深夜のお寿司

深夜0時を回りました。

アロマ珈琲別館のボスです。

今晩のメニューはお寿司です。

並寿司ですが、よろしければいかがですか。



ところで、お寿司と言えば、ランクを表す用語と申しますか表現に、特上・上・中・並、のほか、松・竹・梅というのがありますが、後者のランク上で、どれが上に該当するかおわかりですか。

じつは私も最近知ったのですが、私は以前から、この場合、松、竹、梅の順、つまり松が上、竹が中、梅が並だと思っていたのですが、これがまた、お寿司屋さんによっては逆の場合があるんですよ。

つまり梅が上、竹は中、松が並の場合がある、と。


お寿司屋さんのメニューがあれば、今度、それぞれのお寿司屋さんでじっくりご覧ください。
(特上、上、中、並と表記するお店もあるでしょうけど・・)


お寿司と言えば、更に、お寿司のランク事件(※名称はイメージ)というのがありまして、裁判になったものがあるのですが、ある酔っ払った方がお寿司屋さんで「寿司」と注文したらお寿司屋さんで上寿司を握ったが、客は「俺は並寿司をもらいたかったんだ」と怒り訴訟したもの。

訴訟する金と暇があったら上寿司のお金を払った方がいいと思うのですが、それは世の中いろいろな方がいらっしゃる。裁判になったんですって。

判決は確か、お寿司屋さんの負けとなったと記憶してます。「こうした場合は、中程度が妥当だ」という主旨だったと思う。


雑談でした。

あのー・・今日の晩ごはんはシチューでもいいですか。

あのー・・今日の晩ごはんはシチューでもいいですか。
クリームシチュー。

そう、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、豚の角肉やミルクが入ったあれ。


いいかなぁ・・

おきらいでないかなぁ。


たまに、「シチューって、ミルクくさくてきらいなんだよね・・」という声を聞くものですから。

いいかなぁ・・


ところで、最近、シチューのコマーシャルで、ご飯にかけるシチュー「シチューオンライス」が発売されたというのがありますけど、あれってあえてそうしたネーミングの商品開発、必要だったのかなぁ。

私には、「おにぎらず」の発想、ネーミングみたいな気がするんですよね。
おにぎらず、って、巷で、何かの漫画で、おにぎりを握らないで作る、というのを、発明のごとく宣伝したものだと思う。

おにぎりをにぎらないで作るなんて、おにぎりに対する手指の細菌増殖が騒がれるずっと以前からありましたよね。

世の中には、他人の手が触れた食べ物や、素人の他人が作ったりしたものを食べられないとおっしゃる方々がいらっしゃいますよ。私もそうですが。

それを「おにぎらず」と、発明のごとく宣伝する発想。「おにぎりをにぎらないで作るのは私が創始者」、みたいな。


話がずれましたが、そうした発想が、ハウスのご飯にかけるシチュー「シチューオンライス」という商品から感じるのです。

確かに、会社では、ご飯にかけることを想定した工夫はかなりあるでしょう。

でも、私からすればこのネーミングは疑問。私個人からすればの話。

だって、シチューって、単独で召し上がる方って少ないのではないかと思うから。

私はシチューって、生まれてこの方、必ずご飯にかけてますから。

世の中の多くの方は、ライスとともにいただいているんじゃないでしょうか。

パンでいただく方もいらっしゃるでしょうけと。

でも、シチューはカレーと同様、ライスにかけていただく方は大部分だと私個人では思うんですよね。

私がなぜ、これにこうこだわるのかと申せば、上記の理由から、他社、例えばSB社などはシチューをご飯にかけることを想定していないというイメージが持たれるのではないかと思うから。

フェアでない。

そして他社は類似するネーミングをつけられない。やむにやまれず類似するネーミングをつけた商品を発売すれば、「真似しんぼ」だと評価される。

この「シチューオンライス」というネーミングは、ご飯と食べるとすればこのシチューなんだ、と消費者をSBなどの他社排斥に持っていこうとするネーミングに思えるから。まさにおにぎらず、みたいな。

ちなみに、私はシチューはハウス派ですよ。ハウスのシチューに不満はありません。


ご飯にかけるシチュー「シチューオンライス」とあえてネーミングして商品販売するのって、皆さんはどう思われますか。

ほんとうに太らない食べ物

画像は味噌野菜チャーシュー麺、ギョーザセット。
あなたと半分ずついただきたかったです。



さて。

私はほんとうにやらなければならない。
体重減少。ダイエット。


じつはここに、ほんとうに太らない食べ物があるのです。
何だと思われますか。


それは、こんにゃく。

落語で「こんにゃくって、毎日怖がっているんだって。なぜって、毎日皆が“今夜喰う、こんにゃくう”って言うから」と言うのがありましたが、これは余談でしたが、とにかく、夜はこんにゃくがダイエットの強い味方になるのです。

ただ、こんにゃくは飽きるので問題。
味のレパートリーで何とかなる問題ではない。
でも、私はこんにゃく、食べ続けなければならない。
こんにゃくはコンビニにも置いているし。

コンビニと申せば、私は買い物、なるべくスーパーでなくコンビニで買うようにしているんですよ。
割引がない、商品がいわゆる標準小売価格きっちりのコンビニで、ですよ。

なぜか。

それは、コンビニは品数が少ないから。
あと、標準小売価格から割引がないので、いっぱい買う気にならないから。

これが、スーパーに行けば、品数が豊富なゆえに、目的の場所に行くまでに「あ、これは必要だった、これも必要だ、これ安い、3個で千円だって、買おう」などとなる。
結局、お金は使うし、買い物量もかなり増える。
更に、買ったものは食べてしまう。スーパーに行かなければ買わなかったものを、買ったがゆえに食べてしまう。太る。
先日もスーパーでいつしか「歌舞伎揚げ」(醤油とお砂糖が絡んだ甘じょっぱい揚げ菓子)を2袋もカゴに入れてしまいました。そして食べてしまいました。


だから私は買い物はコンビニ。そう努めたい。


で、割高のこんにゃくを買う。


ただし、ぜったい太らない食べ物で、スーパーで買いたいものはある。コンビニにないもの。

それは乾燥ワカメ(徳用パック)と、とろろ昆布と、焼き海苔と、キノコ。これらはまた、ダイエットの強力な味方になる。

自宅で、永谷園のさけ茶漬けやお吸い物をどんぶりに入れ、たっぷりのお湯を入れ、乾燥ワカメやとろろ昆布等を入れる。
たまにコショーを入れて中華風にして味わう。
ダイエットにいい。


こうしながら頑張りたいボスでした。

デザートを忘れておりました。

おっと、デザートを忘れておりました。

先ほどのきりたんぽ鍋のあとは、キウイのシャーベットを含むさっぱりデザートでおくつろぎくださいね。


ところで。

先日の、「いや〜ん」という題名の記事の中で、「朝の夢で自宅から50キロ離れたところに行く内容のものを見たが、なぜかしらその日に実際にそこに行くことになった、不思議だ」といったことを書きました。

実際、不思議なのです。朝には行く意味がなかった場所なのですから。


で。

その場所、町には、私が気に入っている鮮魚店があり、私はその町に行くと、たいていそのお店に行くようにしていたのですが。

その鮮魚店は、小さな鮮魚店で、そのお店の旦那さんが亡くなったあと、奥さんが継いで、お一人で頑張っておられたお店で、地元のいいお魚を扱っていることもあって、あと私個人的に応援の意味もあって、私はできるだけ行くようにしていたお店なのですが。

先日も、私はその町に行った足で、その鮮魚店に行ったのです。


ところが。

びっくりしました。

鮮魚店が閉店になっていたのです。
お店のシャッターがちょっとあいていて、そのガラスドアの中は空っぽだったのです。

「えーーーっ!!!」
(ガックシ ○| ̄|_ )ですよ。


でも、私はあきらめきれず、試しにシャッターの内側のガラスドアを開けようとしたら開いたので、入って声をかけてみたのです。

そしたら、お店の奥に偶然奥さんがいらっしゃった。


奥さんは、「私も疲れちゃってね、旦那が亡くなって7年で、いいかな、と思ってね」とおっしゃった。

私は奥さんのお話を聞き、ただ「残念だー、いいお魚を扱っておられたし、お店に行くたび奥さんからいいお話を聞けたのに。残念だー」と言うしかありませんでした。

奥さんは、ちょっと涙ぐんでいました。


私は、ふっと息をつき、なぜかしら奥さんに「握手」と手を差しのべ、奥さんと握手をしました。
私の手は冷たく、奥さんの手はとても温かかったです。
こうなるのがわかっていたら、私は一生懸命手を温めていたことでしょう。


奥さんとちょっと視線が合い、そしてお互いにほほえみあって、お別れしました。



また一つ、私の楽しみがなくなった出来事でした。

今日の晩ごはんはアッツアツのきりたんぽ鍋で。

今日の晩ごはんはアッツアツのきりたんぽ鍋。

地鶏、ごぼう、マイタケ、セリなどから深いだしがとけこみ、そのだしをよく吸ったきりたんぽは至福のおいしさ。

具材じたいおいしすぎ。

ぜひ、ご一緒にいかがですか。



さて、いつもアロマ珈琲をご覧いただきありがとうございます。
また、コメント、拍手、あしあとなどいただき、いつも感謝です。

コメントや、拍手コメントは、とてもありがたく読ませていただいております。

ありがとうございます。

各種コメントには、こちらからのお返事はできておりませんが、いつも合掌しております。



さて。
私は最近、いつあの世にいってもいいように、身辺整理をしているんですね。

「あの世に行くなんて縁起のわるいことを・・」とおっしゃらないでくださいね。

物事には必ず始まりがあり、終わりがあります。これは人生も同じ。

終わりを見据えずして、有限の人生の力配分はできにくい。
あの世に行くときも見据え、人生を区切り、その中で起承転結をつけていく。

整理整頓も。片付けも。荷物の棚卸しも。
「いつあの世に行くかもわからないんだぞ」と本気になって初めて、意味が出る。

片付けると新しいものも入ってくる。

まずは、いつあの世に行ってもいいように、回りをきれいにしておきたい、と思っているボスなのです。


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