私は信じている

私は信じている。

あなたがブログを閉じるはずがない。


3、
2、
1、
ハイ!あなたはブログを閉じようとすると頭が痛くなる!

引田天功かっ



うーん、どう説得しよう…

4カ月前にはmillyyさんの説得に失敗したし…

結局彼女は霊界に行ってしまった…
ってアメブロは霊界かっ

とにかく。閉じないでください。私とのつながりがなくなるのを少しでも望まないなら。

確かにブログは無力です。ブロ友さんが例えば骨折した、孤独感にさいなまれている、経済的に苦しい、病気でたいへんだ、猫の手も借りたい…

そうしたさまざまな事象に、ブログで長く付き合っていたとしても、何の手助けもできません。励ます以外は。あと何らかの助言とか以外は。

実際ブログは考えてみれば、付き合いの情報量はすごく小さいとしか言いようがない。だから具体的にブロ友さんはどんなお暮らしをなさっていて、年齢は何歳で、体力はどのレベルで、どのくらい困っていて、親戚はどのくらいいて、近所に手助けを期待できる方はどれくらいいて‥とかぜんぜんわからない。

やっぱブログって、リア友さんにならなければむなしいですよね。そう思いませんか。
長年ブログで交流があっても、それは淡い。リア友さんにならなければ。

でも、それもまた危険。往々にして期待は裏切られることが多い。のではないか。と思ったりする。私は別として。なぜかと言えば私は期待を裏切らない人間だから。と思う。たぶん。そうじゃないかな。そうだよきっと。

というわけで、私は落ち込まず待っています。

7月1日以降、こんどは真剣に語り合いましょう。

今日は疲れたので

マジでこれでいいのかと思うくらい忙しい。
私を客観的に眺めている人がいるとすれば、たいへんだろうなぁ、と思うに違いないと自分で言い切ってしまえるほど忙しい。

こうしたときに、あなたは去ってしまうのですね。

残念だ。

世の中に「感情逓減の法則」というのがある。今の感情は必ず風化するというものです。
悲しい感情、楽しい感情、怒りとか、感情は時が経てば必ず逓減します。薄れるのです。

もしかしたら、愛とか恋とかもそうかも知れない。余談ですが。

今、私がブログをやめようと思い、ブログを消滅させようと思ったとする。
思いきって消滅のボタンを押す。それはそれであきらめがつくでしょう。消したら元に戻れないのだから。しょうがない。
過去の記事とか、コメントのやりとり、ミニメのやりとりとか、消しても後悔しない、もう忘れてもいいと思えるなら、私もブログ、消すでしょう。
そして、ブログでやりとりしたことを記憶だけに留めて、その記憶もいつか風化していって、それでも後悔しない、その方がいいというのなら、私もブログ、消すでしょう。
でも、消したらもう、そのブログはおしまいです。

感情逓減の法則。その時の感情は放っておきましょう。軽くなります。
ブログ消す必要はないじゃありませんか。
見るのが辛いなら見なければいい。
いつか見たくなるかも知れない。消してしまったら、見たくなった時に後悔します。

建設業界で、使わなくなった配管をそのまま埋めておくのを「埋めころし」(こわい表現ですが)と言います。
撤去するとお金も労力も負担もかかるので、そのままにするというものです。
労力をかけるよりはそのままにするというもの。あとで使えるかも知れないし。

ブログ、やめようと思っても、とりあえず埋めころししませんか。

今回はもう敬語とか配慮とかなくして、半ば必死で書いています。非常時になりふり構っていられない。

私がここまで書いても納得できず、ブログを消去なさるとおっしゃるのなら、それなら私もあきらめがつきます。

改題 無題

信じられない話ですが、ここしばらくテレビを全く見ていません。

新聞も切り抜き以外見ていません。

見る余裕、時間、気力がない。


朝、ゆで卵1個とお味噌汁1杯食べただけで仕事に行って、トイレさえがまんし続け仕事をし、昼トイレに行き、カップラーメン1個を数分で食べて、続けて仕事をし、晩、疲れて帰り、太るのを気にしながら食事をし、珈琲飲んで5時間弱、睡眠とってまた仕事に行く生活。
地震や大雨、河川の増水があれば深夜でも出勤し取材とかしなければ責任が問われる。いつも不安、強迫観念がある。これでごはんを食べているとはいえつらい。心がいつも落ち着かない。これがずっと続くと思うと暗澹たる感じがする。

たまにブログ記事1つ書くのが精一杯。それも、気分が乗ればの話。

ブログ巡りは指1つでクリックすれば見れるので、気に入っている方のブログを少々見るくらい。私は現在、お友達の記事と、ブクマしているブログ、あと気になっているブロガーさんのブログ以外ほとんど見ることはありません。


病気のときは、何をしても楽しめません。私は今、病気みたいな状態にある。他の方を楽しませる記事も書けないし、また、他の方にコメントする余裕が、情けない話、ない状態。


世の中渡るための情報収集さえできないこの状態は、もう病気だというほかない。

今思っていること

さっき画像のアジとサバの「よくばりすし」を食べて、その後、ミニロトとロトの数字を予想して、今、ボーっとしながらも思っていることがあるんですがね。

何を思っているかというと、世の中に「超能力者」とか「霊能力者」とか、ふつうの人が見えないものが見えるとか、見ることができるといった人がたくさんいらっしゃいますが、今回の震災、津波とかを予想できて、情報発信する、できる人っていなかったのかな、ということなんですよ。
あんな莫大な損害・損失ですよ。必ずというか、どうしても、そうした能力があって情報発信できる人、もしくはそうした情報発信機関、仕組みがあってほしかった。

昔からロシアとかには、軍事目的で超能力を鍛えられている方々がいらっしゃるということをテレビとかで見たりしたことがあるのですが、そんな能力を持つ人が、今回の震災とかを予知し、情報発信してほしかったと私は思うのです。

あるいはまた、そうした能力が、言語で情報を伝達できる人間の確かな能力として確立していて欲しかった。科学はどんどん発展していますが、そうした人間の未知なる能力も飛躍的に発展させるような方向性もあるべきだと思う。
そして、そうした能力によって醸し出された情報が信憑性のある、確率的に高い予測情報として、世の中に伝わって欲しかった。
その予測・予知の情報は、極端な話、たまにははずれてもいい。でも、たまには当たることとして、そうしたことを踏まえて人々が心構えをしたり、避難したりできるのなら、これは避難訓練的なものにもなることだろうし、わるいことではないんじゃないのかなと。
避難してこうむる損害はまあ、それは信じて避難した自己責任だということで。

ノストラダムスの大予言という本を昔、確か五島勉さんでしたかが著して、恐怖の大魔王が降りてくるといった訳にして、世の中ちょっとした騒ぎ、まあ騒ぎといっても、「どんなもんなのだろう」といった感じで、結局何もなかったわけではあるのですが、でも世の中では人々がちょっとは心の準備をしたわけです。
あんなかんじで、かつ、世の中に宜保愛子さんとか、木村藤子さんとか、そうした霊能者の数倍とか、できればもっと強い能力のある人が存在して、個人としてではなく、政府に準じるような機関としての準公式情報として今回の災害情報が予測として伝わってほしかった。

そんなことを考えているボスでした。

鍛えられてそうした能力がつくのなら私は鍛えてみたいです。

あっ、ボーッとしたお話に付き合わせてしまいましたね。
お口直しにりんごアイス、いかがですか

変動する心、気持ち

スルルッ‥


スルッ‥コツコツコツッ‥



スルルッ‥


スルッ‥コツコツコツッ


フヌーーッ



いい。じつにいい。


何がいいかと申しますと、

これです。

ところてんです。




ゴクッ


ゴクゴクゴクッ‥


フヌーーッ



いい。じつにいい。


何がいいかと申しますと、

これです。

サントリーのソーダ水。無糖です。

さっきのところてんの「コツコツコツッ」というのは私のところてんを噛む音です。


さっき22時過ぎに帰宅し、いま晩ご飯食べているのです。
いま炭水化物を摂ると確実に太るので、ところてんを食べたり無糖ソーダ水とかを飲んでいるのです。


いや、それにいたしましても、今日もまた、超多忙でした。
トイレもお昼過ぎからがまんして仕事し続けてきたし。まいりましたよ。

先日、私が敬愛するあるブロガーさんが、ご自身の、時に意地悪になる心について記事を書かれておられました。わかります。わかりますよ。

じつは私も、こんなトイレさえがまんし続ける生活をしていると、ついいじわる、と申しますか、気持ちが不安定になることがありましてね。

例えばさっき帰るときに車を運転していて、右折するため待っていたら、向こうから来る直進車が遅いのです。一台来て、後続の車が中途半端に車間距離を開けていて、しかもじつに遅い。

つい「なんでこんな運転するかなー」とかつぶやいて、立腹してしまったり。

時間にしたら数秒、たった数秒待つだけなんですよ。相手だって犯罪をおかしたわけでもなく、単にボーッとして運転していたか、気性から車間距離を開けて走る方なのか、いずれにしてもそう腹を立てられる悪い行動をしたわけではないんです。

でも私は立腹してしまうのです。


こうした不安定な心、気持ちって、やっぱり生活に余裕がないからこうなるんですよね。
こうした生活の中で、私は安定したブログ記事は書けません。誰かを傷つけるような、らんぼうな記事になってしまう。千と千尋の神隠しのカオナシさんみたいに、ほんとうはおとなしいのに、何かの弾みで荒れてしまう。

私はそんな記事は書きたくないのです。

だから最近、ブログ記事を書くのを避けてきました。


仕事が落ち着くまでは優しい記事は書けません…
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