私は悲しい。
何が悲しいか。
まずは画像をご覧ください。
ええ。明星チャルメラのパッケージです。
おわかりになりますでしょうか。
はい。屋台がなくなっているのです。
屋台、とは、木でできた、おじさんが引いて歩く、あの昔ながらの、2輪の、ヤカンがぶら下がった、「当り屋」と看板が下がった、薬味箱とか箸入れとかが見える、棚にどんぶりが重なって乗ったのも見える、コンパクトな作りの、あの懐かしい屋台ですよ。
あの画像が、今回のパッケージに載っていないのです。
おじさんが、ただ立っている姿、傍らに黒猫がいるだけで立っているだけのデザインになっているのです。
私は昔から懸念してました。
昔はおじさん、雪駄を履いていて、ズボンに当て布の縫い目があり、帽子も古いデザインで、おじさん、無精髭を生やした、哀愁を漂わせた、ほっておけない姿だった。
つい、「おじさん、熱いの一杯。今日は寒いっすよねー」とか言いながら寄りたくなる姿だった。
これが最近はどうか。
おじさん、スニーカーを履き、無精髭を剃り、小綺麗になり、帽子にはちょっとボサはあるものの、全体的に明るく若くなってしまった。
これは、デザインがリニューアルのたびに少しずつ変わってきたものだった。
で、とうとうここまで来てしまった。
屋台を載せないところまで来てしまった。
さらにパッケージのチャルメラの文字が縦書きになった。
縦だから和風でいい、というわけではない。横書きでチャルメラの音が流れるような文字配置がかえって懐かしく良かったのだ。
はー・・明星さん。私は悲しいよ。
食品衛生上、引く屋台は好ましくないという批判があるのは想像できる。「今どき屋台?」とか「屋台のラーメンって、今あるの?」とか「屋台のラーメンって現代社会で通用してるの」とか、明星社内でも「今どきの方々は屋台に清潔感を持たないのでは」という若手の意見があることも想像できる。
しかし、ではチャルメラおじさんはどこで中華そば、ラーメンを作るのだろうか。
お店なのかどこなのか。
チャルメラ、という食品には、どういう経緯でチャルメララッパの名称がついたのか。
言うまでもなく、屋台を引き歩く際に、民家の中にいる人とか外を歩いている人とかに「今、中華そばを出す屋台が外を歩いてますよ」と知らしめるためにチャルメララッパを吹いていたのです。
で、チャルメララッパの音、イコール中華そば屋台が来てる、おいしいラーメンが来てる、と無意識につながるくらいになっているのです。
この歴史、文化の大切さ。
屋台がパッケージから消えたことにより、歴史、背景と結びつかない流れになっている。
そしてチャルメラ文化はこれからの人の知識にも入らない流れとなるのです。
一度消した屋台を再びパッケージに入れるのは難しい。
どうして屋台を消したのか。
明星さん、私は悲しいよ。