歌仙は、「ああいうのは雅じゃないね」と言いながらも、「主が帰ってくればきっと大丈夫さ。政府のいつもの『不備』というやつだろう」と精一杯励ました。

山姥切国広と山伏は、なんの解決策も持たないまま再び自室へ戻るしかなかった。

今回のことは、他の男士たちには歌仙から話すこととなっている。歌仙は文系を自称しているが繊細でない一面もあるため、山姥切国広はなんとなく不安な気持ちで主の帰りを待つしかない。

山姥切国広が山伏に目を向けると、山伏は目を閉じて静かに瞑想していた。

こういうところはズルいな、と思う。

もっと動揺してくれたら、頼ってくれたら、これまでの恩を少しでも返せるのに。

いや、自分はなんてことを考えているんだ?

山姥切国広は、山伏の置かれた状況で彼に恩を着せようとしている自分に気づいて恥入った。兄弟は平気なように見えるが、内心では不安に思っているかもしれないじゃないか。

山姥切国広は山伏にかける言葉を必死に探したが、けっきょく声をかけられなかった。

その日、主が帰ってきたのは夜遅い時間になってからだった。

迎えに来たのは堀川国広だった。堀川も山伏と同じ堀川派の刀である。

「兄弟、主が帰ったよ」

堀川は姿の変わらない山伏を目の当たりにしてほんの少し動揺したが、山伏や山姥切国広には気づかれない程度のちょっとした動揺だった。そうだといいな、と思った。

「あいわかった」

山伏の静かな声が部屋に響く。

「二人は先に主のところへ行ってくれるか。拙僧もすぐに向かうゆえ」

山姥切国広と堀川はこっくりと頷いた。

「何かあったら呼んでね」

堀川が部屋から出る前に声をかけると、山伏は目を細めて「ありがとう」と答えた。そして、山姥切国広にも目を向けて「兄弟も、ありがとう」と続けた。

山姥切国広は布で顔を隠して「べつに、いい」と答えることしかできず、自分を不甲斐なく思った。もっと気の利いた言葉をかけられたら、兄弟をもっと安心させてあげられたのに。

山伏はそんな山姥切国広の内心を知ってか知らずか、邪気のない様子で破顔して二人を送り出した。


審神者が主として本丸に帰った時から遡ること5時間ほど前。

その日、審神者は心臓が破裂するのではないかというほど緊張していた。なぜなら山伏国広が修行から帰還するからである。

歌仙にはかねてより今日の日のことを伝えてあり、ご馳走をたくさん用意して欲しいとお願いしてあった。刀剣男士を修行に送り出すのも迎えるのも歌仙の役目なので、山伏を送り出したのは歌仙であり、3日後には主が心待ちにしている山伏が帰還することは百も承知である。

「めでたい料理がいいな。鯛とか、赤飯とか」

歌仙はおとなしく主の言うことにうなずいた。他の男士と違いが出てしまうので、もちろん特別に豪勢な晩餐会というわけにはいかない。あくまでいつもどおり山伏を迎えるつもりだが、主の嬉しそうな様子を見て、ほんの少しだけ予算を増やしたことは歌仙だけの秘密である。

審神者はようやく山伏が帰還するというその日、突然政府に呼び出された。

会議室には他にも審神者がいる。すべて、山伏を修行に送り出し、彼の帰還を今か今かと心待ちにしている者達だった。

そこで言い渡されたことは。



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極めちゃうのか

デリヘルで一期一振を指名するぶしさに本丸の女審神者と山伏国広の小説書こうとしてたのに山伏極がくるってなってそれどころじゃなくなってしまった。

心臓どうにかなりそうなんだが。

小説は書きたいし極のあとでは書けない今だけのぶしさに書きたいけどけどけど。

銘を切る/ぶしさに

※刀さに(ぶしさに)
※女審神者





新しい刀剣男士が顕現する度に言われる。

「主は山伏国広が好き?」

わかってる。私は山伏が好きだ。しかし私と山伏とは特別親しい関係ではないし、刀剣男士としては、たぶん、親しさで言えば真ん中くらい。もっと客観的にみると、山伏とはそれほど親しくはない、と言える。

悲しいかな、それが事実だ。

だいたい、山伏は本丸を留守にしがちだ。

非番のときの時間は自由に使ってもらっているし、山伏に限らず、政府から修行の許可のおりない男士は自然と出陣の機会も減って、時間を持て余して万屋街を出歩いたりして、本丸にいないことも多い。しかし、それにしても、山伏は所在不明なことが多いと思う。

『山伏? さあ、山にでもいるんだろ』

『山伏国広? さて、見かけませんねえ』

誰も知らない。

そんな風に聞き歩くもんだから、私が山伏に惚れているということがことさら強調されているような気がする。こちらとしては、部隊編成のこととか、軽装のこととか、用事があるわけで、べつにプライベートな理由で彼を追い回しているわけでもないのに。不本意である。

「山伏見なかった?」
「兄弟? さあ、見てないな」
「そう。ありがとう」

ほらね。

こんなとき、私はとっておきの場所へ行く。

審神者と一部の刀剣男士だけが行ける場所。本丸の中心近く、けれど分厚い扉で固く閉ざされた蔵の奥。

そこは静かで、でもほの明るくて、たとえば何か人知を超えた存在が宿るならこんな場所かもしれない、そういう場所。冷たくて、鋭利で、どこかおそろしくて、でも柔らかい。

この蔵には、『二振目』がしまわれている。

私は真っ直ぐ『山伏国広』のもとへ向かって、手に取った。

私がいつでも触れられる『山伏国広』。

太刀だ。大きい。それに重たい。ここでは思う存分、この太刀を眺めていられる。しばらく『山伏国広』を堪能してから、少し力を込めて鞘から刀身を抜くと、驚くほど美しい。まるでこの刀から光が放たれているかのようにあやしく光っている。

きれいだ。美しい。

この刃先に指を置けば、きっとそれだけで私の指を傷つける。

こわい。でも惹かれる。

私は、おそろしいほど美しいこの太刀を、じっと見つめた。ここから『彼』が生まれた。あの、明るくて、前向きで、豪放で、それでいて優しくて思いやりに溢れた彼が。

私は慎重に刀身を鞘へ戻した。

わかる気がするんだよね。

このずっしり重たい感じ。派手さはない。堅実で、日向にある土みたいに、暖かくて安心感がある。

はじめは怖かった。山伏は体が大きくて、物腰も三条の刀のようには穏やかではないし、短刀たちのようでもないし、服装もちょっと変わっている。曲がったことや悪意には加担しない。朝ちゃんと起きて、夜には寝ている。

今はそういうところ全部好きなんだよね。

私は『山伏国広』の柄の部分を握った。

この拵えの下、茎には主の名が切られている。それは私の名ではない。

私はその名前を少し憎んだ。

「山伏国広…いつ私のものになってくれるんだろうね」

私は一人呟いて、『山伏国広』を撫でた。無骨で、質素で、顕現していなくても山伏の気配を感じる。たくさんの人に愛されただろう。人々の思いや、この太刀自身の逸話の強さが彼を生み出した。でもこの鋼に刻まれた主の名前は永遠に一つ。

ため息を吐いたその時、声が掛けられた。

「主殿」
「わ!?」

振り向くと、山伏が居た。

顕現させちゃった!?

私は手元の太刀を見て、再び山伏を見た。彼の手には『山伏国広』が下げられている。私の手にある『山伏国広』が顕現したわけではないらしい。

「驚かせたようであるな」
「ごめん、驚いた」
「あいすまぬ」

山伏は申し訳なさそうに笑った。その顔がまた可愛いので私は照れた。

普段そんなに接する機会が多くないので、ふいに話し掛けられるととても照れる。彼を好きだと自覚しているので、山伏によく思われたいとも思う。

私は『山伏国広』を棚へ戻した。

後ろに山伏がいると思うとなんだかただ振り返るのも恥ずかしい。だって私が本人に内緒で『山伏国広』を眺めて撫でていたのだとバレてしまったかもしれない。

でもいつまでも背中を向けているのも変なのでゆっくり振り返った。

「よくここってわかったね。何かあった?」
「主殿に呼ばれたので」
「え?」

山伏は私に一歩詰め寄った。

これは彼の間合いというやつだろうか。山伏が刀を抜いたら斬られてしまう。少しこわい。でももっと近づきたい。

「その太刀は拙僧そのもの。主殿が触れて、拙僧に会いたいと願われたならば、その気持ちは拙僧の心に必ず届く」

私は驚いた。

撫でまわしたのもバレただろうか?

山伏はまた一歩私に近づいた。山伏の高い体温を感じるほど近い。

「そうなんだ。知らなかった」

言うことはそれだけ?

私は自分の言葉足らずに我ながら絶望した。頭の中は大混乱だ。目を合わせられない。でも触れたい。抱きついたら驚くだろうな。もしかしたら突き飛ばされるかも。それはないか。

私の心のうちを知ってか知らずか、山伏は手に持っていた太刀を私に差し出した。

「触れたければこちらを」

心臓が唸った。張り裂けそうだ。

「ありがとう」

蔵の中で二人きり。山伏ともっと違うことを話して親交を深めるべきではないか。でも彼の『山伏国広』に手入れ以外の時間に触れることはまずないし、前に彼の手入れをしたのはかなり前のことだ。めったにないチャンスを逃すわけにはいかなかった。

緊張する。

私はおそるおそる手を差し出して、『山伏国広』を受け取った。

重い。長い。山伏が握っていたからか、ちょっとぬくい。『二振目』とは何かが違う。何か、圧倒的に。太刀のまとう空気が違う。すごく重たい。でもやわらかい。山伏が人の身を得て育んできた、心のようなものを感じる。私も審神者の端くれだからだろうか。

鞘から刀身を抜くと、梵字と「武運長久」の文字が見える。裏には不動明王の姿が。

ほんの数十センチ、それでも十分美しい。

鈍く光って、人の目を惹きつける。山伏国広が長く美術品であったこともうなずける。

しかし、この『山伏国広』は、少なくとも「無数の刀剣を破壊した太刀」である。私が彼を顕現させ、戦いに身を投じさせた。数えきれないほど出陣させた、我が本丸でも有数の古参だ。

それをまだ美術品と言える?

よく鍛えられ、強くて、優しい、人を守るための太刀。そのために破壊する。美しい、それだけで美術品と呼ぶにふさわしい。でもこわい。

「主殿、刃先を己れに向けるのは、危険である」

山伏は太刀の柄と鞘とを両手で掴むと、刀身をそっと収めた。私が指の力を抜くと、『山伏国広』は私の手を離れていった。

「綺麗な太刀だね」

山伏は何も答えない。

「いま何時かな。山伏ももう戻る?」

私は山伏の腕から覗く迦楼羅炎を見ながら尋ねた。迦楼羅炎は人の煩悩や、災厄の源を焼き尽くすと言う。触れたら私なんか燃えちゃうかもしれない。

「山伏?」

返事がないので顔を上げて山伏の顔を覗き見た。

「主殿」
「はい」

山伏の目って、なんとも言えない色をしている。朱色とも違う、赤銅色っていうのかな。かんかんに熱くなった鉄のような、純度の高い銅のような色。

「主殿が拙僧のことを好きだと言う者がいる」

核心。

なんで急に?

こわいよ。なんで?

私はどんな風にごまかせばいいか必死に考えた。こんな場所で、二人きり。もはや何を言っても逃げるための口実だと思われるだろう。

「へ〜、そうなんだ」

ははは、と笑う。声が変だ。これは緊張なのだろうか。好きだと告白する前ならこんな風に緊張してもいいだろう。しかし今はそんなタイミングではない。ごまかし、ごまかし。自分の憐れに泣きたくなった。

だってね、私だっていつか山伏に好意を伝えようとは思っていたのだ。どんな風に、いつ、伝えるか、布団の中で夢想しては頬を染めた日もあった。

「へ〜」

私は顔を引きつらせながら、ちら、と山伏を盗み見た。

「主殿」
「はい」

ばっちり目が合った。あの赤銅色の目。真剣な眼差しで私を見ている。

「主殿、どうか、本心を」

私はすごく切ない気持ちになった。山伏が、山で行き場を無くした絶滅寸前の動物みたいな、自分を理解してくれる唯一の仲間を探すような、そういう表情をしたからだ。

この『山伏国広』は私が顕現させた。

私がこの世界に呼んだから、山伏は人間の体で、斬り付けられて血を流したり、時間遡行軍の刀を傷つけ、折ったりすることになったのだ。美術品として飾られていた頃には、その美しさに息をもらされ、その来歴に感嘆の声をあげられる、そんな存在だったはずなのに。私が山伏を作り変えてしまった。

人間の体で、人間の声で、人間みたいに汗を流し、人間みたいに切なく顔を歪めて。

私が山伏にしてあげられることはあるだろうか。

「好きです。ずっと前から、ずっと、好きでした」

私は山伏に一歩近づいた。

それだけでよかった。

山伏は優しく私を抱き締めた。すごく力強いのに、すごく温かくて優しい、そんな力の込め方だった。

「あいわかった。主殿、何も心配はいらぬ」

山伏の声が、まるで彼の体を楽器みたいにして、優しく響いて、私まで伝わってくる。山伏がそんな風に言わなくたって、私は心配なんかしていない。何も言わなくたって、今日みたいに、こんな風に抱き締めてくれたら、私にはそれで十分だ。

「山伏」
「うむ」
「私は山伏の『主』なのかな?」

その鋼に切られた『主』の名は私ではないけれど。

「うむ。主殿、ただ一人である。拙僧に世界の鮮やかさを教えてくれ、修行のつらさ、仲間と飲む酒のうまさを教えてくれたのは、主殿、ただ一人である。拙僧の心には、主殿の名前がしかと刻まれ申した」

嬉しいこと言ってくれるね。

私は照れて、山伏を軽く叩いた。

「どこでそんな口説き文句をおぼえてきたの」

私が尋ねると、山伏は「カッカッカッ」と軽快に笑った。



【銘を切る】
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狐や踊れ(刀ミュ『歌合 乱舞狂乱2019』より)

「狐や踊れ」の章の感想です。

「歌合」全体の感想はこちら
mblg.tv


小狐丸メインの「狐や踊れ」の章が好き過ぎて、別記事としました。



このパートは小狐丸が可愛くて最高だし、内容も歌合という公演の中で大切な役割を持ち、個人的に楽曲も振付もとても好きで、さらに刀剣乱舞のゲームキャラクターとしての小狐丸の存在を的確に表現しているように思えるし、本当に好きです。

解釈の相似とでも言うのか、とにかく好きでBGM代わりにこのパートだけよく聞いています。


この章は、小狐丸役の役者さんが出演できないときに、代役の方が舞台に立ったことから着想を得ていることは明らかです。ただし、小狐丸自身には元から二面的なキャラクター性があります。

小狐丸という太刀の茎(なかご)には、表に刀工名、裏に鍛治を手伝ったとされる小狐の名前が記されていたとされる伝承があるようです。

『つはもの』では「表に彼の名、裏には我が名」という歌詞で歌われます。

狐が相槌を打つなんて現実的ではないです。この逸話は、小狐丸の存在の根幹を成す物語でありながら、同時にその存在を非現実的にしている。

刀ミュの世界では、非実在の刀や、非現存の刀は、そのことで思い悩んだりするのですが、小狐丸はそういう悩みはなさそうなところが、さっぱりしていてミステリアスで、人間ではない雰囲気を作っています。

ともあれ、小狐丸とは、人と人あらざるものによってつくられた存在なんですね。



『狐や踊れ』


この曲は、まず純粋に語感が良くて、踊り出したくなるような、そういう愉快さがあると思います。ほとんど7字か、8字の字余りで成り立っているのもリズミカルさを引き立てている。

小狐丸の役者さんにぴったり合うように作られたとしか思えない音域は聞いていて心地いいし、歌い方も能楽の舞を見ているようで素敵だし、「謎の多い三条さん」らしい和風の旋律は和装の小狐丸に合っているし、狐に化かされる、というストーリーにもよく合っているし、狐面を付けた4振の振付もとってもかわいいです。



「怪しい月の光誘われ」

月夜に誘われて来てみれば、そこで狐が踊っているような感じでしょうか。

「踊れや踊れ、狐や踊れ」

そして月夜に誘われて来てしまった人やら狐にも、さあ踊りましょうと言わんばかりに誘い出す。

「人の惑いか神の戯れか」
「翁も 神も 武者も 亡霊も
乙女も 狂女も 鬼も 獣も」

ここの歌詞は、小狐丸が鍛刀された当時を描いたようになっています。人も、人あらざるものも一緒に踊ろうと言う。

ここで舞台でそれぞれ踊っていた小狐丸と狐面の小狐丸が重なって、少しずつ分かれていくような振付けがあるのですが、それがここのストーリーにマッチしていてすごく好きです。小狐丸からもう一人の小狐丸が分離していくような感じ。

「この世にゃ表と裏がある
狐にゃ表と裏がある」

そして、この、ちょっとべらんめぇな口調も、妖じみているような、普段丁寧な言葉づかいの小狐丸らしからぬ歌詞になっていて、そこがよいです。



このパートの冒頭を振り返ると、明石と小狐丸とのやり取りから始まるんですね。月という、世界に一つと思っていたものでも、見方を変えれば二つあるとも言える。


詠まれた和歌は、
「ふたつなき物と思ひしを水底の
山の端ならでいづる月かげ」
(月はこの世に二つもないと思っていたが、水底に月が見える)


ここで夜空に浮かぶのはまん丸の満月。小狐丸はカラーも芥子色で、獣染みたところも、満月がよく似合います。


月といえば、三日月宗近は刀剣乱舞の世界では、世に類を見ない名刀中の名刀です。三日月宗近だけが世界に一振あり、他の刀は歴史の流れ次第でその存在が確かになったりあいまいになったりする。そういう世界観は刀ミュも刀ステも共通している気がします。



歌のあと、小狐丸の回想が始まります。

小狐丸が二振、という疑いから、実は小狐丸に話しかけていた4振が狐だったわけですが、それがわかったときの「では、踊りますか!」が最高にかわいいです。

4振に刀がない、というのも、なるほど!となりました。

あと、私は抜刀姿より納刀姿に色気を感じると気づきました。安心してください、ここから小狐丸の納刀姿を2回も見られます。


芝居の中では、小狐丸がぷりぷり怒ったり、「あぶらげ」が大好きな獣っぽさもあり、他の刀を基本的に呼び捨てにしている感じも、刀ミュ本丸の初期からいる刀って感じがして、そういう生活感みたいなものが善きかな、善きかな。

何回も繰り返してしまうけど、狐っぽいダンスもすごく可愛いです。

あとね、小狐丸のまわりで4振が踊ると、なんだなんだ?みたいに小狐丸が楽しそうにしてくれるのが、本当に本当に本当の本当に最高の演出です。


この章では、小狐丸という太刀のことと同じくらい、刀剣乱舞というゲームが生み出した「小狐丸」というキャラクターに対する愛を感じます。

ミステリアスで、知的で、食えないキャラで、でもどこか天然で、遊び心があって、獣染みてて、自由で、なのに品行方正で、他の刀に負い目なく接する。そういう無邪気なキャラクター性がすごく可愛く感じて、これまで意識していなかったのに、一気に好きになっちゃった。

あんまり色々書いても、逆に皆さん引いちゃうってわかってるけど、今のこの熱量はいましか表現できないのでこのまま書きます。



『狐や踊れrep』


「怪しい月の影落つる夜は
遊べや遊べ 狐にゃ遊べ
人の欲望か神の気まぐれか
遊べや遊べ 狐にゃ遊べ」

1回目と比べると、歌詞が小狐丸用にアレンジされています。

「偽も真も」

言わずもがな、長曽祢虎徹が歌いますね。長曽祢虎徹は虎徹の贋作と言われています。真作も、贋作も、遊べや遊べ。

「夢も現も」

御手杵が歌います。御手杵は火事で焼けた刀剣で、刀ミュでも火事にうなされる夢をたびたび見ています。御手杵にとっては火事で焼けたのが現実なのに、刀剣男子になってからは、生きているのが現実で焼かれてしまうのが夢となり、夢と現が逆転している。今が夢でも現でも、遊べや遊べ。

「般若も菩薩も」

堀川国広が歌います。元主の土方歳三は、鬼の副長として伝えられていますが、実際にそのように呼ばれるようになったのは現代のことで、その顔が般若か菩薩か、真実はわかっていません。般若も菩薩も、遊べや遊べ。

「死者も生者も」

鶴丸国永が歌います。鶴丸国永は一度死者とともに埋葬されたが、鶴丸国永が惜しくて墓から掘り起こされたという伝説があります。死者も生者も、遊べや遊べ。

「この世にゃ表と裏がある」
「狐にゃ表と裏がある」



『ふたつの影』


ここで4振がはけて、奥から小狐丸のそっくりさんが狐面をつけて再登場します。クライマックスです。4振がはける直前に、小狐丸の後ろの照明が山吹色と黄金色のグラデーションになって、まるで立ち絵姿のイラストのような色彩になるんです。それにゲームファンとしての心をくすぐられました。


狐面の小狐丸を見て小狐丸ははっとします。そして歌い始める。

「この身は一つなれど 月光に宿る影は二つ」
「姿形は同じなれど 心は一つのみ非ず」

小狐丸が静かに歌うからすごく聞きいっちゃう。

小狐丸にとっては自分っていう存在は確かにあるのだけど、同じくらい「自分以外の自分」を意識してもいる。刀(鉄)としての自分、神としての自分、伝承としての自分、それらすべてがなめらかに混ざり合っている。

同じもののように見えても、「心」は一つではない。それって人間も同じじゃないかなと思います。

「静と動
表と裏
私とお前
お前と私」

善悪、良し悪し、それらは表裏一体。

心の良い面を得ようとすれば、悪い面もついて来る。

曲調も激しくなったり、静かになったりを繰り返して、観客の心を揺さぶる。小狐丸と、狐面の小狐丸、いったいこれからどうなっちゃうのかとドキドキします。

「鏡合わせのこの心
向き合えば影の如く
溶け合えば鉄の如く
今一つに戻るだろう」

溶け合えば、鉄の如く。そう、一つに戻るのです。

「今一つに戻るだろう」

小狐丸に代役が立って、色々な声があったのだろうなと想像できます。当時のこと、私にはわからないけど。

二人の小狐丸。そこには観る側にも演じる側にも後悔や失望、苦しみや痛みがあっただろう。でもそれを乗り越えて、今一つに戻るだろうと言うのだ。観る者もそれを受け入れるしかない。

「人なりや 物なりや
神なりや 妖なりや
人なりや 物なりや
影なりや 我なりや」

人か、物か、神か、妖か。それはきっと小狐丸自身にもわかっていない。

自分の中の、認めたくない自分。欲望に負け油揚げを口いっぱいに頬張る自分、ぬしさまとの約束を破ろうとする自分、物である自分、妖である自分。それらも自分であり、それこそが心だと自覚したとき、はじめて一つになれる。


ひとつは私、ひとつも私。

私は私、お前も私。

心には実態がない。常に矛盾をはらみ、表と裏の面が争い葛藤し続けている。

表と裏、どちらがホンモノか。

それは、どちらも本物なのだ。

そのことを証明するように、小狐丸の影のように踊っていた狐面の小狐丸が最後に残したのは、面(おもて)であったのでした。

山伏国広のいる世界(後編)/ぶしさに

※刀さに(ぶしさに)
※刀ステ未履修のとある本丸
※女審神者


mblg.tvの続き




【山伏国広のいる世界(後編)】



「主殿、よろしいか」

その声が聞こえたのは、たぶん歌仙が部屋を出てから30分以上経ってからだったと思う。

本日、私は体調不良を申し出て少し休みをもらったのだった。私室のベッドで横になって休んだら、少し体調は戻った。そして、歌仙は私に会いたがっていたと言う山伏を呼びに行ってくれた。

いま思い出しても恥ずかしい。

私は、話しの流れで、私と山伏が恋仲であることを告白してしまった。

山伏は、そのことを知っているのだろうか。私が歌仙に、私と山伏との関係を話してしまったことを。

「どうぞ」

声が上擦ったぞ。

だって勝手に話してしまった。

そういうの嫌だったかも。

別に今日すぐ会わなくたって良かったじゃないか。歌仙は適当にごまかして、あとで二人で会えばよかったのだ。そうだその方がよかった。

扉が開くと、そこには山伏がいた。

当たり前だ。

「主殿、具合はよくなったと聞いたが」
「あ、うん。もう大丈夫」

私が笑うと山伏も笑った。

好きな顔だ。

私は一瞬で先ほどの悩みを忘れかけた。

いけない。いけない。

山伏は遠慮がちに近付いてきた。いつもと様子が違う気がする。まさか、やっぱり、私のことを嫌になったのではないか。それで態度が変わったのではないか。私は掛け布団で顔を半分隠しながら山伏の様子をうかがった。

「主殿……」
「あ、あの、歌仙に、なにか、言われた?」

すぐ近くに山伏を感じる。

布団を持ち上げて、ここへ来て、って言いたい。

宝冠を外して、手甲を外して、寝巻きに着替えて、ここで二人で寄り添ってさ。

「主は少し体調が良くなったようだから、今なら会えると聞いた」
「あ、うん。寝たら全然、良くなった。ご飯もぜんぶ食べちゃった」
「それはよかった」
「うん。歌仙にお礼言わなきゃ」

山伏は目を細めて優しげに笑った。

なんだかやはり、様子が違う。

やめてほしい、こんなことは。

私は山伏の足元を見るようにしていた。とても目は合わせられなかった。

「病み上がりに、本来急いて会いに来るべきではないと思ったのであるが。あの時のことが、気になり。実は、拙僧は、あの時、ひどく怖かった」
「え?」
「主殿は、拙僧のことをわかっていなかった。あそこで、声を掛けたとき、主殿は、拙僧のことを、怖がっているようであったから」

なになに、なんのこと?

「え、私?」

目線を上げて、頑張って山伏を見ると、彼は相変わらず笑っていた。

「拙僧は、この体となって、主と出会えて、本当に幸せである。しかし、まったく拙僧のことを知らない、記憶のない、主は、拙僧を見て、あれは、思い違いでなければ、拙僧のことを怖れるような目をして、拙僧から目を逸らしたであろう」
「えっと」

正直、記憶は曖昧だ。

気づいたらあそこにいて、なんだか山伏のことを他人のように感じたことは覚えている。たぶんあの時、私はなかば気絶して、あそこへ行ったのだと思う。

だからどんな会話があったか、わからない。

「恋い慕っている人に、忘れられ、怖れられ、拙僧はとても怖かった。これは現実ではないと思いたかったが、主はそのままの姿であったし、見過ごせず声を掛けてしまったが、少し後悔した。あんな風に拒絶せれるとは思っていなかった故。しかし声を掛けねばここへ戻って来られなかったやもしれぬし、難しいものであるな」
「すみません」
「あいすまぬ、責めたつもりはない」
「いや、そんな」
「今も拙僧のことが怖いか?」

山伏はベッドに手をついて、私の上に身を乗り出した。

私は我慢できず、布団を剥がして山伏に腕を回した。大きい体、熱い体。好きだ。大好きだ。

どうしてそんな悲しいことを言うの?

「好き。すごく好き。それじゃダメ?」

それ以外には、言いようがなかった。

怖い、という感情は、実は前から抱いていた。山伏に限ったことではない。人間ではない彼ら、体が大きいものもいて、刀で人を斬る。現実的ではない瞳の色、それなのに傷つくと赤い血を流す。

彼らは私の中にある根源的な恐怖心を煽る。

でもそれがなんだって言うんだ。

私が山伏を好きなことと、なんの関係がある?

怖くて当然だ。

私の私室に来る時、彼らは刀剣をどこかへ置いて来る。暗黙の了解なのか、歌仙が作った規則なのかはわからない。

しかし、それだけ、あの刀はた易く私を斬ってしまえる。蜻蛉切の刃に触れたトンボのように、例え事故や誤ちで触れたとしても、それで死ぬことだってあり得る。

彼らはそのために生まれてきた。

そのために鍛えられ、研ぎ澄まされてきた。

斬れない刀なら、今の世にまで名前を残さなかっただろう。

だから私は彼らが怖い。

でも、そんなことは、山伏がどんな見た目だとしても、山伏がどんな刺青を彫っていて、どんな刀を携えていたとしても、それと私が山伏を好きなこととは全然、まったく、関係がないと断言できる。

山伏は崩れるようにして、私と胸を重ねた。

「泣きそうである」

可愛いことを言う。

こういう山伏が、好きで好きで堪らない。

「泣いてもいいんじゃない?」
「拙僧は主殿の前では笑っていたいのだ。それぐらい、強くなりたく」

私は山伏の大きな体に回した腕を動かして、背中を撫でた。

なんだか色々と余計な心配をしてしまった気がするが、こうして山伏と会うと全部ぶっ飛んで行く。そういえばいつもそうだった。山伏といると心配事はどこかに行ってしまって、愛しい、という感情が大きく膨らんで残る。

山伏がぎゅっと私を抱き締める。

私も山伏をぎゅっと抱き締める。

なんて幸福なんだろう。

「まだ戦装束なんだね、お風呂まだなの?」

私が聞くと山伏は「いや、入った」と答えた。

山伏は私から離れてかしこまった風に正座した。少し崩れてしまった衣装を手で直してから、私をまっすぐ見た。

「主殿に忘れられ、嫌われたかと思った故、失礼がないよう正装で訪ねることとした。しかし杞憂であったようだ」

私は刀で心臓をチクッと刺されたかと思った。

なんでそんなに健気なのか。

「山伏、着替え、そこに……」

私がクローゼットのある方向を見ると、山伏は「うむ」とうなずいた。

好きという感情以外にはないのではないか。怖いという感情は、あるときふと湧いてくるが、それ以外の時間は概ね『好き』で満たされている。それくらい好きだ。

山伏は手際よく宝冠と法衣を脱いだ。着替えは私の部屋に置いてある。別に山伏専用というわけではない。長谷部にはこれが見つかって誰か親しい刀がいるのではないかと詰め寄られたが、それが誰なのかは長谷部にもわかっていないようだった。

たくましい体を直視できず、私はまた布団に潜った。

ほとんど時間を待たずに山伏が布団の上から私を撫でた。

「入っていいだろうか」

断る理由はない。

「どうぞ」

私が少し奥へ体をずらすと、山伏はゆっくり私の隣に並んだ。それから大きな体を私に寄せて、腕を回された。多幸感に包まれる。

「主殿、もう二度と拙僧を忘れないでいただきたい」
「それは……努力します」
「意地悪であるな」
「そんなことないよ。ねえ、歌仙には、なんて言われたの?」
「主の体調のこと。面会謝絶は解かれたと」
「他には?」
「……主と拙僧との関係を、知っておられたので、正直に、どうしても心配だから会わせてほしいと改めて頼み込んだ。歌仙殿は困っておられたな」
「あ、そう。歌仙に言っちゃって、ごめんね」

私が謝ると、山伏は大きな手で私を撫でた。

「本丸中に貼り紙をして、全員に知らせたいと思ったこともある。主に言ってもらえてむしろ嬉しい」
「ふふふ、本当?」

そんな熱烈なことを言われたことがなかったので、私はちょっと笑った。山伏はそういう顕示欲や独占欲とは無縁の刀に見える。そういうのをギャップと言うのだろうか。

私はギャップに萌えるタイプではないのだけど、それが山伏のものだと思うと可愛く感じる。

「主殿、この際なので、お尋ねしたきことがある」
「なに?」
「拙僧の、当番や、出陣のことである」
「え、あ、出陣? なに?」

それは、あのことだ。

鈍感そうな山伏なので、気づかれていないと思っていた。

そうだといいなと思っていた。

山伏が重傷で帰還してから、私は彼を重要な任務に就かせていない。ちょっと気まずいこともあり、宿直などをする当番刀にも、重傷になる可能性のある出陣にも、長い時間顔を合わせられなくなる長期遠征にも、山伏を割り当てていない。

山伏の仕事はもっぱら馬当番と演練だ。

わかっている。これでは生殺しだ。

「拙僧が刀装を忘れたあの日以来、どうも前と違うようだ」

気のせいではない。

私は「そうかな」などと言ってとごまかした。

「そうかな。あの、体調悪くて、あんまり部隊編成とかもできてなくて。ごめん」
「主殿」
「あの、体調が戻ったら、ちゃんとやります。山伏も部隊長とか近侍とかやりたい? あんまりそういうこと話したことなかったよね」

山伏は声を低くして「主殿」ともう一度強めに声をかけてきた。

ごまかしようがない。

もうダメだ。

「拙僧が破壊されるのが怖いか?」

なんでそんなことを言うのだろう。

ひどい。ひどいじゃないか。

勝手に涙が溢れてきたので、慌てて拭った。

「なんでそんなこと言うの」
「それが、自然の摂理だからである」

刀が壊れることが?

私は溢れてくる涙を止められなくなっていた。

「でもそんなこと言ってほしくない」

人間だっていつか死ぬ。でもそれを大好きな人に言われたら悲しくなるじゃないか。いま生きているのだから、それがすべてじゃないか。

山伏は困ったような声で私を慰めた。

「すまぬ。泣かないでほしい。愛しい人に泣かれるのは、拙僧もつらい」
「じゃあそんなこと言わないでよ!」

私は体を丸くして山伏に背を向けた。

「それは、主殿が、怖れているからである。主殿は、拙僧や他の刀が破壊されることを考えたくない、口にしてほしくないと言うが、実際はそのことがいつも頭にあるのではないか?」

図星だった。

破壊されるかもしれない、いつ破壊されてもおかしくない、そのことが頭から離れない。

「じゃあどうしたらいいの」

この仕事が続く限り逃れられない。

もう辞めるしかないってことだろうか。

でも、仕事を辞めれば山伏とも一緒にいられなくなる。

「拙僧を信じてほしい。それしかない」

山伏はそう言って、黙ってしまった。

私は山伏に向き直った。

着崩れた衿元から見える胸元に触れた。温かくてたくましい。そして心臓がどくどく鳴っているのがわかる。山伏は私のしたいようにさせている。

「難しい任務にも就きたい? いっぱい傷ついて、重傷になるかもしれないよ」
「うむ。そのために日々の修行がある」
「痛いよ? 先に他の刀から手入れするかもよ?」
「うむ。それもまた修行である」

山伏を見上げると、大きな口で大きな弧を描いていた。私の好きな、山伏の笑顔だ。

好きだ。好き過ぎる。

私は体を起こすと山伏の横に手をついて、そっと口付けた。

そっと、何度も口付けた。

「主殿!」

何度目かで、山伏が私の体をベッドに寝かせて、今度は山伏が私を覆うような体勢になった。

「好き」

私が言うと、何故かこのタイミングで照れたらしい山伏は、困ったように赤面した。それから一度だけそっと口付けてくれた。

「それで、拙僧の出陣の話しは……」

そうだった。

「本当は、すごく嫌なんだけど。仕方ないし。明日からまた出陣してもらうね」

山伏のことを信じよう。

皆のことを信じよう。

私はそう考えることにした。そうするしかない。

「あいわかった。任されよ」

山伏はそう言って、私の横にまた寝転んだ。いつもより夜更かしさせてしまったせいか、程なくして深い寝息が聞こえてくるようになった。

けっきょく、山伏の気持ちはわからなかった。

本人にもわかっていないのかもしれない。

でも仕方ない。

これもまた修行、かな。

私もそのまま眠ってしまった。

翌朝、起きると体が軽くなっていた。普段の倍くらい寝たせいかもしれない。山伏はすでに起きたのか、部屋にはいなかった。

「今頃起きたのかい?」

食堂に顔を出すと、昼食のあとを片付けている歌仙に声を掛けられた。

「はい。ご心配をおかけしまして」
「何か食べる?」
「うん。あの、今日の出陣とか、どうなってる?」
「まだ何も」

そう言うと歌仙はいったん厨に姿を消した。

私が適当な場所に座っていると、歌仙は一人用のきりたんぽ鍋を持ってきた。「御手杵のおやつだけど」と言って差し出されたそれは最高に食欲をそそる。

「体調は、もう大丈夫なので。編成とか決めたくて」
「無理してないだろうね?」

歌仙の鋭い視線に気付かない振りをして、私は答えた。

「無理してない。もう無理しない。それでね、歌仙の優しいところも、山伏の強さも、ちゃんと信じることにしたから」

きりたんぽ鍋は美味しいし。

私の大好きな山伏は優しいし。

無理しないで、ちょっとずつ前に進もう。

傷つくことも、傷つけられることも怖いけど、彼らはこんなにも優しいじゃないか。

私はそれでいいんだと思えるようになったんだ。

それでいい。

それでいい。

歌仙はちょっとわからなさそうな顔をしたので、おかしくなって私は笑った。
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山伏国広のいる世界(前編)/ぶしさに

※刀さに(ぶしさに)
※刀ステ未履修のとある本丸
※女審神者




ふと目が覚めると電車の中だった。私はここを知っている。いつも乗っていた。見慣れた電車の乗り心地と、聞き慣れた空調の音。

寝過ごした?!

寝起きで心臓がどきどきと鳴る。

今が朝か、帰りの電車なのか、一瞬わからなくなる。

顔を上げると、そこに山伏が居た。



【山伏国広のいる世界(前編)】



山伏だ。たぶん、そんな感じの服装をしている。私の正面の座席に座っている。腕まくりした袖からは、少し日焼けした逞しい腕が見えている。かなり背が高そうだ。高下駄をはいていて、異質で、関わってはいけないような感じがする。

そして彼は、私と目が合うと、にこりと笑った。

破顔一笑、白い歯が覗く。

切れ長の目は、鋭利で、だけどとても温かい。

私は彼のことを、好きだな、と思った。

「よく寝ておられたな」

彼は私に話しかけてきた。それとなく周囲を見回すが、私しかいない。外は真っ暗で、平日夜間の上り電車は空いていることを思い出す。

私は答えず、軽く笑って会釈した。

急いで目を逸らす。

心臓はまたどきどき鳴り始めた。

私には好きな人がいた。一緒に暮らしていた。彼はいつも大きな声で笑って、家のどこにいても居場所がわかった。そして大きな手をしていて、触れられるとどきどきした。

なんだか山伏の彼は、その人に似ている気がした。

「これから帰るのであるか?」

彼はまた私に話しかけてきた。

これはナンパではないか?

私が次の駅までどのくらいだろうか、と考えていると、彼はさらに話しかけてきた。

「急に話しかけたりして、あいすまぬ。他に誰もおらぬ故、つい話しかけてしまった」

山伏は恥ずかしそうに笑った。

私は、その姿ですべてを許せると思った。

彼のもつ穏やかな雰囲気には、なんとも言えない温かさがあって、ずっと近くにいたいと思えた。たぶん彼なら私のどんな失敗も許してくれるだろうし、不条理なことにも腹を立てずに一緒に乗り越えてくれるだろうとまで想像した。

彼の恋人はどんな人だろうか?

その指に優しく、あるいは激しく触れてもらえる人間とは、どんな人だろうか?

「すみません、人見知りで。たしかに今日は人が少ないですね」

私も笑って答えた。

山伏は安心したように目を伏せて笑った。

「もう夜も遅い。皆、すでに帰るべき場所にいるのだろう」
「そうかもしれませんね。私もこんなに遅くに帰ることは、ないんですけど」
「仕事であるか?」

仕事?

私はふと考えた。

違うと思う。

それにこの電車、いつまでも駅に着かない。

「あなたは……」

まるで世界に馴染んでいない。山伏みたいな服装に、真っ赤な高下駄。筋骨隆々で、腕には燃え上がる炎の刺青。

そして手には、大きな太刀がひと振り。

私はそれを知っている。

美術品とも言える美しい太刀。

その刀身には武運長久の文字と、不動明王の立ち姿が彫られている。その太刀を振るう人の勝利と、その太刀が傷つけた人の安らかな死と、衆生済度への願いが込められている。

世界的な斬れ味を誇る日本の刀剣は、しかしどこまでも戦うための武器である。人を斬る形をしている。

電車の中で見るには、あまりに異様だ。

「拙僧は、山伏国広と申す。国広が太刀のひと振りである」

彼は片目をすがめてそう言った。

知っている。

私は彼を知っている。

私は彼が好きだ。

「どうしてこんなところへ来たんだろう。わからない。あなたが傷つかずに済む世界に来たかったのかも」

本丸で勤めるようになってからは、みんながたくさん傷ついて帰ってくる。それに慣れたと思っていた。

でも山伏が重傷で帰還して、とても怖くなってしまった。

山伏が刀装を装備していることを確認しなかった私の不注意のせいで、危うく彼を破壊しかけた。

思い出すだけで憂うつになる。

山伏はにっこりと笑った。

「たまには良いのではないか?」

なにそれ。

「よくないよ」

山伏は「然り」と言ってまた笑った。

体調はずっと悪かった。微熱が続いて、食欲もあまりなかった。食べると戻すこともあった。座っていても立ちくらみがして、指先はずっと痺れたような感覚がしていた。

あの山伏が重傷で帰還した日から。

もちろん、手入れをすれば元どおりになる。でも私の中では何か飲み込めないものが残っていた。

山伏のことは、何か、特別に好きなのだ。

特別だ。

それでも、体調が悪くても、山伏のことが気にかかっていても、毎日出陣しなければいけない。もちろん出陣するのは彼らであって私ではない。私はもっぱら本丸内で勤務する。

そうして、山伏を部隊長とする部隊を出陣させようとしたとき、今日ついにゲートがコントロールできなくなってしまった。一番機動が低いからか、私の願望がそうさせたのか、山伏だけが、なぜか私と、こんな場所へ来てしまったようだ。

ここは時代の転換点なんかじゃない。

私の故郷。

いつも心はここにあった気がする。

だからこんな時に……。

「帰ろうか」

私が言うと、「うむ」と山伏は大きく頷いた。

帰るのは簡単だった。

本丸へ帰還すると、私たちはゲートを超えたほんの直後に戻っていた。私と山伏が、私の故郷へ時間を超えていたとは誰も気づいていないようだ。皆にはゲートがいつものように白く閃光したあと、ただ出陣に失敗したように見えたようだった。

私が体調不良を申し出ると、皆快く私を休ませてくれた。

数振りの当番刀を除いて、今日は一日非番だ。

私は大人しく自室でベッドに寝転んだ。

山伏はいつも優しい。あんなことがあっても、誰にも話さないんだろう。私の体調不良と、心の弱さが招いたことだから、山伏はきっと誰にも話さない。それに皆が知ったら不安になるだろう。

私だって驚きだ。

いくら体調不良とは言え、自分の故郷、自分の生きた時間に無意識にゲートを開いてしまうなんて。今後は絶対に許されない。

私は山伏のことを思い浮かべた。山伏は私の恋刀だ。このベッドで一緒に寝たこともある。

落ち込んでいても、山伏のことを考えると気分が良くなる。

今までもそうしてやり過ごしてきたのだ。

山伏の大きな声、笑顔、八重歯、たくましい指。

私はよこしまな妄想で顔がにやけるのを抑えられなかった。

山伏は優しいし、私のことを考えてくれる。あんなことがあり、任務は失敗した。政府に報告したら、代わりに別の本丸が出陣するだろうと聞いた。幻滅されたっておかしくないのに、山伏は「たまには良いのではないか」と笑ってくれた。

私は山伏国広が好きだ。

こんなに好きなのに。

山伏に会いたい。

山伏はどう思っている?

「主、いいかい?」

扉の外から、急に声をかけられた。歌仙だとすぐにわかる。

「どうぞ」と答えると、お盆を持った歌仙が部屋へ入ってきた。歌仙は今日、炊事当番だったか、記憶はあいまいだ。

「具合は?」
「寝てたらちょっと良くなった」

歌仙は私をむっつりとした顔でじっと見詰めた。

「君が嘘をつくから皆が心配する」

寝たら体が少しは楽になったというのは本当だが、彼に口ごたえしても良いことはないので「すみません」と謝罪しておいた。

歌仙は未だにむっつりとしているが、気づかない振りをする。

私は体を起こして、歌仙の手元に目をやった。お盆には食事と飲み物が用意されているようだ。前に体調を崩した時にも、こうして彼が来てくれた気がする。

「皆はちゃんとご飯とか食べてる? いつもどおりしていて欲しいんだけど」

私がそう言った途端、歌仙は怒りを押し殺すように、震える手で、ぎりぎり音を立てないように、お盆をサイドボードに置いた。怒りを通り越して顔が引きつっている。

歌仙は感情がすぐ顔に出る。

そういうのは雅じゃないのでは、とは言えない。

「君ねえ。いつもどおり? ふざけて言っているのかい? 僕たちが、君がこうして伏せっている時に、いつもどおりに? それは無理だ。この本丸の、誰にも無理だ」

歌仙は断言した。

浅葱色の瞳が真っ直ぐ私を見た。

怖い。

歌仙のこういうところに、ちょっとした恐怖を感じることがある。私は怒りの感情が苦手だ。歌仙はそれを隠そうとしない。私が彼の怒りの感情から目を逸らしたり、見なかったことにしようとすると、彼は不機嫌になるとわかっている。

「すみません」

ここは平謝りしかない。

歌仙も私と争いたいわけではないらしく、厳しく追及することはなかった。

「君がこんな時だし、責めたいわけじゃないんだ。僕の方こそすまない」

歌仙を見ると、悲しそうな顔をしていたので、私は彼を抱き締めたくなった。大人の男性の姿をしている刀剣男子なので、そんなことはできないが。とにかく、この歌仙がこんな風にしょぼくれるほど私を心配してくれているとわかり、私も少し反省した。

「心配してくれてありがとう。皆にも、伝えておいてほしいな」

歌仙は小さい声で「うん」と頷いた。

やはりいつもより気弱で、うちの本丸の歌仙ではないかと思うほどの落ち込みようだ。

「それ、ご飯?」
「ああ、そう。消化にいいものと、これはカルピス」
「カルピス? 嬉しい」
「そう言ってもらいたくて用意した」
「ふふふ、ありがとう」

歌仙は怒りの感情を真っ直ぐぶつけてくるけど、同じくらい好意も伝えてくる。まだむっつりしているが、私を嫌いでやっているわけではないと、ちゃんとわかる。

私はふと、山伏に会いたいと思った。

私も山伏に好きだと言いたい。

私は素直ではないし、はっきり言葉にできないかもしれない。それでも会いたい。

歌仙が私に食事を用意しながら、「食べながら聞いてほしいのだけど。君に会いたいと言う者がいる」と言った。

「誰?」

私が尋ねると、歌仙は「色々いるけど」と呟いてから、続けて言った。

「山伏国広は」
「え?」
「山伏国広は、僕に何かを頼むということは殆どない」
「そうなの」
「好き嫌いもなくなんでも食べるし、内番もいつも嫌な顔をせずにやっている」
「そんな感じするね」
「君の食事を用意している時に、彼が来て、僕に、こっそり言った」
「うん?」
「君がゲートを開けなくなるほど体調が悪いなんて初めてのことだ。普段自分からそんなことを絶対に言わない君が、体調が悪いから休ませてほしいと言った」
「それは、心配おかけしまして」
「部隊長と相談して、近侍である僕が、主は面会謝絶だと皆に伝えた」
「えっ」

そんなに大ごとになっているとは思わなかった私は、ちょっと驚いてしまった。どおりで静かなわけだ。

部隊長と近侍を固定にすると、男社会に特有の、必要以上の上下関係のようなものができてしまうので、私はなるべく交代制にしていた。でも最近は体調が悪かったこともあり、色々考えるのも面倒なので、たしかここ3か月近くは固定になっていた。

部隊長と近侍でそんな、本丸内の規律をつくるまでになっていたとは。

私はそっちのことも心配になったが、いまは自分のことだ。

元から、それほど私の私室にまで訪問に来る刀は少ないが、それにしても誰も見舞いに来ないようで少し寂しく感じたほどだった。三日月や長谷部あたりは顔ぐらい出しに来るだろうと思っていた。

面会謝絶とは。

ありがたい。ありがたいが、しかし。

「君と話して安心した。面会謝絶は解いてももう大丈夫そうだね」
「うん。え、山伏国広の話しは?」

山伏のこと気になって仕方ないのだけど。

歌仙はそのことを忘れかけていたのか、「ああ、そうだった」と手を打った。

「君に会いたいそうだよ」

私はそう言われただけで心臓がどきどき高鳴り始めたのを自覚した。顔も少し熱い感じがするので、赤くなっているかもしれない。

山伏が私に会いたいと言った。

歌仙がそう言うのならそうなのだろう。

「それで」
「主は面会謝絶だと伝えた」

そうだった。

私は表情を繕ってたまごスープを啜った。

こんなに山伏に会いたいのに、山伏も私に会いたいと言ってくれているのに、私の知らないところで山伏の誘いを断っていたなんて。ショックだ。

なんて言えばいいのかわからない。

歌仙は私を思ってやってくれたんだ。それを責めるわけにもいかないし。

「面会謝絶はなしになるんだよね。あの、皆にも、大丈夫だから」

私ははっきりしない物言いでたまごスープをかき混ぜた。

言いたいことは決まっている。

山伏に会いたい、それだけだ。

私が歌仙を横目で見ると、歌仙も私を見返した。

歌仙はずっと私を見ていたと言った方がいいかもしれない。歌仙はよく私のことを見ている。たぶん、ひとつのものを見ているのが好きなのだろう。

「彼があんなことを言うなんてね」歌仙は私をじっと見つめたまま言う。

「君と彼は恋仲なのかい?」

心臓が口から飛び出るかと思った。

そういう表現があるが、正にそんな心境だ。

私と山伏との関係は、とくに公にはしていない。職場恋愛とは得てしてそうだろう。子どもの姿をした刀剣男子もいるので、なんとなく言い難くて言っていなかった。

そもそも山伏と二人きり、という機会はそれほどない。恋仲らしい触れ合いも少ないので、あからさまに疑われるようなこともない。勘のいい刀に何度か、やんわり聞かれたことがある程度だ。

山伏より、歌仙と二人でいる時間の方が圧倒的に長い。

ここの私室は離れになっているので、中での声が外に漏れて誰かに聞かれるというのも、余りなかったと思う。

だから急に聞かれて驚いてしまった。

いつものように否定した方が面倒がない。

でも、いま歌仙の質問を否定するのは、自分の気持ちを否定するような気がして、嫌だ。

しかし、そもそも。

審神者と刀が恋仲になるのは、本丸によっては御法度だと言う。政府の作るQ&Aでははっきり否定されていないが、職権濫用だという論も確かに存在する。

道具が持ち主に想いを寄せるのは、その持ち主が特別だからではない。

主が嫌いな刀剣男子はいないと言う。

母親に懐く子どもと同じだ。

私も、そういうことを考えないわけではない。山伏の私に対する気持ちがなんなのか、彼はそれほど饒舌でもないし、はっきり言ってくれたことはない。

私のこれはセクハラではないか?

彼が言う好きだという気持ちは、持ち主に対する単なる愛着を超えるものではないのではないか?

それを誰も否定してくれない。

お互いの気持ちがはっきりしていて、やましいことがなければ、私だって、二人の関係を隠したりは、しなかったかもしれない。

「誰にも言ってないんだけど。山伏国広とは、いわゆる、深い仲です……」

言葉が尻すぼみになったのは致し方なし。

歌仙はまだ私をじっと見つめている。

「じゃあ呼んで来よう」
「えっ
「え?」

腰を上げた歌仙を、思わず呼び止めてしまった。

「あ。ごめん。お願いします」

挙動不審過ぎる。

私は自分でも自分がわけわからな過ぎて赤面した。いい歳した大人がこんな。

自由恋愛だと胸も張れない。

それがすべてを物語っているようで虚しくなる。

歌仙はわざわざ私の元へ戻り、手に手を重ね、「嫌ならはっきり言ってほしい。彼には僕からそれとなく断っておく」と言った。真剣そのものだ。

失礼ながら、歌仙が本当のことを隠しつつ感じよく断りを入れる、という外交交渉ができるとは思えなかったが、その気持ちは嬉しかった。体調も悪かったし、自慢ではないが、私は美味しいご飯と優しい言葉で絆されない人間ではない。

「どうする?」

歌仙も大概優しい。

「あの、呼んで大丈夫です」

私が言うと、「わかった」と短く答えて、歌仙は音もなく立ち上がった。

歌仙が部屋を出てから、山伏を待つ間、私は初めて山伏と肌を合わせた時ぐらい緊張していた。あの時。緊張していたのは、人間以外とできるのか、ということではもちろんなく、大好きな人が熱い手で私に触れてくれたからだ。ガチガチに緊張した私を山伏は優しく抱いてくれた。

たまごスープを飲んで、お盆に置く。温かくて、美味しい、歌仙の作った食事だ山伏を待つ間、私は歌仙の優しさと、山伏や、他の刀たちのことを思って泣きそうになった。

不甲斐ない。

私はもっと、この仕事と向き合わなければいけない。




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刀ミュ2019『歌合』感想

ミュージカル『刀剣乱舞』
歌合 乱舞狂乱 2019の感想です。



※ネタバレしかありません
※めちゃくちゃな長文(まさに狂乱)
※告白しておくと小狐丸、蜻蛉切、陸奥守吉行贔屓です




ミュージカル『刀剣乱舞』の歌合 乱舞狂乱 2019をDMMアーカイブ配信で観賞しましたので感想として残します。ウェブ上の知識等をところどころ取り入れています。

刀剣男子が神様やっているのが大好きで、今回の公演は大変ご馳走でした。

鶴丸が判事役で仕切っており役割が大きめでした。赤青に分かれて歌うけど、互いに敵対して優劣を決めるようなことはしません。もちろん他キャラにも見せ場あり。


2.5次元初心者なので、念のため書いておくと、本公演では他公演について言及したり舞台を追っているから楽しめる要素があります。

普段は、前後編や第二部などとうたっている作品以外で、他作品を見ないと楽しめない作品というのは、好まないのですが、本公演はそれをおいてもとても良かったです。

何が良いかというと、刀剣男子が神様をやっているから、ということに尽きます。

ほんと好き。


なお、演出の都合で芝居とライブが交互にあります。芝居パートではペンライト振れません。



【神遊び】導入

「この世に生まれ出るもの、いずれか歌を読まざりける」
(この世のものならなんだって歌を読むもんだろ)
「あなたと歌合わせ」
「さあ、歌え!」


古今和歌集などの古典を引用して、なぜ歌うのか、っていう理由付けをする。

本来ミュージカルにおける歌には理由付けなんか必要ない。なぜ歌うのか、ミュージカルだからだ。

でも、この問題提起は伏線になっています。

和歌を引用することにより、私達が歌を聞いて高揚するのは人間の本能的なところに由来するのだ、という気持ちになりますね。千年前から変わらない営みなのだ、という気持ちになる。


ちなみに他の方の指摘で、ここの陸奥守吉行と御手杵を見ていると振付が他の刀と違うところがあるようです。彼らは炎に焼かれた経験があるから。

炎というのは刀鍛冶に必須のもので、刀を生み出す源であり、鉄を溶かし刀を滅ぼす原因ともなるものでもある。

物事は一面的ではないというのは、本公演を通じて感じられるテーマにもなっています。


なお、先に書いたように冒頭の芝居パートが伏線になって、この後の芝居パート全体へ影響を与えます。

歌を歌うもの、人、鬼、神、およそこの世のものすべて。その中に刀剣も含まれている。

この後も、和歌を引用しながら刀剣男子のあり方、肉体や心を持つことで生じる葛藤などを表現していきます。それぞれの来歴やミュ本丸での出来事によって個性があってとてもよい。


ここでオチに触れちゃいますが、まだ生まれ来ない付喪神に、刀剣男子になるとはこういうことですよ、という心構えを与えているんですね。それを和歌を引用し歌って踊るっていうのが、御神楽みたいで素敵な発想だな〜ほんとに最高〜となりました。



【懐かしき音】芝居

碁石のぶつかる音を懐かしむ刀剣達。

その音は鉛玉の爆ぜる音にも聞こえ、あられの音にも、算盤、玉砂利の音にも聞こえると話す。

そして人がするのを真似てお参りをする。刀剣男子が神頼みするのも変な話しだけど、これも「君」に逢いたいからだと言う。


読まれる和歌は、
天地(あまつち)の神を祈りて我が恋ふる
君い必ず逢はざらめやも
(神々に祈ったのだから、君に逢えるでしょうね)


また、ここからそれぞれの刀剣男子が、詠んだ和歌を短冊に書いて燃やす。

火を焚くのは、和歌を神(君)へ届ける意味があると思われる。



【CONFEITO】芝居

刀剣男子に次々に根兵糖を要求された蜻蛉切が夢を見る話し。蜻蛉切がとってもかわいい。とってもとってもかわいい。

かわいい。

夢から醒めてから歌う歌もめちゃくちゃであり、夢から醒めた後も蜻蛉切の夢の中ではないかと思われます。CONFEITOはポルトガル語で金平糖のことだそうです。そのままですね。


読まれる和歌は、
世の中は夢かうつつかうつつとも
夢とも知らずありてなければ
(世の中は夢ともうつつともわからない、あってないようなもの)


世の中は夢ともうつつともわからない。うつつと思っている今この時間も夢の中かもしれない。

もしも、蜻蛉切が主に根兵糖を持たされて長期任務にあたっているときに見た夢だったら、ちょっと可哀想かもと妄想しました。大切なものだからちょっと疲れたくらいでは食べちゃいけない、と思っている、そういう蜻蛉切もいるかもしれない。



【mistake】ライブ

ぽんぽぽんぽんって言う歌。すごく好き。

陸奥守がアップになったときに鼻に皺寄せてるの犬が威嚇しているみたいでかわいかった。大倶利伽羅の威嚇もカッコ良かった。


あとは、歌のあとのいじりで御手杵が「高速槍」って言って会場がどよめいているのが面白いです。御手杵がゲーム詳しい?(笑)みたいなどよめきですね。刀剣男子の誰かが「高速槍?」って言い返してたから、その人はゲームやってないかもね。



【Impulse】ライブ

蜻蛉切と鶴丸は歌がうまい。

鶴丸は歌のレッスン受けたことないようなことをネットでお見かけしたので、レッスン受けたらもっと音域広がって素晴らしいのでは、と思いました。


ちなみに三百年再演の2部曲で、そちらでは村正と蜻蛉切で歌っていたものです。映像見ていると村正のペンラ色を振っている方もいたようで切なくなっちゃったな。

気持ちわかるけど村正いないの仕方ない。

いない者を当てにするな!今は残った者でやれることをやるだけだろ!
って矢口蘭堂も言っていました。



【Stay with me】ライブ

巴の歌がうまい、蜂須賀がかわいい。

バーレスク(ボーイレスク)って呼んでいる方いたけど納得です。


余談ですが、これも三百年再演の2部曲です。三百年再演のにっかり青江は最高に可愛いのでおすすめします。三百年再演の2部は全体的に穏やかで優しい雰囲気あります。



【菊花輪舞】芝居

にっかり講談。講談は雨月物語そのまま。

人魂は純粋な魂であり、念が深く執着や思いが強い魂は、よりこうでありたかった、こうでありたい、という形を明確に描くのだと言う。

もちろんこれは刀剣男子のことを言っている。


詠まれる和歌は、
夏虫の身をいたづらに成すことも
ひとつ思いひなりてよりけり
(夏虫が火に飛び込むのも、私が恋焦がれることも、思い(火)によるもの)


彼らは元は刀であり、そこに宿った付喪神である。刀剣男子として形を現し、その姿形を保つのは、刀剣男子自身の思いひとつである、と言うのだ。


またこの講談は「交わりは軽薄の人と結ぶことなかれ」で結ばれる。

「軽薄の人」が誰かということは専門家のあいだでも諸説あるようですが、どの解釈でもこの公演には馴染むと思っています。自分に従わない男を許さなかった経久、主人の命に従い従兄弟を監禁した丹治、死をもって一夜の約束を果たすことを選んだ宗右衛門、儒学者でありながら復讐の道を選んだ左門、それら誰にも成り得なかった読者たち。

誰もが、誰かにとっては「軽薄の人」である。


また、にっかり青江は「交わる」とはどういうことかわからない、と言う。刀は人を、あるいは刀同士を傷つけることはあっても交わることはないから。

しかし『菊花の約』は、肉体の交わりを言っていない。

思いの強さが、死んだ者の魂を千里の道をも越えさせた話しなのだから、心の交わりの話しなのだ。心のことなら、刀剣男子だって「交わる」ことはできる。


「交わりは軽薄の人と結ぶことなかれ」

2回も繰り返されたこの言葉は、心や情を持つものすべてへの戒めだ。



【明石国行のしゃべくり】芝居

ちょっとぞっとする話し。にっかり青江の講談より余程怖いです。

これはあくまで作り話、と締め括られる、梅の木の話し。

梅の木の枝を折る様は、歴史を修正する行為の隠喩ではないかという意見を読み、私もそうだなと感じました。

梅の木は「主が大切にしている」とはっきり説明される。

梅の木の枝を最初に折ったのが歴史修正主義者なら、刀剣男子がやっているのは、「バランス」をとる為に次の枝を折っているようなものだと言うこと。辻褄合わせに次々と枝を折れば、最後には梅の木そのものを失ってしまう。


葵咲本紀中でも明石はミュ本丸の方針に疑問を抱いていましたから、ここではそういう立場として描かれるのでしょう。

弟思いの明石推しの方は大丈夫でしょうか。

まあ解釈違いしてたら歌合見てないですかね。


詠まれる和歌は、
梅の花折りててかざせる諸人は
今日の間は楽しくあるべし
(梅の花を手折って飾っている人は、今日を楽しんでいるのだ)


明石はこの話しを落語として聞かせ観客を笑わせます。オチもついて話しは綺麗に収まる。

しかし明石は、審神者のやっていることがどんなに滑稽で非合理的でその場しのぎのエゴイズムか、それで笑わせているんです。梅の木の枝を折って、折って、折り合っていると。

今日が良ければそれでいい、そんな刹那主義的な行動を客観的に眺めている。

自分の脳みそを食べさせて、それを美味しいと言わせるような、レクター博士のあれと同じ。それが怖いです。



【Brand New Sky】ライブ

結びの響、始まりの音カンパニー仲良さそうでいいな。



【Nameless Fighter】ライブ

大倶利伽羅馴れ合わないな〜、でも最後ちょっとにっかり青江と馴れ合ったかも。



【約束の空】ライブ

明石と御手杵がちゃんとアイドルやってる。



閑話休題。

巴、陸奥、大和守、大倶利伽羅で芋を掘る話し。ここで大倶利伽羅が一生懸命畑仕事をしているのは、三百年の子守唄からきているんでしょうね。陸奥守がそれをちゃんと見ているのが微笑ましい。

馴れ合わない大倶利伽羅が可愛いです。



【前進か死か】人間

葵咲本紀で人間役の役者さんに色々あったようで挨拶してくれますが、余り事情知らないのでよくわかりません。前説の小芝居も葵咲本紀を知らないとわからない部分が多いと思います。

歌は好きです。殺陣ありの振付もカッコいいです。



【夕涼み 時つ風】芝居

和泉守、蜂須賀、にっかり青江の軽装姿に観客みんなにっこりしたであろう。

長髪さらさら系男子の風呂上がり、すごくいい。

兼さんが牛乳飲むとき応援されていたのは、幕末天狼傳で、舞台上でお酒を一気飲みするのお腹が弱いことを理由に蜂須賀に代わってもらったところから来ているらしいです。わかりませんけど。

あと兼さんが「謎が多い三条さん」って言うの好きでした。にっかり青江のことも「にっかりさん」って言っていたのは年下設定なのかな。

三条に謎が多いのは非現存、不存在の刀が多いからでもある。つはもので三日月宗近が「千年前のことなど誰にもわからない」と言ったように不確かなのだ。それに比べると兼さんは出自にもエピソードにも確かさがある。

まったく自覚なく現存刀が非実在刀、現不存在刀に対して「謎が多い」と言うのはけっこう残酷ですね。


あと堀川国広のギターはああして聴いてもまったく遜色なくてすごいです。


詠まれる和歌は、
ぬばたまのわが黒髪に降りなづむ
天の露霜取れば消につつ
(私の黒髪に積もった露霜は、手に取ればすぐに消えてゆく)

この和歌自体は黒髪に降る露霜を手に取る無邪気な様子を描いているのでしょうか。しかし刀剣男子にとっては意味合いが変わってくる。

確実に目の前にあるように見えたものも、手にした途端に消えてしまう、そういう儚さを歌っているように思います。

自分はなぜ存在しているのか、それを自分に問い続け、自分自身で答えを出し続けなければならない。自分の存在を疑えば、そこから自壊して消滅しかねない、そういう危うさが刀剣男子にはある。

因果な宿命だ。



【描いていた未来へ】ライブ

アイドル。



【狐や踊れ】芝居

間接的に、ミュ本丸では明石は遅めに顕現したらしいことがわかる。

あとこれは本当に蛇足ですが、「あぶらげ」と「あぶらあげ」はどちらも正しい発音のようです。私は普段「あぶらあげ」と呼んでいたので、「あぶらげ」は砕けた言い方に聞こえます。だから小狐丸が「あぶらげ」って言うの少しかわいいなと思いました。

他にも、小狐丸は基本みんな呼び捨てだな〜とか、明石の顔はめちゃくちゃ端正だな〜とか、小狐丸っていつも紳士的だけどプリプリ怒ってるのも可愛いな〜とか、思うことは他もいろいろあるのだけどキリがないのでやめます。


話しを戻します。

小狐丸が二振りいる、という騒ぎが起こる。しかしそう言うみんなが佩刀していないのを見て、小狐丸は自分は狐に化かされたと気付きます。

そこから「では踊りますか!」となって5振りで踊るのですが、勢いがあって楽しげです。

狐っぽい振付もかわいい。

みんなで「狐には表と裏がある」と歌う。小狐丸という太刀には表に刀工名、裏に鍛刀時を手伝った狐の名前が彫られていたという伝説があり、そこからきているのか。


詠まれた和歌は、
ふたつなき物と思ひしを水底の
山の端ならでいづる月かげ
(月はこの世に二つもないと思っていたが、水底に月が見える)


狐面の小狐丸を見て小狐丸ははっとする。向き合えば鏡の如く、溶け合えば鉄の如く、ひとつは私、ひとつも私。私は私、お前も私。心には実態がない。常に矛盾をはらみ、表と裏の面が争い葛藤し続けている。

表と裏、どちらがホンモノか。

それは、どちらも本物なのだ。

そのことを証明するように、小狐丸の影のように踊っていた狐面の小狐丸が最後に残したのは、面(おもて)であったのでした。



【響きあって】ライブ

長曽根さんと蜂須賀さんが一緒に踊っていた気がする。



【百万回のありがとう】ライブ

蜻蛉切が穏やかに微笑んでてうってなった。てかみんなすごく穏やかに笑ってて幸せになった。

陸奥好きになりつつある時に見たので、うちわ探してじっと読んでファンサしてる陸奥がすごく愛しかった。



【勝ちに行くぜベイベー】ライブ

アオーンって鳴くのが可愛かった。



【獣】ライブ

ライブパートが続くからこのまま終わっちゃうのでは?っていう思いが過ぎってました。あとにっかり青江ときどき歌ってないのでは?って思って見てました。



【かみおろし】芝居

まれびとまだか、と歌う。

まれびととは神のこと。 

そうです。これまでの、そしてこれからの儀式は神(新たな刀剣男子)を呼び降ろすためのものだったのです。冒頭と同じ白い装束で刀剣男子が舞台に揃って登場します。


詠まれるのは古今和歌集の序文、
やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける
(和歌は人の心を種として生まれる)


そして鶴丸のセリフ「人の想いで紡がれた物語を縁(よすが)とし、この世に生まれ出るのは歌も我らも同じこと」と続く。

これまで「歌おう歌おう」とやってきて、鶴丸がいきなり結論を持ち出す。歌が人の心から生まれるものであるように、刀剣男子も人の心によって生まれると言う。だから和歌を詠んでいたのだ。

神を降ろすのに必要な要素(心から言葉が生まれ、言葉から和歌が生まれること)を、和歌を詠むことで擬似的に繰り返していたのだ。

ここから駆けるように芝居パートが進みます。


小狐丸は、自分の思いの強さが乗り移って狐面が小狐丸の姿を持つまでになったと言った。

にっかり青江は、付喪神が人の形を成し、刀剣男子として顕現するのは「思いひとつ」と言った。

この儀式では、これまで付喪神であった神に、人の形と成れるように、すでに顕現している刀剣男子達が教えて、誘い出そうとしている。

心を言葉に、言葉を歌にすることは、付喪神から刀剣男子となることと同じ工程なのだ。


ちなみに「8」は日本の神様に縁のある数字のようです。八幡大菩薩とか、八百万の神とか言いますしね。

これまで詠まれた6つの和歌は火を焚いて既に神へ捧げられている。そして鶴丸が灯した2つの炎を合わせて、8つです。鶴丸は「これより先は神の領域」と宣言する。

神社に鳥居があるように、線引きすることで、そこを超えたときにより神の領域に近付く感じがします。



【君待ちの唄】芝居

すごく好き。

神様やってるのほんと好き。

心の臓、赤き血、眼、手足、耳、口、肺、と人の形を成すのに必要なものを歌い上げていく。最後、空気を吸い込めば、君は産声を上げるだろう、って産声のところ蜻蛉切が歌うの、ほんと生命力に溢れてる。好き。

心臓から肺までで、7つ。

もちろん8つ目は心だろう。


命宿れ、形宿れ。宿れ宿れや、祈れ祈れや。

忘れつつありましたけど、これまで赤青に分かれて歌合をやっていたのです。

祭りで神輿を運んだり、競ってどこかへ向かうのは、それに誘われて神様がやってくるからです。あるいは人間が神の領域へ踏み込むため。

それに相応しく盛り上げてくれるんで、ほんと好き。


カタカナの呪文はアナグラムになっているそうです。並び替えるとカクヅチという火の神を殺したことで生まれた8つの神の名前が出てくる。

刀剣男子は、時間遡行軍の刀を折り続ける。

それが使命だ。

神を呼ぶのに、神を殺して生まれた神々の名前を唱えなければいけないなんて、なんて業が深いのか。この神々はしかし、神殺しの象徴であるのと同時に神を生み出したことの象徴でもあるから、刀剣男子の鍛刀にはぴったりです。



【八つの炎、八つの苦悩】芝居

付喪神らしき姿が現れ、苦悶の歌声を上げる。

「我に与えられたのは肉体と8つの苦悩」

苦しそうに歌うから、悲しくなります。これが彼らの産声なのか。刀であれば、付喪神であれば無縁であったはずの苦しみを、今から与えようというのだ。

生まれてきたくなかった、生まれてこなければよかった、と思われたらどうしよう。刀であれば、付喪神であれば与えられることのない苦悩。心があるというのは、そういうことなのか。

付喪神は「なぜ我を生み出した」とまで問うてくる。

刀剣男子は声を合わせて答えます。

「共に戦うため」
「使命果たすため」
「どうか力を貸し給え」

それがすごく力強いんですね。

泣いたね。泣いてないけど。

篭手切がめちゃくちゃ必死な表情なのね。2回目見ると篭手切〜ってなる。

「生まれた理由は問い続けよう」
「この身が語る物語を紡ごう」

新たな刀剣男子がこう歌って、刀剣男子となることを決意してくれるんですね。自分が自分であるために、苦悩があるとわかっているのに、きてくれてありがとう〜ってなりました。てかごめんね〜ってなりました。



【あなめでたや】芝居

めっちゃめでたい曲。

ただし、明石が全然笑ってないのが怖いんですよね。大倶利伽羅が馴れ合ってないのは全然いいんだけど、明石が笑ってないの怖い。



【最後に】

長々と書いてきました。不満に思うところもありましたが、全体として好きな公演でした。じゃなきゃこんな長文の感想書いてないか。


この歌合、これは人間賛歌。

すべての生命への祝福。

刀剣乱舞のゲームをやっていたり、刀ミュを見る人の中には、早く人間辞めたいって思っている人も多いと思います。でも、本公演を見たら、この舞台を作ってる人達はきっと真逆のことを意図していると思えてならないのです。

人間賛歌。

肉体と心があれば、8つの苦悩が宿る。

でも苦しむために生まれてくるものはない。

刀剣男子は、「なぜ我を生み出した」という問いに迷いなく「使命果たす為」と答える。

なんて頼もしいんだろう。


先に顕現した刀剣男子は、一度生まれてしまえば「八つの苦悩」が待っているとわかっている。

肉体を得て、心を持つとはどういうことか。

刀剣男子として生まれてくれば、苦悩しなければならない宿命を背負うことになる。それでも全員で声をそろえて「力を貸し給え」って言ったのは、苦悩よりも、もっと大きい幸福や果たすべき使命があると知っているし、そうあるべきだと確信しているからだ。


本公演は、「この世に生まれ出るもの、いずれか歌を詠まざりける」から始まる。

和歌を詠み、歌う刀剣男子。

それは彼らに心が宿っているからできることだと言う。

心とは、友に逢いたいと祈る優しさ、使命を果たさんとする決意、幽鬼が抱く深い情念、主に軽蔑されたくないという怖れ、狐面にまで乗り移った欲望、仲間の無事を願う友愛。良いものも悪いものも心にはあるけど、表と面(おもて)、どちらも真実なのだ。

良いときも悪いときもある。

軽薄な人もいるだろうし、裏表のある人もいるだろうし、欲望をコントロールできないときもあれば、喪失への恐怖や寂しく思ったり孤独を感じることもあるし、中には主へ疑念を抱くものもいるだろう。

刀剣男子になれば、自分の望まないような一面を知ってしまうかもしれない。

あらゆる和歌は「人の心を種として」生まれる。つまり付喪神も幽鬼も妖も、歌うのは人に心があるからだと締め括る。

「歌え」と何度となく呼び掛けて、祈り、願い、刀剣男子は互いに応えてきた。歌合も、刀剣男子同士の、あるいはまだ来ぬ付喪神への言葉掛けであった。

でも、それを彼らは客席に向かって歌うのだ。

人間なんかいなくても花は咲くし鳥はさえずるし風はそよぐ。でもそれを美しいと思って歌を詠み、千年後まで歌い継ぐのは人間だった。

ものに心が宿り、歌を歌う。

それは、人に心があったから始まったこと。

人間がいなければ、ものが歌を歌うことはなかったし、付喪神も刀剣男子も存在しなかった。人の心を種として、刀剣男子が産声を上げたのです。


刀剣男子が生まれる過程は、人間の生まれる過程そのものだ。

彼らの引用してきた和歌は、当たり前だけれど、人間の作ったものです。刀剣男子の心は、人間の心そのものです。

「あなめでたや」は、生まれてきたものすべてへの祝福なのだ。

八つの苦悩を与えた人間を恨まずに、神が人間賛歌している。

泣いたね。泣いてないけど。


感想は以上です。

さて、もう一周見てきますかね。
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