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笠木

湊さんの彼女は隣にいる俺よりも紘平たちの方が気になっているらしかった。紘平が選りに選って湊さんのような女に興味を持つ訳はないけれど、彼女が湊さんの彼女である以上はそれも仕方ないだろう。

俺もそうだったように。

「お前、中2?」

彼女は俺から話し掛けられるとは思っていなかったのか怪訝そうに一瞥した。

「そうですけど」

そしてその顔が美人の部類であることに気付いた。化粧っ気がなくて髪が短いから男っぽく感じるけどその目元も唇も鼻筋も美人のものだった。

男ならそこそこ男前だったに違いない。

「俺は高2。風紀で紘平とちょっとは仲良かったから言うけど、湊さんはそんなに紘平のタイプじゃないと思うよ」
「あー、そうですか」

だって真性のホモだし。

俺もだけど。

「心配だったんだろ?」
「べつに、」

女に興味ない俺が湊さんとその彼女には興味を持っている。それは彼女たちの短いスカートや大きい瞳が他の多くの女のように男に媚びるためにある訳ではないと明らかだからかもしれない。または態度や言葉遣いにそれが表れているからかも。

向こうは未だに疑わしい目付きだけれど。

「湊さんって可愛いから恋人いるだろうし、紘平もモテる方だし」

ホモだけど。

「あの。なんでそういうこと私に言うんですか」

知ってるからだよ。

湊さんが恋人同士だと言ったことをこの女は知らない。あんな風にあっさりカミングアウトすることは彼らにとっても特例らしい。

同性愛者の恋人同士だって言ってくれたらいいのに。俺は笑ったり蔑んだり、絶対にしないから。

「だって怒ってたろ」
「…あれは、約束してたのにすっぽかされたから、」
「『普通』あんなに怒らない」
「……」

吐露してしまえ。

「学年が違うのに随分仲が良いんだな」

そうしてくれたら中学2年の時の俺が望んだ言葉を、欲しかった言葉を、いまこの女に言ってやるから。正面から受け取ってやるから。

「…意味、分かんないですけど」

分かってるんだろ。

「俺は分かってる」

独占欲でぐずぐずの癖にいざとなったら躊躇する。温い思い遣りなら吐き捨てたいのに現実では作り笑いで歓迎する。

分かるから。聞こえるから。

「……」

半端な慰めや同情はしない。芯まで認めてやるから嘘のない本当のことや隠したくなかった自分のことを話そうぜ。変に同じ舞台に立つ必要なんかないって俺たちは知ってるから。

『お前はおかしくない』

だったら俺に男を紹介してくれよ。

『お前は悪くない』

口はいいけど目が責めてる。

『お前が好きになれる女の子もきっといるよ』

それで俺を『普通』にするのか。

『良いこともあるよ』

お前が明日、バイに目覚めるとか?

「紘平は湊さんのこと取ったりしないよ」

俺が言いきる前に彼女は立ち上がった。その勢いで椅子が少し音を立てて紘平たちが伺うようにこちらを見たけど、彼女はそんなこと眼中にないようだった。

意思の強そうな双眸は俺を見据えていた。

「男の癖にネチネチ回りくどいこと言ってんじゃねぇよ!」
「…あ」
「あたしらがレズってんのが面白いかよ! ぁあ!?」
「いや、」
「そっちこそ毎日科学室でコソコソ連れ弁かよ! だいたいこっちの心配してる場合か!? ぁあ!? 風紀委員長とあかり先輩がデキたらウジウジすんのてめぇの方じゃねぇのか!?」
「待て、」
「なんだよ!」

茫然としている紘平の隣で、湊さんは大きな瞳を瞬かせて首を傾げた。

「……」

俺がしたかったのはこんなことではない。

聞きたかったことは、言いたかったことは、こんなことではない。傷付けるつもりも煽るつもりもなかった。

「……あ、」

彼女にとっても、そうだっただろう。

グリーン

その瞳には闇が映っている。

「今日は?」

その慣れた言葉にルーセンは笑顔で答えた。無言のそれは良い知らせとも悪い知らせとも取れて俺は反応に困ってしまう。

「……」

昔はその上辺の笑顔も滅多に見られなかったから俺は十分むしろそれ以上に幸せを感じてしまうのだけど。

陰鬱で暗い男がこんな風に笑うなんて。

こんな風に、淫靡に、笑う。

そして勿論まさかその男と恋人染みた同棲をするなんて想像もできなかった。

「随分と意味深に笑うんですね」
「いつもそれ言うなと思って」
「それ?」
「『今日は』って」
「ああ、だって、え、聞かれるの嫌なの?」

ルーセンは目を細めた。

「聞くの嫌じゃないんですか?」

最近よく思う。

ルーセンと目を合わせて、彼に笑い掛けられて、その通った鼻梁と涼しい目元を見て、或は均整の取れた輪郭と幅広の口を見て、なんて色男なのだろうと。

「何も知らないよりはいいですよ…」

だってルーセンは知っている。俺がその笑顔に弱いことを。俺がその声に腰が砕けることを。俺を構成する物質を。俺が生きるのに必要な栄養素とその摂取方法を。俺が思考する時の化学反応を。

俺の全てを知っている。

俺だけが知らないのは嫌だ。

ルーセンは俺の顎から後頭部を右手で包んだ。笑みを深めて、低く囁いて、甘く触れて。

どうしよう。格好良い。

「あなたのそういうところ、好きですよ」
「……ありがとう」

君にとってどれだけ軽薄な告白だったとしてもその記憶だけでも馬鹿みたいに喜ぶよ。

「『今日は』、一緒にどこかへ行きましょう」
「仕事ないの?」
「はい」

君には凡庸な一日になるのだとしても小さな子どもみたいにはしゃいでしまいそうだよ。

「じゃあ、この間言ってた食器でも買いに行きますか」

俺の提案にキスで応えた。

俺のしてきたこととルーセンの経験してきたことは余りに違う。俺が父親に初めて反抗した頃、きっと彼は人を殺すことを覚えていた。俺が初めてキスをした頃、きっと彼は百の愛の言葉を知っていた。

違いを埋めることができないなら、何で2人の仲を繋いでいればいい?

俺たちにの間に赤い糸なんてない。

血生臭い鎖で雁字絡めにするとか。

俺の臓物で縛り付けるとか。

運命を開拓できるものはそれだけ大きな代償を要するのだとしても喜んで差し出すよ。君ともう少しだけ一緒にいられるなら、君がまだ俺に笑い掛けてくれるなら。

最近本当に、よく思う。

「どうした?」

俺が余程の時間見蕩れていたのかルーセンは訝しんでそう言った。

「見惚れてた」
「……」

どうしよう。

掛ける言葉も見付からないくらい、君が好き。

「出掛ける準備、しないとね」

君と離れる準備はできているんだけど、君とセックスする準備には時間がかかる。君に捨てられる覚悟はできているんだけど、君に好きだと言われると心臓が止まりそうになる。君にいつか忘れられることは理解できるんだけど、君に見詰められると混乱する。

ルーセンはもう一度優しくキスした。

そのまま彼に頭を擦り寄せるとあやすように撫でてくれる。大きな右手がゆっくり髪の中に潜っていって、その心地好さに瞼を閉じた。

「出掛けなくてもいいよ?」

そうやってこれまでも無数の人間を虜にしてきたに違いない。

俺が寂しい時、甘えたい時、悲しい時、一人になりたい時、嬉しい時、忘れたい時、ルーセンは全部分かってしまう。些細な変化も瑣末な感情の揺れも全部分かってしまう。

どうしよう。

狡い。

どうしよう。

好きだ。

どうしよう。どうしよう。

どうしよう。

「君といると落ち着かなくなる」

幸福感の次に必ず押し寄せるものがある。苦しいのか悲しいのかは分からないけれど、その孤独に似た気持ちで胸が痛くなる。

ルーセンは身体を離すと両手で俺の顔を包んだ。

目の前には美男子。綺麗な瞳は自信有り気に細められる。

俺の未熟な感情を吸い込んでいくようなその瞳の奥には、けれど踏み込み難い闇がある。相対する人間の闇。ルーセン自身の闇。野性の闇。人間の生み出した蝋燭も松明も拒絶する完全な闇。

「落ち着かないのは、」

けれど時々うっすらと見えるんだ。

「……」

月の光に照らされて、神聖に輝く道が。

「落ち着かないのは、私に惚れてるからですよ」

道の先にいる、彼が。

「本当にそうかも」

ルーセンには見えているらしい。月明かりに味方されて真っ直ぐに伸びる道が、俺と彼とを繋ぐのが。

俺たちの間には赤い糸なんてないから必死に追い掛けないときっと簡単に逸れてしまう。

或は血生臭い鎖や臓物で繋ごう。

ルーセンは笑った。

闇を湛えた瞳は微かな光も見逃さない。

エトー

今ソファーでパズルをやっているアキは見た目はただの小さな子どもで、初めて彼を見た時にも適格者だと俄には信じられなかった。ユーリがその小さな子どもを信頼して仕事に起用するのかどうかも疑わしかった。

「……」

ただのパズルに夢中な子ども。

私は能力はほとんど発動できないから本当のところ彼らのことは雲の上の人間のようにも思っていた。

ユーリはクロックスを使えるらしいけれど職業上の能力者は別物だ。中でも適格者などはもっと得体が知れないし、私たちのことなど簡単に殺してしまえる存在だと言われている。

例えばアキが命じればこの部屋は真空になってしまう。

そして私は死ぬ。

けれど目の前にいるのはただの子どもだった。

時間はもう夜になり窓の外は真っ暗だ。そろそろ寮に帰した方が良いかと思ってアキの肩を叩こうとした瞬間、バタバタと廊下が騒がしくなった。

「エトー」

アキは顔を上げると直ぐにその声がユーリのものだと気付いたらしい。扉が開かれたと同時にアキはそこにいる人間に駆け寄った。

ユーリは男に抱かれていた。

「こんばんは」
「…どうも。なあユーリ、ここはお前の部屋じゃないの?」
「ん〜?」

男はユーリに囁くと優しく口付けた。ユーリは相当酔っているらしいが悪い酔い方はしておらず気分の良さそうな顔をしている。

寝室は全く違う場所にあるが私に顔を見せるために態と客間に足を運ばせたのかもしれない。

「寝室はあちらですよ。こちらからどうぞ」

私が案内する間アキは呆然としていた。

教育に悪いだろうか。

「ラゼル、違う」
「何?」
「こっちにオモチャは無いよ」
「……」

ユーリはゆっくり男の顔を撫でた。

つまりそういうことをする道具のある部屋でそういうことをしようということらしい。男はユーリの綺麗な顔を見下ろしてうっとりと赤面した。

私はユーリの言葉を思い出す。

『こういうのはセックスじゃなくて、遊びって言うんだよ』

入れないし、入れさせない。

出しても抜いても遊びでしかない。

「申し訳ありません。こちらからどうぞ」

私は丁寧に彼らを案内した。その部屋に辿り着くと男は興奮を高めたようにまた深くユーリに口付けた。嫌な音が耳に付いて私は顔を逸らした。

「エトー」
「はい」
「お前も一緒に遊ぶ?」
「…いいえ。アキが来ていらっしゃるので」
「アキ?」

ユーリは男から下りるとこちらを見た。

開けたドレスを見ないようにして私は平静を装う。努めて冷静に笑みさえ浮かべて、それは仕事の時のそれ以上に徹底的に本心を頓隠して。

「客間にいらしてます。もうお帰りになる時間ですが、」
「早く言ってよ」

ユーリは不機嫌な声でそう言った。

ユーリのことは分からないことが多過ぎる。素養も能力も余りに違い過ぎて理解できない。向こうは私のことならほんの些細な機微まで感じ取ってしまうのに私の方は今聞こえる大きな溜め息の理由さえ分からない。

「申し訳ありません」

あなたに呆れられると泣きそうになる。

「……ラゼル、少しだけ一人で楽しんでいて」
「え、なんで」
「此処にある物は好きに使っていいから、貴方の身体の準備だってあるでしょう?」
「戻って来るんだよな?」
「勿論」

男はそれ以上は引き留めなかった。

静かな廊下にユーリの靴の音が響く。それは時間を刻むように正確で数論を愛するユーリらしくて、私は昔からいつもその音を追って生きてきた。

「……」

客間の扉を開くとまだアキはソファーで寛いでいた。

肘掛けに乗る脚は細い。

「イイことしてきたの?」

その声音は多少大人っぽくても声そのものの幼さは隠せない。適格者の強大な力が彼らをどれだけ試練に晒しているのだとしても不自然に成長の止まったその身体は私たちの知る摂理を軽々しく超越してしまうから空恐ろしい。

畏怖する。

このただの少年を、私みたいな平凡な人間は畏怖する。

「阿呆。来るなら事前に言いな」

ユーリは親しげに笑ってアキのいるソファーに腰掛けた。私の手渡した毛布を膝に掛けて、アキの頭をそっと撫でた。

「言っても忘れるでしょ」
「ユーリが忘れない。でしょう?」

私は笑って頷く。

「やっぱ忘れるのかよ」
「私にはそういうことは必要ないからね。エトーはそのためにいるの」

ユーリは私を置いて遠くへ向かう。

私はユーリを追って追い掛けて自分のできることを必死に探して提示する。それがユーリのスケジュール管理だけだとユーリが言うならそれは正しいのだろう。

正しい。

「……」

するとアキが起き上がってユーリの方へ手を伸ばした。青いその生地を触るのを止めようとして思い留まった。

私の仕事ではない。

「なんだ?」

ユーリは妖しく笑んでアキを見た。「エトーの前で、」と言いかけたのをアキは大袈裟に溜め息を吐いてみせてから遮る。

「ファスナー下ろして誘っても、気付かない男もいるって知ってる?」

ユーリはくすりと笑った。

「大きなお世話」

私は品のない自分を恥じたと同時にアキの言葉の意味を考えた。その『男』はアキのことなのか、ラゼルのことなのか、或は他の誰かのことなのか。

アキとユーリは楽しげに幾つか言葉を交わしながら玄関へ向かった。

「恭博さんは、また変な仕事してるみたいです」
「ああ、そう」
「……」
「悪いけど恭博さんとは最近仕事してないの。そもそも彼だって誇りを持って仕事してるんだから、私が色々言うのは間違っているしね」
「でも恭博さんはお金のために働いてるんだ」
「……君はまだ若いね」
「はい?」
「そんな気持ちは50年も働けば消える」
「……」
「私はギャンブルはするけど真っ当な仕事しかしない。恭博さんはギャンブルはしないけど堅気の仕事もしない。なんでか考えても分からないなら働くことね」

ユーリはにっこりと笑って手をひらひらと振った。扉に凭れて気怠げに、けれど顔は心底楽しげに。

アキは少し考える素振りを見せたけれどすぐに笑顔になった。

「年寄りぶるなよ。ユーリは綺麗だよ」

見当違いにも思える返答を、けれどユーリは喜んだ。

これからユーリがラゼルのところへ行って不健全な行為に耽っても私には咎められない。手を貸すことすらあるのに心ではそれを拒否している。

それをユーリは絶対に知っている。

「またおいで」

ユーリは最後にそれだけ言って扉を閉めた。

私は笑う。

結婚したら後悔してきっと直ぐに別れてしまうのに私はいつまでも結婚願望を持っている。ユーリが気まぐれに私を振り返るのを歓迎してそうでない時の嫉妬を箱の中に押し込めている。

適格者と平然と接するユーリは、けれどやはり私とは違う世界の人間なのかもしれない。

「ファスナー、気付けなくて申し訳ありませんでした」
「興味がなくて見ていなかったんでしょう」
「…いいえ」

嫉妬する自分が怖くて、見られなかっただけです。

ユーリは規則正しい音を立てて廊下を歩く。辿り着く部屋にはラゼルが待っているのにユーリは少しも乱れず歩く。

「面白くない男」

そうごく小さく呟いたユーリを私は無視した。

恭博

適格者が重宝されるのは希少だからだけではない。

圧倒的な力があるからだ。

絶対的な違いがあるからだ。

その日は大切な取引があったから俺も同席していた。向こうにも能力者がいて、『視た』ところ彼は多少火が使える程度だったので油断したのだと思う。

「サツです!」

その声は突然響いた。商談の大事なところは済んでいなかったのに事務長はあっという間に消えてしまった。その程度の対策は抜け目なく行っているのだろう。

彼らは巧妙に姿を暗ませて連絡を絶つ。それで終わりになった仕事は少なくないから知っている。

けれどそれは俺が部外者だからだ。

警察は分かっていない。

子どもは親のためなら命を捨てても功を立てる。身を削っても義理を立てる。小指を落としても絆を復する。血の繋がりを忘れても通した筋は刻み付けている。

彼らは情や仁義で結ばれる。

警察は分かっていない。

金や安っぽい取引に応じるような人間は組では信用に値せずいつでも切り捨てられる。重要な情報の保有は許されず顧みられることもない。

適格者だとか純潔だとかいうことは彼らの関係にとっては髪が長いか短いかくらいの意味しか為さない。

俺はだから憧れた。

隣のビルまで4メートル。今の高さから飛び込めば地面に叩き付けられる前に隣のビルのフロアに入れる。

失敗すれば死ぬ。

隣のビルの構造は分からないがあんなきな臭い場所で警察に補導される方が面倒だ。水面に飛び込むみたいに指先から壁に『入る』と、あっという間に隣のビルに辿り着いた。

不慣れだったから上手く『通過』できずに指先は酷いことになったけれど、俺は他の誰よりずっと簡単に車に乗り込む事務長を発見して追い付くことができた。

事務長は俺の腕を引っ張り車中に放り込んだ。

「どうやって来た?」
「企業秘密です」
「えらい度胸だな」

俺は彼が取り出したタバコにすかさず火を点けた。

「取引はどうなりますか」

事務長は長く煙を吐き出した。口からも鼻からも燻って堅気にない威圧感を助長する。

何かの能力みたいだ。

「もう無理だろうなあ。日向の奴らも逃げただろうが、」
「……」
「ああ、分かってる。きちっと金は出すからな。迷惑かけた詫びもまた入れる」
「……」
「飛田に運ばせるからちゃんと受け取るといい」

そしてまた煙を吐いた。

「警察は誰を見張ったんでしょうか」

俺の問いには答えず事務長は目を瞑る。子どもを置いて逃げ出した自分を思ってか、自己犠牲の上に親を助けた子どもを思ってか。

「その指はどうした?」

事務長はタバコを銜えたまま上着を脱いで派手なシャツが現れる。上着を預かると血が付着しているのに気付いた。

警官の血かもしれない。

「…ぶつけて、」
「スイマーも使えたのか?」
「……企業秘密だったんですけど」
「そういう組み合わせはよくあるのか?」

目が合った。

「俺は、普通じゃないので」

睨まれたと言った方が近い。よく見ると傷だらけの顔とその目付きはただ目が合うだけでは済まさない雰囲気がある。

「問題は誰を側に置くか、だ」
「……」

突然の話しの展開に俺は怪訝な顔をしたと思う。

タバコの火を揉み消した事務長は新しいタバコを出してそれを銜える。

「俺はお前をそこそこ気に入ってる」
「……」

俺は火を差し出した。

「嘘を吐かなければいいって姿勢は食えないが、それもお前の仕事なんだろう」
「……」
「それに、指をそうまでして生き抜こうって根性は悪くない」
「……」
「けどなあ、」

シートに身体を深く沈めたと思ったら彼はどこからか短刀を取り出した。繊細な桐の鞘から刃を抜くと目の前に翳す。

刃は滑らかに光る。

事務長の瞳も同様に。

「……」

距離が距離なので警戒を強めた俺の首筋を、けれど事務長は容易にその刃で撫でた。その動作は自然でやはり彼がそういう世界で生きてきたのだろうと思い知らされる。

「あいつらはどんなに馬鹿でも俺が認めたから置いてんだ。身内に責任転嫁しようって姿勢は良くねえなあ」

俺が疑ったから。

「……」

彼の短刀を持つ腕を切り落とそうと思えば簡単にできるのに俺はそうはしなかった。

「部下の不始末は親の責任でもある」
「……」
「野倉、止めろ」
「……」

車が止まった。

「俺のところで仕事できねえって言うなら構わねえよ」
「……」
「今ここで降りろ」

俺は力を抜いてシートに沈んだ。

「あんたになら殺されてもいいや」

首から顎が刃で撫でられる。

「殺ってやろうか」

しかしその言葉に反して事務長の左腕は微動だにしなかった。いっそ優しく声を出す。

「もう少しだけ、ここに置いてください」
「……」
「お願いします」

頭は下げられなかったけれど事務長は俺の言葉を黙って聞き入れてくれた。下げられた短刀は鞘に戻される。

「……」

車が再び発進した。

「上着、汚れていますよ」
「そうか」
「怪我はされていないんですか?」
「ああ」

事務長はそっと笑ってくれた。

絶対的な力を前に圧倒的な違いを感じさせずに気持ち一つで親子になった彼らが、俺には羨ましかった。

三谷

僕は嫉妬した。

自分だけのものだと思っていたアヤが選りに選ってリュウと親しげに話していた。好きとか嫌いとか況して付き合うということは分からないけれど、彼らが自分とアヤよりも親密な関係であることはなんとなく分かった。

「アヤと知り合いだったの?」

突然の問い掛けにリュウはゆっくり振り返った。感情の見えない瞳が僕を見据える。

僕も見返す。

「知ってるけど」
「もしかして、アヤのこと救ったのってリュウ?」
「ん?」
「久しぶりにアヤに会ったら前より元気そうだったから」
「……そうか」

鈍い反応。

リュウにとっては取るに足りないことなのか。

「何それ」

僕は小さく呟いた。

アヤを照らすのは僕でありたかった。光の粒の一つひとつを見て、それらが漏れなくアヤのために光るのを僕だけが知っていたのだから。

リュウはお茶を口に含んで視線を前に戻した。

興味ないみたいに。

「何って。アヤってお前の彼女なの?」
「はい?」
「心配するような関係じゃないよ」
「はぁ!? 心配してないよ!」
「してたでしょう」
「してない! 意味分かんない!」

別に、そういう意味じゃないのに。

リュウはトレーを持つと静かに立ち上がった。能力を使ったのかと思うくらいに音がなくて少し怯んだ。

「三谷ももう13か」

意味が分からない。

でも少しだけ分かったから苛立った。

「とにかくアヤと何があったか教えてよ」
「そうだねー」
「何」
「そうだねー」
「……」
「俺は、本当に聞きたかったら本人に聞くものだと思うけど」

分かってるよ。

子どもだから分かってないことも多いけど、そういう人間の道義は少しは分かるよ。

「ロスに似てきたんじゃないの」

分かってるけど聞いたんじゃん。

トレーを返してから俺を見たリュウとまた目が合った。食器を片付けていく音が耳に障るけれどリュウは全く気にしていないようだった。

「兄に向かってそんな風に言う?」

本当に似てきたよね。

ダリア

資料室は無機質だけれどこの暑さは自分が生きていることを忘れさせない。滲む汗が俺に生きることを全うさせる。

死すら終わりではないと突き付ける。

俺が求めたもの。

ここは掃き溜めだ。要らないものを寄せて集めただけの集積所。父がそうさせた。

チャップも例外ではない。

ここでやる訓練も武器の運搬も現実社会との接点ではないことくらい知っている。一つの作業でしかない。信念を持って仕事をしていたのはずっと昔のことだ。

糞みたいな仕事でもないよりは良い。

出来損ないにはそれで十分。

感情が欠落している一流の指揮官。仲間の死をも厭わない凶悪な戦闘員。人間的で善良な不眠症の爆弾マニア。成長の止まった潔癖の自殺志願者。美し過ぎて戦うことが許されない男。

かつてその功労が認められたことがあったとしても今では彼らは殺人鬼でしかない。

人殺しとテロリズムは違う。

破壊と革新は違う。

見張りを交替したチャップはこれから寝るらしい。へらりと笑って眠そうにも見えなかったが暑さもあるし神経も使って本当は疲れてもいるのだろう。

俺はチャップと別れると一人になれる資料室に向かった。そこは雑然として必要のない資料が積まれてある本当の集積所だ。

俺はその隅に座り込んだ。

床は直ぐに体温を吸収して纏わり付く。

首も背中も汗ばんでいるのが分かる。腕はべとついて頭には熱が篭っている。夏は冬より、この要塞が俺たちが腐乱するのを手薬煉引いて待っているのだと自覚させる。

生かして腐らす。

運転し始めたばかりの冷房の効果はまだなかった。稼動して唸る音だけが蒸す資料室を満たす。

俺はリュウの腐る姿を想像する。

涼しい色白の肌はどう変質してゆくのだろうか。救いようのないくらいに醜いだろうか。それでも尚俺を誘惑するのだろうか。

しかしそもそも俺にはリュウの肌触りがどうだったのか既に思い出せないのだった。

だから想像する。

考えても思い出そうとしても感触は薄れるばかりだから想像する。

俺はリュウの笑顔を想像する。

そっと細やかに美しく笑うのだろうか。明るく豪快に気持ちよく笑うだろうか。それはどれほど魅惑的だろうか。

見たことがないから想像する。

リュウの笑顔がこの腐敗を誘うだけだった要塞の何かを変化させた。チャップを安心させミツルを追い詰めチーフに執着させた。ただ一人の少年の笑顔が心を侵して離さない。

想像する。

焦がれて想像する。

暴虐から目を背けたことを悔恨させた。一度でも好意を持った人を殺してでも楽にしてやりたいと思わせた。自分の価値観から逆進する人間を認めて応援させた。望まないハッピーエンドを見たいと思わせた。唯一の生きがいだった虐殺を奪った人間を赦させた。

殺す以外の方法で連鎖を止めた。

その笑顔を想像する。

見えないところに渦巻く軋轢を掻き消して新たな感情を生んだ笑顔を、けれど俺は知らない。

光と呼ぶには余りに稚拙な言葉遣いで、歪んだ世界を真っ直ぐに貫く真実を射止めてくれる存在。創造と破壊を共に司る人間。

それは少年ではなくてもよかった。少年だから戸惑った。

欲情したわけではない。

欲したのはただそれが求めていた救いだったからだ。本能がリュウを求めたから思い違いをしそうになっただけだ。

彼が汚されないことを願う。

その不可侵が守られることを願う。

腐乱の温床を壊して別の世界に変えたその少年は俺が小さい頃に夢見た父の姿だった。

俺は想像する。

リュウの笑顔を。

出来損ないにも明るい末路があることを。

流れる汗に生きていることを実感しながら、想像する。
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