真実の犬 犬は知っている

今日は2009年11月17日の記事を載せます。この記事にある身内のワンちゃんが、今日、なくなりました。兄のワンちゃんです。
朝、兄からそのワンちゃんの画像だけがメールで送られてきました。
兄を含め、身内の悲しみは…
書けません。
私も今日は午後、休んで兄の家に行ってきました。

今日の明け方、魂になって私の背中に来ていたチワワ。
彼はほんとうに真実の犬でした…

 ―・―・―・―・―・―

画像はうちのプーちゃんです。

さて。私は犬属ではこのシーズーがいちばん好きなのです。

シーズーは性格としては「おちゃめ」「頑固」と言われ、そう本にも載っています。

これ、私の性格にも似ているものがあるんです。

いや、私、自分で自分のことを「おちゃめ」だとは言いませんよ。でも、そうした気持ちはいつも持っている。

うちのシーズーは8kgほどの重さがある。
私にとってちょうどいい犬の重さ。

抱っこするとほんとに赤ちゃんが抱っこされるみたいになすがままに抱っこされている。かわいいったらありゃしない。


私のうちでは昔から継続して犬を飼っていた。
ポインター3頭、シーズー6頭。複数ずつ飼っていたことも何度かある。

シーズーは私の母親の命を救った恩義のある犬属である。

私はこれからもシーズーは飼い続けたい。



犬は記憶力がすごい。

ある私の身内にいる犬、チワワは、私がそこを訪問すると、そこの家の人が帰った時よりも歓迎する。その家の人によると、他のお客さんが来ると激しく騒ぎ、隠れるそうだ。私にだけ、夢中でなつき、絡みつき、泣きそうな声を出して顔とか耳とか思いっきり舐めまわしてくれる。

私はこのチワワ、なぜ私を大歓迎しているのかその理由を知っている。

このチワワ、ペットショップで、生後15日くらいの時に、私が偶然手のひらにのせている犬なのだ。その時に身内から購入の電話が入っていた。
私は、身内が見る遙か前に、そのチワワを手のひらにのせていたのだ。

ちっちゃくて頼りなく、いまにも崩れそうだったあのチワワ。

私が手のひらにのせるとなぜか一生懸命なめてくれた。かわいいチワワ。

私も「いずれ私の身内に行くんだからね。元気に育ってね」と祈りのパワーを送ったものだ。

そのチワワ、そのときの私のことを覚えているのだ。


真実の犬。正直な犬。私はこれからも犬を大事に愛でていきたい。

記念すべき日に

よーし食べるぞー!

モリモリ食べるぞー!

焼き肉、ロース、食べるぞー!

タマネギなんて半生で、人参だって半生で構わない。
ごはんだって2杯食べるぞー!今日だけは!

って私は石川遼君かっ。

焼き肉‥本当ならワイワイ食べたい。

小さな女の子もいたら楽しいだろうなぁ。

私って、子どもが好きなんですよ。特に小さな女の子が好き。いろいろな面で守りたくなるんです。
女の子がいて、あたたかい家庭があるのはいいなぁ。

で、いずれその女の子も高校生になって、大人になっていく。

中学生の女の子の親だったら私は、映画「耳をすませば」の月島雫ちゃんのお父さんみたいになりたい。ムリだけど。あんなお父さんになって娘を見守れれば最高ですよ。
映画ではそのお父さん、図書館の司書か学芸員かだと思うのですが、あんな職業で専門的知識を使って暮らしていけるのならジミだけど楽しいだろうなぁ。憧れる。


今日、明け方、夢を見たんですよ。今から9年前になくなった父の夢。

父は多趣味な人で、クレー射撃、クルーザーでのレジャー、数十種類の鳥類や熱帯魚の飼育、ミンクの購入、盆栽とか、暇なくやっていたんです。
で、職場の部下からも慕われていたんです。
そんな父の夢を見ました。

父は職場の部下3人を連れて、クルーザーで海に釣りに行くから私にも行かないかと言ってました。
でも、すごく寒いんですよ。初夏なのに。

でも、私は準備をしているんです。行くために。行きたかった。

でも、結局行けなかったんです。

寂しく悲しい夢でした。

すみません。皆さんから見ればどうでもよい話でしたね。

私はなくなった父と同じ年齢になっても父の夢をときどき見るでしょう。
いつまで経っても父は私の父であって、人生の大先輩であって、師匠みたいなもので、器が大きく、マジで誰にも負けないくらい気が強く、尊敬する人物。


私は今まで何をやって来たのだろう。
父のように人生を楽しみ、実のあることをしてきたか。友人はいるか。部下に慕われているか。子どもがいるとすれば自慢できる父となれる器か。

………


記念すべき日に焼き肉の話からいつしか、自分の人生を反省してしまったボスでした。

時間の流れるスピード

今、エビフライ食べて、あと、カマンベールチーズ食べて、レモンかじりながら鶏モモ食べて、その後、画像のようにレモンティー飲んでるところなんですがね。

「時間の流れるスピードは違う、変わる」と言っていた方がいらっしゃいましたが、本当かもしれないな、と思っています。
どういうことかというのは今説明できませんが(なんだよ)、ま、そういうことを考えています。

今、日曜日の午後9時前。気分はブルー。

平日、今の時間帯家にいるとすれば、開放感に浸っているところですが、今日は日曜日でさんざん家で休養していたにも関わらず、気分は多忙に過ごした平日よりかえって落ち込んでいるというのは、これ、人間の思考の不思議なんですよね。
不思議と言うか、やっぱり頭の中で明日から5日間始まるのをうんざり考えているんですよね。
で、うんざりとは言え、また木曜日が過ぎ、疲労がたまっているはずの金曜日にはかえって気分がよくなっているという…。
この人間の心理の妙。

今日はこれから、明日からのことを考えなければならないので記事はここでやめますが、こんな気持ちを持っていらっしゃる方、気分をいい方向に変える方法がおありの方とか、語りませんか。

「念」についてちょっと

ラジオテレフォン人生相談を聞きながら珈琲を飲んでいる。カップはマイセン。

マイセンと言えば、以前、骨董品店でマイセンのまがい物、店主いわく「マイセンのアウトレット」というものを2客買ってしまい、家で眺めるにつけしみじみ後悔の念が押し寄せてきたということがあったんです。あったというか、現在でもそのカップは手元にあって、やっぱり使う気がしないんです。だってサ、マイセンのアウトレットってマイセンの販売元が売るはずはないし、きっと「偽ブランドでだましてやろう」という思惑で作られたとか売られた品物でしょう。そうした妙な念が入った品物って使いたくないですよね。でも、何とするわけにも行かず、そのカップを見るたびに後悔しているということです。

ところで、今、「念」ということばを申しましたが、念って残るんですよ。モノとか建物、特に部屋とかに。

こわい話で例えると「いかにも」という感じになってしまうのでこわくない霊、いや例で申しますと(ってこわがらせたい気持ちが見え見えですが)、以前聞いた話です。

えっ?やめましょうか?
アッハハハ大丈夫。こわくない話ですよ。以前、こんな話を聞いたのです。
ある研究室では、そこの人、メンバーがガラッと変わっても、その後全く違った研究をしても、ノーベル賞クラスの発見が相次いで生じるというんですよ。

特別すごい、突出した人間が研究室に入っているというわけではなく、また、その研究室も特別突出した設備、お金があるわけではないと言うんですね。

実はどうも、その研究室には何かしら飛び抜けた発想をさせる「気」というか「雰囲気」、研究者が言うところの「念」みたいなものがある、と言うんですよね。

わかる気がしますよね。

私の好きなジャック・ニコルソン主演の映画に「シャイニング」というものがあるのですが、ちなみにこの映画、私がある種、ホラーの最上位に位置付けている映画なんですが、それくらいこわいのですが、その映画の中で、霊感の強い黒人のコックが言うのです。
「トーストを焦がせばその匂いが部屋にしばらく染みつくように、人の念もそこに残るものなんだよ」と。

うーん、この言葉には妙に説得力がある。

というわけで‥さあ、あなたのお部屋、その土地にはどんな念が残っているのでしょうか……
(って結局こわい終わり方ですみません。)

「自分のことは自分がいちばんよく知っている」というのは本当か

先ほど22時33分ころ、泣き虫ボスさんの住んでいる県の中南部でやや強い地震がありました。

ボスさんの住んでいる地区の震度は……

はー‥、良かった。

4ではない。4だったらすぐ職場にかけつけなければならないところだった。

4月上旬にも夜2回ほど震度4の地震があったりして、そのうち1回は23時40分すぎだったりして、ドキドキしながら職場に向かったりして、そうしたことがトラウマっぽく残ってましてね。地震があるとかなりドキドキ&ガッカリしたりするのです。

だってサ、金曜日の晩は私が1週間で唯一、開放感に浸れる時なんだよ。
       ダヨ
ヽ(´・ω・`)ノ
書店で休日に読む書籍を購入して帰り、食後、「今日はどんなカップで珈琲飲もうかな」(なんでハートじゃ)とかくつろいで、ちょうどさっき「今日はターコイズジャスパーで。ウェッジウッドさんは最近ごぶさただったし」とかつぶやきながら珈琲飲もうとしていたさなかだったんだよ。
      ダヨ
ヽ(゜▽、゜)ノ
いや、間違えた
      ダヨ
ヽ(´・ω・`)ノ

そんなひとときの地震だったんですよアータ!!!!!(怒鳴ってどうする)

いや、でもほんと4でなくてよかったです。

さて、標題の「自分のことは自分がいちばんよく知っている」というのは本当か、と申しますのは、それはほんとでしょうということです。


以上。オワリ。



でですね。話題を変えて(ってもう変わるのかっ)、あなたはご自身のお気持ち、ご自身がよく知っているとお思いですか。
自分の気持ちは自分は非常に良く知っている、とお思いですか。

私事で恐縮ですが、私、今日、ふと思ったのです。職場のトイレで。おしっ○最中(すみません)。

「昨日は私、朝、車からおりたくないほど職場に行きたくなかったのに、今日はなんとなく気分よく過ごしているな、これはどういうことなんだろう」と。そう思ったんですよ。

実際、昨日から今日にかけて仕事の内容は変わらず課題が山積なんですよ。状況は変わらない。

でも気分は変わっている。なんでかな、と。

自分のことは自分がいちばんよく知っているといいますが、自分が知らない自分の気持ちってあるんですよね。

例えるなら、あなたはご自身の倉庫、引き出し、家の押し入れとかの中身をすべて知っていますか。
なかなか「はい」とは言えませんよね。

そんなご自身の家の倉庫などの中身すらすべて知らない、記憶にない場合があるくらいですから、人って、膨大な広がりのある自分の気持ち、無意識・潜在意識の領域とかであれば、実は知らない部分ってすんごく大きいんじゃないのかな、と思ったんですよね。

私は最近、ほんと将来に希望を見いだせずにおりますが、それでも人は生きなければなりませんよね。であれば、できるだけ希望を見いだすように、できるだけ楽しく生きるのが楽で、有意義な暮らしができますよね。

昨日と今日の気分の違いがどこから来るのか、今日が金曜日であったからという理由だけではなく、何が自分の気持ちを変えたのか、今晩はちょっと、自分の気持ちという広大な倉庫の中身を調べてみたいと思っています。
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