スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

悲観するイデア・シュラウド/ツイステ夢

※15歳未満の人の閲覧を禁止します


※twstBL
※イデア夢
※イデア×モブ寮生♂
※notイチャラブ
※イデアが経験豊富っぽい描写があります




イデアは校内にあるベンチに腰掛けて、ゆらゆら踊るオルトを観察していた。授業にはタブレットが出席しており、イデアはヘッドホンでその音声を聞いている。“イデア・シュラウド”は天才であるので、2つのタスクを同時にこなすことくらい造作もない。イデアは実のところ脳の働きの97パーセントをオルトの不調の分析に割いていたが、魔法解析学の授業には残り3パーセントでもお釣りがきた。

オルトはこのところメモリ不足やCPUの発熱があり、イデアはその原因を調べていた。最近ギアを増やし過ぎたか。しかしスペックは十分なはず。

イデアはオルトが木の隙間を縫うように進みながら宙を舞う落ち葉に細やかな出力でビームを放つのを真剣に見つめていたので、第三者の足音が自分に向かっていることには気づかなかった。

「こんにちは」

その声に最初に気づいたのはオルトの方だった。

「あの……、ここ座るね」

その人物はイデアに無視されたので気まずそうにしながら、静かにイデアの隣に腰かけた。

イデアはなおも気づかずオルトを観察している。そのオルトがふわふわ浮かびながらイデアに近づいてきたのでようやく、おや、と思った。

イデアはヘッドホンを外して「どうしたの」とオルトに声をかけた。

「メル・ミュラーさん、こんにちは!」

オルトの目線の先には、知らない生徒がいた。手が届きそうに近い。いつからそこにいたのかイデアにはさっぱりわからない。

「ヒィッ!?」

驚きのあまりイデアはベンチから転がり落ちた。長い髪は不安定に燃えていつもより多く青い火の粉を飛ばしている。イデアは手を握りしめて「だ、だだだ誰!?」と叫んだ。

イデアはまず少年の頭にある目立たないがふわふわで可愛い耳を凝視した。ねこちゃんっぽい。しかしこのメルという少年のことは、見れば見るほど覚えがない。オルトがふわりと浮かんでイデアの元へ来て、背を優しく支えてくれたので、イデアはオルトの体にしがみ付いた。

「えっ、だ、メル・ミュラーさん!?」

イデアはようやく脳に届いた音を認識した。

「だ、誰……オルトのお友達……?」

イデアがオルトに隠れて小さい声でそう尋ねると、オルトは「そうだよ」と答えた。

「メル・ミュラーさんは、僕のアスレチック・ギアのテストに協力してくれた人で、記録にも残っているはずだよ、兄さん」
「あ、あのときの」
「うん。あの、驚かせてごめん」

メルはとても傷ついていた。こんなに何度も「あなた誰?」と言われることは想像以上に堪えるものだ。それも天才と名高いイデア・シュラウドに。

自分は詰まらなくて記憶する価値のない人間だと言われたようなものじゃないか。それに、当たり前に顔も名前も覚えてもらえていると思っていた己の自意識が恥ずかしい。

メルは羞恥に顔を赤くして頭を下げると、ふとイデアの骨張って神経質そうな手が見えた。先ほど地面に転がり落ちたせいで土で汚れている。

イデアが姿勢を変えて立ち上がろうとしたので、メルはイデアに手を差し伸べたが、すげなく手を引っ込め身構えられてしまった。

イデアの硬質な色の瞳がメルを品定めする。

べつに、イデアにとって差し伸べられた手を振り払うことは何てことない。そのせいでその相手が何か思ったとしても、どうだっていい。

イデアは今までたくさんの人に手を差し伸べられてきた。

優しい人もいたし、優しくない人もいた。

でも、どうだっていいことだ。

イデアは多少冷静になった頭で、一人でゆっくり立ち上がりながら、再度メルを観察した。オルトの様子からしても危害を加えるような人間には見えない。イデアより背は低くて魔力も力もそう強くはなさそうだ。しかしユニーク魔法の中には少ない魔力で強い影響を与えるものも存在するため警戒は怠らない。少年の頭には三角の小さな獣人の耳、自分の知らない特別な力を持っていてもおかしくはない。

「サーセン。勝手に驚いたのは拙者の方ですしむしろ忘れていただきたい。はー、初対面でこれってオルトのお友達なのに拙者の印象悪すぎか? 拙者のことは嫌いになってもオルトとは今までどおり仲良くしてね。じゃ」

イデアがぶつぶつ呟いて立ち去ろうとしたのでオルトが引き止めた。

「兄さん、僕のデバッグは終わり?」
「え。あっ、そうそうそうだった。終わってないし原因まだわかってないし。でもせっかくお友達がいるのに兄ちゃんがいたら邪魔でしょ」

オルトは「うーん」と唸ってから、メルを見た。

メルはまだ恥ずかしそうに顔を赤くして目線をさまよわせている。イデアに顔も名前も記憶されていなかったことが相当堪えているらしい。それでもその場に留まっているのは少しでもイデアの近くにいたいからだ。

もっと話したい。自分のことをちょっとでも特別にしてほしい。俺の名前を呼んで。もっと近くで体温を感じさせて。

いつからかそう願うようになっていた。

こんな機会は二度とないかもしれない、そう思ったらどんなに恥ずかしくても自分から彼の元を離れるなんてできなかった。

メルはイデアのことが好きだった。憧れと言っていい。オルトといる時にイデアに声をかけられたこともあったが、この様子だとイデアにはすっかり忘れられていそうだ。

「メル・ミュラーさんは、兄さんに用事があったんじゃないの?」

オルトはメルにそう尋ねた。

たまたま同じ時間に授業をサボっていたから運命だと思って話しかけた、とはとても言える雰囲気ではない。

「オルトがいたから様子を見に来ただけ……。デバッグって? どこか調子悪いの?」

メルは仕方なくそう答えた。

「詳しいことは言えないけど。時間あるならしばらくオルトとその辺で遊んでくれない?」

イデアは愛想の悪い顔で言った。メルとは目を合わせないし姿勢も悪い。どうしたらこのおかしな人間を好きになることがあるのかと、メル自身も不思議になるくらい印象の悪い男だ。

でも好きだった。

「もちろん、いいよ。時間ならある」

メルは自分の一番いいと思う笑顔をつくった。

好きな人とならどんな理由であっても一緒にいたいじゃないか。それにオルトといることを許されたのが嬉しかった。イデアにとっては一定の合理性があるから許可されただけだとしても。

イデアは、遠くからメルとオルトがくるりと回ったり魔法で火花を散らして遊ぶ様子を観察するうち、メルの名前を再び忘れていた。自分のとった失礼な態度などもなかったことになっている。天才とはなんだったのか。

イデアに再び名前を忘れられているとも知らず、メルはオルトと体を動かしながらときどきイデアを盗み見ていた。

オルトに恋愛感情はわかるだろうか。

それはイデア次第だろう。

イデアがヘッドホンで何の音を聞いているのか、メルにはさっぱりわからない。でもそんなイデアのことを何度も何度も見てしまう。メルにはイデアに関することすべて、ただ考えるだけ、ただ想像するだけで楽しい。

イデアのことをもっと知りたい。

イデアの心の中、その奥深くまで。

それは贅沢過ぎる願いだろうか?

イデアは何よりオルトを優先している。でもイデアを彼の閉鎖された世界に閉じ込めているのはオルトではないとメルは感じている。もっと大きな強い運命の力にイデアが引きつけられているような、そういう不気味な引力を感じるのだ。

イデアはこの学園の生徒に興味がないように見える。卒業して別れてやがて忘れ去られるのを待ち望んでいるかのように。

あの手この手でイデアに近づいても、彼はクラスメイトの名前はおろか、かつてのルームメイトの名前も覚えていないという話しである。

触らぬ神に祟りなし。

俺だってはじめはそうだった。

でもね、だんだん我慢できなくなるんだ。彼に知ってもらえたら、彼に触れてもらえたら、それはなんて甘美なことか。人の欲望に限りはない。今日はそのことを嫌というほど思い知らされる。

「メル・ミュラーさん?」

オルトに呼びかけられてはっとした。イデアのことが気になって、ぼうっとしていたらしい。

「ごめん。ぼうっとして」
「メル・ミュラーさんのバイタルを確認しますか?」

機械的なオルトの声がしたので、あわてて「大丈夫。必要ない」と断った。

「オルトの方は、どう?」
「兄さんが調整してくれるから、大丈夫。僕の兄さんに不可能はないよ!」

オルトはにっこり笑った。口元は見えなかったけど、目元が優しく細められたので彼が笑っていることはよくわかる。

イデアはオルトを「弟」だと言う。

オルトの燃える髪、神々しい瞳、病的な青白い肌、それらはイデアとそっくりだから、誰もオルトが弟であることを否定しない。イデアにとってオルトは家族に違いないのだろう。たとえオルトが魔導式ヒューマノイドだったとしても。

メルはときどき、イデアの弱い部分を抉ってやりたいと思う。

美しく煌めく薄氷の下にある彼の真実を知りたいと思う。

でもそれよりもっと、彼には悲しい思いをしてほしくないとも思う。

「あの、ども。もういいよ。ありがと」

いつの間にか近くを飛んでいたイデアの端末から声が聞こえた。イデア自身はベンチに座ったままである。ヘッドホンを外して、何か深く考え込むような感じで、こちらのことはちらりとも見ない。

メルは不安そうにイデアを見つめた。

余計なことをしただろうか?

役に立たなかっただろうか?

「あのー、聞こえてますか?」

その声はやはり端末から聞こえた。

イデアはようやく顔を上げてメルを見て、目が合うとゆらりと立ち上がった。

メルは端末から聞こえるイデアの声と幽鬼のごとく自分の方へ向かってくるイデアの体と、どちらに集中すべきかわからず困惑した。陽の光りのもとでもイデアの髪は美しく輝いている。

「なに?」

イデアの近くにいることを喜ぶくらいは許されるだろうが、へらへら笑うのも印象が悪い気がして、メルは緩みそうになる頬を一生懸命引き締めた。イデアの声を聞けただけで喜んでしまうのだから恋とはおそろしい。

イデアはいま自分の言葉を待っている。その事実にメルの心は痺れた。

「俺がさあ、シュラウドのこと好きって言ったら、俺のこと嫌いになる?」

それは、普通なら我慢できただろう。偶然会った好きな人と雑談をして、好きという気持ちに少し気分が昂った、というだけのことだった。

でも恋に「普通」なんて言葉は野暮である。

今まで2年以上の月日をかけて、イデアとこれほど長く面と向かって話せたことはない。断言できる。おそらくこれから先もそんな機会は皆無だろう。数学的に無視できるほどの確率、ほとんど奇跡に思えた。彼が自分を見て、自分も彼を見ている。血圧は上がって心臓が脈打ち交感神経が優位になって緊張して獲物は目の前にいる。

だから告白した。

一方イデアは余りに突拍子のないことだったので趣味の悪いジョークだと思うことで納得した。イデアほどの天才であると、このくらいのイベントは何かの冗談であると瞬時に判断できるものである。

「……そスか。じゃ、拙者はこれで……」
「え、待って!」
「いやいや待つわけないでしょ脈絡なさすぎ怖すぎでしょ。好きとか嫌いとか以前の問題ですわ。イグニハイドに恨みがあって拙者に何かしようとしてるとか? どっちにしてもこわいから拙者はもう帰ります」

メルはすがるようにオルトを見た。

「オルト! 俺、オルトのお兄さんのこと好きなんだ! 二人で話せないかな!?」

イデアは大きな声で「ハァ!?」と叫んだ。それはメルの声よりずっと大きくて、メルとオルトを驚かせた。

「なんでオルト巻き込むの!? ヤメて!」
「だってシュラウドが俺から逃げようとするから!」
「いやあれで本気と思う方がどうかしてるよ! 拙者のこと好きって言ったね? 色んな意味で趣味悪すぎ!」
「好きなんだから仕方ないだろ! 好きな気持ちに趣味が良いも悪いもない!」

メルが今にもイデアに掴みかかろうかというとき、オルトが二人の間に割って入った。

「兄さん!」
「ヒィッ、ハ、ハイ!」

イデアは元気よく返事した。

「ケンカしないで!」
「ハイ!」
「じゃあ僕は行くから。僕のデバッグは急がなくていいんだから、二人でちゃんと冷静に話し合ってよね」
「ハイ……」

残された二人は静かに見つめ合った。くだらないことで言い合ってしまったことが恥ずかしい。二人は黙っていても、お互い冷静ではなかった、という共通の認識があった。

「興奮してごめん。でも好きなのは本当だよ。シュラウドと付き合いたいとも思ってる。こんな機会はもうないと思うから、返事もほしい」

メルは優しい声でそう言った。

「いいよ」

イデアはそう答えた。

いいよ。それだけ。

メルは信じられないというようにイデアを睨んだ。あれだけ真剣に告白したのに、まだ本気と思われていないようで、いっそ悲しくなった。

「いいよってどういう意味?」
「え? 付き合うってことでしょ? 君が言ったことなのですが……」
「こんな場所で、こんなこと俺も言いたくないんだけど。期待して、失望して、あとでまたケンカになりたくないから言うんだけど」
「はい……?」

イデアの態度は、メルにはいまだに他人事のように見える。

「友達からとかじゃなくて、付き合うってことでいいの? 付き合うって、俺、男だけど、体くっつけたりとか、そういうこともしたいって意味だけど」

こんなこと、太陽光きらめく昼日中に言いたくはない。少しずつ親密になってから、お互いの合意を形成していければそれでよかった。メルだって、今すぐ裸でイデアと抱き合えなどと言われたら正直喜べるかわからない。それでも、イデアの長い指がメルに触れることは何度も想像してきた。

イデアにその気持ちが理解できるとは、メルには到底思えなかった。

イデアは、しかめっ面のメルを眺めてから腕を広げた。

「わかってるよ。こっち来る?」

イデアは低くてぼそぼそとした声でそう誘った。タブレットは介していなかったので、彼の話す言葉、彼の厳かな声は、いま自分だけのものだとメルにははっきりわかってしまった。

心臓が止まった、とメルは思った。

興奮で早鐘を打っていた心臓は、ただでさえいつもより働き過ぎていたので、ついに止まってしまったのだ、と素直に思った。そうだとしたら短すぎる人生である。さすがに恋によっていま死ぬことは親不幸が過ぎる。心臓が痛い。でも目の前には好きな男がいる。

これは現実だろうか?

イデア・シュラウドとの邂逅は、焦がれた末の幻想だろうか?

「…………嫌なの?」

嫌なわけない!

止まったと思った心臓は、次にどくどくと、止まっていた分を取り戻すように動き始めた。

これは現実だ!

こっち来る、とは?

緩く広げられた腕の意味、とは?

決まっている!

メルは息を荒くしてイデアの手を凝視した。顔は見られないので。目が合おうものならいよいよ心臓は永遠に動きを止めるであろうと思われたので。

すすす、とメルが少しずつイデアに近づくあいだ、イデアは妙な気分でメルを見ていた。そわそわするような、落ち着きのない、浮ついた気分だ。魔力が供給されたイデアの燃える髪は、ぼぼぼ、と不安定に揺れて桃色に染まった。

イデアはそのまま静かに自分の腕に収まったメルを楽しんだ。目前にもふもふとした耳がある。至福である。

「ぼぼ、ぼ、僕のこと本当に好きなの。君、かか変わってるね」
「そんなことないと思うけど」
「変わってるよ」
「シュラウドだって変わってるよ。だから俺のこと好きになって」
「ええ、わがまま言うじゃん」
「……わがままだよ。ねえ、シュラウドのこと、イデアって呼んでいい? それで俺のことはメルって呼んで欲しい」

イデアは戸惑った。

イデアにとって名前で呼ばれるのは何も特別なことではなかったし、イデア自身も人を名前で呼ぶことが多い。ナイトレイブンカレッジでもそのように過ごしてきて2年以上が経っている。

「名前なんて、好きに呼べばいいんじゃない」

自分のことを特別に好きだと言われるのは心地いい。気分がいい。イデアは誰かに好意を向けられれことが好きだ。でもそれ以上に、理由のない好意や要求はこわいと思う。

なぜ自分なんかを好きになるのか?

たとえば魔導工学が好きだとか、耳や尻尾のような獣の部分を撫でられたいとか、ゲームやアイドルが好きだとか、イデアにしか頼めない願いがあると安心できる。イデアはその好意や要求に見合った報酬を得られる。イデアにとっての報酬は、だいたいの場合は性的な欲望を満たすことだった。

でも「名前を呼ばれたい」という要求は“少な過ぎる”。

イデアは途端にメルを不審に思った。

「ねえ、名前なんか付き合わなくても呼んであげられるけど。僕にして欲しいことってそれだけ?」

イデアは腕の中に収めていたメルを突き放した。

イデアにとってはにっこり微笑みかけられたり、目を合わせて名前を呼ばれたり、手をつないだりするだけなら、推しにしてもらうのが一番いい。現実の知り合いにそれらのことをしてもらっても、推しに敵うわけがない。交際が無意味だと言うのではない。きっちり役割を分けて楽しんでいるのだ。

「あー、あのさ、もしかして男と付き合うの初めて? 悪いけど、それなら相手は拙者じゃない方がいいのでは?」

イデアに言われてメルは目を見開いた。

まさか付き合って数分で別れを切り出されるとは。

「ごめん。変なこと言ったかも。呼び方はなんでもいい。イデアがいい。イデアが嫌なことはしなくていい。たしかに男と付き合うのは初めてだから、イデアが教えて。イデアの言うことちゃんと聞くから」

イデアは片目をすがめていやらしく笑った。

「フヒヒ。へえ、そうですかあ? 拙者の言うことちゃんと聞けるの? ハジメテなんだからもっと優しくしてくれる人がいいのでは? 拙者は効率重視ゆえ全然優しくないでござるよ。それでもほんとにいいの?」
「うん。いい。それがいい」
「デュフフ」

それが二人の関係を決定付けた出来事となった。


 **


その日、メルとイデアは久しぶりにナイトレイブンカレッジの外で食事をした。

イデアは人混みを嫌って寮に引きこもっているが、寮内だから常に快適というわけでもない。寮長室と言えど部屋にはトイレや水道設備がないのでときどきは部屋から出る必要があるし、そう頻繁に誰かを寮長室に連れ込んで長いあいだ二人きりというのも変な噂が立ちそうだし、寮生が急に訪ねてくることもあるし。

幸いメルはたまに外に出かけるのをとても喜んだ。

利害が一致している。

一つの行為で二人以上が楽しめるのは効率的だ。イデアは効率的なことが好きだった。だからその日もイデアは、自分たちの付き合い方は効率がいいと考えて口元だけでにやりと笑ったりしてメルに気味悪がられた。

そう、イデアはそんな風に傍から見れば機嫌が良さそうだったので、メルは油断した。

メルはイデアの長い指が器用にスマホをいじるのを眺めるのが好きだ。急ににやにや笑ったりするのはいつものことなので、ちょっと気味が悪いと思うか、機嫌が良さそうだと思うくらいですんでしまう。学外のレストランで彼と同じテーブルについていることの感動は何もかもを凌駕してしまうから恋とはつくづく面白い。

テーブルの上には一人分の食事がある。それはもちろんメルの分だ。イデアは飲み物だけ頼むことが多く、今日も例外ではなかった。

「これ美味いな。海鮮の味が染みてる」

メルが食べているのは日替わりメニューのパスタだった。シーフードがたっぷり入っている。ナイトレイブンカレッジが建っているのが海に囲まれた賢者の島なので、島のレストランで提供される魚介料理はどれも格別に美味しい。だから、イデアも食べればいいのに、という気持ちがつい言葉に乗ってしまうのも仕方がないことだった。

イデアはそういう押し付けを鬱陶しがる。

「料理は化学する芸術ですからな。拙者は専門じゃないけど、凝るひとの気持ちはわかるかも」

イデアはそう言ってレストランを見回した。

そういう見方もあるのか、とメルは感心した。

イデアとは何度も二人で食事する機会があったが、彼があまりに関心なさそうにしているからよく話したことがなかった。このことがメルの気持ちをさらに油断させた。

「イデアも食べてみる? オルトもきっと喜ぶよ」

その言葉は、言わないようにしていた言葉のひとつだった。

オルトってなに?

その髪ってなに?

ゲームの時間減らしてもっと寝たら?

もっと外に出たら?

もっと人と触れ合ったら?

もっとご飯食べたら?

もっと、もっと、もっともっともっと。

それはイデアを気づかう振りをした自分自身の利己的なアドバイスだと、普段ならしっかり自覚して自粛しただろう。でも今は、ずっとずっと好きだった憧れの人と付き合って、デートして、レストランで彼を独占して、視線を集めている。そんなときに自分を律して慎むなんてできるわけがなかった。

イデアといるときはいつもそうだ。特別なのはイデアなのに、自分が特別であるかのように勘違いする。イデアにとって自分が無二であるとは、思えたことは一度もないのに。

イデアの許可なく彼の世界に土足で踏み入ることのないよう、十分注意を払ってきたのに。

メルがイデアを伺い見ると、彼の薄暗い瞳と目が合った。

「はああああ、そういうこと言われるのめんどくさ。食べたかったら自分で勝手に注文してるし、そうじゃなくても一口ちょうだいって言えるくらいの仲でしょ。美味しそうに食べてるとこ悪いと思うから言ってないだけでそういうの食べたいと思わないし価値観押し付けられるのも虫唾が走るっすわ。こういう人の多いとこ出てきてるだけで君のために頑張ってるのにこれ以上を求められるの無理すぎ。オルトが喜ぶ? 会ったこともないくせに。だいたい今はオルト関係ないだろ……」

イデアの棘のある言葉がメルに刺さった。敵意剥き出し、悪意、嫌悪、恋人からかけられた言葉とは思えない憎悪に満ちていた。

そしてイデアはメルから目を逸らし、それからは何を聞かれても生返事しか返さなくなった。

レストランを出て寮に戻る途中、メルは激しく後悔していた。せっかく食べた美味しかったはずの魚介のパスタも、そんなはずはないのに食べ過ぎたみたいに胸焼けしている。

イデアが追い払わなかったので、メルはイデアの部屋までついて来てしまった。

「僕の言葉で傷ついたって顔、やめてくれない?」

メルがイデアの言葉で顔を上げると、イデアが目の前に立ち塞がっていた。立ち塞がると言っても、イデアはひどく姿勢が悪いので、自分より背が高いはずなのに同じくらいの高さに顔があった。だから妙に顔が近くて緊張する。

「違う。さっきは、俺の方が、ごめん」

メルがこわごわイデアを見ると、いまだにどこを見るでもなく顔を俯かせている。少しも機嫌が直っていなかった。

「あああ、無理無理ほんと無理」

大きなイデアの手がメルの頬を包んだかと思うと、急に口付けられた。キスと呼ぶには性急すぎる口付けだったからメルはそれを楽しむよりも驚いた。

「ん、んっ」

口を離すとイデアは長い腕をメルの体に回して密着し、「外泊届出してるの?」と事務的に尋ねた。その声は笑ってもいないし優しくもなかったけれどメルの欲望を心地よく刺激した。メルは何度も頷いた。

イデアにはサディストの気がある。痛いこと、苦しいこと、汚いことを強いて興奮する。セックスでは道具を使って拘束したり体を叩いたりする。イデア以外に経験のないメルでもイデアとの行為が一般的ではないことはわかった。天才というのはセックスもふつうと違うのかもしれない。

イデアは靴を脱いでベッドの上に座り、靴下をベッドの端に放り投げた。おそらく後でオルトが片付けるのだろう。

「こっち来て」

イデアに呼ばれたメルは顔を赤くしてベッドの近くまで寄って行く。指示がないので床にも座らないしベッドにも乗らない。早く触ってほしくて堪らなかったが、そんなことを言えるはずもなく、心許なげに視線をさまよわせた。

イデアは焦らすようにメルをじっと見てから体をベッドの縁までずらし、メルを挟むように両足をベッドから下ろした。そしてメルの腰に添えた手を動かして体を撫でていく。

メルは耳まで顔を赤くしつつ、イデアの端正な顔を見つめた。

イデアの顔をこんなに間近で見ていられるなんて、付き合っている者の特権なのだから、とメルは遠慮せずに見てしまう。普段なら「なに見てるの」と嫌がられるだろうが、こういうときくらいは許してくれるのも嬉しい。

イデアの左手がじょじょに上半身を上って、メルの胸の敏感な場所を探り当てた。

ああ、気持ちいい。

精密機器を扱うから、こういうことも得意なのだろうか。メルはそんなことを思って少し笑った。特に利き手の左手はそうだ。

メルはイデアの手が好きなのだった。

大きくて、繊細で、でもがさつで、メルのいいところを簡単に暴く。強引で、傲慢で、臆病で、優しい、イデアの心をそのまま表している。

メルが目を閉じて脚を震わせると、腰に添えられただけだったイデアの右手がメルのベルトを掴んで、一気にベッドの上に引き倒した。イデアにそんな力があるわけがないから魔法を使ったのだろうがどんな魔法だったかメルにはわからなかった。

イデアはメルの上にかぶさり膝でメルの股ぐらを押し上げる。

強すぎる刺激にメルは「あっ、」と声を上げた。

「痛がらないで。手は上」

イデアが無茶なことを言う。

でもメルはイデアの期待に応えたくて、懸命に快楽を拾おうとした。腕は頭上に置いて、動かないよう拳を握りしめて痛みに耐える。

イデアは膝でいじめるのを止めると、左手をメルの服の中へ滑り込ませた。頭を下げてメルの耳元にこすりつけるとイデアの燃える髪がメルの顔にかかった。

「……ハァ、ハァッ……」

はじめはイデアの息が荒くなるのを、メルは興奮して聞いていた。

しかしイデアはしばらくして動くのをやめ、「うぅ、ううぅ……」と唸った。

泣いている、と気づくのには、だいぶ時間がかかった。

「イデア……?」

メルが腕を下げてイデアに触れても、イデアに咎められることはなかった。ふだんならあり得ないことだ。行為中に言いつけを破り、無断で彼に触れるなんて。

「イデア?」

メルはイデアの髪に触れ、彼の痩せた体を優しく抱き締めた。何があったかは皆目わからないが、イデアが泣いている原因は自分にある気がして恐ろしかった。

はっきりイデアの涙を見たわけではない。でも少なくとも彼のこんな態度は初めて見た。

苦しそうにうめいて、震え、泣いている。

イデアが落ち着いた頃、ようやく「ごめん」と返事があった。

「あ、スマソ。拙者今日勃たないかも。口で抜くだけでもいい?」

メルは驚き過ぎてすぐには返事ができなかった。

こんなことは今まで一度もなかった。もともとイデアがメルの中に挿入することは基本ないのだが、二人とも十代の若者であり、セックスすれば互いに一度は射精する。普通のセックスが何かわからなくても、互いに性的な興奮を得て射精に至るのでメルはそれをセックスと呼んでいる。

イデアに顔も上げないままベルトに手をかけられたところで、メルは慌ててイデアを制止した。

「しなくていいよ!」

恋人が泣いているのに口淫させようとは思えない。たぶんしてもらったら勃ってしまう気がするのも情けなかった。

「俺が言ったことのせい? なら本当にごめん……」

何がイデアをこうも傷つけたのかメルにはわからなかった。それでも黙ってイデアを放っておくこともできなかった。

「君が言ったこと? 本質的には全然違う」

イデアは外しかけたベルトを元に戻すとメルから離れたところで膝を抱えて座った。イデアの大きい体は折り畳まれて小さくなって、そのほとんどが彼の燃える青い髪に隠された。

「ごめん……」

メルに謝られるとイデアは顔を膝の間に隠した。そしてしばらくすると再びうめいてまた泣き出した。その声が余りに苦しそうだったので、メルを辛くさせてもらい泣きを誘うには十分だった。

「オルト……、」

メルに聞き取れたのはそれくらいだった。

「オルトって、弟の?」

メルがそっと近づいてイデアの背を撫でてもイデアに嫌がられなかったので、手を振り払う気力もないのだと思えて余計に悲しくなった。

「弟は死んだ。だから、お、おると、……うぅ、オルトは……、」

メルはベッドの上に置いてあったティッシュの箱を引き寄せて、イデアの足元に差し出した。

イデアはティッシュに気づくとそろりと顔を上げて、ティッシュを一枚取って鼻をかんだ。それでも足りなかったのかまた一枚取って鼻をかんで、三枚目は顔を拭くのに使った。

メルはイデアの泣き顔を、不謹慎にも可愛いと思って眺めた。目元にきらめく涙の滴は電子の光と彼の燃える髪に照らされて、イグニハイド寮生の魔法石のように輝いていた。まつげが濡れて束になり、普段より彼の目元は儚く見える。自己肯定感が低いくせに強気で自分本位なイデアらしくもなく、俺なんかに慰められて。

『弟は死んでいる』というのは、実のところメルには予想できていた。

オルトは死んでいる。

魔導ヒューマノイドの“オルト”とは別の存在。

イデアはオルトについて何か打ち明けるということはなかったが、かといって事実を隠して秘匿することもなかった。「今のオルトならできる」とか、「今のオルトは知らないけど」とか、魔導ヒューマノイドの“オルト”ではない存在を感じさせることはよくあることだった。

でもイデアにとってのオルトとはなんだろう?

本当のところは何もわからない。

彼らのことをもっとよく知る日が来るだろうか?

メルはイデアの小さく丸められた背を撫でながら、きっとそんな日は来ないだろうと思った。

そうとしか、思えなかった。

「イデア。俺帰った方がいいかな」

メルは「引き留めてくれ」と強く願ったが、叶わなかった。

「うん」

それだけ。

俺のことなんてどうでもいいんだろう。

まあ、失恋とはそんなものだ。

イデア・シュラウドという男は、案外なんでも言いたいことを口にする。独り言だから聞かなくていいですよ、という体で悪辣なことを言う。その男が何も言わずに帰れと言うなら、これから百年待ったって彼は何も言わないに違いない。

失恋をした。

でもメルはそれほど悲観しなかった。

イデア・シュラウドは天才だが性格に難があり恋人としては最悪な男だった。

イデア・シュラウドはサディストでメルに対して悪趣味な性感開発をおこなったが愛ある交接は行わなかった。

イデア・シュラウドはちょっと信じられないような引きこもりで校外でのデートはほとんどなかった。

イデア・シュラウドは弟を深く愛したがメルのことは愛さなかった。

それだけのこと。

これから数えきれない人と出会ってそのうち何人かとは恋愛関係になるのかもしれない。でもイデアほど弟を愛する男と出会うことはないだろう。

イデアを知るほど、イデアは弟しか愛せないのだと思い知る。

あんな失礼で引きこもりで口の悪い男、何も惜しくはない。

何も惜しくはない。

何も惜しくはないが、メルはただ、イデアが弟以外の誰かを愛して、その人に同じだけ愛してもらえる未来があればいいのに、と思った。

憂鬱なイデア・シュラウド/ツイステ夢

※twstBL
※イデア夢
※イデア×モブ寮生♂
※notイチャラブ
※イデアが経験豊富っぽい描写あります




イデアはボードゲーム部に所属している。ゲームをするためではない。ゲーム以外のことに時間を費やさないために。

イデアはボードゲーム部に所属してから暫くは部員とゲームをすることもあったが1か月もしないうちに誰ともゲームをしなくなった。イデアはゲームに負けるのが嫌いだけれど、負けっぱなしの人間はもっと嫌いだったからだ。

「イデアさんは、いま恋人いらっしゃいますか?」

いまイデアと将棋盤を挟んで話しかけてきた生徒はアズールという生徒だ。イデアが入部してから1年経ってやって来た。学年が一つ下で、タコの人魚だと言う。嘘ではないだろうがイデアはタコの姿のアズールを想像できない。

アズールは努力家で負けっぱなしを許さない負けず嫌いだ。アズールとボードゲームをするのは楽しい。アズールが入部してからはもっぱらアズールとゲームをしている。

アズールと話すのも嫌いではない。

でも今回の話題は嫌いだ。

「なんで? オタクに恋人がいるかどうか聞いてどんな商売するおつもりで?」

イデアは将棋の盤面から目を離さずそう答えた。

イデアは彼女がいるか、よく聞かれる。どうしてそんなことを聞きたがるのかまったく理解できない。彼女がいてもいなくても自分を笑うつもりなんだろう。だいたいオタクのそういう事情なんて聞いて気持ち悪くないのだろうか。

まさかアズールにそんなことを聞かれるとは。

イデアの攻撃的な返答にアズールは驚いた。怒らせるつもりはまったく無かった。実はイデアの言うとおりマドルの絡んだ話しなのでどうにか形勢を立て直したい。

「不躾でしたね、申し訳ありません」

アズールは眉尻を下げてイデアを見つめた。

人魚の涙には不思議な力があると言う。タコの涙にそんな効用があるとは聞いたことがなかったが、アズールの涙はイデアによく効く。

イデアはアズールの様子を疑いながらも、実際目の前でそんな顔をさせておくのも気が引けた。アズールは信用ならない。でもイデアにとっては数少ない気の置けない後輩だ。話しくらい聞いたっていい。

イデアは怠惰な人間が困っているのを見るのは愉快だが、努力家が困っているのを見ると放っておけない。ナイトレイブンカレッジでオルトと過ごすようになって自分のその傾向がより顕著になった自覚はある。

「いや、別に。……でもなんでそんなこと聞くの」

アズールは内心ほくそ笑んだ。

「イデアさんに興味を持っている方に頼まれまして。とってもかわいいオクタヴィネルの寮生です。それで、彼女は?」

イデアが動揺しているのを見てアズールは畳み掛けるのが良いだろうと踏んだ。直球勝負。ただし手の内すべてを明かすわけではない。

「えっ。あ、……それって」
「ご心配はわかります。何も相手がいないならすぐ付き合えってことではありません。ただひと言か、ふた言か、話せたらそれでいいと本人は言っています。いけませんか?」

イデアは「嘘だ」と思った。

でもそういう後輩がいるのは本当なんだろう。

イデアは迷った。いきなり直接会うのはちょっと怖いが、この部室の片隅でリバーシをやりながら話すくらいならかまわない。でも問題がある。イデアには先週まで交際していた先輩がいた。ボムフィオーレ寮生のシュルツという先輩で3か月ほどは付き合っていた。前触れなく別れたいと言われたのでイデアの方から別れたくないとすがったばかりだった。

イデアは一途な方だ。浮気はするのもされるのも絶対に許せない。

べつにシュルツのことを愛していたわけではないが理由もなく別れたいと言われたのはショックだった。シュルツも悲しそうに泣いていてとても別れたがっているようには見えなかった。

こんな状態でアズールの後輩と楽しくゲームしながらお話しするのはポリシーに反する。

もう別れているのだし浮気ではないのだけど。

「拙者なんかと会いたいなんて変わり者がいるのは有難い話しなんだけど、ちょっと今は時期が悪いと言うか……その子、少し待てないの?」

アズールは目を細めてにっこり笑った。

「もちろんです。都合が良くなったら必ずご連絡くださいね」
「は、はい」

その日の話しはそれで終わった。

再びその話しを持ちかけられたのは2週間ほど経ってからだ。アズールからの電話に出ると「会ってくださらないのですか」と切なそうに訴えられてイデアは参ってしまった。

イデアだって現状を打破したい気持ちはある。でもあれからシュルツにしつこく電話したが一向に折り返しがないままになっていたのだ。

アズールからの電話を切って、イデアは立ったり座ったりしながら考えた。また電話するか。いやいやこれまでも何回かけても出ないし返事もなかった。これ以上続けても明らかに迷惑行為だし警察に届け出されたら捕まる自信がある。今回のことに限らずイデアからは叩けばホコリが積もるほど出る。接近禁止命令が出てもおかしくない。

考えるうちに夜が明けていた。

これはもう次の手に出るしかない。イデアの不健康な色合いの口からは思わずため息が漏れた。

シュルツに直接会うほかない。

この選択肢はずいぶん前からイデアの頭にあったが選ばなくて済むならそうしたかったので目を背けていた。イデアは極度の対人嫌悪でアズールなどの親しい人以外と直接話す機会はとことん避けている。

イデアは再び大きいため息を吐いた。

意を決した。久しぶりに登校するのだ。靴下を履くのも久しぶりだ。イデアは寮内では裸足でいることが多い。

校内には驚くほど人がいた。

最悪だ。

光がまぶしい。

人が多すぎる。

珍しく生身の体で登校しているイデアは奇異の目にさらされながらそんなことをブツブツつぶやいていた。自分の授業に出るでもなくタブレットとドローンを駆使してようやくシュルツを見つけ出した頃にはちょうど昼休み前の授業が終わる時間になっていた。

我先に食堂へ向かおうとする生徒たちはドアの前に立つイデアに驚いた。青く燃える髪を初めて見る生徒も少なくない。それでも、見たことはなくても一目でわかる。

「イデア・シュラウドだ」

誰かが言った。

その声はイデアには届かなかった。イデアは人目を避けることも忘れて親の仇でも探すかのように生徒の一人ひとりを睨んでいる。姿勢悪く背を丸めて、目の下の隈はひどく目つきも悪い。

生徒はぎょっとしてイデアを見るが、余りの迫力にすぐ目を逸らして足早に去って行く。どうしたの、などと声を掛ける者はただの一人もいない。

ようやくシュルツが教室から出てきてイデアに目をとめた頃には生徒はほとんどいなくなっていた。

シュルツは大勢で騒ぐより少人数で静かに過ごしていたいタイプだった。シュルツ自身も物事にのめり込む性質があり、イデアがするゲームの話しにも理解を示して熱心に耳を傾けてくれた。そんなことがふと思い出されてイデアは余計に険しい顔をした。

シュルツはというと突然のことに口を開けたまま固まっていた。ポムフィオーレの寮長が見たらだらしないと怒るだろう。

イデアはシュルツの腕を掴んだ。

「フヒ、急に来て驚いた? もう僕とは話すことなんてなんにもないよね、うん知ってる。あと何回も電話かけちゃってすみませんね。着歴すごかったでしょキモすぎでしょ。でもそういうのわかってて付き合ってくれてたんじゃないの。まあいいけど。一応けじめ付けたいし。このままってのも気分悪いし。もう一度ちゃんと話したいんだけどそれも無理?」

シュルツはイデアの煌々と光る瞳に射すくめられた。

ひどい顔だ。綺麗な顔が台無しだ。ゲームで徹夜した翌る日でもここまでではなかったろうとシュルツは思った。

でもやっぱり綺麗だとも思った。

端正な顔立ちが憂いを帯びてこの世のものとは思えない色気を生んでいる。シュルツはこの近寄り難いほどの妖しい雰囲気をまとうイデアが自分を求めてくれるのが好きだった。

今だって嫌いではない。

むしろ好きだ。

シュルツはイデアが憎くなって別れたいと言ったのではない。イデアの愛が自分にないと思い知ったから別れたくなった。

シュルツは周りに誰もいないのを確認して口を開いた。

「無理じゃ、ないけど。あの、今からってこと?」

シュルツからの返事にイデアはその場で座り込みたいくらい安堵した。今まですっかり無視されていたので今日も無視されるかもしれないと覚悟していた。

「どっちでも。せめて電話かメッセージちょうだい」

イデアはすっかり目的を果たした気になっていた。

逃げることを許さないようにシュルツの腕を強く掴んでいた手をあっさり離してイデアが立ち去ろうとしたので、慌ててシュルツが引き止めた。

「今話したい!」

ちょうどシュルツが先程まで使っていた講義室を覗くと誰もいなかったので二人は電気もつけずに席についた。イデアが先に奥に座ったのでシュルツは一つ空けた隣に座った。昼休みということもあって唾を飲む音が聞こえるほど静かだ。

いざとなると言葉が見つからずイデアは黙り込んでいる。

「そういえば、これってまだGPS入ってるの?」

シュルツは携帯端末を出して冗談っぽくそう言った。付き合い始めたときアプリを入れられてイデアに位置情報が送信されるようにしたのだ。詳しいことはシュルツにはわからないが、別れ話をしたときにはそれどころではなく、アプリもそのままになっているのを思い出した。

「アヒ、あ、それ。消し、消します。ごめん」
「いやそれはべつに、いいんだけど」

実際はすでに位置情報は送信されないように設定が変えられている。別れたいと言って去ってしまった元交際相手の位置情報を理由もなく取得するほどイデアも悪趣味ではない。

イデアは机に置かれた携帯端末を見てから、シュルツに視線を移した。イデアのことを眺めていたシュルツと自然と目が合う。

シュルツはイデアの髪の毛先が赤っぽくなっていることに気づいた。

イデアの髪は燃えている。普段は真っ青だが、照れると桃色になるのがシュルツは好きだった。なんて美しいのだろうと思っていた。青から桃色へのグラデーションはイデアの黄金色の瞳と合わさると印象派の絵画の世界から出てきたみたいに非現実的なほど綺麗なのだ。

こういう赤っぽい色は見たことがない。

普段と違う部分があるのだろうか。体調が悪いとか。廊下にいたときにはまだ青かったはずだが。

「それで」とシュルツが言おうとしたとき、イデアが急に立ち上がった。

「ねえ」

イデアは表情の無い顔でシュルツを見下ろした。イデアの髪はみるみる赤くなっていく。

シュルツは本能的にこれは良くないことだと感じた。

「なんでいっこ空けて座るの?」
「え?」

イデアは一歩前に出てシュルツに触れるほど近寄った。近すぎてシュルツからはイデアの胸の辺りまでしか見えない。いつもより何トーンも低いイデアの声が上から降ってくる。

「僕のこと嫌いになった?」
「イデア君、髪が……」

赤くなった髪は荒々しく燃え上がっていた。

イデアは怒っているのだとシュルツは察した。

「髪? 話し逸らすなよ。僕と話すって言ったよね。僕の何が嫌いになったの。髪が燃えてて陰キャで引きこもりのオタクだからとか言うなよ。それわかってて付き合ったんだよね」

イデアの髪は勢いを増して燃料を得た炎のように燃え広がっている。普段は触れても熱くないイデアの髪だが、今は触れれば火傷しそうに思われた。

「隣に座ると緊張するから!」

シュルツは思わず大きな声を出してしまった。

「イデア君、あの。もちろんそういうのわかって付き合ったよ。席空けて座ったのはごめん。でも隣に座ったら付き合ってたときのこと思い出しちゃうから。それだけ……」

シュルツは恥ずかしさで顔を赤くした。反対に、視界に入るイデアの髪は少しずつしぼんで青っぽくなっている。

イデアはたまらず身を屈めてシュルツのうなじに手を添えた。シュルツの髪は柔らかくて指通りがよくて自分のものとはまるで違う。その柔らかな髪からはよく知っている香りがする。付き合っていた頃と何も変わらない。頬を赤くしたシュルツの様子は自分を嫌っているものとは到底思えなかった。

ほかに事情があるのかもしれない。

イデアにも心当たりはある。家のこと、将来のこと、オルトのこと、この燃える髪と呪われた血のこと。何もかも捨てて望んだ仕事に就いて好きな人とただ暮らしていくことはできない。

イデアは改めて自分はなんて面倒な男だろうと思った。そしてシュルツのことをどうしようもなく愛しいと感じた。シュルツはこんな変な自分を受け入れてくれた。

でもその彼が望むなら。

シュルツが別れたいと言うなら。

イデアはシュルツに触れながらだんだん別れの覚悟ができてきた。学校は人が多くてしんどかったけど会いにきてよかったと思った。

イデアの長い指で優しくくすぐられて、シュルツは耳まで赤くした。

せっかく離れて座ったのに。

シュルツは目を閉じた。イデアを制止する言葉をかけられないのは、彼の指が心地いいからだ。自分から別れたのにこんな風にイデアに触れてもらえることが嬉しい。

「どうしても別れるの?」

イデアが切ない声で尋ねた。

シュルツは立ち上がってイデアに抱きついた。

「はい」と言えばこの関係は本当に無くなってしまうだろう。イデアは自分と付き合っているあいだ、他に親しい人の気配をまったく感じさせなかった。イデアに友達がいないという以上に、彼自身が人付き合いを拒んでいるからだ。たぶん別れたら復縁の機会は完全に失われるだろう。

イデアとシュルツでは互いに才能のある分野も興味あることも生まれも育ちもまったく違う。そんな二人が学校を卒業して、この先の人生で接点を得る可能性は限りなく低い。

イデアの恋人であるというのはなんて心地いいのだろう。付き合っているあいだ彼には自分だけだという絶対の安心感があった。将来有望で魔導工学の分野では知らない人はいないほどだという。見目麗しく、時折育ちの良さを感じさせる。外出先で彼がフォーマルな服装で自分をエスコートしたときに集めた観衆の目のなんと甘美だったことか。

シュルツは葛藤した。イデアとの交際は終わりにしろと感情は訴えるが、打算的な自分は他の道を模索しようとする。

ああ、でも。

イデアは自分を大切に扱ってくれるだろうけど、決して愛してはくれないのだ。シュルツはそう思い知った日のことをはっきり覚えている。

その日は二人でシュルツの部屋のベッドに寝転がりながら、ファーストキスについて話していた。そこでイデアは彼の父に言われたという『アドバイス』を教えてくれた。

イデアがナイトレイブンカレッジに入学する前のこと。

イデアは小さい頃は恥ずかしがり屋で家族の前でもよく顔を赤くして、ほとんどの時間ピンクがかった髪色をしていた。髪が青くならないのは健康上の問題が原因ではと心配されたほどだが、成長するにつれ髪の色は青くなり、ときどき毛先が色を変える程度になった。そしてイデアの容貌の美しさはそんな小さい頃から際立っていた。

美しい容姿と控えめな性格の少年は一部の女性に好まれた。彼女たちはイデアが子どもだとわかって近づいてくる。

イデアが母の身長を超えた頃、父がわざわざ部屋へやって来てイデアに言って聞かせた。

「イデア、よく聞いて」
「なに」
「イデアはこれから先、女性とデートしたりすると思う」
「え?」
「気になる子ができて、もっと仲良くなりたいと思うのは当たり前のことだから」

イデアは市販のAIロボットを改造する手を止めて父を見た。ビックリして配線を傷つけてしまいそうだったからだ。

「気になるロボットは分解したくなるみたいなこと?」

イデアはジョークのつもりで言ったが父はまったく取り合わなかった。父はあくまで真剣な眼差しでイデアをじっと見ていた。イデアが変なジョークで真剣な話しを茶化すのはよくあることだった。

「これから女性とデートしたり、二人きりで会ったとき、手を握ってほしいとか、抱き締めてほしいとか、お願いされることがあると思う。もしかしたら、キスとか、それ以上のことも」
「セックスの話し?」
「違う」

父の余りの気迫にイデアはようやく観念した。手袋を外して作業台に置き、父と向き合った。

「イデア。よく聞いて。女性を傷つけてはいけない。女性はイデアのことを好きになって、なんでもしてくれると言うかもしれない。でもね、イデアが同じようになんでもしたいと思えないうちは、決して女性の好意に甘えちゃいけない」

イデアは父の気迫に押されて「はい」と答えた。

「僕のことそんなに好きになる人はいないと思うけど」

イデアは手遊びしてそう呟いた。

「いるよ」

父は優しく答えてくれた。

イデアは家族に愛されている自信がある。イデアの知能が高いことを敬遠しないで、仕事のことも隠さず話してくれる。父や母が近くにいてくれるとき、イデアは自分が全能の神になったような、全宇宙に存在を肯定されているような気持ちになれる。『作品』をガラクタと思われて廃棄されたことは何度もあるが、両親に好奇心を否定されたことは人生においてたった一度だけしかない。

父に甘えて優しい言葉を強請ったようで、イデアは恥ずかしくなり毛先を少しピンクにした。

「お父さんが子どもの頃はよく怒って髪を真っ赤にしてた。すごく怒りっぽくて周りを怖がらせてた。イデアの髪はいつも優しい色をしてる。イデアが好きになった女性に、同じように好かれるように、これからも優しいままだといいんだけど」

父はイデアの髪を見ながら言った。

「それはよくわかんないけど。女性には優しくしろってこと?」
「違う」
「ぇえ?」
「一生のうち、一人の女性にだけ優しくすればいいということだ。イデアが愛して、キスして、セックスしたいという女性は、ただ一人だけにしなさいという話しだ」

イデアは得心した。

最近女性から手紙をもらうことがある。同い年くらいの女の子のいる家族を招待してお茶会のようなものを開くので、気に入られると手紙が届くのだ。どこで会ったかまったく思い出せない人からも届く。イデアはそれに返事をしたことはないが、女の子の印象がどうだったかは家族によく聞かれた。

これは忠告だ。

好意を向けられても手を出すなと。

「わかった」
「ほんとうに?」
「女の子とのキスはちゃんと大切にとっておく。僕が一生ずっと一緒にいたくて、なんでもしてあげたくなるような女の子のために」

イデアが大真面目に答えたので父はかえって驚いた。それでも笑わずに「そうそう。そういうこと」と言って、部屋を出て行った。

イデアはそのことを今でも心に留めている。だから未だに女性とキスしたことはない。もちろん手をつないだりハグしたりもない。これから先、心から愛して、自分も愛されたいと思ったときの、そのたった一人のために取ってある。

シュルツはそれを聞いて唖然とした。

イデアとはキスもしたしセックスもしたというのに、イデアに面と向かって「ファーストキスはまだ」と言われたのだ。返す言葉が見つからなかった。

イデアにとって自分は、『愛』の外側にいるのだと思い知った。

たぶんこれから先もそうだろう。

イデアと付き合う前、自分が彼とこんな関係になるとは思いもしなかった。それにイデアがこれほど愛情深いとは。別れ話のために学校に来たイデアに別れたくないと言い寄られたなんて、おそらく友人やクラスメイトは信じないだろう。自分でも信じられない。イデアは少なからず自分のことを好きでいてくれた。

でもダメだ。

イデアは自分を愛さないと知ってしまった。

何かいい方法があるかもしれない。たとえばイデアに近づく女を一人残らず排除すれば、自分は事実上イデアの一番になれる。いっそ自分の体を女性にする魔法薬を飲んでしまうとか。イデアがもっともっと離れ難くなるように、もっと美しく、もっともっと自分を磨くとか。

そんな考えがどうしても頭をもたげる。

でもダメだ。

シュルツは自分の心の内にある奮励の精神を恨んだ。こんなときまで頑張ろうとしなくていい。

シュルツはイデアにくっ付けていた体を離して「うん。別れたい」と改めて伝えた。

イデアはそれを聞いて完全に諦めがついた。諦めることには慣れている。教室から出て行くとき最後に振り返ったシュルツを見て、本当に好きだと思った。でも諦めることにした。そうするしかない。

イデアの人生は諦めの連続だ。

この燃える髪。嘆きの島。魔導工学のこと。人間とのコミュニケーション。オルトのこと。

本当に憂鬱になる。

イデアは静まりかえった教室でタブレットを机に置いた。そしてアズールにメッセージを送る。

「いろいろ片付いたんで時間つくれるようになりました」

アズールからすぐに返信が届いた。イデアはその返信の速さに、よほどマドルになる案件なのだろうかと思えて笑った。こういうところもアズールは付き合いやすくていいとイデアは思っている。アズールの思想は一貫していてわかりやすい。

イデアは僕に会いたいなんていったいどんな子なのかな、と思いながらアズールにまた返信した。

諦めることには慣れている。

だからせめて自分が楽しいと思えることに時間を費やす。

イデアは遠くで活気を取り戻しつつある楽しげな笑い声を聞いて、背中を丸めて教室を出た。

イグニハイドに戻る途中、タブレットのメモ帳を開いて、教科書に書いてあった小さなコラムからオルトの新しい換装パーツのアイデアを得たことをイデアは思い出した。シュルツに別れたいと言われてすっかりそのままにしていた。帰ったら何時間か寝て、そのアイデアを固めよう。

きらきら光る太陽を青く燃える髪に反射させ、イデアはひとり、フヒヒと笑った。

不誠実なイデア・シュラウド/ツイステ夢

※twstBL
※イデア夢
※イデア×モブ寮生♂
※notイチャラブ
※イデアが経験豊富っぽい描写あります




イグニハイドの寮長は謎多き人物である。イグニハイド寮生は彼のことを尊敬はしているが、畏怖に近い。よくわからなくて、恐ろしいのだ。

イデア・シュラウドという男、前寮長に指名されてイグニハイド寮長になってからというもの一人部屋の寮室とちょっとした権限を手に入れて自由を謳歌していた。イデアに口ごたえする者は弟であるオルト・シュラウドくらいのものだ。欲しいものはなんでも手に入れんという勢いがある。

イデアは今日も『自由』を欲しいままにしていた。

「イデア先輩、お部屋けっこう綺麗にされているんですね」

ベッドの上に胡座をかいて座るイデアからひと一人分ほど空けた隣には、サバナクローの腕章を結んだロモという生徒が座っていた。獣人の耳をそわそわと動かしながら落ち着きなく部屋を見回している。ロモは猫の獣人だ。対してイデアは着古した部屋着に学校指定の白衣を羽織ってくつろいでいる。

「綺麗に見える? そのへんけっこうホコリたまってるよ」

イデアは冷たくそう答えた。実際イデアはこの部屋をそれほど綺麗だとは思っていない。彼の実家のピカピカに磨かれた床に比べれば、たいていそんな風にちょっと汚れて見える。

ロモはイデアの機嫌を損ねたと思って「すみません」と小さく謝罪した。

イデアは気分屋だ。機嫌のいいときはとことん良いが、機嫌の悪いときはとことん悪い。機嫌のいいときのイデアは神様みたいになんでも与えてくれる。ロモはそのときのイデアになってほしくて糸口を探した。

たとえば手土産に持ってきたお菓子とか、このあいだ購入した電子書籍とか、きのう読んだカーデザイナーのウェブ記事の話題なんかもいいかもしれない。ロモはイデアに興味を持ち続けてもらうため、機嫌よく過ごしてもらうため、日常のどんなこともイデアに関連づけて過ごす癖がついていた。イデアに喜ばれるならなんでもいい。

でも、イデアに喜んでもらう一番の方法は簡単だった。イデアは『猫』を撫でるのが何より好きだから。ロモはイデアが自分のような一生徒と交際している理由もそこにあるとわきまえている。

「ねえ。それより」

イデアは続けて「こっちおいで」と言って薄く笑った。

ロモはいつでもイデアの許しを待っている。自分からということは滅多にない。イデアの機嫌を損ねないためには彼から教えてもらうのが一番いい。待ちに待ったイデアからの「おいで」にロモが顔を赤らめて彼の近くに擦り寄ると気まぐれに爆ぜるイデアの髪が頬に触れるほど近づいた。

イデアが自分と交際する理由、それがなんであってもかまわないとロモは割り切っている。いま彼が自分を特別にしてくれている、それで十分満足すべきだ。

イグニハイドでは寮生以外が寮内に入るにはセキュリティ管理者からあらかじめ許可されておく必要がある。ロモへの許可は寮長であるイデアがおこなった。イデアから入室を許可され、イデアに選ばれ、いまイデアのパーソナルスペースへの侵入を許されている。ロモはその甘美な響きに酔いながら頭を垂れてイデアに服従を示した。

自分は幸せだ、そうロモは思った。

「やっぱり猫たんはいいねえ。はあー、かわいい」

イデアは文字どおり猫撫で声でそう言った。「よしよし。いい子いい子」と言ってロモの猫耳を両手で遠慮なく撫でている。さっきまでとはまるで態度が違う。

ロモは耳を触らせながら、優越感に浸っていた。快感物質が分泌されているのが自分でわかる。

イデアはやわらかい毛に覆われた動物が好きだ。人間にはそれがないから好きになれないのではと思うくらい猫や犬の触り心地が好きだ。獣人の耳や尻尾に触れることはイデアを心底癒やしてくれる。ロモの前の恋人も、その前もそのまた前も恋人は獣人だった。そんなことをイデアがロモに説明したことはなかったが野暮なので今後確認することもないだろう。

欲望に忠実な自分をごくたまに恥じるくらいにはイデアは獣人が好きな自分に自覚的であるがそれがなんだと言うのか。見よこの少年の悦に入った表情を。イデアは癒されロモは悦ぶ。損をする人間が誰もいない。合理的だ。効率的だ。

イデアは非効率的なことが嫌いだ。非効率的な勤勉さは怠惰と同じだと思っている。

しばらく好きに撫でているとロモが顔を上げた。目はうるうると潤んで息を弾ませ、欲情していると一目でわかるような様相だ。

「イデア先輩、俺も触りたい」
「フヒヒ、素直でいいですなあ」

イデアは拒否しなかった。

ロモはイデアの長い髪をおそるおそる避けて白衣に手をかけた。

イデアの髪は燃えているが触っても少しも熱くない。淡く輝いて透明感のあるブルーは燃えているのにかえって冷たい印象を与えている。イデアが冥府の番人ならば一筋の光も差さない地下の底にあっても彼を目印にできて安心だとロモはぼんやり考える。彼が神様の血を分けた末裔だと言われても「そうか」とあっさり信じるだろう。

白衣を脱がしてロモはイデアをそっと押し倒した。もう何度もイデアに触れているのにテキーラを何杯もあおったかのように心臓が激しく脈打っている。

ロモの指先は震えていた。だってこんなのたまらないじゃないか。人間嫌いで自分本位で金持ちで権力を持った男に「かわいい」と笑いかけられて。タブレットを通じてコミュニケーションを取りたがる男にわざわざ呼びつけられ、いまロモはイデアのテリトリーで彼の体の上にまたがっている。ロモはその事実だけで恍惚として口元を自然と緩ませた。

ロモは布越しにイデアの下半身に触れながら、自分の上半身をイデアの胸板に重ねて頬擦りした。

これはマーキングだろうか。それはロモにもわからない。本能的な行動であることは確かだ。

本能が、欲求が、満たされていくのがわかる。

イデアは自分に甘えるロモの頭を優しく撫でてやる。もちろんふわふわの毛に覆われた可愛い耳にたっぷり触りつつ尻尾の方にも手を伸ばした。

そのとき突然ロモのポケットに入った携帯端末が電子音を鳴らした。二人とも驚いて飛び起きた。

「すみません!」
「あっ、電話。……いいよ、出て」

ロモは端末に表示された名前を見た。同じ寮の先輩だ。ダンス部で知り合ったが部活動に熱心というわけでもなく余りいい噂のない先輩だ。

ロモが電話に出るあいだ話しを聞くのも悪い気がしてイデアはベッドを離れてデスクの方へ行った。イデアはロモの交友関係に興味はない。ロモが他の男と浮気などしていれば話しは別だが幸い今のところそのような心配はしたことがない。ネットニュースを流し見しながら時間をつぶしていると電話を切ったロモに声をかけられた。

「イデア先輩、すみません。お待たせして」

それからロモは「寮の先輩に呼び出されちゃいまして」と歯切れ悪く言った。

「そう。じゃあ……」

イデアはそう言ってロモを見つめたがロモが気まずそうに下を見ているため表情は窺えない。恋人とこれからというタイミングではあったがイデアはそれで怒ったりはしない。陽キャには陽キャの付き合いがあって大変だなあと思っているし、どちらかと言うと関わりたくないのでこの話しは終わりにしたい。

一方でロモは「引き止めないんだ」という言葉を飲み込んだ。

ロモがじっとして動かないのでイデアは「行かないの?」と言って反応を窺った。

「寮の先輩、俺のこと嫌いなんですよ。こんな時間に呼び出すのも嫌がらせかも」

ロモはそう言って顔を上げた。

イデアは不思議な気持ちでロモを見返した。なぜロモがこんなことを言うのか少しもわからないが、なんとなく気まずくてすぐに顔を逸らした。

「へぇ。そう」

イデアの返事はそれだけだった。

ロモは泣きたくなった。みっともなく泣きついてイデアに慰められたいと思った。

こんなに好きになるなんて。

こんなはずじゃなかった。

イデアは陰キャと自称しているがその本質は温厚さにある。イデアは周りに合わせて騒ぐことはないし雪玉をぶつけられても怒らないしいつも自分のペースを崩さない。イデアはその温厚さとマイペースさで時折年上らしい振る舞いをする。ロモにはイデアが寮生に慕われる理由がよくわかる。

もし自分がイグニハイド寮生で彼に庇護してもらえたらどんなに良かっただろう。

イデアは頭がいい。秀でた才能がある。家柄もいい。髪は燃えているが背も高く容姿もけっこういい。持って生まれたものがこれだけあるのに、そのうえ勤勉で温厚で面倒見がいい。

イデアが怒ったり感情を露わにするのは自分が愛情を注ぐものを否定されたり汚されたり攻撃されたときだけだ。

イデアが愛情を注ぐもの。

オルト・シュラウド。崖っぷちもいらす。魔導工学。好きなアニメ。好きな映画。勤勉さ。

ロモはそこに自分が含まれていないことに気づいてしまった。

イデアは自分に愛情を注いでいない。自分が攻撃されたとき、イデアは自分のために怒らない。オルトが誰かに呼び出され嫌がらせされたらイデアは絶対に黙っていないし全力で報復するだろう。オルトと同じにはなれないにしても、少しは自分に心を砕いてくれると信じたかった。

現実はいつも厳しい。

まあそうだろう。ロモは勤勉とは言えないサバナクロー寮生だし魔導工学への興味もそんなにない。

こんなことなら下手な試し行動などしなければよかったとロモは後悔した。気づかなければずっと幸せでいられた。

イデアは悪くない。イデアはこのことに無自覚だ。イデアはロモを恋人として特別扱いしており他の生徒とは明らかに区別している。イデアは誰かれともなく部屋に招いたりしないし、まして体の関係など持たない。ただそれが愛に基づくものではなかっただけのこと。

ロモは顔を引きつらせて「じゃあ行きますね」とかすれた声で告げて部屋を出た。そうするしかなかった。

いつかイデアの心を射止めて彼から心底愛される人が現れるだろうか。そんな人が永遠に現れなければいいとロモは願った。そうすれば『自分がイデアに愛されなかった』のではなく、『イデアは人を愛せなかった』と思える。

ロモはイグニハイドの暗い廊下を歩きながらイデアの不幸を願った。

寮から出ると雲のない星空に流れ星が見えて、ロモは息を吐いて笑った。それは余りに綺麗で神様が願いを聞き届けるに相応しい夜と思われた。

願いをどうか叶えてください。

ロモは立ち止まって手まで合わせて心の中で願った。

イデアが誰も愛しませんように。

イデアが誰も愛さなければ、イデアの恋人はみんな救われる。自分もそうだ。

ロモには転んでもただでは起きない不屈の精神がある。傷ついて一人で泣くのは性に合わない。ときどきサボったり人の不幸を願ったりするくらいがちょうどいい。何度くじけても、何度自分の理想が覆されても平気だと確信している。生まれ持ったものが少なければ他の何かで補えばいい。

ロモは顔を上げてまた歩き出した。

その顔には物語のはじめにヴィランズが浮かべるような悪い笑みが浮かんでいた。
続きを読む

トレース 鯉登少尉


ゴールデンカムイより鯉登少尉です。
かわいい好き。ブスかわいい。内またかわいい。音之進って名前がもうかわいい。

トレースしましたが歪んでしまっているところがあり申し訳ありません。

模写 鯉登少尉(ゴールデンカムイ)


ゴールデンカムイ楽しいです
鯉登少尉ほんと好き

トレースすればよかったけど、とにかく好きで描きたくて描き始めたからとても中途半端だしアニメ以上の作画崩壊を起こしていて下手くそで悲しくなるけど鯉登少尉は好き

トレース バットマン


トレース バットマン

トレース 血界戦線


トレース 血界戦線
デフォルメと普段の差が好き

鋼の錬金術師

マスタング大佐が「焔」を選んだ理由は、ご両親の死因と関係していたりして。焔を意のままに操る人間になりたい。誰よりも焔を理解し制する人間でありたい。

鋼の錬金術師

※妄想会話
※謎理論で説得する胡散臭いマスタング大佐
※現代語に詳しいホークアイ中尉




以下、マスタングとホークアイの会話。



ハガレンの23巻を読み返した


そうですか


エンヴィーが死ぬ前の戦いで、
君と、エンヴィーとの会話なのだが


はい


「二人きりの時はリザと呼ぶのよ」って


ああ、あれですか
鎌にかかってくれて面白かったですよ


あれは、
君の願望かね?


違います


何もないのにふっと出てくる言葉ではないと思うのだが
深層心理にある願望ではないか、と思って…


違います


リザ


面白くないですよ


照れているのか?


違います
前に付き合っていた男が、二人きりの時だけ「リザ」と呼んでいたので…


は?
いつ?
誰だ?
軍人か?
俺の知っている男かね?


嘘です


は?


ですから、嘘です


本当か?
嘘?
君は時々、私に嘘をつくよな


しつこいからです


参ったな
リザと呼ばれるのが嫌なのか?
父上を思い出すとか……


そんなことありません


ではこれからはリザと呼ぼう
二人きりの時には
リザ
うん、いい響きだ


そういうの、今はセクハラって言うんですよ
女の子だけ名前を呼び捨てなんて、下心があるみたいですからね


下心ではない
本心だ


……ではハボックさんはジャン、と呼ぶのですか


わかった
その条件を飲む


はい?


ジャン
リザ
そして君は私をロイ、と呼びたまえ


ただの上官をそんな風に呼びません


私が許可する


ハボックさんにも許可しますか?


…許可する


そういう冗談はやめてください
部下に示しがつかないですよ


私には焔があるからいいのだよ
コレのおかげで部下に舐められたことは一度もない


そうですね


あとはな、
女性軍人に、希望性でミニスカート丈の軍服着用を許可したところ、一部の女性と男共の信頼を得ることができた
男はどうでも良いがな
私は、信頼されるのは好きだ


卑怯です


なに?
卑怯ではない
実力だ


そのせいで、市中ではミニスカ軍人のコスプレが横行して風紀が乱れているんですよ


風紀が乱れている?
そうではない
生きよ、堕ちよ、と言うではないか
統制された息の詰まる社会より、堕落していても活力溢れる社会を私は望む
戦争の苦しみを国民には背負わせない
その為に私は出世する
その為に君は銃で手を汚した
そういう欺瞞を私達は選択したのだ
人間の意思は尊い
それが欲望と紙一重のものであってもな
違うかね?


…そのとおりです


リザ
人間同士という関係においては、上官も部下もない
大佐も中尉もない
だから、リザ
私は君をリザと呼ぶ


……


人の歩くべき道を作るのが私達の仕事だ
泥にまみれても、傷だらけになっても、汗を流して血を流して、命をかけて道を作る
軍服のコスプレ?
結構だ
良いか悪いかは国民が決める
私は国民がそこに辿り着けるよう道を作るだけだ
欲望でも夢想でも歓迎する
それが人の希望であり意思であるならな


そうですね…


ところでリザ
君は先ほど「ただの上官をそんな風に呼ばない」と言ったな


言いました


それではまるで
ただの上官でなければ呼んで欲しいみたいだな?


……言葉の綾です


そうか
私はいつでも「ただの上官」をやめるられる
リザ
私のことをロイ、と呼んでもいいのだよ
ロイ、とね


……ロ


おや、電話だな
マスタングだ
ジャニー!
久しぶりだね、どうしたんだい?
最近忙しかったんだよ、うんうん
ミニスカ軍人コスプレイベント?
ジャニーも着るんだろうね?
それはぜひ見たい!
では今夜は必ず顔を出すよ
うん、わかった
家まで迎えに行くよ
うんうん、ジャニーは可愛いね
わかってる
浮気なんかしない!
電話もらえて嬉しいよ
わかった、今度は私からかけるよ
うん、わかってる
可愛いジャニー、また後で!
じゃあね!


いまミニスカ軍人って聞こえましたけど聞き間違いですか?


……意思と欲望は紙一重
なんちゃって
続きを読む

鋼の錬金術師/苦い契機(後編)

※妄想小説
※マスタング大佐に片想いするモブ
※女性に対して暴力を振るう表現があります(15歳未満の方は読まないでください)
※約束の日から5年後


mblg.tvのつづき




「申し上げたくありません」

ミシェルの言葉に、マスタングは呆気に取られた。新兵に口答えされたからではない。副官が言った言葉と、そっくり同じ言葉を返されたからだ。

「今日それを言ったのは、君で二人目だ。その言葉を言われると私は弱い。その言葉、ちょっと狡いと思わんかね?」

マスタングは苦笑した。

それでミシェルには『一人目』が誰だったのか、なんとなく分かった。

「申し訳ありません」
「いや、いい。君の名前は覚えた。次また何かあれば、その時は容赦しないよ」

そう言う声音が確かに冷酷だから哀しくなる。『彼女』に対するみたいに、苦笑いでいいから、マスタング大将の感情を少しでも分けてくれたらいいのに、とミシェルは思った。

どうやって?

「着替えたかね?」

マスタングは後ろに意識を集中して尋ねた。

一度視力を失ってから、マスタングは視力以外の感覚に頼ることを覚えた。それは些細なことだが、彼自身はそのことを気に入っていた。

ミシェルは先程から動いていない。

着替えず、じっと、恐らく、私のことを見ている、とマスタングは感じていた。

「ミシェル?」

優しい振りをして、ただそう呼び掛けるだけのことでミシェルが泣きそうな顔をすることを、マスタングはもう知っていた。気付いていた。それを分かって敢えてやった。

彼女の中にある憐れな情動を掻き乱してやりたい。

その熱が、私は好きだ。

ミシェルが乱れる程、自分が冷静に成ることを、マスタングはよく自覚していた。

「まだです」

ミシェルは震える声で答えた。

「早く着替えてもらわないと困るね。私はこの部屋を出られない」

その声は優しかったが、どこか冷静だった。

ミシェルはマスタングを熱い眼差しで見詰めた。この人の感情が揺れる様を見てみたい。体を重ねた時、どんな息を吐くのか。怒りに震えた時、どんな悪口を吐くのか。悲しみに打ちひしがれた時、どんな弱音を吐くのか。

その口で、教えて欲しい。

私の名前を呼ぶ、その口で。

「マスタング大将」
「なんだね」
「好きです。貴方のことが、とても、好きです」

マスタングは振り返った。

下着姿のミシェルは切なそうに直立の姿勢でマスタングを見ていた。マスタングは冷静な頭で彼女が自分の感覚どおりまだ着替えていないことに内心でほくそ笑んだ。

「私は、差し出されたものを遠慮する程、奥ゆかしい性格ではない」

マスタングはそう言ってミシェルに歩み寄った。

自分は幸福か、ミシェルは自分に問うた。

「当たり前よ」

その言葉に、マスタングは首を傾げたが、二人の距離は縮まった。




【苦い契機(後編)】




マスタングは最後まで優しかった。

思ったとおり。

想像どおり。

女に慣れていて、女を終始気遣って、優しい言葉を容易く口にして、気持ち良さそうに目を細めて、私の存在を祝福する素振りをして、詰まらない愛ばかりを体に満たしてくれる。ああ、マスタング大将は、私を慰めてくれたんだ、と全て終わってからミシェルは気付いた。

「これからペニントン少将のところへ行くのかね?」

マスタングは少し笑って尋ねた。

ミシェルがマスタングの執務室に来てからもう何時間も経っている。

「ペニントン少将は私の義理の兄なんです。私のことを知っていて、ここへ来るように計らっただけだと思います。今頃きっと笑っていますよ」
「ふむ。知らなかったが、ペニントン少将はそういう人物なのか」
「普段は、違うのですが…」

普段は違う。実直でユーモアがあって明るい義兄だ。

悪ふざけは似合わない。

ミシェルはマスタングに用意して貰って机に置かれたままだった軍服を手に取って、それを眺めた。これはマスタング大将のものではないか、その考えが頭を巡っている。

「着替えないのかね?」

マスタングはそう言ってミシェルの手から軍服を取った。そしてそれをミシェルの肩に掛けてやると、素っ気なくそこを離れて椅子に座った。優しいようで、冷たい。

早く部屋を出ろと言われているみたいだ、とミシェルは思った。

ああ、でも。

なんだか包まれているみたいで。

快感に震えそう。

ミシェルは羽織った軍服に触れて吐息を漏らした。

「今夜、お食事でもいかがですか」

ミシェルが言うとマスタングは笑って「喜んで」と答えた。それを聞いたミシェルは嬉しそうに微笑んで、本当に遠慮しないのね、と内心で思った。

食事も同じだった。

セックス以上に想像どおり。

優しくて聞き上手で話し上手。

店の主人が私を見てにっこり笑うから、きっと自分はマスタング大将が連れ歩く大勢の女のうちの一人でしかないんだわ、と思わずにはいられない。いつもと違うアクセサリーを店の主人も楽しんでいる。ミシェルはそう思って切なくなった。

分かっていたことだ。

分かり切っていたことだ。

「家まで送るよ」

店を出るとマスタングはそう言って車を手配した。

断るべきなんでしょうね、とミシェルは思う。

私に理性と自尊心があるならば、そしてマスタング大将との関係を良くしたいならば、私は笑顔で「ありがとう。でも結構よ」と言って断るべきなんでしょうね。彼だってそれを望んでいる。

でも、駄目だわ。

だって好きなの。大好きなの。

心が焔に煽られて、焦がれて、切なく泣いているの。

ずっと好きだった人が目の前で優しく私の名前を呼んで、私に触れてくれるなら、それを断るのは私の意思ではあり得ない。

「ありがとうございます。お願い、私、少し酔ったみたいです」

ミシェルに寄りかかられたマスタングは優しくその肩を抱いて笑ったが、それは失笑に近いものだった。

マスタングの精神は冷酷だが、要領が良いから気持ちが伴わなくても優しくすることを知っていた。女が喜ぶこと、上司が喜ぶこと、国民が喜ぶこと、それを片端からなんでもやってやる根気と体力もあった。

女を一日特別扱いして喜ばせることなど造作もない。

マスタングは最後まで優しかった。

にこにこ笑ってミシェルを介抱した。

ミシェルを抱えてベッドルームまで運んだマスタングが「私は帰るよ」と言うまで、ミシェルは夢の中で雲の上に寝転ぶみたいに全く現実味なくぼうっとしていた。

それは本当に酔っていたのか、恋の熱に浮かされていたのか、ミシェル自身にも分からない。

時間が止まればいいのに。

マスタング大将が、私を好きになってくれたらいいのに。

それが永遠になればいいのに。

二人で死なない人間になって。

永遠に。

二人で生きる。

「帰らないで、ください」

ミシェルはマスタングの腕を掴んでそう言った。

たぶん、言葉以上に私の目は、私の心を代弁しているでしょうね、とミシェルは思った。自分でも分かる。縋るような、救いを求めるような、憐れな目でマスタングを求めていることを。

「帰るよ」

マスタングはあくまで優しくそう答えた。

「中尉が家で待っているのですか?」
「は?」

言いたくない。けど仕方ない。

「マスタング大将の、特別なひと」

ミシェルが言うとマスタングは少しも動揺せずに「中尉とはそんな関係ではないよ」と答えた。

何よ。

なんなのよ。

じゃあ帰るなんて言わないで。

「私とは『そんな関係』になっちゃって良かったんですか?」

マスタングはまだ動揺を見せない。ただ困ったように笑ってミシェルの腕に触れた。

「悪いが、君は『特別なひと』ではないよ」
「でも寝たわ」
「差し出されたからだ」
「差し出されたらなんでも食べるのですか?」

マスタングはミシェルの頭を撫でて「なんでもは食べない」と言った。

それが、その声音が、余りに優しくて、丁寧で、ミシェルはマスタングに優しくされる程、辛くなるのが分かるのに、それでも求めてしまう。

止まらない。

止められなかった。

「哀しいひとですね。ホークアイ中尉が男性と歩いているのを見かけましたよ。中尉には特別なひとが居るのに、マスタング大将はまだ彼女に恋していらっしゃるのね。哀しいひと。ホークアイ中尉がマスタング大将の気持ちを知ったら、きっと貴方から離れますよ」

哀しいひとね。私と同じ。

マスタングはミシェルの頭から手を離した。

「彼女に恋人が居るかもしれないことは知っている」
「かもしれない?」
「本人から直接聞いた訳ではないのでね」
「信じたくないだけですよ。考えたくないだけです。中尉には恋人が居るのに、それを可能性の一つみたいに考えて逃げ道にしているだけではありませんか?」
「……」
「今頃中尉は男に抱かれていますよ」

最後の言葉を言い終わらないうちにマスタングはミシェルの口を手で塞いだ。

「口を慎め」

その声は、酷く冷酷だった。

「私の部下のことをあれこれ喋るな。傲慢な女め」

マスタングはそう言ってミシェルの口を塞いだまま、腕に掛けられていたミシェルの手を乱暴に払った。そしてミシェルの目を間近で見下ろして威圧した。

「哀しいひと? 私は哀しくないぞ、ミシェル」

二人の距離は互いの息がかかる程近い。

口を塞いでいた手が退けられて、ミシェルは少しの後悔と、少しの喜びを感じた。

熱い。

息が熱くて痺れそう。

なんて素敵なひとなのかしら。

ミシェルの膝は恐ろしさで震えていたが、熱狂的な憧憬が収まることはない。ミシェルは愛を込めてマスタングを見た。

「好きです。貴方が、好きです」

ミシェルは震える声で囁いた。

「君が、誰を、好きだって?」

マスタングはそう言ってミシェルをベッドに押し倒した。ここにミシェルを運んで来た時とは全く違う乱暴な手付きだ。

「マスタング大将…」

ミシェルがマスタングの名を囁くと、マスタングは憎しみを込めて「これでもか?」と言った。そしてミシェルの脚の根を暴いて指を入れた。

「私は、私の大切な部下を悪く言う人間を好まない。特に中尉とは付き合いが長いから、悪く言われると、ちょっと、抑えが効かん」

マスタングの乱暴をミシェルは拒否しなかった。

「君の言葉は醜い嫉妬だ」
「そうです。好きだからです」

ミシェルはマスタングの腕に触れた。

「私が好きか?」
「はい」

ミシェルは躊躇せず答えた。

マスタングはミシェルを見て冷笑した。

「何故、拒否しない?」
「好きだからです」
「この口は、好きならなんでも食べるのか?」
「なんでもは食べません」

ミシェルがマスタングと同じ言葉で返したのを、マスタングは楽しげに目を細めて笑った。

「じゃあ、これは?」

マスタングは指を動かした。

ミシェルは苦しそうに眉根を寄せた。

「中尉に、できないことが、私にできます。それが嬉しい。ああ、嬉しいの」
「淫乱」
「そうです。だって、好きなんです。マスタング大将、お願い。ああ……、お願い、もっとして。中尉にできないこと、もっと!」

ミシェルは切なく叫んだ。

冷たい目でそれを眺めていたマスタングは、段々と苛立ちが興奮に変わっていることを自覚した。ミシェルの淫らが蠱惑してくる。愚かな女だが、私と似ている、と思った。

「もっと、か。強欲だな、ミシェル」
「あ……」
「ほら、もっと頑張れ」
「あ、大将……」
「怠けるなよ、ミシェル。君も私に、良くしてくれるのだろう?」

マスタングが上着のボタンを一つ外すと、ミシェルがその続きを手伝った。

ミシェルが自分に尽すようにする程、マスタングは楽しくなった。自分に似て、独善的な信念を持ち、過ちを犯し、好きなものには自己犠牲的で、好きなものには憐れでしかなく、好きなものにはとことん愚かな、救いようのない、馬鹿者だ。

それが君だ、ミシェル。

それが私だ。

「シャツはいい。そのままで」

マスタングはシャツのボタンを外そうとするミシェルの手を優しく払った。朝は職場だったので気にも留めなかったが、ベッドでも服を脱がない積もりらしい。

「何故?」

切なげにミシェルが尋ねた。

それもその筈だ。マスタングもその気になって、その意味ではいい雰囲気だったのに、これでは行為が終わったら早く帰る積もりだ、と言わんばかりである。

マスタングは少し躊躇してから「傷があるから」と、口を濁らせた。

はっきりしないマスタングの態度に、ミシェルは首を傾げた。

軍人なのだから、傷くらい見慣れている。特にイシュバールを経験した軍人には大きな傷もよくあるものだ。そして彼らはそのことを恨みながらも誇りを持っている。

なぜ嫌がるの?

踏み入っても良いだろうか。

嫌がられるかしら。

ミシェルの複雑な迷いがマスタングにも伝わったらしく、少し自嘲して「大したことじゃない」とマスタングの方からシャツを捲って口を開いた。

「酷い傷だろう。自分でやったんだ」

マスタングの脇腹には大きな火傷痕があった。

「酷くなんかないわ」

ミシェルは傷痕をうっとり触りながら呟いた。

「怖くないか?」
「これでも私、軍人ですよ」

怖い?

そんなことはあり得ない。

発火布で脅かされて失禁したのがつい今朝方だから、怖がりだと思われたのだろうか、とミシェルは恥ずかしくなった。

顔を赤くしたミシェルは「今朝の、あれは、特別です」と消え入りそうな声で言った。

マスタングは目から鱗が落ちたような顔になって「あ」と言った。

「あ」
「なんでしょうか」
「君が軍人だというのを忘れていた」

そう言うとマスタングはミシェルの上から退いて、ベッドの縁に腰掛けた。背中を向けられたミシェルは面白くない。体を起こしてマスタングの顔を覗き込もうとしたが、あとちょっとのところで見えないから余計虚しくなる。

「だから、あの、今朝のことは、あれは、忘れてください」
「いや、うん。あれには驚いたが」
「……申し訳ありません」
「そうか、君は軍人だったな」
「なんですか、それ。さっきから……」

マスタングは困ったように笑って「私の信念の問題だ」と答えた。

「私は昔から軍人には手を出さないことに決めている」
「え」
「どうしよう?」

マスタングは愉快そうに笑ってミシェルを振り返った。

その表情が余りに優しくて、その声は余りに近くて、その仕草は余りに穏やかで、好きで、大好きで、彼に触れられる日が来るとは思いもしなかった程の憧れの人で、でも彼は確かに現実に目の前に居てミシェルを見ていて、ミシェルは堪らない気持ちになった。

こんなの。

こんなの。

だって、狡い。

「続きは……?」

ミシェルは泣きそうな声で強請った。

「どうしたい?」
「そんな。今さら、止めるなんて」
「でも私にはポリシーがある」
「そんなの……」
「軍人を辞めるかね?」
「できません」

ミシェルが即答したのでマスタングは笑った。

「冗談だ」

マスタングはそう言ってミシェルの首に手を回して浅く口付けた。

「ひどいですよ。マスタング大将だって、止めるのは惜しいって思っていらっしゃいますよね?」
「君程じゃない」
「でも興奮してましたよね」
「でも立ってない」

マスタングの直接的な物言いにミシェルは眉根を寄せた。

「下品です」

マスタングは涼しい顔で「そうか?」と言って、今度はゆっくり深く口付けながら、ミシェルの服に手を掛けた。

ミシェルは、そうか、と気付いた。

この人は、雰囲気を良くする為に、あんなことを言ったんだ。

冷たくて敵に対しては容赦がないのに、女の人を乱暴に抱けない人なんだ。

「今朝は、すまなかったな」

マスタングはミシェルを愛撫しながら申し訳なさそうに謝罪した。表情は普段と余り変わりないけれど、目元が少し暗い。これから女を抱くようには見えない。

ミシェルは笑った。

「忘れてください」

マスタングは「うん」と頷いて優しくミシェルを抱いた。
続きを読む

鋼の錬金術師

マスタング大佐について考えてみたこと。

というか妄想。

マスタング大佐の過去について、私は漫画本編しか読んでいないので、ガイドブックやゲームなどの解説や説明と矛盾することがあれば、ご容赦ください。

というか、むしろ真実が知りたい。新たな妄想の肥やしにしたい。


ともあれ、以下妄想。



まずマスタング大佐のあの口調。

年寄り臭いよね。

そこで、マスタング大佐は実の父母を早くに亡くし、縁戚で子供の居なかった裕福な老翁に引き取られて育てられたのではないか、と考える。

マスタングの養父は妻を亡くし、歳の離れた後妻としてクリスを迎えていた。しかし前妻とも、そして後妻との間にも子供は居ない。そこで両親を亡くした幼いロイの話しを耳に入れて、快く引き受けることにした。

ロイは頭が良く、礼儀正しく、養父に可愛がられる。

ロイ坊、ロイ坊、と。

クリスはロイが良い子振っていることに気付いて、気さくで年が若いこともあり、養父よりは打ち解けてロイに接するようにしていた。ロイも養父と話す時は緊張したが、クリスとの時は心が休まった。

しかしその養父も長くは生きなかった。

ロイは14才で軍の士官学校に入り、寮生活を始める。しかし錬金術を本格的に修学するため士官学校を休学して、ホークアイ師匠に師事して焔の錬金術を覚え、焔の錬金術師となる。

士官学校に復学して、卒業後、軍で少し働いてから23才でイシュバールの戦場へ。


養母との関係が割と良好っぽかったので、家庭環境は良い感じだったろうと思う。

キレたら怖い感じになるけど、それは育ちというより、イシュバールで身に付いた怒りなのではないか。人殺しの目になる前は、修羅の世界とは縁遠いお坊ちゃんでいて欲しい。


以上が妄想(生い立ち編)である。
続きを読む

鋼の錬金術師/苦い契機(前編)

※妄想小説
※マスタング大佐とモブ
※女性に対して暴力を振るう表現があります
※約束の日から5年後




ロイ・マスタングは大きな欠伸をした。古びた執務机に朝から堆く積まれた書類にはまだ手を付けていない。いい陽気だな、と思って窓から覗く広い青空を見た。

開け放たれた窓からは麗らかな陽射しが入って爽やかな風が吹き込んでいる。

「仕事、今日くらいはいいんじゃないか」

仕事熱心で優秀な副官に睨まれるのを分かっていてそう言ったのだが、副官は静かに「でしたら私にも休暇をいただけますか」と答えた。

マスタングは、おや、と眉を動かした。

「どこかへ行くのかね?」

上官に向き直った彼の副官は毅然とした態度で気を付けの姿勢を取った。

「申し上げたくありません」

マスタングは副官の回答に、呆気に取られてしまった。生真面目な部下だと分かってはいたが、こんなことを言われたのは初めてだ。男女の仲では無いとはいえ、互いに知りたくないことまでなんでも知っているし、隠し事をする時間もなかったからだ。

『アレ』から5年が経ち、復興やら治安維持やらで忙しくはあるが、今では規則どおり以上の休暇を取得できている。

それに加えて大佐から大将に昇進したマスタングは、却って仕事が減っていた。

マスタングに暇が増えるということは、その副官の暇も増えるということだ。

プライベートの時間が増えた。

ついに俺に隠し事か?

マスタングは詰まらないような面白いような気持ちで副官を見た。

「ああ、話さなくていい。今のはただの世間話だ」

笑ってそう言ってやると、副官は目線だけ下げてから自分の仕事に戻った。

「本当に、休暇を取るか?」
「大将はどうされるんですか」
「急ぎの仕事も無いことだし、こんな良い日だ。警らがてら街を歩くのも悪くないな。君も休暇を取るなら、まとめて休暇届を出しておくが」
「お願い致します」

そう言うが早いか副官は身支度を始めた。

どうやら本当に自分の預かり知らぬところで何かしているらしい。

「私はこれにサインしてから帰るから、中尉は先に上がっていいよ」
「恐れ入ります」

副官はさっさと荷物をまとめて、一礼したら、直ぐに帰ってしまった。

「男でもできたか?」

その独り言は誰の耳にも届かなかった。

さて、仕事するかな。そう思って手に取ろうとした万年筆のキャップが、コン、と床に落ちてしまった。インクが漏れていたらしく、それで指が滑ったのだ。

仕事のし過ぎかね、と揶揄しても、諌める者は居ない。

マスタングは詰まらなそうな顔で机の下に転がった万年筆のキャップを探った。

何処だ?

確か音は、こっちの方に……。

見えるところに無いので、身を屈めた、その時。マスタングは、自分の許可を得ずに部屋に入った者が居たことに気付いた。

誰だ?

コソ泥か?

いや、こんな時間に堂々と?

侵入者の足音はどんどん近付いて来る。副官が部屋から出て行くのを見て、この部屋が留守になったと思ったにしても、これでは見付かった時に言い訳もできないだろう。

それは、どういうことだ。

言い訳が必要無い者?

例えば、誰だ?

例えば、アームストロング中将の手の者とか?

そう考えて、マスタングは、ふっと笑った。余りに平和な考えだからだ。命を奪われると思っていない、ちょっとした嫌がらせか何かだと決め付けている自分が情けなくも嬉しくも思えたからだ。

それは恐らく、相手にも言えることだ。

簡単に敵地に乗り込むとは。

知らぬでは通らない。

私の領土に浸入するとはどういうことか、思い知らせてやらねばなるまい。

お仕置きだ。

マスタングはこの日一番楽しそうな顔で笑った。




【苦い契機(前編)】




机の発火布を手にして、背中を見せる侵入者の背後を取り、足を掛けて押し倒して上に乗り、側頭部に手を置いて床に叩き付け、細い腕を足で抑え付けて、自害させないよう万年筆を口に差し入れたうえで、耳元で「お前は誰だ」と囁いた。

侵入者を組み伏せるのは簡単だった。

その余りの弱さにアームストロング中将の部下ではないと分かって、マスタングは少し喜んだ。冗談抜きの敵かもしれない。

しかしながら、これは弱い振りなのか?

腰が細い、力が無い。

何か隠し種があるとか?

錬金術師か?

しかしこの制服は確かに正式なうちの軍服だ。偽物とは思えない。軍にいる錬金術師はだいたい知っている。

新兵か?

いや、まだ新兵にもなっていない訓練兵か?

声を上げなかったことぐらいは褒めてやろうと思ったが、侵入者は叫び声を上げる余裕さえなかっただけだったとマスタングは後から気付いた。

「君は新兵かね?」

侵入者は何度も頷いた。

「誰に唆されたか知らないが、選りに選って私の執務室に入って来るとは度胸があるな。私の焔を見たことがあるのだろう?」

マスタングは侵入者の目の前で発火布の手袋を嵌めた指先を擦り合わせた。

「私は首謀者が誰かなどには興味が無い。君がなんと言うおと耳を貸さない。ただ焼くだけだ。苦しいと叫びたくても喉が焼けて声を出せない苦しみを、味わわせてやろう」

マスタングの膝の下で、侵入者が震えている。

本当に弱いだけか?

ビックリショーは無しなのか?

マスタングは「さようなら」と言ってから、パチン、と指を鳴らして発火布から火花を散らした。しかし焔は出ていない。錬成しなかったからだ。一見気弱そうな侵入者に、最後にもう一押し鎌をかけただけだ。

それでも全く微動だにしない侵入者の様子を見ようと、マスタングは侵入者の顔を覗き込んだ。

息を飲んだ。

言葉を失くした。

侵入者が泣いていたからだ。

そして失禁していることにも気付いてしまった。

おいおい、勘弁してくれよ、と内心で思った。侵入者を撃退した積もりが、これでは自分が新兵を虐待していることになっている。副官に見られでもしたらなんと言われるか。

マスタングは新兵の口から万年筆を抜いて、体を退かせた。

「名前を言いなさい」

それでも新兵は何も話さない。

「上官は誰だね?」

新兵は動揺したのか何やら声を発したが、それが何かマスタングには判然としなかった。

「腰が抜けたか」

マスタングは立ち上がろうとする、というより逃げ去ろうとする新兵に手を貸そうとしたが、当然それを拒否された。失禁したのを恥じているらしく顔が真っ赤だしマスタングを見ようともしない。

軍人たる者、とマスタングは思った。

敵に背を向けるな。

狼狽えるな。

戦意を失うな。

諦めず毅然として最期まで戦うべきだ。

例え失禁しようとも。

例え戦火に死のうとも。

マスタングは酷く情けない気持ちで新兵を見て、それからその情けない後姿がどうしようもなく愛しく感じた。守るべきものだと思えたからだ。

何故私は沢山の命をこの手に掛けたのか。

何故これからも、何人でもまだ殺す覚悟があるのか。

理由はきっと『コレ』だ。

マスタングは冷静になって新兵を見た。その冷静さが余計に恐怖を煽っていることにまでは気付いていない。

さて、どうしたものか。

焔で乾かしてやるか?

それも面白そうだ。

相手が鋼のかハーボックならば実際に荒っぽく焔で彼らの股座を乾かしてやっていただろうが、流石に今の状況で、冗談でもそんなことはできない。

「着替えを持って来るから、そこで待っていたまえ」

マスタングはそう言ったが、侵入者が失踪しても追う積もりはなかった。弱い者をいじめるような、そんな情けないことはできない。

飛び込んで来る弱者を痛め付けるのは楽しいが、弱者を追い回すのは趣味ではない。人には理解されないが、マスタングにはそういうポリシーがある。

やれやれ、仕方あるまい。

バケツに湯を入れて、タオルと雑巾を用意して、ロッカーにある軍服の替えを持った。

「何やってんスか?」

部下に声を掛けられても、「ちょっと」と言って立ち去るしかない。

武闘派で肉体労働もお手の物とは言え、今のマスタングは側から見れば雑用らしきことをしているようにしか見えない。ちょっと異様である。

何をやっているのだろうね、私は。

マスタングは溜め息をついて執務室に戻った。

「や、これは」

侵入者は正座していた。

軍服の上を脱いで、それで床を拭いたらしいことも分かった。

「申し訳ありませんでした。許してください」

侵入者は顔を真っ赤にして低く頭を垂れたままか細い声でそう言った。

マスタングは耳にした侵入者の言葉に、彼女が女性であることに初めて気が付いた。道理で力が無い訳だ。

これは。

本当に参ったな。

「これは着替えだ。男物だがね。湯とタオルもある」

マスタングは新兵に気を遣って着替えを少し遠くから放った。バケツとタオルはその場に置いて椅子に腰掛けて、くるりと壁の方に体を向けた。

「それで、名前ぐらいは言う気になったかね?」

マスタングが尋ねても新兵は何も話さない。

「まさか、私に尋問されたい訳でもあるまい?」

マスタングが振り返っても新兵はまだ着替えに手を付けていなかった。遠慮して当然だが、新兵は部屋を立ち去ろうとする様子も見せない。

マスタングは立ち上がって彼女を真っ直ぐ見下ろした。

「着替えないのかね?」

やはり何も答えない。

「私が手を貸そうか?」

そう言って新兵に近付くと、彼女は面白いぐらいに動揺した。

「いけません!」
「はい?」
「汚れます…」

は?

新兵は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに顔を俯かせた。

マスタングは言い返す言葉もなく、かつてはよくあったことを思い返していた。

若い頃はよくあった。頭脳明晰でいつも冷静でよく体が鍛えられていて常人離れして強い焔の錬金術師であり女性には優しく凛々しい顔付きだった若い頃のマスタングにはよくあったことだ。老いも若きもマスタングを見て頬を染めた。

もしかして。

いや、まさか。

「だったら自分の手で着替えたまえ。でなければ本当に私がやるぞ」

新兵は逡巡してから「はい」と答えた。

マスタングが新兵に背を向けると間も無くタオルを湯で濡らす音と衣擦れの音が聞こえた。漸く着替える気になったらしい。息を吐いてマスタングは発火布の手袋を机に置いた。

「それで、君は、まだ名前を言う積もりがないのかね」
「……ミシェル・パトリシアと申します。ランドール大佐の隊に属しています」

ランドール大佐の?

今のところマスタングは彼と友好的な関係である。

「ミシェル、いい名前じゃないか。それで、なんで私の執務室に入って来た?」

ミシェルは「間違えました」と消え入りそうな声で答えた。

「は?」

『間違えた』?

それは右に行こうとしていたけど誤って左に行ってしまうようなことを言っているのか?

「まさか、マスタング大将の執務室だとは思わず…本当に申し訳ありませんでした」
「どこと間違えた?」
「ペニントン少将の執務室です」

マスタングは顎に手を当ててペニントン少将の執務室の場所を思い返してみた。彼の執務室はこの建物の左右全く逆の位置にあり、しかも一つ下の階層だ。

『間違える』などということがあり得るか?

「少将に呼ばれていたのか?」
「はい」
「大遅刻じゃないか」
「はい」
「君は、自分で、何故間違えたと思う?」

ミシェルは目を左右に揺らした。そして何かを言おうとして口を開いたが、直ぐにまた閉ざした。

「ミシェル」

マスタングは優しく声を掛けた。

「命令せずとも、進んで話してくれると有り難いのだがね」

ミシェルは泣きたくなった。

その表情は、余りに優しくて、その声は、余りに近くて、その仕草は、余りに悠然として、余りに熱くて、余りに、憧れが強くて、夢にまで見た、好きで、好きで、触れるのも怖いくらいの、人だから。ミシェルは泣きたくなった。

「申し上げたくありません」

ミシェルはマスタングを見ずにそう言った。




つづきはmblg.tv
続きを読む

るろうに剣心/明日には(後編)

※妄想小説
※伝説の最期編の数日後設定
※剣心薫で、すれ違い

mblg.tvの続き




斎藤ならこんな時、言葉で伝えるのだろうか。

大切な人を失いたくない時。大切な人ができた時。大切な人の心を見失った時。大切な人に己の気持ちを刻み込みたい時。疑った時。妬んだ時。羨んだ時。恐れた時。伸ばした手が、震えていた時。

「一緒になろう」とか?

「俺には君が必要だ」とか?

『無論』、と聞こえた気がした。

一緒にいたいと思った人が真新しい髪飾りを付けていて、それは贈り物かと尋ねられて彼女は顔を赤くした。弥彦は彼女には『男』がいると言った。言われてみればそのとおり、彼女はここのところ頗る『機嫌がイイ』。

前はこんなことはなかった。

巴が穏やかに寄り添えば、俺は安息を得た。

巴が楽しそうに振る舞えば、俺は喜びを得た。

俺が苦しいと、巴は俺を癒してくれた。

俺が寂しいと、巴は慰めてくれた。

俺が笑う時、巴も笑った。

巴の感触を忘れた日、巴の幻影を失った日、それから俺は償う為に生きる振りをして現実から逃げてふらふら生きてきた。でも薫と出会ってから俺は変わった。

薫は。

薫は、違う。

薫は笑ったり怒ったりして明るくて広いところにいる。そこに俺を連れ込んで、俺が笑うのを待っている。

もし彼女がお節介で俺の過去に介入して何か言うようなら、或いは彼女が俺の過去に怯える様子がほんの少しでもあったなら、俺は薫から離れただろう。でも現実は違う。薫は俺を『緋村剣心』として受け入れてくれて、その上『人斬り抜刀斎』としての俺を憎みもせず恐れもせず接してくれる。

薫と居ると、とても安心する。

薫の居る道場が、ひと時の宿り木ではなく、帰るべき場所となりつつある。

だから、薫、君には近くに居て欲しい。

君のことは必ず守る。

君が近くに居てくれる限り、必ず守る。

まだ見ぬ未来の為に現在を破壊する時代は終わった。目の前にある現在を守る為に剣を振るえる。飛天御剣流の理に悖ることなく生きられる。

死にたがりの自分とは訣別しよう。

しかし、一方で、拭い去れない迷いもある。

新しい時代を生きる弱い者のために生きたい、その気持ちは欺瞞ではないか?

自分の為に生きたい、それが本音ではないか?

過ちをなかったことにして。

時代のせいにして。

もう終わりにしたい。

そんなこと、赦されない。

俺はいつか赦されるか?

そうは思わない。

薫、何か言ってくれないか。

俺の心に光をくれないか。

『私は流浪人の貴方に居て欲しい』

俺のことを“人斬り抜刀斎”と呼ばないのか?

『流浪人の貴方に……』

薫殿、もう一度言ってくれ。

もう一度。

もう一度だけ。

気配がしたので振り返ると薫殿が居た。板戸の隙間から顔だけ覗かせて、長い黒髪を首元で緩めに結んでいるのが見える。夕食の時に付けていた髪飾りはなくなっていた。

「あ、ごめんなさい。もう寝るところ?」
「いや、まだ起きているでござるよ」
「あのね、ちょっと、話したいことがあるの」
「うん。なんでござるか?」

薫殿は言い淀んでから「あした時間もらってもいい?」と答えた。

確かに薫殿は廊下に立ったままだし拙者は着物を畳んでいるしどこからともなく弥彦が竹刀を振るう殺気が漂っているしどうも落ち着いて話す雰囲気ではない。

「もちろんでござるよ」

薫殿は「よろしくね」と言ってすぐに顔を引っ込めた。

改まってなんの話しだろうか。

考えても仕方がない。

ひと気のないところで剣を振って、気を研ぎ澄まして、そうしてやっと正気を保つのがやっとの拙者は、巡る思考をどうにかやり過ごして漸く眠ることにした。




【明日には(後編)】




翌る日、出稽古のなかった薫殿は弥彦に稽古をつけて、それがひと段落ついてから拙者の前に顔を出した。道着ではない、着物姿だった。

そして、髪には、あの髪飾り。

「剣心、いい?」

遠慮がちに首を傾げる薫殿が、なんだかとても可愛く思えた。「うん」と頷く拙者の笑顔が本心からのものなのか作りものなのか自分でもわからない。

「お味噌を買いたいから、あの、話しはそのあとね」

そう言うと薫殿は買い物の用意の為に部屋の中にさっさと引っ込んでしまった。髪飾りがゆらゆら揺れた。足下の紅葉の葉が惨めに枯れてかさりと鳴った。

少し待ってから再び現れた薫殿と買い物をして、その帰り。「そこに座る?」と薫殿が指差した茶屋の腰掛けに二人で並んで座って、団子と茶を頼んで出してもらった。

薫殿との間にある微妙な距離を、こんな風にもどかしく思う日が来るとは思ってもみなかった。

「体の方はどう?」

薫殿は湯呑みを持って尋ねた。

「もう大丈夫でござるよ」

拙者が答えると薫殿は小さく「よかった」と呟いた。

思わせ振りだな、と思う。

「今日もお味噌持たせてるし、私、優しくないよね。ごめんなさい」
「何かあったでござるか?」
「本当に、剣心のことは心配なのよ。でも元気な剣心と言い合うのも楽しいから、つい忘れちゃうの。剣心が元気になって本当に良かった。弥彦だって、あの子はこういうこと口には出さないけど、同じこと思ってるわ」

薫殿の気持ちは、弥彦と同じものなのか、と聞きたくなった。

「心配かけてすまなかったと思ってるよ」

思わせ振りって訳でもないのか、と思う。

「その髪飾り、何処の店で買ったでござるか?」
「え?!」

薫殿が心底驚いた声を出したので自分の突飛な発言を自覚したが、引くと余計に目立つと思って更に「その髪飾りでござるよ」と髪飾りに触れてみた。

薫殿の顔がみるみる赤く染まった。

「これから寄れる場所にあれば…」
「女性向けのお店よ」
「うん、流石に拙者にもそれはわかるよ」
「誰かにあげるの?」
「あげたい人がいる」

薫殿は拙者を見た。

「へえ、あ、そうなんだ!」

薫殿はそう言って、茶を飲み干してから勢いよく立ち上がった。

「用事思い出しちゃった。ごめんなさい、話しはまた今度ね!」と言いながら既に歩き始めている。引き止める隙もなかった。

薫殿はちょっと変だ。

茶屋で薫殿の分もゆっくり団子を食べてから帰ると、薫殿は道着姿で弥彦と激しく言い合いながら稽古をしていた。拙者が帰っても気付いているのかいないのか、一目もくれない。

あれでは稽古と言うより喧嘩だ。

そのまま夕食の時間も、その後も、薫殿ははっきり拙者を見なかった。

「弥彦と、何かあったでござるか?」

拙者が尋ねると薫殿は驚いた様子で「なんで?」と答えた。

何かあった、と言っているようなものだ。

「話したくなければ良いが。道場から二人の声が聞こえたから…」
「ごめん。そんなに聞こえてた?」
「それなりに…」

薫殿は顔を真っ赤にして俯いた。

なんだ?

「あれは、だって…私も大人げなかったけどさ…」

なんのことだろう。

「せっかくもらったものなのに…」
「ああ」

またそれか。

髪飾りのことか。

大切そうにしていた、あれか。

「ごめんなさい」

薫殿の目には涙が浮かんでいた。

なんだ。事情はまるでわからない。薫殿が誰かに贈られた髪飾りのことで悲しんでいるらしいけど、優しく慰めてあげたいけど、その役割は拙者には務まらないだろうと思うと気持ちがちょっと冷めてしまう。

「失くしたのでござるか?」

薫殿は首を横に振った。

顔を拭くものでも持って来ようと拙者が立ち上がると、薫殿は「待って」と言って拙者を引き止めた。

「なんで行っちゃうの?」

それは、お前、卑怯じゃないか?

冷めたはずの感情があっという間に湧き立った。ああ、この女性を守ろうと誓ったんだ、と思った。その人が泣いていて、それがどんな理由であれ彼女を悲しませているのなら、拙者はこの人を置いて何処かへ行くことなどできなかった。

頼られたからじゃない。

縋られたからじゃない。

『行かないで』と引き止められたからじゃない。

守りたいからだ。

薫殿の笑顔と、薫殿が笑顔でいられる場所を守りたいからだ。

「何処へも行かない。一緒に居てくれると言ってくれたのは薫殿の方でごさろう」

我慢できる訳がない。

気付いたら薫殿を腕の中に迎えて抱き締めていた。

腕の中で薫殿は少し体を固くした。

「弥彦が来たら…」
「来ないよ」
「でも…」
「じゃあ、来てもいい」

薫殿はふっと笑った。

「なにそれ」

なんだろうな。自分でもわからないよ。師匠ならそれを「人の営み」と言うのかもしれない。

「髪飾りのこと、相手の男には素直に言えばいい」

大切なのはきっと心。

本当は、替わりのものを拙者が贈ってあげたい。

贈ったそれを大事そうにする薫殿を想像する。大事そうにして、時々頬を染めて、あとは、そう、その赤い顔でこれは自分で買ったのよ、と言ったりする。

なんで、こんな。

狂おしい。

好いたとか、惚れたとか、たぶんそういう気持ちとは違う。若い頃の拙者なら、それを愛と呼んで言葉にして伝えたかもしれない。

拙者は変わった。

時代が変わった以上に、人も変わった。

巴を喪って、漸く自分の罪の重さを思い知った。赦されたくて、誰かに赦しを乞いたくて、自己愛に満ちた贖罪の気持ちを抱えて流浪人となった。しかし3日が過ぎ、10日が過ぎ、季節が変わり、年を越して、誰も拙者を赦すことは無いのだということが真実となって突き付けられ、ぷつん、と糸が切れてしまった。

死ねばいい。

死んで償えばいい。

それでおあいこ。

『剣心…』

拙者の名前を呼んでくれるのは誰?

『剣さん!』

恵殿、まだ心配してくれるのか?

『緋村!』

操殿、拙者を仇と罵らないのか?

『剣心!』

弥彦、拙者を強いと言ってくれるか?

『剣心!』

左之助、もっと頼ってもいいか?

『私が出会ったのは人斬り抜刀斎じゃない!』

薫殿。

『剣心、おかえり』

薫殿。

ありがとう。ただいま。

巴を喪って、あの時に全てを悟ったように思ったけれど、そう思いたかったけれど、真実は違った。10年もの流浪の果てに償いの意味を知った。

きっと拙者は生き方を間違った。

でも間違って歩んだ道にも意味はあった。

終わらない。

けど始めることもできる。

それを教えてくれたのは、その切っ掛けを作ってくれたのは薫殿だ。

薫殿とずっと一緒に居ることの幸せを思うと自分の罪に押し潰されそうになるけれど、一方では薫殿に受け入れられる日々に安心している。

もしそれさえ失う日が来たら?

「剣心…!!」

薫殿?

「どうしたの、剣心。なんか変」
「変?」

ああ、どうして。

「剣心、髪飾りのこと、なんで?」

髪飾り。

失くなって良かった、って思わなかったか?

最低だ。

「人からの贈り物だったのだろう。それを失くして薫殿は落ち込んでいたのでござろう?」
「え!?」
「大丈夫、事情を全て話せば相手も怒りはせんよ」
「話しがよくわからないんだけど…」

薫殿が腕の中から離れて行った。

「さっき薫殿は『せっかくもらったものなのに』と言っていた」
「えーと、言ったけど」
「あの髪飾りのことだろう?」
「違うよ」

え?

薫殿は顔を真っ赤に染めている。

「弥彦と何かあったのは、あの新しい髪飾りのことではないのか?」

薫殿は真っ赤な顔で頷いた。

「あれは、弥彦が…」
「弥彦?」

あの勘のいい弥彦が何かするとは思えない。勘が良い為にちょっと正直にものを言い過ぎるのが難点だが。

「道場の、聞こえてたんじゃなかったの?」

喧嘩の声?

「言い合うのは聞こえたが、内容まではわからなかったでござるよ」

薫殿はますます顔を赤くして、首元から耳の先まで赤くして、拙者を見た。

「ずるい」
「え?」
「そんなのズルい!」
「おろ?」
「バカ! 剣心のバカ!!」
「おろ?」

薫殿が拙者を突き飛ばす勢いで胸に手を突いたので、慌ててそれを受け止めた。

「なんで信じないのよ…髪飾りは自分で買ったものだし失くしてない。女性らしくなりたくて自分で買ったのよ…」
「そうでござったか…」

だとするとどうなる?

「弥彦が、捨てちゃったのは…」

薫殿はちょっと潤んだ目を伏せた。

「……」

何?

いま何か言ったか?

「薫殿?」

薫殿はか細い声で「もみじ」と答えた。

もみじ?

なんだ。事情が全く掴めない。

「……剣心がくれた…もみじ…」

え、まさか。

そんな、まさか。

もみじ。

あの、もみじ?

「あの時のもみじ、まだ持っていてくれたんでござるか?」

薫殿は掴んだ手首まで熱くなるくらい真っ赤になって、拙者では制止できないくらいに暴れ始めた。

「おろ、薫殿、ちょっと、薫殿!」
「なによ!」
「落ち着いて…!」
「なんで私が男から髪飾りを贈ってもらってることになってて、しかも剣心が私を慰めるのよ!!!」
「す、すまない」
「なによ! バカ! バカ剣心!」
「薫殿、ご近所に聞こえる…」
「じゃあご近所に見えるように私を抱き締めないでよ!」

なんて反論を…。

確かに人目を憚らずにそんなことをしたこともあるな。

「もみじ、弥彦が捨てちゃったのよ…しかもあの子、『ゴミだと思った』って言ったのよ…」

それは、酷い。

「たしかに枯れて、枯れ葉みたいになって、でも、あれは剣心がくれた、『一番綺麗』なもみじだったのに…とっておいたのに…」

薫殿は、しまいにしくしく泣き始めてしまった。

拙者はそれを見て思わず笑った。

つまりはこうだ。

薫殿は拙者の拾ったもみじを大事にとっておいたのに弥彦にゴミと言われて捨てられたので喧嘩になった。髪飾りはそれとは無関係で、女性らしくなりたくて自分で買ったものだから恥ずかしくて色々聞かれるのを嫌がった。

これで笑わない男はいない。

「薫殿、ありがとう」

薫殿が落ち着いてから二人で縁側に座った。薫殿の肩に手を回すと、それを頼るように寄り掛かられたので嬉しくなった。

薫殿はまだ拗ねているらしく何も答えない。

「明日、髪飾りを買った店に連れて行ってくれないか」

薫殿は照れたような曖昧な声音で「明日?」と答えた。

「うん」

拙者が頷くと薫殿は覗き込むようにこちらを見上げた。腕の中なので距離がとても近いことに驚いたのは拙者だけらしい。

「ねえ、剣心」
「なんでござるか」
「昼に団子屋で髪飾りの店のこと聞いたじゃない?」
「うん」
「あの時、髪飾りを『あげたい人がいる』って言ってたのって、誰のこと?」

この娘は。

本気か?

「それは…」

決まっている。

そんなものは、そんなことは、当たり前のことなのに。

「それは?」と、薫殿は不安そうな顔をした。

なぜだろう。薫殿といると明日が楽しみに思える。不安が和らいで、臆病が姿を消して、明るくて楽しくて思わず想像して笑ってしまうような明日が来る。そう思う。

「明日には、わかったのに」

拙者が言うと薫殿は寂しそうに「そうだけど」と答えた。

とても大切な人だな、と思った。
続きを読む

るろうに剣心/明日には(前編)

※妄想小説
※伝説の最期編の数日後設定
※剣心薫で、すれ違い




夕飯の支度をあらかた終えると、道場の縁側で左之と弥彦が何やら話しているのに気付いた。こそこそと内緒話しをしているようである。

「なんの話しでござる?」
「おお! 剣心か!!」
「おろ?」

左之は楽しそうに歯を見せて笑って、「お嬢ちゃんの話しだぜ」と言った。

「薫殿の?」
「そうそう。いやな、ここんトコお嬢ちゃんがすっげェ機嫌がいいんだが、気付いてたか?」
「いつもと同じに見えたが…」

左之は弥彦に意味深な視線を送った。

弥彦の方はちょっと嫌そうな顔をしている。

「やめろよ。ぺらぺら言い触らすことじゃねーだろ」
「なにガキが大人ぶってんだよ!」

左之が弥彦の頬を抓ったので「左之!」と言って止めたが、左之は少しも懲りていない表情でまだ不敵に笑んでいる。

「なんで機嫌がいいんだろうなって、弥彦に聞いたらよ」

左之は弥彦を見て「なァ」と続きを促した。

弥彦は諦めたのか渋々口を開いた。

「だから、アレは、男だろ」

弥彦の簡潔な言葉に左之はとても楽しそうに大笑いした。薫殿がいたら道場を追い出されていそうな程の大笑いだ。近所に響き渡っていそうで拙者も少し恥ずかしい。

「薫が男?」

拙者が尋ねると、左之は右手の拳を突き出してから、小指を綺麗にぴんと立てた。

「何トボけてんだよ。薫が、じゃなくて、薫『の』、男だろォが!」

左之は続けて「あいつ、ガキだと思ってたらいつの間になァ」などと呟いて、それでも楽しそうだった。

薫殿に男がいてなぜ楽しい?

「心当たりがあったのか?」

こういうことについて左之は面白がるばかりで頼りにならない気がしたので、弥彦を向いて尋ねることにした。弥彦も承知しているのか左之には構わないようにしているらしい。

「なんとなくだよ」と、弥彦は言い難そうに答えてくれた。

『なんとなく』?

弥彦は目を逸らした。その顔が赤くなっているのに気付いて、弥彦の『なんとなく』にそれなりの根拠があることを知った。

何か見たのか?

俺には何もわからない。思い当たることがない。

不意に斎藤の言葉を思い出した。

『あの娘は大勢の若い男を相手にする仕事をしている』

『油断すると痛い目見るぞ』

記憶の中の斎藤は、煙草の煙をふかしながら、声もなくニヒルに笑った。そこには時尾殿がそっと寄り添っていた。

羨ましい、なんて。

おかしいな。

本当に、俺はどこかおかしいらしい。

薫には気持ちを伝えるようにしていたし、彼女も俺に応えてくれたと思ったけれど、それらはひょっとしたら自分の勝手な思い込みだったのではないか。俺みたいな血生臭い人斬りより、新時代を生きて活人剣を志す若者に惹かれるのは、至極当然のことではなかったか。

ずっと見えていたものが見えなくなった日。

顔を洗うと頬を撫でた、あのおとなしい手が消えた日。

巴を忘れた日。

俺は、あの日から、誰かから愛されたことが一度でもあったか?

否、俺は、巴にさえ……。

「ふふふ。なんとなく、でござるか?」

笑うしかなかった。生きたいから、望みを全て捨ててでも、もし自分の命が何かの役に立つならば、俺は生きたいから、だから笑った。いつもどおりを装おって、のんきな顔して笑った。




【明日には(前編)】




「なにしてるの?」

その声は薫殿のものだった。出稽古を終えたところらしく道着姿のままだ。

「薫。おかえり」

弥彦の言葉に、薫殿は「ただいま」と優しく答えた。

弥彦は渡りに船とばかりにさっと立ち上がってその場から離れた。どうやら剣術の稽古中に左之に無理矢理相手をさせられていたらしい。

「夕飯、もう準備はできているでござるよ」
「ホント? お腹空いてたから嬉しい」
「左之も食べるか?」

左之は「いらね」と短く答えた。

「珍しいわね。何かあるの?」

薫殿が尋ねると、左之は嬉しそうに笑った。

「珍しくもねェだろうが。もう食べてきてんだよ。喧嘩を売られてるんでな」
「あ、そういうこと」

左之は立ち上がってから「うーん」と唸って背伸びをした。それから軽く屈伸運動をすると「じゃあな!」と背中を向けたまま大きな声で言って外に出て行ってしまった。

騒がしかったのが嘘のように静かになった。

薫殿に、何か、言いたい。

そんな気がしたけど、言うべきことは何もなかった。

薫殿は「あー、お腹空いた」と言いながら立ち上がって、敷地の奥の方に入って行った。おそらく玄関から家に上がって着替えてくるのだろう。

「あ。食事の支度、しないと」

なぜか零れた独り言は、誰に向けたものでもなかった。

台所で食事の支度をしていると後ろに薫殿が立ったのが気配でわかった。衣擦れの音と、なんとも言えない落ち着かない気配だった。手伝ってくれるのかな、と思っていても声を掛けてくれる様子がないので、なるべく自然に振り返ってみた。

「…あ、なんか、手伝える?」

薫殿はやはり落ち着かない様子でそう言った。

「大丈夫でござるよ」

いま薫殿が隣に立ったら、きっと、抑えが、効かない。

拙者が笑うと薫殿は残念そうに「そう?」と言って、静かに隣の部屋に移って食卓に座ったようだった。

支度と言っても温めた味噌汁をお椀に取り分けるだけだったので、それを御盆に乗せて食卓に運ぶと、薫殿が『機嫌よさそう』に微笑んだ。拙者もつられて微笑んだ。

ああコレか。

コレじゃないか。

つくづく弥彦は勘がいい。

気付こうとしなかっただけで拙者も知っていたことだ。確かに薫殿はここのところ『機嫌がいい』。思い返せば、京都へ行く前からこうだったような気がする。

『機嫌がいい』のは、『男』がいるから。

相手は誰だ?

今日の出稽古先はどこだ?

様々な名前を思い浮かべては自分でそれを否定して、いつもの味噌汁を薫殿が「美味しい」と言うだけで、拙者にとっては刀で斬り付けられるより堪える。

なんだ、本当に、嫌になるくらい『機嫌がいい』。

「風呂を用意してくるよ」
「え? 剣心は、ご飯いいの?」
「後で食べるでござるよ」
「なんで。あ、ごめん、あたし、汗臭い?」

薫殿は腕の辺りを顔に寄せて、顔を赤くしてにおいを嗅いだ。

「一応、着替える時に手拭いでからだ拭いてきたんだけど、ごめんね!」

顔は更に真っ赤になった。

男が、女の汗に興奮することがあるのを、彼女は知らない。彼女の恥じらう姿が無性に愛しくて堪らなくなる拙者の気持ちを、彼女は知らない。

伝えたことがないからだ。

「ちょっと拭いてくる…」

薫殿が席を立とうとしたので拙者は思わずその腕を捕まえて引き止めた。

「大丈夫でござるよ」
「いい、拭いてくる」
「すまない。そういうつもりじゃなかった」
「自分でも気になってきちゃったから…」

薫殿は拙者の手を振り切って立ち上がった。

逃げられているみたいだ。

いや、『みたい』じゃない。逃げようとしているのだ。この手から。薫殿に拒否されるのはとても悲しい。人生全てを否定された気になる。

追い掛けて拙者も立ち上がった。

「薫」
「え?」

ああ駄目だ。駄目になる。

薫殿に手を伸ばそうとした時、物音がした。弥彦がいて拙者達を見て「飯できた?」と尋ねた。

「できているでござるよ」

薫殿はそのまま部屋を出て行った。

「わりぃ」

弥彦はそう小さく言って食卓に座った。弥彦が何に対して謝罪したのかはわからなくても、自分が変な空気を作っていたことの自覚はあったから申し訳ない気持ちになった。

「なあ、剣心。薫から聞いたか?」

勢いよくご飯を口の中へかき込みながら弥彦が言った。

何を?

『男』のことを?

「いや、なにも」と、拙者は答えた。

弥彦がそれから何も言おうとしないのでなんのことか聞こうとしたら、ちょうど薫殿が戻ってきた。弥彦はもう食べ終わったところらしかったけど、薫殿を見て席を立とうとはしなかった。

「あら、弥彦もう食べちゃったの?」
「ああ」
「せっかく作ってくれてるんだから味わって食べなさいよ」
「うるせー!」
「何よー、その口の利き方!」

薫殿が弥彦に掴みかかる勢いで詰め寄ったので、さすがに見ていられなかった。

「まあまあ、薫殿。ご飯が冷めるでござるよ」

薫殿は拙者を見て「剣心の為に言ってるのよ!」と言った。

「わかってる。気持ちは嬉しい」

拙者が笑うと薫殿も笑った。

「なあ、薫」

弥彦が声を掛けた。食卓に肘をついている姿は、剣士というより左之に似ていると思った。言うと嫌がられるから言わないが。

「なに?」
「その髪飾り、新しいよな」
「え、ああ、そうね」

髪飾り?

確かに薫殿はいつもの一つ結びにした髪を綺麗な飾り紐のようなもので結んでいた。先程から付いていたか、席を外してわざわざ付けたのか、思い返してもわからない。

「誰かからもらったのか?」

弥彦が尋ねると、薫殿は顔を赤くして言い淀んだ。

「なんだよ。隠すことじゃねーだろ」
「うるさいわねー」
「自分で買ったのか?」

薫はさらに顔を赤くした。

「そうよ」と言ったその顔が恥ずかし気に俯いて、俺は言葉にできない濁った感情に支配された。

我慢ならない。

耐え難い。

いや、俺にはそんなことを思う資格もない。

自分で買ってあんな表情をするだろうか。きっと誰かから贈られたものだ。俺よりずっと自由に外出したり仕事したりしているから俺の知らない付き合いもあるだろう。

贈り物。

誰からの?

「今度、燕にも買ってやろうかなー。店の場所教えろよな」

弥彦が言うと薫は「今度ね」と答えた。

誰から?

『男』だ。

それは誰だ?

それを知る権利が俺にはあるか?

薫がちらりと俺を見た。

俺はいつもみたいににこにこ笑っている自分が酷く滑稽で情けなくなった。



つづきはmblg.tv
続きを読む

るろうに剣心

※妄想
※原作と違う斎藤一
※原作と違う緋村剣心
※伝説の最期編ネタバレ(ネタバレ前に注意書き有り)




剣心は親しくなった女性に愛情を抱くタイプだと思うんですよ。これに対して志々雄さんは惚れちまった、というタイプだと思います。剣心は正義感が強くて激情家だけど、身内に対しては慎重で我慢強くてとても愛情深い。

剣心の薫に対する気持ちも燃えるような恋ではなくて、そんな愛情なのではないかな。

もし14歳で師匠と喧嘩別れしていなければ、美味しい酒の呑み方や女性との付き合い方も、師匠から教えてもらえたのかな、と思うのですが、実際は家出同然で師匠と別れて一人で不味い酒の味を覚えて行きずりみたいな形で巴と一緒になった。

薫との関係にちょっと怯えている剣心がいたらいいなあ。


薫は、絶対に守ってあげたい存在だ。思いもよらないことをして驚かされたり苛立たしく思ったりもするけど、彼女の笑顔を見るととても安心する。

またここへ戻ってきたい、と思う。

彼女に「おかえり」と言われると、胸の奥から何かが込み上げて、幸福感、みたいなものを、こんな俺でも感じられる。

俺が彼女を守るんだ。

薫の明るい笑顔とその温もりを、絶対に。

しかしそんなことが許されるだろうか?

汚れた俺に許されるだろうか?

逆刃刀でできるだろうか?

彼女は受け入れてくれるだろうか?



そこで人生の先輩、斎藤さんの登場ですよ。

以下、妄想。



よお、抜刀斎
おっと今は『緋村』だったな
辛気臭い顔で何を考えているんだ

おろ
斎藤

この世の不幸を一身に背負っている積もりか?
馬鹿馬鹿しい…

(どこかで聞いたセリフだな)
ははは、そうではごさらんよ

ならばどうした

相談に乗ってくれるのか?
なんだか気持ち悪いでごさるな…

ひどい言い様だな
志々雄真実が死んで俺は機嫌が良いんだ
次の仕事が始まるまではな
だからお前のチンケな悩みの相談ぐらい乗ってやってもいい
不幸自慢なら御免被るけどな

拙者をけなしているように聞こえるのだが…

けなしたくもなる
どうせ、あの道場娘のことだろう

!?

顔に書いてある
女のことで悩んでますってな

(顔に!? ってことではないか)
勘が良すぎて怖いでごさるよ…

実は高荷恵から聞いた
お前と道場娘が煮え切らないんで見ていてムカつくってな
お前も相変わらずスケコマシだな

す、すけこ…って失礼な

それで、どうなんだ
あの娘とくっつくのか?

えっ

くっつかないのか?
何か決めていることでもあるのか?
若い娘と同棲して食わしてもらっておいて男としての責任を取る用意も無いなんてな
いくらこの明治の御時世でもそれはお前いつか女に後ろからその逆刃刀でぐさっと…

わー!
話しを進めるな!

なんだ?
違うとでも言うのか?
お前がスケコマシじゃないって?

そう何度も言うな!
こんな市中で…

「あの女」のことでも考えているのか?

……

俺はお前の女関係のことなど全くもって興味はないが
見ていてムカつくってのは同感だ
どうせトリ頭にも同じことを言われているんだろう

左之は…
何も言ってこないでごさるよ…

ハッ
喧嘩の実力と同じで半端な野郎だ

左之は関係ないでござろう

怒るなよ
お前の態度が悪いって話しだ
どうするんだ
子供ができたら、などとぬかすなよ
まず、あの娘とはどこまでいってる?

どこって…

……

いや…気持ちは…その、一応、それなりに…伝えてはいるつもりで…拙者なりに…

……

いや…一応……

……

拙者だって一緒に暮らしている身で、その、このまま身勝手にまた流れるってつもりもないし…
責任、とまでは、言えないが…
薫殿の亡きご両親に顔向けできないような関係を続けるつもりは…

今のお前の状況を爛れてるって言うんだろうな

わー!!!

全く
いい年した男が赤くなるな

そんなこと…
だってまだ薫殿とは…

なんだ今夜にでも関係するって言い草だな

わー!!!

五月蝿い
刀程ではないがな、このサーベルだって人を殺せるぞ

すまない…
(冷たい…優しくても怖いけど…)

あの娘もいい年だしな、俺だってそれをどうこう言おうってんじゃない
ただ今のままが良くないってことは抜刀斎、お前だってわかっているんだろうが

うむ

で、『気持ちは伝えている』ってのは?

えっ…

ほら、言え
犬も食わんようなことを俺は吹聴しない
早く言え

(なんでそんなこと…)

赤くなるな
早く言え
お前に言うべきことがあるかどうかはそれから判断してやる

(もうすでに言いたい放題じゃないか…)
いや、だから…
別れ際に抱き締めたり…
あとは…二人で夜空を眺めたり…
最近は、ただいまと言ったり…

阿呆が

え?

そんなことでよくも言えたものだな
『気持ちは伝えている』?
『身勝手に流れるつもりはない』?
『両親に顔向けできない関係を続けるつもりはない』?
『責任を取る』?
冗談はよせよ
胸くそ悪くなる

そんな…

祝言を挙げるつもりがないなら言葉で言え
でなければ伝わらんし食い扶持にされてるって思われ兼ねない
男ならけじめをつけろ
『流れるつもりはない』と言ってあるのか?

それは、薫殿はきっとわかって…

絶対か?
絶対にと言い切れるか?

いや…

貴様も不安になったからそんな陰気な顔をしていたんだろう

それは、確かに
斎藤の言うとおりだよ…

じゃあどうするんだ

そんな…
いま急には決められない

本当に惨めったらしい男だな
女を不幸にするのが貴様の仕事か?
その刀のせいで性根まで腑抜けたか?
やはり「あの女」のことが忘れられないのか?

俺にも気持ちがある

ほう?

巴のことは、今は関係ない
俺は薫を薫として扱ってきたし、これからだってそうだ
薫殿に巴の姿を重ねたことは一度もない
お前に言うことではないが、誓ってそうだ
薫殿を女として見てないわけでもない
心の綺麗な、魅力的な女性だと思ってる
気持ちを伝えてきたつもりだというのも、お前にはわからないだろうが、二人にはわかることだってあるんだ
空気というか…
雰囲気が…

それが反論か?
そんな歯切れの悪い話しならするな

(言い返せない…)
お主は、どうしているんだ

俺達は会える時間が少ないからな
会う度に言っている
『愛してる』『お前は世界で一番素晴らしい女性だ』『ずっと一緒に居たい』ってな

!?
(聞かなきゃよかった…)

言わせておいてお前が赤くなるな
ずるい男だな

す、すまない…

お前は自分のプライドを守りたいのかもしれないが、娘に捨てられてからでは遅いんじゃないのか?
ましてあの娘は大勢の若い男を相手にする仕事をしている
油断すると痛い目見るぞ

(若い男を相手にって…誤解を招くような表現だが…実際、斎藤の言うとおりだ…)

どうしても恥ずかしいというのなら気付いた時に贈り物ぐらいしてやれ

贈り物?

髪飾りとか綺麗な花とかなんでもいいだろう
女はそういうのが好きだからな

なるほど…

じゃあな
仕事があるんでもう帰る

あ、ああ
かたじけない
なんだかお主を見直したでござるよ
意外だが、女にだらしない男が嫌いなのか?

違うな
他人の女のことなどどうでもいい
ただ貴様が嫌いなんだよ

ははは
今度は拙者が相談に乗るよ

ハッ
それで冗談のつもりか?

(斎藤は見かけに寄らず女性の心情に詳しいな…時尾殿との意思疎通の賜物かな…)
なるほど
贈り物、か



そして…

【伝説の最期編】※ネタバレ注意


薫殿…

ん?
(なに? もみじ?)

それが一番綺麗だ

???

……

……



ということだったらいいなあ、という妄想。
続きを読む

グッド・バイ(太宰治)

※グッド・バイの続きを妄想




田島が女と次々に手を切るのを見て、キヌ子の田島への印象は変わった。

田島は昔から女を侍らすのが好きな男で、鼻持ちならないと思うことが多かったが、その女達に田島が深く愛されているのを間近に見て、少しは彼女らの気持ちに同情が芽生えた。

田島には女を見る目がある。

最後の女などは中々いい女で、キヌ子は思わず「奥さんにしちまえば、いいのに」と言った程だった。

そして今日は、田島が今までの礼だ、と言ってキヌ子を食事に連れて来ていた。

キヌ子が余りに食べ過ぎるので、近頃は食事に誘うこともなく、闇屋にするみたいにさっと金だけ渡して別れることが多かった。

自分のしたことは闇屋と変わりないか、と田島は思った。

女達を騙した。

それもこんな意地汚い下品な女で。

「本当に好きなだけ食べるわよ」

キヌ子はメニューを見ながら店員に一通りの注文を済ませたうえで、そんなことを言った。まだ足りないらしい。

「いいとも」

田島は力なく答えた。

良くはないが、仕方ない。この女は史上最悪の女だが、愛人と別れる為には必要な女だったのだ。手切れ金を渡しても不満そうな顔をされた時、キヌ子が気の利いたことを言って、女が身を引いたということもあった。

「ふふん。女がみんな居なくなったんで、こんどは寂しいのかしら。自分勝手な男ね」

キヌ子は早速届いたカニ玉を口に放り込みながら言った。口の中のに黄色いものが見えている。

本当に下品な女だ。

「おれの気持ちは、お前にはわからないさ」

田島はキヌ子の言う通り、たしかに少し寂しさを感じていた。

女が居なくなったからではない。

自分の老いを実感させられたからだ。

「やあね、老けこんで」

キヌ子は、田島がちょうど気にかけていた弱いところを突いてきたので、さすがに田島は我慢ならなくなって声を荒げた。

「ひとは誰でも老ける!」

キヌ子はそれを聞いてからから笑った。

「だから貴方も老けたって言ったのよ」

キヌ子の鴉声が田島の弱った心に追い打ちをかけた。田島は「それはどうも」と嫌味に答えた。

いつもこうだ。キヌ子と会うと必ず厭な思いをする。仕事のこと以外では口をきくものかと思っても、けっきょく口車に乗せられて好き放題言われてキヌ子だけが笑っている。

見た目だけは、こんなに、良いのに。

田島は固く口を噤んで紹興酒を手酌で飲んだ。

「今日はお金はケチしないのに、言葉はケチなのね」
「好きに食べてかまわんから、頼むからこれ以上は何も言うな」

田島は酒をどんどん飲んで、直ぐに店員に同じものを注文することになった。ひとりで3合程は飲んだか。

キヌ子は田島を一瞥して大きな溜め息を吐いた。

「わたしは一応褒めたのよ」
「なんだって」

田島は、冗談は止せと目で訴えた。

口にしてキヌ子に言い返されるのが怖いので、はっきりとは伝えられないだけだ。若しくは、キヌ子が相手でなければこれは笑い話しであっただろう。

「闇屋をやっていた頃はいまよりうんと女に好かれていたじゃない。それに男にも好かれていたわ。あの頃にこんなこと頼まれていたら、わたしだって断ったわ」

キヌ子は口の中にピーマンと豚肉を見せながら言った。

田島は項垂れて「そうかい」と答えて、たしかに自分は老けたよ、とも思った。キヌ子の言い草は強ち間違いではない。むしろその通りの図星だから田島も余計に老け込んで見せるしかない。

キヌ子は店員が持ってきた紹興酒を受け取ると田島の杯に注いでやった。

落ち込む田島を可愛く思ったのだ。

「お前に言われるのでも、案外嬉しいもんだよ」
「ふふん。当たり前よ」

今度は田島がキヌ子の杯に紹興酒を注いだ。

田島は、馬鹿にしてやがる、と内心で思った。

今日で最後だ。おしまいだ。今日こそ言ってやる。この女にこそ言いたい言葉だった。他の女との別れなど小さな問題だ。だから腹を満たして、気持ちよくなってもらってから、言ってやる。

グッド・バイ。
続きを読む

トリック

※映画ラストステージのネタバレ含みます



山田はマジシャンだからトリックを見破って果敢に詐欺師や騙しに挑む。上田は時々全うな意見を言って山田を手助けるけれど、なんだか弱虫で間抜けな頭でっかちとして描かれている。

でもさ、上田さんはいつも山田を助けてくれる。
山田が罠にかかったり上田さんに置いて行かれたり逆恨みされたりとばっちり受けたり、とにかく危機的な状況に陥った時にはいつも上田さんが助けてくれる。馬鹿みたいなパワーで困難や壁を突破してくれる。
山田は知らずのうちにそんな上田さんを信頼しているはず。


ラストステージの時、上田さんは、後悔したと思うんだよね。いつもは上田さん、山田が死の恐怖を感じる前に助け出すのに、それができなかった。
死んだ、と思ったはず。
助けられなかった。助けたかった。と思ったはず。

だって上田さんは山田が自分を信頼していることを知っていただろうから。そんな自分を、上田さん自身も信じていただろうから。

超常現象なんて嘘だ。
トリックだ。
そう思っていたのに、その同士である山田は理屈も法理もないものの為にその気持ちだけで身を賭してしまった。

もし物理学では説明できないものがあるとしたら。
もし我々が魂を持つなら。
その魂は肉体の死すら超えるものなら。
もう、物理学なんて要らない。
お金も権威も要らない。
君だけが、欲しい。


なんてね。



山田はなー、なんかそんなにぐちゃぐちゃ考えてないと思う。本能の赴くまま。上田さんは一緒にいて疲れないしまあまあ面白いやつだぐらいに思っていそう。
ああ、でも子供の時から友達いなかっただろう山田にとって、変人とは言え上田さんが構ってくれることは感動的な出来事ではないだろうか。

なんで私に構うんだ。変なやつ。
なんで私以外の人と仲良くするんだ。裏切り者め。
上田さんって単純だなー。面白い。
でも上田さんが私のことなんて思ってるのかは分からない。なんでだろう。

好き?
好きなのかな。
誰が?
誰を?
好きなのかな。

私が死んで上田さんを助けるってのも悪くないなあ。理屈じゃないよ。助けられるんだから、助けるんだよ。私だけがその方法に辿り着いた。
上田さん、私のこと忘れないだろうか。
私が死んで、どんな顔するのかな。

まあいいや。

上田さん、足速いし助かるなら、まあいいや。


なんてね。
続きを読む

トリック

そういえば上田先生って上田次郎っていうくらいだから次男なんだろうなあ。理系至上主義なところは、実は文系の兄に対するコンプレックスだったりして。
山田を紹介する時は「中身はともかく見た目はまあまあだろう」とか微妙な自慢をかまして欲しい。

山田には、上田の兄が余りにまともであることに対して失礼で大袈裟な態度で驚嘆して欲しい。それで下世話な質問をして兄に初対面から引かれまくる。


という妄想。

トリック

上田先生のこと
山田のことを好きだと自覚していて、山田からも好かれていると思っている。山田は照れ屋で生娘で天邪鬼だから向こうから好きとか言われることはないだろうという認識がある。けじめを付けるなら自分からだろうなあと考えているが、このままの関係も悪くないと思っている。結婚したいと思ったこともあるが、今はどっちでもいい。お母さんと連絡取り合っていて、結婚は奈緒子さんの気持ち次第です、とか大真面目に話していそう。
山田が素直じゃないので面白くなく、時々いじめて楽しんでいる。マゾに見せ掛けたサディスト。
ラストステージの後、気持ちを表現することの大切さ(口で言ったり、文字で書いたり)を実感した。ついでにけじめを付けるのは自分であるべきで、山田の気持ちはもう分かり切っているのだから、山田になんと言われたって良い、と決意した。愛しています、宝はいらない、な状態。


巨乳で美人な天才マジシャンのこと
上田のことは好きではない、と思いたい。素直じゃない。上田から好かれているかもしれないと思ったり、そんなことあり得ないと思ったり、忙しい。理由は分からないけど何かあったら上田が助けてくれる気がしている。理由は分からない。



山田、俺と結婚するか。

そういえば上田さんって私が初めて会った時からずっと彼女居ませんよね。巨根過ぎてモテないんですね。へへへっ

はあ?

まあ、どうしてもって言うなら、私がお前を貰ってやらないこともない。その時は結婚費用は全部上田さんが出して、沢山の餃子と寿司を用意して誠意を表現してください。

何馬鹿なこと言ってるんだ。俺は暇じゃないんだ。帰る。

あっ。あ、冗談に決まってるじゃないですか!

冗談?

ぎょ、……寿司で手を打ちましょう。

YOU、寿司が食べたいのか。

え?

ふん、だったらそう言え。俺と暮らすなら少しは素直になれ。良い寿司屋を知っているから連れて行ってやるよ。

え、え?

最高の寿司屋だぞ。俺はそこで何人もの代議士と知り合いになった。中には大臣や首相や、或いはノーベル賞に最も近いと言われている…

ま、待ってください。本気じゃないでしょうね?

本気? 俺はいつでも本気だ。YOUこそ何故ベストを尽くさないんだ?

は、はあ?

まあいい。寿司を食って、婚姻届を書くぞ。

馬鹿言わないでください。婚姻届出したら結婚したことになっちゃいますよ。

寿司食ったら結婚するって言ったのは君の方だ。

ばんな、そかな。

それは俺の言葉だ。無断借用するなら結婚してからにしろ。

お、お前。そんなの要らん!

そういえば、お前、山田じゃなくなるな。

そうですよ。美人天才マジシャン山田奈緒子として名前が売れているから名前が変わるのは困ります。上田さんが山田になってください。

なんだ結構乗り気じゃないか。まあ、お母様には婿養子になっても良いとは伝えてあるがな。

え、お母さんに結婚のこと話してるんですか?

当たり前じゃないか。

なんで私より先に!

ん? 当たり前じゃないか。

酷いですよ。こんなのお断りします!

じゃあ寿司はいいのか。さいっこうの寿司だぞ。俺は一人でも行くぞ?

……

……


という妄想をした。

ナミ

前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2024年05月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アーカイブ