はー…
今日も仕事、大変だったなぁ…
さあ、では盛大にぐちろうか(笑)。
今日はお昼ごはん食べる時間20分以外、ぶっ続けで仕事をしていたんですね。
夕方、うちの部門の長が「ボスさんはいちばん仕事をしている」と組織職員の前でおっしゃっていて。
私からすれば他の職員は手を抜きすぎていると思う。
あんなゆるい仕事をしていたのではだめだ。
自分の給料を日にちで割り、更に時間で割って時間給を出してみてほしい。
時間給に見合った仕事をしているのか各人は具体的に考えてほしい。
私はそれを意識して仕事をしているだけなのだ。
少なくとも、他の方には他人に迷惑をかけるようなゆるい仕事をしてほしくない。
例えばこんなことがある。
私は組織の各部署に、各部署ごとに社長に説明してもらう各部署の年度当初の重点懸案事項書の提出を依頼したとする。
各部署の重点懸案事項はそれぞれ数十項目あり、普通は項目の一覧表を作成するべきもの。項目の一覧表とは、いわば目次みたいなものです。
ですが、中にはそれに気づかない部署がある。一覧表を作るのに気づかない部署が。
部署ごとの一覧表作成はものの10分かからない。
だから、忘れたり気づかなかった部署職員は気軽に「ボスさん、わずかな作業ですが忘れてしまいました、すみませんがボスさんとこで作成していただけませんか」となる。
ですが、この10分の作業が複数部署分たまれば私は1時間とかの本来は他人がやらなければならない仕事をしなければならなくなるのです。
いちばん仕事をして、いちばん遅く帰る私が、更に1時間帰る時間が遅くなるのです。
こうした例はいろいろありますよ。
だから他人には少なくとも、自分以外の人間に迷惑をかけることだけはやめてもらいたい、と思う。
私は「来るものは拒まず」の人間だから他の方は頼るのか。
問題だ…。
はー‥、でも今日は終わった。
来週からは他人にものを指示するときには事前に細かいくらいに留意点を伝えておこう。
そう思っている。
ぐちってみました。
聞いてくれてありがとう。センキュー。
おいしい珈琲。ボサノバの中、ウエッジウッドのフロイレンターコイズでお楽しみくださいね
2012-3-30 22:52
ボサノバでくつろぐ夜
2012-3-24 13:54
ボスの好きな食べ物シリーズ 34/100【そうめん】
2012-3-22 19:55
ドトールで反省会を
ドトールで反省会をしている。
今日のシンポジウム結果とか、その他について。
私の思考を整理している。
今日もいろいろな反省点があったなぁ。
ところで、私は今日から1日を振り返り、1日の思考、気持ち、感情の変化、反省したこと、学んだこと、心地よかったことなどで記憶のフィルターに残ったことを書き残していこうと思う。
昔、つまり私が多感のころは、夜寝る前に1日を思い出し、振り返り、味わい、反省したりするのが常だったけど、現在は何気なく毎日が風のように過ぎていって、それに何の感傷も不自然さもなく、無感動にやりすごしている。
私は、人間には反省とか振り返りが必要だと今改めて思っている。
画像は今日の3時間のシンポジウムの骨子を書き残したものだけど、こうやって後でメモを見て初めていろいろなことに改めて気づくことも多いものだと思う。
こうしたシンポジウムとかの内容はメモを見なければそのまま忘れ去ってしまうもの。
それと同じく、人生の経験、思考だって、記憶にはどこかに残っているかもしれないけど、それって膨大な記憶に上書きされて、どこにしまったのかわからなくなってしまうものだと思う。
私が今日から1日を振り返り、メモに残そうとするのは、何気なく過ぎ去っていくことが、メモに残しそれをあとで読み返すことによって大事なことが瞬時に思い出され、それを見返すことにより人生での様々な経験とか思考とかを最大限に有効活用することができるようになるのではないかと思うから。
この発想は今日の朝、思いついた。
これからお店を出たら、TSUTAYAに大判の日記帳みたいなものを買いにいこうと思っている。
今旅先なんです。
先ほどまでレセプションで飲み会でしたが、私はお酒一切飲まないのでホテルに行く前にこれから車でTSUTAYAに行こうと思ってます。
なう。(笑)
今日のシンポジウム結果とか、その他について。
私の思考を整理している。
今日もいろいろな反省点があったなぁ。
ところで、私は今日から1日を振り返り、1日の思考、気持ち、感情の変化、反省したこと、学んだこと、心地よかったことなどで記憶のフィルターに残ったことを書き残していこうと思う。
昔、つまり私が多感のころは、夜寝る前に1日を思い出し、振り返り、味わい、反省したりするのが常だったけど、現在は何気なく毎日が風のように過ぎていって、それに何の感傷も不自然さもなく、無感動にやりすごしている。
私は、人間には反省とか振り返りが必要だと今改めて思っている。
画像は今日の3時間のシンポジウムの骨子を書き残したものだけど、こうやって後でメモを見て初めていろいろなことに改めて気づくことも多いものだと思う。
こうしたシンポジウムとかの内容はメモを見なければそのまま忘れ去ってしまうもの。
それと同じく、人生の経験、思考だって、記憶にはどこかに残っているかもしれないけど、それって膨大な記憶に上書きされて、どこにしまったのかわからなくなってしまうものだと思う。
私が今日から1日を振り返り、メモに残そうとするのは、何気なく過ぎ去っていくことが、メモに残しそれをあとで読み返すことによって大事なことが瞬時に思い出され、それを見返すことにより人生での様々な経験とか思考とかを最大限に有効活用することができるようになるのではないかと思うから。
この発想は今日の朝、思いついた。
これからお店を出たら、TSUTAYAに大判の日記帳みたいなものを買いにいこうと思っている。
今旅先なんです。
先ほどまでレセプションで飲み会でしたが、私はお酒一切飲まないのでホテルに行く前にこれから車でTSUTAYAに行こうと思ってます。
なう。(笑)
2012-3-19 23:22
残念な出来事
画像は、私の好きな喫茶店の大好きだったメニューのドライカレー。2人前を1皿に盛ったもの。
光調節の関係で写りがイマイチかもしれませんが、これ、とてもおいしかったのです。
「おいしかった」と過去形で書いているのは、もうこのメニューはないということなのです。
今日知りました。
今日、お昼、このお店に電話で「ドライカレーとエビピラフ、うち1つ珈琲とセットで」と予約しようとしたら、「もうドライカレーとかのライスメニューやってないんスよね」と英語なまりの日本語で言われました。
英語なまりとは、現在お店に立っている経営者の弟さんの方は以前ニューヨークでアーティストをしており、その弟さんに言われたということです。
このお店は先代からやっているお店で、その後、3人兄弟の長兄と次女でお店を継いでいたのですが、その後、長兄がなくなり、次女の方がニューヨークにいる三男を呼び寄せ現在やっているお店なのです。
その三男である弟さんの方は絵の方で著名なアーティストでぶっきらぼうですが飄々としていい味出している方なのですが、欲がなく、儲ける気がなく、また、やる気もない感じの方なのです。
私はとりあえず、お店にあるという食事メニューのサンドイッチのうち、サーモンサンドと珈琲を電話で頼み、店に赴きました。
サーモンサンドはできていました。
小ぶりのライ麦パンは冷たいものでした。
おそらく冷蔵庫に入れていたものでしょう。
サーモンは薄く、2切れ。少々塗ったクリームチーズの上に乗り、それに少々の葉物が乗っておりました。
それが半分の斜め切りになって、少々のマカロニ小鉢とともにお皿に乗っておりました。
サーモンはあまりおいしくなかったです。非常に安いサーモンでしょう。
サンドイッチ500円、珈琲400円、計900円でした。
サンドイッチの原価は数十円。百円は行っていないでしょう。
そして以前あった珈琲とセットメニューではない。
あまりおいしくない珈琲、そのままの400円となっている。以前ならセットメニューにしたら珈琲250円だったのに。
残念だ。
私は尋ねました。ドライカレー、なぜやめたのですかと。
そしたらその弟さん、「うちはカフェメニューにしたんスよね」の答え。
「そうでしたか…」と私は言ったものの、釈然としない。
「なぜやめたのか」に「カフェメニューにしたから」では答えになっていない。
「需要がない」とか「めったに出ない」ならわかるけど、答えが「カフェメニューにしたから」とは、答えになっていない。断じて。
その、「カフェメニューにした」理由が知りたいのだ。私は。
私は納得できない。
この店でドライカレーを食べ、ゆっくり2杯の珈琲を飲みながらロト予想するのが好きだったのに。
以前食した画像のドライカレーが食べ納めになってしまったのか。
納得できない。
私は後で、彼の姉、ムーミンに出てくるミーを年取らせた感じの姉の方に、なぜドライカレーを止めたのか問いただそうと思っている。
あのお店からドライカレーをとったら、私はあのお店に行く意味がなくなってしまうから。
カフェでもドライカレーやっている店は山ほどあるのだから。
問いただそう。
そういうことにしよう。
光調節の関係で写りがイマイチかもしれませんが、これ、とてもおいしかったのです。
「おいしかった」と過去形で書いているのは、もうこのメニューはないということなのです。
今日知りました。
今日、お昼、このお店に電話で「ドライカレーとエビピラフ、うち1つ珈琲とセットで」と予約しようとしたら、「もうドライカレーとかのライスメニューやってないんスよね」と英語なまりの日本語で言われました。
英語なまりとは、現在お店に立っている経営者の弟さんの方は以前ニューヨークでアーティストをしており、その弟さんに言われたということです。
このお店は先代からやっているお店で、その後、3人兄弟の長兄と次女でお店を継いでいたのですが、その後、長兄がなくなり、次女の方がニューヨークにいる三男を呼び寄せ現在やっているお店なのです。
その三男である弟さんの方は絵の方で著名なアーティストでぶっきらぼうですが飄々としていい味出している方なのですが、欲がなく、儲ける気がなく、また、やる気もない感じの方なのです。
私はとりあえず、お店にあるという食事メニューのサンドイッチのうち、サーモンサンドと珈琲を電話で頼み、店に赴きました。
サーモンサンドはできていました。
小ぶりのライ麦パンは冷たいものでした。
おそらく冷蔵庫に入れていたものでしょう。
サーモンは薄く、2切れ。少々塗ったクリームチーズの上に乗り、それに少々の葉物が乗っておりました。
それが半分の斜め切りになって、少々のマカロニ小鉢とともにお皿に乗っておりました。
サーモンはあまりおいしくなかったです。非常に安いサーモンでしょう。
サンドイッチ500円、珈琲400円、計900円でした。
サンドイッチの原価は数十円。百円は行っていないでしょう。
そして以前あった珈琲とセットメニューではない。
あまりおいしくない珈琲、そのままの400円となっている。以前ならセットメニューにしたら珈琲250円だったのに。
残念だ。
私は尋ねました。ドライカレー、なぜやめたのですかと。
そしたらその弟さん、「うちはカフェメニューにしたんスよね」の答え。
「そうでしたか…」と私は言ったものの、釈然としない。
「なぜやめたのか」に「カフェメニューにしたから」では答えになっていない。
「需要がない」とか「めったに出ない」ならわかるけど、答えが「カフェメニューにしたから」とは、答えになっていない。断じて。
その、「カフェメニューにした」理由が知りたいのだ。私は。
私は納得できない。
この店でドライカレーを食べ、ゆっくり2杯の珈琲を飲みながらロト予想するのが好きだったのに。
以前食した画像のドライカレーが食べ納めになってしまったのか。
納得できない。
私は後で、彼の姉、ムーミンに出てくるミーを年取らせた感じの姉の方に、なぜドライカレーを止めたのか問いただそうと思っている。
あのお店からドライカレーをとったら、私はあのお店に行く意味がなくなってしまうから。
カフェでもドライカレーやっている店は山ほどあるのだから。
問いただそう。
そういうことにしよう。
2012-3-19 23:08
ブログの意義
ナポリタンですがいかがですか
さて、堅い題名で恐縮ですが。
「ブログの意義」。
あなたはいままでブログをやってどんなメリットがありましたか。
何か得することがありましたか。
実際、芸能人とか著名人でない人々がブログをやって得することってあるのだろうか。
他人との文章での交流?
他人の足跡?
他人が自分の記事を見てくれているというちょっとしたワクワク感?
コメントでの交流?
他人に自分を知ってもらっているという不思議な喜び?
いったい何なのだろう。
ブログって、ケイタイを閉じればそこで終わってしまう蜃気楼みたいな世界。
足跡がついた方々はどこのどなたかはほとんど全くわからない方々。
たまにはリアルでお知り合いになる場合があるかもしれないけど、ほとんどはケイタイ閉じるとつながりが全く途絶える夢まぼろしの世界。
あなたにコメントくださる方も、結局はどこのどなたかもわからない赤の他人。
こんなもろい関係の、ケイタイに向かってのつぶやきみたいなブログ、書いていて、あなたには今までどんなメリットがありましたか。
単なるヒマつぶし、ゲームみたいなものだったらそれはそれでいい。
でも、いつか誰かと何かのつながりを求めたいとかといったなんとなく淡い気持ちとかがあっても、実際それはまず、かなわないことであるでしょう。
私は時々思う。
ブログを書いている時間を何か他に、形に残ることに費やしたら建設的じゃないのかな、と。
ブログって、ゲームと同じようにゲーム点数しか残らないもの、文章というゲーム点数を残すゲームみたいなものなんじゃないのかな、と時々思ったりする。
最近、いくつかのブロガーさんのブログが消滅しました。
また、最近でも、おやめになろうとなさっているブロガーさんがいらっしゃいました。
そうした方々のブログをおやめになる理由はわかりませんが、私がブログをやめようと思うとすれば、飽きとかマンネリ、あと、ブログ世界のつながりの希薄さに虚しさを覚えるとか、そんなことを原因とするだろうと思う。
ただ、今のところは、他の方が記事を見てくださっておられるということが励みというか、私にとってブログを書く意義となっているのです。
この気持ち、なくなることがいずれ来るのだろうか。
あなたは10年後、今のとおりブログ記事を書いている自分の姿を想像できますか。
さて、堅い題名で恐縮ですが。
「ブログの意義」。
あなたはいままでブログをやってどんなメリットがありましたか。
何か得することがありましたか。
実際、芸能人とか著名人でない人々がブログをやって得することってあるのだろうか。
他人との文章での交流?
他人の足跡?
他人が自分の記事を見てくれているというちょっとしたワクワク感?
コメントでの交流?
他人に自分を知ってもらっているという不思議な喜び?
いったい何なのだろう。
ブログって、ケイタイを閉じればそこで終わってしまう蜃気楼みたいな世界。
足跡がついた方々はどこのどなたかはほとんど全くわからない方々。
たまにはリアルでお知り合いになる場合があるかもしれないけど、ほとんどはケイタイ閉じるとつながりが全く途絶える夢まぼろしの世界。
あなたにコメントくださる方も、結局はどこのどなたかもわからない赤の他人。
こんなもろい関係の、ケイタイに向かってのつぶやきみたいなブログ、書いていて、あなたには今までどんなメリットがありましたか。
単なるヒマつぶし、ゲームみたいなものだったらそれはそれでいい。
でも、いつか誰かと何かのつながりを求めたいとかといったなんとなく淡い気持ちとかがあっても、実際それはまず、かなわないことであるでしょう。
私は時々思う。
ブログを書いている時間を何か他に、形に残ることに費やしたら建設的じゃないのかな、と。
ブログって、ゲームと同じようにゲーム点数しか残らないもの、文章というゲーム点数を残すゲームみたいなものなんじゃないのかな、と時々思ったりする。
最近、いくつかのブロガーさんのブログが消滅しました。
また、最近でも、おやめになろうとなさっているブロガーさんがいらっしゃいました。
そうした方々のブログをおやめになる理由はわかりませんが、私がブログをやめようと思うとすれば、飽きとかマンネリ、あと、ブログ世界のつながりの希薄さに虚しさを覚えるとか、そんなことを原因とするだろうと思う。
ただ、今のところは、他の方が記事を見てくださっておられるということが励みというか、私にとってブログを書く意義となっているのです。
この気持ち、なくなることがいずれ来るのだろうか。
あなたは10年後、今のとおりブログ記事を書いている自分の姿を想像できますか。
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