待望の週末だ。
水曜日に告白して翌日に返事を貰い、土曜日は予定があるとのことだったので日曜日に終にデートの約束をしたのだ。
本日は快晴。
待ちに待った日曜日である。
如何にもルーズで遅刻して来そうな野口だったが、思いの外、彼は時間通りに現れた。
「仁志。もう来てたの?」
野口はカジュアルだけれどシンプルで小綺麗な服装をしていた。細い縁の眼鏡と藍色のピアスが馬鹿で軽率な彼を知的に見せるのがなかなか面白い。
「今来たところだよ」
「そっか良かった」
野口はへらっと笑った。
「プランは特に無いんだが。飯は食ったか?」
「朝と兼ねて済ませちゃったわ。なんか食いたい?」
「いや。だったら買い物に付き合って欲しい」
野口は気軽に同意して、そんな風にデートは始まった。
本日の感想。
こいつ慣れてるな、ということ。
ちょっと休もうと入ったオシャレなカフェに野口はもう何度が来たことがある様だった。野口は俺が好きそうなコーヒーを幾つか挙げて選ばせた。
それで俺は気付いてしまった。俺は野口と友達に成りたい訳ではないということに。
これは決定的な事実だ。
野口が如何に遊び慣れているかは友達とさえ碌に遊ばない俺にでもはっきり分かる。それが友達と遊ぶのに慣れているのか女と遊ぶのに慣れているのかはよく分からないけど、その相手が男か女なのかは大いに問題になってくる。
「野口、彼女はいないのか」
「彼女?」
「大事なことだろう」
「大事っつうか。いや、彼女はいないけどさ。問題はそこじゃないっつうか、ね」
「問題?」
問題が有るのか。
何の問題が有ると言うんだ。
「怒ることないっしょ。目が怖いって」
野口は眼鏡を外して俺を見た。捨てられた子犬の目は潤んで憐れを誘う。きらきら光る瞳は彼が汚れていてもやはり純粋なものの様に輝いた。
「別に、怒ってないだろう。彼女がいなくて何が問題なのかと聞いただけだ」
「その前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「それはお前の言う『問題』と関係あるのか」
野口は下を向いて唸った。
「もー、突っかかんないでよ」
「突っかかってない」
「じゃあ聞きたいことあるんだけど。いい?」
「ああ」
野口は何か考えようとしたけど頭が付いて行かないのか深く考え込む様子はなく話しを切り出した。
「彼女のことなんで今になって聞いたの?」
「なんでだろうな」
「切っ掛けとかあるっしょ」
切っ掛け?
お前がデートに慣れていたからだ。
女にするみたいに、俺をエスコートしたからだ。
「言いたいことがあるのか」
俺は醜い感情を抱いていると知られないようにごまかした。野口はどうしても俺に『切っ掛け』を言わせたいらしかったけれど、俺はむしろ意地でも言いたくはなかった。
「逆に、仁志って彼女いる?」
「いない」
「いたことある?」
「それが野口にとっては大事なことなのか?」
「そうじゃなくてさ」
「なんだ」
「コレ、見てどう思う?」
音を立てて机に叩き置かれたのは野口の手だ。俺は黙ってそれを見下ろした。
「コレ、意味分かる?」
焦れたのか野口は手を俺の目の前に差し出した。手の甲を俺に向ける不自然な動作に、俺は漸く彼の言わんとすることが分かった。
「指輪……」
野口の指には指輪が嵌められていた。正確には、野口の左手の薬指にシルバーの幅が広めの指輪が嵌められていた。
「服とかアクセに興味ないのは分かってたけど、もしかしてコレの意味分かんない?」
左手の薬指に指輪。
「どういう意味だ」
「恋人います。結婚してます。婚約してます」
「そうじゃない。なんで今日それを付けて来たんだ」
彼女はいないと言ったのに。わざわざ見せ付ける様に指輪を付けるとは、どういう神経をしているのだろうか。
俺は思わず席を立っていた。
「でも言われるまで気付かなかったじゃん」
「そうだな」
「仁志って俺のことどう思ってんの?」
「どうって」
「だってこれじゃあバカみたいじゃん」
「何故そうなる」
「こういうの、『ないがしろ』って言うんじゃねーの」
お前は蔑ろの意味を知らない癖に、蔑ろの字を書けない癖に、どうして俺がお前に責められてるんだろうな。お前が俺を『蔑ろ』にしたことはあってもその逆は無い。決して。
なあ、違うか、野口。
「デートに誘ったのも、告白したのも、俺なのに、蔑ろにしているのは俺の方だって言うのか?」
野口は何に頭を悩ませているのか難しそうな顔をして、時々俺のことを見上げては視線を反らすことを繰り返している。
「そー言えば、ホワイトデー」
野口は独り言みたいに呟いた。
「なんで1日遅れたの」
「は?」
「指輪も気付かないしさ」
「なんだ、急に」
「今頃彼女いるかとか。なんか実際どーでもいいって感じじゃん」
「そんなことないだろう」
「なんか、別世界だわ」
それは、俺も思うよ。
でも、それがなんだ?
「例え別世界の人間でも、地球外の人間でも、俺はお前が好きだ」
「え」
「どの指に誰のどんな指輪を嵌めても良いが、俺以外の人間に『好き』って言ったら許さない」
「え」
「バレンタインだかクリスマスだか、俺はそんなのどうでも良い。でも新しい年に今年も宜しくって言って貰えないのは悲しい」
「必ず言うよ、おれ」
野口は身を乗り出して答えた。
俺は野口を真っ直ぐ見た。席に座り直して、野口の左手を取った。彼の薬指にある指輪を触ってみると思ったより軽い感触がした。
「俺の見た目が悪いのが、嫌か?」
俺が尋ねると野口は黙って首を振った。深海の色をしたピアスは光を受けてキラキラ輝いた。
「俺は流行りなんて分からないし、お前にとって普通じゃないと感じることも多々有るだろうな。でもそれは俺だって同じだ。野口のことを本当は宇宙人なんじゃないかってよく思うよ」
俺が冗談めかして言うと野口は少し戸惑った様子で困った様に笑った。
「なあ、その指輪は、そんなに大事なことなのか?」
俺たちにとって本当に大事なことは違うんじゃないか?
なあ、野口。
「ごめん、違った」
「大事なのは、今は互いに大切に思ってるってことだろう?」
「うん」
「何か『問題』あるか?」
「ない」
野口は破顔した。
「俺たち、同じとこもあるよ」
野口は嬉しそうに微笑みながら話し始めた。
「何処?」
「俺は宇宙人かもしれないし、お前も宇宙人かもしれないってとこ」
「なるほどな。そうかもな」
「あと、もう一つ」
「うん」
「俺以外の人間に好きって言ったら、絶対許さないから」
野口はにこにこ笑って言った。
野口は凄いなと思う。
人好きのする軽薄な笑顔の奥に秘められていたのは現実離れした残虐性だった。それは俺の本能を直に擽った。人を虜にして逃がさない強迫性の愛は完全に俺を捕捉した。そして俺はそれを歓待する。
野口は凄いなと思った。
曰く、“あの声でとかげ食らうか時鳥”。