昔の風習

ジャンボ餃子の三皿分盛り合わせですが、いかがですか。
いや、今は食べてませんよ。ダイエットする前に食べたものです。
餃子は三皿以上でなければ食べた気がしません。そんなダイエット前の思い出。



さて、今日、帰り道、暗い雨の中、交差点の横、田んぼ道の中で警察車輌、いわゆるパトカーが、信号無視の車輌の取り締まりの張り込みをしているのを見たんですけどね。

ほんと、見つけにくいところで絶妙な隠れ具合でひっそりと停車しているんですよ。


あの交差点は、坂道の下にあり、さらに信号が青から赤に変わるのが早く、スピードが乗った車が黄色信号を突破しやすい箇所なんですよ。


もちろん私は、そうした箇所、死角で、人の心理に油断が生じる場所での取り締まりに文句をつけるつもりはありません。
安全のための取り締まりは、あり得ること。


今回、この出来事を記事に書いたのは、こうした取り締まりについて、私が最近出会った出来事を思い出したからなんですよ。



そう。その日は私も所用があり、目的地に到達するまでそう時間がなかったんです。
で、急いでいた。
車を飛ばしていたんです。よく晴れた日でした。

そしたら、あるところで、すれ違う対抗車にパッシングをされたんですね。
パッシングとは、もちろんライトをパパッ、と瞬間的に光らせる行為のことです。


私は一瞬、私の車輌のライトの消し忘れか、私の運転、何か変なことをしているか、あるいは知り合いなのか、とか思ったのですが、いずれも違うと思われて。


で、もしかして?、あっ、そうか、と思ったのです。


その対抗車は、警察のスピード取り締まり、通称ネズミ取りがこの先で行われていることを、パッシングで知らせてくれていたのです。


思えば、こうした親切な行為に出会ったのは久しぶりでした。

私が子どものころ、私の父親の車に乗っていたころには、よくやられていた親切行為です。

見ず知らずの車のドライバーどうしが、互いに助け合う、何か仲間意識みたいな、友情みたいな、頼もしい、ホッと心が温まる、楽しく、ありがたくなる、なんと言っていいのか、「人間っていいな」とまんが日本昔ばなしのエンディング曲を口ずさみたくなる行為。

こうした行為が昔には、日常茶飯事にあったものです。

そうした、古きよき時代の行為、昔の父親の車に乗っていたころの懐かしい気持ちとかを、その親切なパッシングに遭遇して思い出したことがあったのです。


それを今日の取り締まりで、ふと思い出し、「古きよき時代の、昔の風習って、いいものがあったな」と思ったことでした。




話は変わりますが、そう言えば、昔の風習で今思い出したんですけど、昔、そう、今から30年以上前には、正月になると、多くの車、田舎ではほとんどの車が、車の真正面にみかんが付いたしめ縄を付けていたんですよ。
皆さん、覚えてらっしゃいますか。

今ではまったくない風景、風習。

でも、あの時代って、ほんと古きよき時代だったなぁ、と今しみじみ思ったりするのです。

そんなボスの回想でした。

見えない誰かにいさめられたこと

先日旅先でこんなお弁当を出されましたが、ご飯はすべて残しました。
農家の方、ごめんなさい。


じつはあと1カ月で十キロ体重を落とさないといけないのです。

来月、東京で私の命の恩人のドクターにお会いすることになっているのです。
ドクターにはこの6月に、「心してダイエットいたします」と約束をしているのです。

あれから数ヵ月。
体重は落ちず、私は今日から、いや、今日の晩から、抹茶ロールケーキを食べてから、ほ ん と の ほ ん と う に 、ダイエットをするつもりでいたのです。

今日は朝から、焼き鳥の缶詰めしか食べていないのです。
で、さっき豚汁を、キャベツ、豚肉、シイタケ、ゴボウだけの豚汁を食べて。
で、決別のつもりで、昨日近所付き合いで近所のお茶屋さんでやむを得ず買ってしまっていた抹茶ロールケーキを食べて、明日からほんとうに完璧なダイエットをしようと思っていたのです。


じつは、この抹茶ロールケーキを食べる前に、「ほんとに食べていいのか。○○先生との約束はどうしたんだ。」とか自問自答したのです。

でも、やっぱり「これを食べて、区切りよくあとバッチリ1カ月完璧なダイエットをしよう。」と思い、ロールケーキをにスティックを入れてしまいました。

で、4分の1ずつ食べていきました。
で、半分食べ、残りのロールを食べようとしたその時です。


コロン…


ほんとに、コロン…、という感じで、ロールケーキがひとりでに床に転がったのです。

それは、ほんと、誰かが指で払ったように、ひとりでに床に転がっていきました。


!……



私はぼうぜんとし、誰が転がしたのかと思い出そうとしました。

でも、自分以外に転がす人はいません。


いや、おかしい。

でも、自分しかいようはずがないのです。


○○先生だ…


もしくは私のなくなった父親だ。



私は深く反省し、ほんとの本気であと1カ月、ちゃんとダイエットを成し遂げようと思いました。

あけび

さあさあ皆さん、あけびだよー。
おいしいおいしいあけびだよー。
  ヽ( ´∀`)/♪


ということで、あけび、召し上がれ。



あけびって、もしかしたら都会で育った方はご存知ないかもしれませんね。

この実の中に、トロッとした甘い部分があって、それがいっぱいの種を包んでいて、種はかじると苦いので、かじらないようにして半透明の部分をいただくのですが、この半透明のトロッとした部分がほんとやさしい甘さでおいしいのです。

こどもの頃には、秋、といえばあけび取り、でした。
よく深山に分け入り木に登ったりして取ったものです。

山に入ると、山や木々の香りがして、ホッとしたものです。

で、力がみなぎって。大自然の力が付くというか。ほんと、元気になる。

深い山に入るのは、これもまたいいものです。



で、あけび、真ん中の甘い実をいただいたら、皮も無駄にしません。

皮は苦いのですが、秋の苦み。

私は玉ねぎやナスと炒めていただきます。

最初に、フライパンにサラダ油、刻んだニンニクを入れ、低温から温めていき、じっくり油にニンニクの香りをつけます。

油にニンニクの香りが移ったら、玉ねぎ、ナスなどを炒め、縦に細くスライスしたあけびの皮も炒めます。

味付けは、味噌、テンメンジャン、豆板醤、ハチミツ、これらを酒で溶いたもの。味見しながら塩もパラパラと振ってもいいでしょう。

これを、ニンニク油で炒めた玉ねぎ、ナス、あけびの皮の中に、ジュワーーーッと、ほんとジュワーーーッと入れて、味を絡め焼き付けたら、これがまた、ほんとにおいしい♪のです。


ごちそうしたいです。


若い頃の箸が転がってもおかしかった気持ちを取り戻すことは可能か

白玉あんみつですけど、よろしければ黒蜜をかけて、いかがですか。



さて、標題の「若い頃の箸が転がってもおかしかった気持ちを取り戻すことは可能か」ということなのですが。

ここ数年、私はいつも、「なんでこう、いつしか物事を楽しむことができなくなったのだろう」と思うようになっているんですね。

昔にはまさに、箸が転がってもおかしかった、という時代がありましたよ。

世の中に何の心配なことがなく、何か困ったことがあっても「なんとかなるよ」と楽観的に構えることができた時代が。


でもいつしかそうした時代は終わり、というかなくなって、今ではいつも、何か先行きに楽しさとか開放感とかすっきりした気持ちを持てなくなってしまっているんですね。

いつも気持ちに暗雲が立ちこめて、気分が晴れない。そういうふうになってしまっている。


思うにこれは、職場でのストレス、煮え湯みたいなものを飲んだりしてきたことによるトラウマ、そうしたものが、またいつ起こるかわからないという不安、死にはしないが心臓がバクつくような焦る事態とかがいつ起こるかわからないという心配とかが、かなり強固なものとなって頭の中にいつも存在していることが大きい、というか、そのせいだと私は思っている。


人は、食べていくためには自分の時間、労働力、思考等を売って、ストレスを我慢して耐えなければならないのはわかる。

苦痛により金銭を得、楽がある。わかる。


でも、そうした苦労で得る金銭以上のものよりも、時に私は、いや人は、大事なものをなくしているような気もするのです。


楽しく仕事ができ、生き生きとやる気があり、労働できる人は幸せです。


でも、私のように、何か自己の枠ギリギリの負荷をいつも抱えるような人は大変です。


箸が転がってもおかしかった時代を取り戻すことは可能か。
そうした気持ちを取り戻すことは可能なのか。

取り戻せればすばらしいことだろうな。楽しいだろうなぁ。取り戻したい。取り戻したいなぁ…

どうすれば取り戻せるだろう。


いつもしょっちゅう、そんなことを考えている私なのです。


ロトはギャンブルではなく頭脳ゲームだ

ロト、予想でなんでここまで近づくことができるのか不思議ではある。

偶然当たった、近づいた、というなら別だが、予想してこんなに雰囲気を近づけることができるのは不思議だ。


ロトの抽選の球はウレタンで、よく撹拌され抽出される。

出玉はてんでバラバラ、「傾向」とか「強い数字」とか、あり得ようがない。乱数みたいな結果となるはずだ。


けれども、ロト、ずっと抽選結果を見続けてくると、ほんと不思議なことに気づくのです。


これは、みずほ銀行の作為なのか、はたまたロトにかける人間の欲望のサイコキネシスがなせるわざなのか、とにかくファジーではあるがぼやっとした出玉の法則があるのです。

その法則は私がつかんでいるものとしては複数あり、それらは時々思いついたように顔をあらわすのです。


例えば、10回前に2と4が出たとする。

4回前に1と5と8が出たとする。

そうすると、たまに、たまーに、3と6と9、つまり上記2つに記載されていなかった一桁の残りの大分部の数字がセットで出たりするのです。

そして次回には残りのひとつ、7が出て笑わせてくれたりする。

ほんと義理難い。

というか、作為的。人間くさい、いたずらのような出玉をとることがあるのです。

こうした法則がロトの出玉には縦横に複数走っているのです。

私はこうしたさまざまな法則を当てはめて、いずれロト1等必ず当てさせていただきます。
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