紀勢主税(きせ・ちから)は自分の女に俺のことをよく話すらしい。その女に俺の方を好きになったとか俺の方がカッコイイとか言われても挫けずにまだ俺のことを話し続ける辺り、紀勢は只の馬鹿以上の馬鹿なのだろう。
「リョータくんって、頭いいんだ〜」
レイコは俺に指を絡ませながらそう言った。細い指の先に尖る長い爪は怖いぐらいに飾られていて、手首にはたくさんのアクセサリーが付いている。
これも元は紀勢の女だ。
「良くねえよ…」
一々否定するのも疲れる。レイコはその否定させることを次々に持ち掛けてくるから、同じ時間ならセックスするより話している方が疲れる程だった。
レイコは声を上げて楽しそうに笑った。
「チカラが言ってた通りだ〜」
「ァア?」
「リョータは男らしくてカッコイイって!」
俺とレイコのやり取りの何がどう『男らしくてカッコイイ』のかは全く理解できない。意味不明。
「で、アンタは何しに来たの」
俺の問い掛けに対してレイコは色っぽく笑んだ。妖艶に意味深に描かれた紅い弧は、きっと同じ手口で紀勢のことも喰らったのだろうと思った。
「…ナニしたい?」
レイコは派手に飾られた女の指を俺の指に絡ませた。それは蛇みたいに俺の身動きを奪う。
はい、思考放棄。
中身はともかく、レイコの容姿は俺のタイプの超ど真ん中なのだった。
「お前レイコと会ったんだっけ?」
紀勢は血塗れのシャツを脱いで俺の用意した服に着替えながら尋ねた。日焼けした背中は広くて逞しいのに、頭の中が腐乱している所為でそれを頼り甲斐があるとは思えないのが残念だ。
「誰だそれ」
俺がしらばっくれていることには間違いなく気付いていない紀勢は少し考える素振りを見せてから何か素晴らしいアイディアを閃いたかのように明るく答えた。
「胸がデカくて肌が白い女」
最低だった。
紀勢はオッパイ星人なので、外科手術でもして自分にオッパイを作れば最高なんだろうと思う。レイコのことも『胸がデカい』という認識しかしていないようだし。
しかし俺は少なからず安心した。
「あー、あの女」
「おぼえてる!?」
「ああ」
そして紀勢は不気味に照れて言い放った。
「俺、レイコに惚れちゃった」
『惚れた』だって?
俺は予想外の紀勢の言葉にかなり動揺した。安心からの動揺。安心からの驚愕。紀勢がどれだけアンラッキーの申し子で、どれだけ俺がその禍根に巻き添えを食っているとしても、紀勢が真剣に惚れたらしい女とヤってしまったとは言い出し難かった。
「惚れたって、」
ははっと苦笑いしながら言うと、紀勢は「今何してんのかな〜」と言いながら携帯で発信していた。
「あ、レイコ!?」
紀勢は暫くそれはもう嬉しそうに恐らくレイコと通話してから、惜しみつつそれを終えたのだった。
「お前、惚れたって、」
本気かよ。
そう言うより前に紀勢は「声もイイわ〜」と恍惚と呟いた。
「レイコ処女だと思う?」
「は」
「だったら俺もうレイコとケッコンするわ〜」
処女、は、有り得ない。
俺がヤったから。
つうかお前、まだヤってなかったの?
「聞いてみたら?」
「そうする!」
紀勢は即答した。それは俺への死の宣告だった。
俺はよく憶えている。
紀勢の初恋の文枝ちゃんと初めてヤった男は紀勢がボコって病院送りになった。中2にして淫乱に目覚めた文枝ちゃんと中1にして停学をキメた紀勢は俺の目にはお似合いに見えたけれど、文枝ちゃんはそれ以来紀勢を毛嫌いするようになった。
紀勢についての良くない陰口は文枝ちゃんが発信源だったと聞いたこともある。しかしながら紀勢は昔からそして今でも文枝ちゃんを悪く言うことを許さない。
紀勢の純情は真実だ。
惚れたと知る前とはいえ不味い女とヤってしまった。
「バージンだったらいいな!」
俺は軽薄に同意したけれど紀勢は全く疑うことはなく頷きながら照れたのか俯いた。
後でレイコに連絡しよう。
アノコトは秘密にしてもらおう。
そう思いながら笑顔で紀勢の肩を叩いて見せる。その白々しさは俺にしか分からないだろう。
紀勢は柄にもなくはにかんだ。
俺は自ら紀勢の純情を裏切ることは遂にできずに曖昧に笑って飲んで話して帰ってしまった。嘘を吐いて、正さなかった。
翌日、俺は鬼のような形相の紀勢に隣街まで追い掛け回された。
鬼の、正にそれ。
バイクで逃げ切れずに降りて走って、それでもあっという間に紀勢のゴツイ腕に捕まるとビルの谷間で徹底的に殴り倒され、大事にしていた歯を初めて折られて爪が2枚も割れるという憂き目に合った。
「てめぇ嘘じゃねぇぇぇかぁぁぁぁああああ!!」
紀勢の心からの叫び声を聞いて気付いた。
簡単なことだ。
分かっていたことだ。
嘘はいけない。
それがどんな些細なことでも、だ。
曰く、“悪の小なるを以て之れを為すこと勿れ”。