みずほ銀行さんへの手紙(夢ロトくんのこと)

今日は胡蝶蘭を思わせるマイセンのカップで。
どうぞ

標題の「夢ロトくん」とは、ロトとかミニロトの玉を抽出する機械で、京橋の宝くじ館等で毎週数回使われている機械なのです。

あれって、誰が製造しているのでしょうか。


ロトの抽選って、要はウレタンの玉をまんべんなく撹拌して、まぜにまぜて、作為なく公明正大に玉を抽出すればいいわけなので、仕組みは簡単で、その仕組みさえしっかり全うすればどこの業者が作ってもいいわけですよね、みずほ銀行さん。

なぜ私がこんなことを申しているかといいますと、最近の記事であったんですよ。衝撃の出来事が。

ご存じの方も多いでしょう。イスラエルで起こった国営の数字選択式くじ、つまりロトで、1カ月の間に2回、当選番号が全く同じ数字の組み合わせ、13、14、26、32、33、36の6つの全く同じ数字が出たという珍事があったという記事を。

じつはこれ、昨年もブルガリアの国営ロトくじで起こっているんですよ。
おもしろい話なのでブルガリアの方を引用しましょうか。著作権大丈夫かな。

「9月17日、ブルガリアの国営ロトくじで2回連続で全く同じ数字が当選した。9月6日のロトくじで選ばれた4、15、23、24、35、42の数字が、次の抽選日のロトでも再び選ばれたという。このようなことが偶然で起こる可能性は、数学者のミハイルコンスタンティノフ氏によると420万分の1より低いが、ありえないことではないという。13日の抽選でも、数字6つのうち3つが前回、前々回と重なった。抽選は不正監視特別委員の前で行われ、TVでも生中継されているという。」

    ………。

皆さん、国営のロトでこんなことが起きているのです。偶然なのか細工なのか…。

穿った見方をすれば、みずほ銀行さんのロト抽選番号、ときどき前の回と6つのうち3つが同じ数字のことが起きているのです。あるときには1回前、2回前、3回前の数字それぞれ2つずつ階段状に選んだ数字、これが当選していたこともあったのです。冗談のような本当の話です。

玉の抽選は監視され公開で選んでいても、機械に精密な細工がされていれば公明正大だといいきれないのです。ウレタンの玉すべてが同じ重さになるようにマイクロチップ等が埋め込まれていて、撹拌後、ほぼ固定され回転しているだけの任意の玉が抽出口に来たのを機械が検知したらそれを出口で確保するような仕組みにするとか、ハイテクのナンバー自動読み取り機で欲しい球の位置を把握、抽出口で確保する仕組みを施すとか、今のマジシャンだったら、いやマジシャンに限らず技術者等だったら、いくらでも作れるでしょう。

やりようによっては、宝くじの、皆さん御承知の弓矢で回転盤を射抜くアレ。先日2チャンネル見てたらおもしろい話が書いてました。
ゼロ戦の機関銃の発射は回転するプロペラの回転に合わせて発射できていて、よってプロペラには当たらないように発射されているとか。

確かにくじにおける弓矢の発射は女性がボタンを押して射られておりますが、あのボタンを押して弓矢が射られるタイミングだって、戦時でもあんなことができるくらいですから、更にすごいハイテクの現代、みずほ銀行さんの財力で超精密な細工を施す気になれば、人間の目視では判断できないくらいにコンピュータ制御することはできるのです。原始的に例えるなら、プロのハンターがライフルのトリガーを微細にひいていって射撃しますよね。引き金と撃鉄と発射の間には広大な間隔があるとも言えるのです。これに例えられますよ。

みずほ銀行さんは、こうしたこと、細工は全くないと情報公開できるのでしょうか。「細工は全くない。あるはずがない。」言うのは当たり前です。でも、やろうと思えば確実にできるのも確かです。ロトに人生かけている私を納得させてくださいみずほ銀行さん!!


ついでに2つほど言いますが、1つは先のブルガリアの例、ロトで前と全く同じ数字が出る確率である420数万分の1、例えるなら420万枚の一円玉があって、そのうちの1枚だけにマジックかなんかで印をつけてドバッとばらまいて、そのうちからたった1枚ひいたらそのコインだったという確率ですよ(そのままの例えですが。)、考えられますか、ということ。
これが国営のロトで出ているということ。

もう1つは、私の、「ロト、夢ロトくんには細工はない」とした場合、なぜ確率を超えた不可思議な出球をするかの理由づけ。
これは占い好き、テレパシー、サイコキネシスを信じる私が取る説ですが、ロトで前回とかと同じ複数の数字が頻繁に出るのは、人間の欲望とか念とかの巨大なうねりが数字を引き寄せている、だからありえる、特に、執念がすごいイスラエルとかでは6つが6つ合致することもありうることで、ロトには総じてそんな人間の念のうねりがサイコキネシスとして働いているという考え。

この2つのはざまで、私は今、すごく考えこんでしまっているということです。

くどいですがみずほ銀行さん。私を安心させてください。もしくは私を銀行の中枢に引き抜いてください。
繰り返しますが、夢ロトくんの仕組みは単純です。それが確かだということを何かの機会にちゃんと情報公開してください。

そして。

いずれにしても数字は出ます。みずほ銀行さんの作為があろうがなかろうが、私はその数字を的中させます。
ただみずほさん。抽出前に購入口数とか番号をコンピューター集計するでしょうけど、全国で買われていない数字を細工で当選数字に選び、全国で○口当たった、とし、関係者間で山分け、というのはやめてください。というか、細工自体やめてください。

誰か抜き打ちで球の内部のマイクロチップの有無とか、夢ロトくんの妙な仕様の有無とかの確認、捜査を行って、ロトは公明正大だということを実証してください。お願いします。

※今回の記事はすべてわたしの妄想によるものでありみずほ銀行さんが細工していると言っているわけではありません。

さびしいブログ

たまにはカフェオレもいいな…。


※今回の記事は、去る10月10日の深夜2時前にアップしてから非公開にした記事で、お一人しか見ておられない記事だったんですが、せっかく書いたわけなので再アップします。

―・―・―・―・―・―

今日は仕事のことで現場に取材に行ってきたんです。

来週土曜日にうちの地方で比較的大きなマラソン大会とか物産フェアの開会式がありまして、うちの社のトップがあいさつをするのですが、そのあいさつの題材を取材しに行って来たのです。

お客さんが二万人くらいくる大会のあいさつです。的外れなこととか、実際と乖離したことは作れません。話せません。「ちょっと間違ってたな」では済みませんからね。

刑事ではありませんが、やっぱり現場に足を運ぶことは大事でした。

ネットで情報収集して、当初原稿に入れようとしていたあることがら、例えば、文化財が、水害で立ち入り禁止になっていたとかに気づいたり、その他、現場の風景、風、色、においなど、様々なことに気付いたりするのです。

業務としてではなく、自分の納得する仕事をする意味で、休日を割いてまでも行ってよかった。

以上、ツイッター的なことを書いていますね。


さて、標題のさびしいブログと申しますのは、私が訪れるブロガーさんは極めて少ないのですが、そうした少ないブロガーさんのうち、ポツポツと、記事を書くのが少なくなっているブロガーさんが増えており、さびしいなというわけなのですよ。

これは私もブログ記事を書く回数はめっきり減っているわけですし、そもそもブログを書く書かないというのはもちろん、まったく、個人の意思であり、他人に気を使うことでもまったくありません。それはその人の気持ち次第、判断、意思次第なのです。

ただ、私が気に入っているブロガーさんらが、ブログから疎遠になったり、いろいろな事情で音信不通になったり、そうしたことがさびしいなと。そんなこちら側から一方的に思ったりしていると、そういうことなんですね。

もちろん、こうした中、よく記事アップされておられるブロガーさんは、すごいなと思いますよ。感心します。見習いたい。

で。私みたいに諸般の事情でブログ記事アップ頻度が少なくなっていることについては、まったく、けっして、「皆さん、記事を書いて」と申しているのではありません。

申したいのは、私みたいに、諸般の事情からブログを心の寄りどころにしてきた者にとって、そうした事態は比較的ダメージがあって、これは私の気持ち、気の持ち方、今後の対応として、なんとかしなければならないなと、私的に思っているということなのです。

「親しみの持てるブログを他にも見つけなさい」ということもあるでしょうけど、なかなかできないんですよね。

私は昨年までかなりの日数、一年以上、入院し、ブログで励まされ、心が知れるブロ友さんを知っています。

みなさんほんと、すばらしいブロガーさんですよ。

で、今となっては、こうしたブロガーさん以外のブロガーさんの記事って、殆どが、なんとなく雑踏の中の、まったくの他人の雑談にしか聞こえないんですよ。

これは多くのブロガーさんには失礼であり、もちろん、私のブログだって他人からすればまったくの見知らぬ人間のつぶやきでしかないわけですが、とにかく、私にとっては知っている方以外のブログ記事って、あまり興味というか、親しみが持てないものだったりするのです。

何が言いたいのかと申しますと、私も含めて、いつかは多くの方がブログから離れていったりする事態になったりすると思うわけです。

これは、やっぱり現在の私からすれば、さびしいなというわけです。

でもこれは、仕方のないことなんですよね。ブログって、潮時と申しますか、退き際というのがあるんでしょうかね。

きっぱりと「辞める」という人もいるでしょうし、「まずは当分ごぶさただな」という方もいらっしゃるでしょうけどね。

私も、最近環境が変わってきて、う〜む…
考えたりしています。

でも、私としては、ご無沙汰はしますが辞めないでしょうね。敢えて「辞める」とは言わないでしょう。「辞める」と宣言したら、後で気が変わってやりたくなった時に困るだろうし。

でも、やる意欲が薄れたら、どうするかは、それは個人の自由。辞めると宣言するも自由、始めるも自由。これがブログなんでしょうね。

夕食後の珈琲は500cc飲みます

思いつきのようなタイトルですが、思いついたので。

夕食後カップを変えながら3杯の珈琲を飲みます。


今日は待ちに待った金曜日。今、家に仕事を持ち帰り、自宅のテーブルでひとまずゆっくりしております。

えっ?「オンとオフのメリハリがなってない」ですって?(そら耳か?)

う〜む。だってサ、ひどいんですよ。私がいつも仕事を断らないので、上司は自分の仕事を回してくるし、社長も課長とかをすっとばして私に直接ヤバい仕事を持ってくるのです。

私は「来るものは拒まず」がモットー。

だから、仕事がどんどん引き寄せられて、日中にはすべて消化できない分量となっているのです。
職場では優雅かつ平常心でいるようでも、白鳥が水面下で盛んに水を掻いているように、人知れずやらなくてはならないのです。やることが多いのです。

職場で「今日は仕事を家でやろう」と鞄に簿冊を詰め込むときには、家でバリバリ仕事をするスーパーマンのような自分の姿が思い浮かびます。

しかし実際はその姿の3分の1もやれればいい方ですよ。

人ってなんでこう、将来に希望的観測を持つのでしょうか。


とにかく。

最近、ブログ記事を書く隙がありませんが、いつかはきっと、すごい記事を書きたいと思います。

それにいたしましても。

ブログの世界は私にとりまして『カードキャプターさくら』でスタンドみたいなものと戦いますよね。あんな別世界みたいに思うんですよ。

ブログは魔界ではありませんが、やはりブログにも広大な幻のような世界が広がっています。

で、さくらはいつしか現世に戻ります。何事もなかったように。

私もブログに集中している時は別世界ですよ。

そしてブログを閉じると、厳しい現実の世界が広がっているのです。

どちらが本当の世界かと言えば、厳しいこちらの世界なんですよね。なんだかんだ言っても。とにかくこちらの世界で体裁を整えて生きなければならないのです。


では。

この落ち込みをなんとかするには

「ボスの部屋」へようこそ。
香り高い熱い珈琲とチョコ準備でお待ちしておりましたよ。




みなさーーん!!!


落ち込んでますかーーーーッ!!!


 イェーーイ!!!



みなさーーん!!
ブルーマンデー、準備万端ですかーーーッ!!!

      \
ウィェーーーィ!!!
      /


ゴホン OK。よろしい(ウムウム)


いやー、しかし。


この落ち込み、なんなのでしょうね。

明日が非常に不安です。
詳しくはここでは書きませんが、仕事、明日は全組織にひっじょうにいやな指示を出さなければならないのです。

そして私自身、いやな宿題のある、超多忙な仕事が始まります。


世の中、悩みのない人間はいないと思いますが、でもその悩み、「なんとかなる」と思える人と、「なんとかなりにくい」とか「おそろしい」とか、その他様々なモヤモヤ感で過ごす方がおられると思うんですよ。

前者は幸いです。

後者。後者は大変ですよね。

確かに、「取って喰われるわけではない」のですが(この表現、私が以前、あるドクターに愚痴ったらそう言われたんです)、気分は晴れませんよね。


私は時々思うのです。
ブログで「悩みを語り合う部屋」というものがあったらいいかもしれないな、と。

どこかで、ほんと気心が知れるブロガーさんどうしとかで、自由にダベリングできる部屋とか、あったらいいな‥なんて思ったこと、ありませんか。

私はしょっちゅう思っています。

ブログって、社会での生身の付き合いと違い、近すぎず、遠すぎず、の付き合いが可能な手段だと思いませんか。

生身の付き合いだと、腹を割って話すと、その後気まずくなったり、「あっ、この人はこんなことを考えでいたんだっけ プッ」などと、お互いなかなか消すことができない記憶になったりしますが、ブログだったらほどほどの付き合いだし、ほとんどどこの誰なのかはわからないわけだし。わかっているとしても実際顔を合わせたりすることは極めて稀なわけだし‥。

かと言って、不特定多数、もしくはブロガーさんどうしの中でも、自分の悩みを見られてもいいブロガーさんと、見られたくないブロガーさんがいらっしゃるわけだし。

ブログの中でも、会員制のブログ、悩みの部屋があったら(笑)。

これって、ブログの「友達」の間どうしでは可能なわけですよね。記事を友達間だけで登録すれば。あと、ミニメとか。


というわけで、皆さん。
思い切って私と悩みを分かち合ってみませんか。

訪れてくださりありがとうございます。今日は人生の目的について話します。

画像は私の大好物、私が焼き魚でいちばん美味しいと思っている「海タナゴ」の塩焼きです。

皆さん機会があったら召し上がってみてください。他の魚が問題にならないほどうまみがあり、ほ〜んとおいしいのです。


さて。先回の記事は、私がブログを書くようになって以来、いまだかつてないほど書く意欲がないまま書いた記事なんです。

1年前まではよかった。
いつもブログに依存していました。

いまでは毎日が仕事に追われ、仕事で私なりに高度な文章を1日一杯考えており、家に帰ってからも仕事のことが頭から離れず、ブログに集中できないんです。集中する意欲がない。
睡眠中でも、眠りが浅くなると仕事のことを考えています。夢の中で職場でやりかけの仕事の続きをしていたりします。誇大に表現しているわけでなく、ほんとうにそうなんです。

そういえば、1年前、病気で1日中病院にいたころは1日中ブログのことを考えていたような‥。

こうしてのめり込むクセというのは私の特有なものかもしれません。

話は違いますが、のめり込むといえば、私は好きな食べ物もハマるとずっと続けて、繰り返し毎日のように食べるタイプなんですよ。

今はまっているのは、お昼のお弁当。
職場の売店で売っている酢鶏弁当なんですが、これは私の手帳を見ると、5月にうつ病らしきものにかかり、それを食べ物で解消しようと、6月から食べ始め、ほぼ毎日、4カ月と10日にわたり、約85食、食べ続けています。ご飯は半分は残していますが。

皆さん信じられますか。同一の弁当を毎日のように85食ですよ。
で、この弁当、いまだに飽きず、これからも当分食べ続けるだろうと思っているのです。

私が見るブログも約20人、休止中の方のブログを除くと、約10数人の方のブログしか見ていません。
他の方のブログって、あんまり見る気がしないんですよね。思い入れがない。

皆さんはどうですか。
ブログ、あんまりよく知らない方のブログって、読み応えのあるブログだったらおもしろいのですが、試しに百人のブログを見ても私からすれば、読み応えのあるブログって1、2あるかないかなんですよね。

実際どうなんでしょう皆さん。見ず知らずの方の、断片的な、文字数にすれば百、二百文字のつぶやきを見ておもしろいですか。
私ははっきり申せば、見るのがむなしいとすら思えるくらいおもしろくないのです。

もちろん、ブログを書いている当事者は他人を喜ばすつもりでその記事を書いているわけではないでしょう。わかりますよ。
ただ、読み手である私からすれば、わがままを言わせてもらうと、見ず知らずの方のダベリング、しかもどんな背景で書いているのかもわからない百二百文字のダベリングを見ても全くおもしろくもなんともないのです。

こうした考えって残酷ですか。
私は病気なのでしょうか。

思えば私も、冷たい人間になってしまったものです。

職場でずっと多忙に過ごしていると、優しさまでもなくしてしまうような気がします。実際優しさはなくなってしまっていると思います。


幸せってなんでしょう。

人生の目的ってなんでしょう。

最近、しょっちゅうそんなことを考えるようになりました。

これから数十年、現在の仕事をしていく限り、心が穏やかになることはないでしょう。責任が重くなる一方で、私は仕事で手を抜くことは私の性格からして考えられず、よって、いつもささくれ立った気持ちが癒えることはないと思うからです。
皆さん。また言いますが、幸せ、人生の目的って何でしょう。何なんでしょうね。


そういえば、先日、といっても、数週間前になりますが、ラジオ、トヨタプレゼンス、片山右京さんの番組で、片山さんがソムリエの田崎真也さんと対談していたんです。

その中で、田崎さんが人生の目的について話されておられたんですよ。

皆さん。田崎さんのお考えになる人生の目的って何だと思いますか。

私、これにはその時、納得しましたね。

人生の目的とは、「楽しむこと」だとおっしゃるんですよ。

田崎さんおっしゃるには、おいしいものを食べることも幸せで、そのためには一生懸命になると。
つらい仕事も、楽しい休日があるのであれば、楽しさを味わうための手段だと。毎日が日曜日の人にとっては休日なんてないと同じだから、毎日がおもしろくもなんともない。だけど、毎日毎日多忙な人にとっては、やっと来る休日、数十日に一度来る休日なんて、すごく楽しくなるでしょう。
こうした、楽しい休日を迎えるためには、つらい毎日も大事な手段なんだと。楽しみを味わうためのプロセス、スパイスなんだと、そうおっしゃるんですよね。

私は昔から、苦いものはためになる、苦しいことこそ人生を高め、大事なんだという、禁欲主義みたいなところがありました。
ストイックの語源であるストア派の、ゼノンみたいな。

手元に小難しい、おもしろくはないけどためになりそうな法律書と、一方おもしろそうなマンガがあるとすれば、法律書の方をとって読むでしょう。

旅に雑誌と勉強の本のどちらかを持っていくとすれば、間違いなく勉強の本。


でも、こうした選択って、人生を楽しく送る観点からすれば‥人生の目的は楽しむことだとすれば、間違っていますよね。

有限の人生、苦しむより楽しく送る方がずっといい。人生が「良薬口に苦し」だとばかりに苦いものばかりで終わったとすれば、その人の人生って何なんだったのかとなるでしょう。


そうしたことを今ブログで書きながら、やっぱり仕事、適当にやるのも必要かな(でもそれはできないだろうな‥)と思ったりする私なのでした。
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