※twstBL
※イデア夢
※イデア×モブ寮生♂
※notイチャラブ
※イデアが経験豊富っぽい描写あります




イデアはボードゲーム部に所属している。ゲームをするためではない。ゲーム以外のことに時間を費やさないために。

イデアはボードゲーム部に所属してから暫くは部員とゲームをすることもあったが1か月もしないうちに誰ともゲームをしなくなった。イデアはゲームに負けるのが嫌いだけれど、負けっぱなしの人間はもっと嫌いだったからだ。

「イデアさんは、いま恋人いらっしゃいますか?」

いまイデアと将棋盤を挟んで話しかけてきた生徒はアズールという生徒だ。イデアが入部してから1年経ってやって来た。学年が一つ下で、タコの人魚だと言う。嘘ではないだろうがイデアはタコの姿のアズールを想像できない。

アズールは努力家で負けっぱなしを許さない負けず嫌いだ。アズールとボードゲームをするのは楽しい。アズールが入部してからはもっぱらアズールとゲームをしている。

アズールと話すのも嫌いではない。

でも今回の話題は嫌いだ。

「なんで? オタクに恋人がいるかどうか聞いてどんな商売するおつもりで?」

イデアは将棋の盤面から目を離さずそう答えた。

イデアは彼女がいるか、よく聞かれる。どうしてそんなことを聞きたがるのかまったく理解できない。彼女がいてもいなくても自分を笑うつもりなんだろう。だいたいオタクのそういう事情なんて聞いて気持ち悪くないのだろうか。

まさかアズールにそんなことを聞かれるとは。

イデアの攻撃的な返答にアズールは驚いた。怒らせるつもりはまったく無かった。実はイデアの言うとおりマドルの絡んだ話しなのでどうにか形勢を立て直したい。

「不躾でしたね、申し訳ありません」

アズールは眉尻を下げてイデアを見つめた。

人魚の涙には不思議な力があると言う。タコの涙にそんな効用があるとは聞いたことがなかったが、アズールの涙はイデアによく効く。

イデアはアズールの様子を疑いながらも、実際目の前でそんな顔をさせておくのも気が引けた。アズールは信用ならない。でもイデアにとっては数少ない気の置けない後輩だ。話しくらい聞いたっていい。

イデアは怠惰な人間が困っているのを見るのは愉快だが、努力家が困っているのを見ると放っておけない。ナイトレイブンカレッジでオルトと過ごすようになって自分のその傾向がより顕著になった自覚はある。

「いや、別に。……でもなんでそんなこと聞くの」

アズールは内心ほくそ笑んだ。

「イデアさんに興味を持っている方に頼まれまして。とってもかわいいオクタヴィネルの寮生です。それで、彼女は?」

イデアが動揺しているのを見てアズールは畳み掛けるのが良いだろうと踏んだ。直球勝負。ただし手の内すべてを明かすわけではない。

「えっ。あ、……それって」
「ご心配はわかります。何も相手がいないならすぐ付き合えってことではありません。ただひと言か、ふた言か、話せたらそれでいいと本人は言っています。いけませんか?」

イデアは「嘘だ」と思った。

でもそういう後輩がいるのは本当なんだろう。

イデアは迷った。いきなり直接会うのはちょっと怖いが、この部室の片隅でリバーシをやりながら話すくらいならかまわない。でも問題がある。イデアには先週まで交際していた先輩がいた。ボムフィオーレ寮生のシュルツという先輩で3か月ほどは付き合っていた。前触れなく別れたいと言われたのでイデアの方から別れたくないとすがったばかりだった。

イデアは一途な方だ。浮気はするのもされるのも絶対に許せない。

べつにシュルツのことを愛していたわけではないが理由もなく別れたいと言われたのはショックだった。シュルツも悲しそうに泣いていてとても別れたがっているようには見えなかった。

こんな状態でアズールの後輩と楽しくゲームしながらお話しするのはポリシーに反する。

もう別れているのだし浮気ではないのだけど。

「拙者なんかと会いたいなんて変わり者がいるのは有難い話しなんだけど、ちょっと今は時期が悪いと言うか……その子、少し待てないの?」

アズールは目を細めてにっこり笑った。

「もちろんです。都合が良くなったら必ずご連絡くださいね」
「は、はい」

その日の話しはそれで終わった。

再びその話しを持ちかけられたのは2週間ほど経ってからだ。アズールからの電話に出ると「会ってくださらないのですか」と切なそうに訴えられてイデアは参ってしまった。

イデアだって現状を打破したい気持ちはある。でもあれからシュルツにしつこく電話したが一向に折り返しがないままになっていたのだ。

アズールからの電話を切って、イデアは立ったり座ったりしながら考えた。また電話するか。いやいやこれまでも何回かけても出ないし返事もなかった。これ以上続けても明らかに迷惑行為だし警察に届け出されたら捕まる自信がある。今回のことに限らずイデアからは叩けばホコリが積もるほど出る。接近禁止命令が出てもおかしくない。

考えるうちに夜が明けていた。

これはもう次の手に出るしかない。イデアの不健康な色合いの口からは思わずため息が漏れた。

シュルツに直接会うほかない。

この選択肢はずいぶん前からイデアの頭にあったが選ばなくて済むならそうしたかったので目を背けていた。イデアは極度の対人嫌悪でアズールなどの親しい人以外と直接話す機会はとことん避けている。

イデアは再び大きいため息を吐いた。

意を決した。久しぶりに登校するのだ。靴下を履くのも久しぶりだ。イデアは寮内では裸足でいることが多い。

校内には驚くほど人がいた。

最悪だ。

光がまぶしい。

人が多すぎる。

珍しく生身の体で登校しているイデアは奇異の目にさらされながらそんなことをブツブツつぶやいていた。自分の授業に出るでもなくタブレットとドローンを駆使してようやくシュルツを見つけ出した頃にはちょうど昼休み前の授業が終わる時間になっていた。

我先に食堂へ向かおうとする生徒たちはドアの前に立つイデアに驚いた。青く燃える髪を初めて見る生徒も少なくない。それでも、見たことはなくても一目でわかる。

「イデア・シュラウドだ」

誰かが言った。

その声はイデアには届かなかった。イデアは人目を避けることも忘れて親の仇でも探すかのように生徒の一人ひとりを睨んでいる。姿勢悪く背を丸めて、目の下の隈はひどく目つきも悪い。

生徒はぎょっとしてイデアを見るが、余りの迫力にすぐ目を逸らして足早に去って行く。どうしたの、などと声を掛ける者はただの一人もいない。

ようやくシュルツが教室から出てきてイデアに目をとめた頃には生徒はほとんどいなくなっていた。

シュルツは大勢で騒ぐより少人数で静かに過ごしていたいタイプだった。シュルツ自身も物事にのめり込む性質があり、イデアがするゲームの話しにも理解を示して熱心に耳を傾けてくれた。そんなことがふと思い出されてイデアは余計に険しい顔をした。

シュルツはというと突然のことに口を開けたまま固まっていた。ポムフィオーレの寮長が見たらだらしないと怒るだろう。

イデアはシュルツの腕を掴んだ。

「フヒ、急に来て驚いた? もう僕とは話すことなんてなんにもないよね、うん知ってる。あと何回も電話かけちゃってすみませんね。着歴すごかったでしょキモすぎでしょ。でもそういうのわかってて付き合ってくれてたんじゃないの。まあいいけど。一応けじめ付けたいし。このままってのも気分悪いし。もう一度ちゃんと話したいんだけどそれも無理?」

シュルツはイデアの煌々と光る瞳に射すくめられた。

ひどい顔だ。綺麗な顔が台無しだ。ゲームで徹夜した翌る日でもここまでではなかったろうとシュルツは思った。

でもやっぱり綺麗だとも思った。

端正な顔立ちが憂いを帯びてこの世のものとは思えない色気を生んでいる。シュルツはこの近寄り難いほどの妖しい雰囲気をまとうイデアが自分を求めてくれるのが好きだった。

今だって嫌いではない。

むしろ好きだ。

シュルツはイデアが憎くなって別れたいと言ったのではない。イデアの愛が自分にないと思い知ったから別れたくなった。

シュルツは周りに誰もいないのを確認して口を開いた。

「無理じゃ、ないけど。あの、今からってこと?」

シュルツからの返事にイデアはその場で座り込みたいくらい安堵した。今まですっかり無視されていたので今日も無視されるかもしれないと覚悟していた。

「どっちでも。せめて電話かメッセージちょうだい」

イデアはすっかり目的を果たした気になっていた。

逃げることを許さないようにシュルツの腕を強く掴んでいた手をあっさり離してイデアが立ち去ろうとしたので、慌ててシュルツが引き止めた。

「今話したい!」

ちょうどシュルツが先程まで使っていた講義室を覗くと誰もいなかったので二人は電気もつけずに席についた。イデアが先に奥に座ったのでシュルツは一つ空けた隣に座った。昼休みということもあって唾を飲む音が聞こえるほど静かだ。

いざとなると言葉が見つからずイデアは黙り込んでいる。

「そういえば、これってまだGPS入ってるの?」

シュルツは携帯端末を出して冗談っぽくそう言った。付き合い始めたときアプリを入れられてイデアに位置情報が送信されるようにしたのだ。詳しいことはシュルツにはわからないが、別れ話をしたときにはそれどころではなく、アプリもそのままになっているのを思い出した。

「アヒ、あ、それ。消し、消します。ごめん」
「いやそれはべつに、いいんだけど」

実際はすでに位置情報は送信されないように設定が変えられている。別れたいと言って去ってしまった元交際相手の位置情報を理由もなく取得するほどイデアも悪趣味ではない。

イデアは机に置かれた携帯端末を見てから、シュルツに視線を移した。イデアのことを眺めていたシュルツと自然と目が合う。

シュルツはイデアの髪の毛先が赤っぽくなっていることに気づいた。

イデアの髪は燃えている。普段は真っ青だが、照れると桃色になるのがシュルツは好きだった。なんて美しいのだろうと思っていた。青から桃色へのグラデーションはイデアの黄金色の瞳と合わさると印象派の絵画の世界から出てきたみたいに非現実的なほど綺麗なのだ。

こういう赤っぽい色は見たことがない。

普段と違う部分があるのだろうか。体調が悪いとか。廊下にいたときにはまだ青かったはずだが。

「それで」とシュルツが言おうとしたとき、イデアが急に立ち上がった。

「ねえ」

イデアは表情の無い顔でシュルツを見下ろした。イデアの髪はみるみる赤くなっていく。

シュルツは本能的にこれは良くないことだと感じた。

「なんでいっこ空けて座るの?」
「え?」

イデアは一歩前に出てシュルツに触れるほど近寄った。近すぎてシュルツからはイデアの胸の辺りまでしか見えない。いつもより何トーンも低いイデアの声が上から降ってくる。

「僕のこと嫌いになった?」
「イデア君、髪が……」

赤くなった髪は荒々しく燃え上がっていた。

イデアは怒っているのだとシュルツは察した。

「髪? 話し逸らすなよ。僕と話すって言ったよね。僕の何が嫌いになったの。髪が燃えてて陰キャで引きこもりのオタクだからとか言うなよ。それわかってて付き合ったんだよね」

イデアの髪は勢いを増して燃料を得た炎のように燃え広がっている。普段は触れても熱くないイデアの髪だが、今は触れれば火傷しそうに思われた。

「隣に座ると緊張するから!」

シュルツは思わず大きな声を出してしまった。

「イデア君、あの。もちろんそういうのわかって付き合ったよ。席空けて座ったのはごめん。でも隣に座ったら付き合ってたときのこと思い出しちゃうから。それだけ……」

シュルツは恥ずかしさで顔を赤くした。反対に、視界に入るイデアの髪は少しずつしぼんで青っぽくなっている。

イデアはたまらず身を屈めてシュルツのうなじに手を添えた。シュルツの髪は柔らかくて指通りがよくて自分のものとはまるで違う。その柔らかな髪からはよく知っている香りがする。付き合っていた頃と何も変わらない。頬を赤くしたシュルツの様子は自分を嫌っているものとは到底思えなかった。

ほかに事情があるのかもしれない。

イデアにも心当たりはある。家のこと、将来のこと、オルトのこと、この燃える髪と呪われた血のこと。何もかも捨てて望んだ仕事に就いて好きな人とただ暮らしていくことはできない。

イデアは改めて自分はなんて面倒な男だろうと思った。そしてシュルツのことをどうしようもなく愛しいと感じた。シュルツはこんな変な自分を受け入れてくれた。

でもその彼が望むなら。

シュルツが別れたいと言うなら。

イデアはシュルツに触れながらだんだん別れの覚悟ができてきた。学校は人が多くてしんどかったけど会いにきてよかったと思った。

イデアの長い指で優しくくすぐられて、シュルツは耳まで赤くした。

せっかく離れて座ったのに。

シュルツは目を閉じた。イデアを制止する言葉をかけられないのは、彼の指が心地いいからだ。自分から別れたのにこんな風にイデアに触れてもらえることが嬉しい。

「どうしても別れるの?」

イデアが切ない声で尋ねた。

シュルツは立ち上がってイデアに抱きついた。

「はい」と言えばこの関係は本当に無くなってしまうだろう。イデアは自分と付き合っているあいだ、他に親しい人の気配をまったく感じさせなかった。イデアに友達がいないという以上に、彼自身が人付き合いを拒んでいるからだ。たぶん別れたら復縁の機会は完全に失われるだろう。

イデアとシュルツでは互いに才能のある分野も興味あることも生まれも育ちもまったく違う。そんな二人が学校を卒業して、この先の人生で接点を得る可能性は限りなく低い。

イデアの恋人であるというのはなんて心地いいのだろう。付き合っているあいだ彼には自分だけだという絶対の安心感があった。将来有望で魔導工学の分野では知らない人はいないほどだという。見目麗しく、時折育ちの良さを感じさせる。外出先で彼がフォーマルな服装で自分をエスコートしたときに集めた観衆の目のなんと甘美だったことか。

シュルツは葛藤した。イデアとの交際は終わりにしろと感情は訴えるが、打算的な自分は他の道を模索しようとする。

ああ、でも。

イデアは自分を大切に扱ってくれるだろうけど、決して愛してはくれないのだ。シュルツはそう思い知った日のことをはっきり覚えている。

その日は二人でシュルツの部屋のベッドに寝転がりながら、ファーストキスについて話していた。そこでイデアは彼の父に言われたという『アドバイス』を教えてくれた。

イデアがナイトレイブンカレッジに入学する前のこと。

イデアは小さい頃は恥ずかしがり屋で家族の前でもよく顔を赤くして、ほとんどの時間ピンクがかった髪色をしていた。髪が青くならないのは健康上の問題が原因ではと心配されたほどだが、成長するにつれ髪の色は青くなり、ときどき毛先が色を変える程度になった。そしてイデアの容貌の美しさはそんな小さい頃から際立っていた。

美しい容姿と控えめな性格の少年は一部の女性に好まれた。彼女たちはイデアが子どもだとわかって近づいてくる。

イデアが母の身長を超えた頃、父がわざわざ部屋へやって来てイデアに言って聞かせた。

「イデア、よく聞いて」
「なに」
「イデアはこれから先、女性とデートしたりすると思う」
「え?」
「気になる子ができて、もっと仲良くなりたいと思うのは当たり前のことだから」

イデアは市販のAIロボットを改造する手を止めて父を見た。ビックリして配線を傷つけてしまいそうだったからだ。

「気になるロボットは分解したくなるみたいなこと?」

イデアはジョークのつもりで言ったが父はまったく取り合わなかった。父はあくまで真剣な眼差しでイデアをじっと見ていた。イデアが変なジョークで真剣な話しを茶化すのはよくあることだった。

「これから女性とデートしたり、二人きりで会ったとき、手を握ってほしいとか、抱き締めてほしいとか、お願いされることがあると思う。もしかしたら、キスとか、それ以上のことも」
「セックスの話し?」
「違う」

父の余りの気迫にイデアはようやく観念した。手袋を外して作業台に置き、父と向き合った。

「イデア。よく聞いて。女性を傷つけてはいけない。女性はイデアのことを好きになって、なんでもしてくれると言うかもしれない。でもね、イデアが同じようになんでもしたいと思えないうちは、決して女性の好意に甘えちゃいけない」

イデアは父の気迫に押されて「はい」と答えた。

「僕のことそんなに好きになる人はいないと思うけど」

イデアは手遊びしてそう呟いた。

「いるよ」

父は優しく答えてくれた。

イデアは家族に愛されている自信がある。イデアの知能が高いことを敬遠しないで、仕事のことも隠さず話してくれる。父や母が近くにいてくれるとき、イデアは自分が全能の神になったような、全宇宙に存在を肯定されているような気持ちになれる。『作品』をガラクタと思われて廃棄されたことは何度もあるが、両親に好奇心を否定されたことは人生においてたった一度だけしかない。

父に甘えて優しい言葉を強請ったようで、イデアは恥ずかしくなり毛先を少しピンクにした。

「お父さんが子どもの頃はよく怒って髪を真っ赤にしてた。すごく怒りっぽくて周りを怖がらせてた。イデアの髪はいつも優しい色をしてる。イデアが好きになった女性に、同じように好かれるように、これからも優しいままだといいんだけど」

父はイデアの髪を見ながら言った。

「それはよくわかんないけど。女性には優しくしろってこと?」
「違う」
「ぇえ?」
「一生のうち、一人の女性にだけ優しくすればいいということだ。イデアが愛して、キスして、セックスしたいという女性は、ただ一人だけにしなさいという話しだ」

イデアは得心した。

最近女性から手紙をもらうことがある。同い年くらいの女の子のいる家族を招待してお茶会のようなものを開くので、気に入られると手紙が届くのだ。どこで会ったかまったく思い出せない人からも届く。イデアはそれに返事をしたことはないが、女の子の印象がどうだったかは家族によく聞かれた。

これは忠告だ。

好意を向けられても手を出すなと。

「わかった」
「ほんとうに?」
「女の子とのキスはちゃんと大切にとっておく。僕が一生ずっと一緒にいたくて、なんでもしてあげたくなるような女の子のために」

イデアが大真面目に答えたので父はかえって驚いた。それでも笑わずに「そうそう。そういうこと」と言って、部屋を出て行った。

イデアはそのことを今でも心に留めている。だから未だに女性とキスしたことはない。もちろん手をつないだりハグしたりもない。これから先、心から愛して、自分も愛されたいと思ったときの、そのたった一人のために取ってある。

シュルツはそれを聞いて唖然とした。

イデアとはキスもしたしセックスもしたというのに、イデアに面と向かって「ファーストキスはまだ」と言われたのだ。返す言葉が見つからなかった。

イデアにとって自分は、『愛』の外側にいるのだと思い知った。

たぶんこれから先もそうだろう。

イデアと付き合う前、自分が彼とこんな関係になるとは思いもしなかった。それにイデアがこれほど愛情深いとは。別れ話のために学校に来たイデアに別れたくないと言い寄られたなんて、おそらく友人やクラスメイトは信じないだろう。自分でも信じられない。イデアは少なからず自分のことを好きでいてくれた。

でもダメだ。

イデアは自分を愛さないと知ってしまった。

何かいい方法があるかもしれない。たとえばイデアに近づく女を一人残らず排除すれば、自分は事実上イデアの一番になれる。いっそ自分の体を女性にする魔法薬を飲んでしまうとか。イデアがもっともっと離れ難くなるように、もっと美しく、もっともっと自分を磨くとか。

そんな考えがどうしても頭をもたげる。

でもダメだ。

シュルツは自分の心の内にある奮励の精神を恨んだ。こんなときまで頑張ろうとしなくていい。

シュルツはイデアにくっ付けていた体を離して「うん。別れたい」と改めて伝えた。

イデアはそれを聞いて完全に諦めがついた。諦めることには慣れている。教室から出て行くとき最後に振り返ったシュルツを見て、本当に好きだと思った。でも諦めることにした。そうするしかない。

イデアの人生は諦めの連続だ。

この燃える髪。嘆きの島。魔導工学のこと。人間とのコミュニケーション。オルトのこと。

本当に憂鬱になる。

イデアは静まりかえった教室でタブレットを机に置いた。そしてアズールにメッセージを送る。

「いろいろ片付いたんで時間つくれるようになりました」

アズールからすぐに返信が届いた。イデアはその返信の速さに、よほどマドルになる案件なのだろうかと思えて笑った。こういうところもアズールは付き合いやすくていいとイデアは思っている。アズールの思想は一貫していてわかりやすい。

イデアは僕に会いたいなんていったいどんな子なのかな、と思いながらアズールにまた返信した。

諦めることには慣れている。

だからせめて自分が楽しいと思えることに時間を費やす。

イデアは遠くで活気を取り戻しつつある楽しげな笑い声を聞いて、背中を丸めて教室を出た。

イグニハイドに戻る途中、タブレットのメモ帳を開いて、教科書に書いてあった小さなコラムからオルトの新しい換装パーツのアイデアを得たことをイデアは思い出した。シュルツに別れたいと言われてすっかりそのままにしていた。帰ったら何時間か寝て、そのアイデアを固めよう。

きらきら光る太陽を青く燃える髪に反射させ、イデアはひとり、フヒヒと笑った。