うちの長の退職

仕事の話です。


今日、うちの長が職場を去られました。

明日、定年退職で、本庁で退職式に出ることになっており、支社に当たるこちらの組織には今日、お別れをしたのです。


長にはよく無理難題みたいな仕事を命じられました。

でも、今思えば充実していて、有意義で、やりがいがありました。

その長が今日、退職で去られました。


長はよく地域の大会、行事に呼ばれ、たまに長の奥さんもいらして、私もお供みたいなことをしたりいたしました。

夏の大花火大会、地域を代表するジャズグループの壮行会、大マラソン大会への出席とか、私もお供したものです。


長が焼いた茶碗を拝見したり、熟成生ハムをいただいたりもしました。

そうした長が、今日、去られました。


夕方、社の百数十名で玄関あたりからタイタニックの最後あたりに出るシーンみたいに皆で並んで長を見送りました。

花束を持った長は手をふりながら応え、腹心のK部の部長と、もう一人と、片手で握手して去っていかれるところでした。

でも、なんと最後に私に近寄ってきて、花束を脇に挟んで、私に両手を差し出し、私の目をじっとみて、握手をなさったのです。

「○○(社名)を頼んだよ」と。

おどろきました。そして、身震いするような「気」を感じました。

本社を含む社で三十数年の多くの経験を積まれた長が、多くの方々に見送られる最後の最後に、私にかけた言葉、気持ち…

それを感じ、私は熱くなりました。


昨年の5月ころには精神的に大変で、仕事をやめようかな、とか泣き言さえ言っていた私ですが、これから、誠心誠意、「最大のマジ」で仕事をやってみようかな、と思っています。

震災を経て思うこと

皆さん。

支障なくお暮らしですか。

私の地方では地震でそう被害は出ていないのですが、やはり物資が不足しておりまして、特に今、支障が出ているものの一つがガソリンなんですよね。

ガソリンスタンドは5分の4以上が閉まってまして、たまに開いているスタンドは長蛇の列。

今、私は通勤にバイクを使っています。


ご存じの方はご存じでしょう。例の、かつて、とあるツーシーターの女性の車とバトルを繰り広げた、あのバイクですよ。

画像は愛用のSHOEIのフルフェイス。
これで戦場に向かいます。私の戦場に。非常に寒いです。

でも、被災地の方々、避難所の方々の暮らしを考えると、お風呂にも入れるし、ほどほどにごはんを食べられる私は幸せですよ。


地震が起こって、その後、私は記事に「価値観が変わった」と書きました。

ぜいたくでなくてもいい。ふつうの暮らし、大禍ない暮らしがじつはほんとうの幸せなのではないのかな、と思ったりしているのです。

人は、1のものが欲しくなり、それを手に入れると、今度は2、そして次は3、4と、以前以上のものが欲しくなります。麻痺するというか、それがふつうになるというか。

私の亡き父親は以前、しょっちゅう「お茶漬けの暮らしからどんどんぜいたくになってお刺身、ステーキの暮らしになると、なかなかお茶漬けの暮らしには戻れないものだよ」と言っていました。
食べ物に例えたほんの一例(「例」がダブっているなんて言わないでね)ですが、ほんとうにそうですよね。

私は今までの、ほんとぜいたくな暮らしを反省いたしました。

ささやかでいい。健康で、波風なく、日々ふつうに暮らせるのが、まずは幸せ。

これを忘れず、感謝の気持ちをもって暮らしていこうと今思っています。


自分のことばかり書きましたが、被災地の方々、避難された方々、ほんとうに大変でしょう。
報道、そして現地に行かれた人びとの話を聞いたり、仕事で情報が来たりして、大変なことは知っていますが、実際は、想像に絶する事態になっているところもあるでしょう。

原発事故により、あの辺は今後人は住めないだろうし、観光にも行かれない、食物も得られない、日本の空白地帯というか、実質、日本の土地がぽっかりなくなってしまったようなものなのではないでしょうか。

恐ろしいことです。

高い高い、高すぎる塔を作った結果のような、その結果のような、うまく言えませんが、人が手に負えないものに頼りすぎた結果みたいな、あんな事故は二度と起こってほしくない。「想定外の災害」では済まされない。
想定できないことが世の中にはやはりあるんですよね。であれば、最悪の事態が起こっても、人間が何とかできること程度にしておくべきだと思ったりして。

もっとも、そう言えば「地下鉄」や「飛行機」はやめなければならなくなるでしょうけど。

とにかく。

放射線はいらねぇ

牛乳を飲みてぇ

ナンテ忌野清志郎さんが歌っていたな…あれですよ。

驚くべき出来事

皆さま、お身体お変わりありませんか。

私は現在、災害対策本部で、うちの管内への被災者の受け入れ体制整備と支援物資対応でなかなか記事が書けません。


今回は、私が入院していた2009年1月13日の記事でおくつろぎください。

    

〜・〜・〜・〜・〜・〜・

今回は非常にはずかしい告白をしてしまいますが、どうか私を軽蔑しないでください。

このあいだのことです。入院先の病院で消灯前、洗面所に行ったら、以前お知り合いになった、年の頃そう‥50代後半のご婦人の方と立ち話になったんです。

その方はある方の付き添いで泊まっておられる方、品のよい初々しい感じの小柄な方。役者さんで言えば市毛良江さんに雰囲気が似ている感じで、入院生活とか病状のことで話が弾んだんです。

消灯21時近くとなると多くの方はすでにお休みになっています。洗面所には人通りもなくとても静かになってるんです。
で、私もその方も楽しく一通り話をして「では」とあいさつをして病室に戻ろうとしたんです。

その時です。

「あっ‥ちょっと…」
その方が私を呼び止めたんです。「あの…ちょっとこっちへ来てほしいんです。お願いが…あるんです…」

ドキッとしました。

洗面所は2人だけの世界という感じになってます。いや、そう意識するのがおかしいか。そう。私がおかしい。でも、相手の方の視線はとても好意的で、その‥なんというか‥妖艶(言ってしまった)な感じなんです。

「なんだ‥なんだろう。この感じは」(私の心の声)

洗面所の左側にはコインランドリーのスペースがあるのですが、なんと、私はそれまで知らなかったのですがそこには死角になる感じでアルミの扉の部屋があり、なんと!!その方は私をそこに招くように誘導するではありませんか!!!!!(“!”は私の衝撃レベルを表しています。名誉のために言う。期待度ではありません)

おどろきました。

さらに私の血圧を80ミリ高めたのは、その方、私を招いたあとは振り向きもせずそこにあるアルミの扉を開け薄暗い中に入って行き、私に有無を言わさず私も入らざるを得ない設定にしたのです。

ドキッ、ドキッ、ドキッ、ドキッ…

悩みましたよ。ですが私は年齢の上下関係を重視する人間。人生の大先輩には従わなくてはなりません。相手に従って中に入りました。相手に恥をかかすわけにもいかないし(はあ?)3割弱くらい覚悟を決めた感じです(なんの覚悟じゃ)

で、やっぱりでした。いやーまいった。案の定。彼女の目論見にハマってしまった感じです。
なんと、入り口にいて中に私を招き入れた彼女は後ろ手に扉を閉じたのです!!!!!!!!!!(倍にしてみました)

ドキドキドキドキ…ハァーハァーハァー…一瞬呼吸の音だけしか聞こえない気がしました。

「私の…純情が…おわるのか…私は‥取って喰われるのだ‥な…」

一瞬の沈黙。見つめる彼女。互いの視線が絡み合いました。


そのとき彼女が言ったんです。

「あのー。あの高いところにあるクツシタ、とってくれますか」

   !……!?
ガチョーーンですよ。その部屋、入院者の洗濯物を干しておくスペースだったんです。彼女、クツシタとってもらいたかっただけなんでした。

それならそうと先に言ってよ!!

いやー…久しぶりにチラッと、というかかなりときめいて(不整脈ですが)しまったことを告白します。でも誤解しないでください。私は硬派です。死にたくもないし(って死ぬのか)万一のことがあったら「ザーッス ごっちーっス」と逃げるつもりでした。

大災害

先ほど仕事のローテーションを終えた。

職場で24時間体制で災害対応している。

明日からは組織で人員の災害地派遣が具体的に検討されるだろう。


災害、津波、火事でものすごい多数の人がなくなった。

こんなことがあるとは。
まったく考えることがなかったし、想像すらしたことがなかった。


睡眠から目覚めると、あれは夢だったのではないかと思ったり。


価値観が変わった。


長い長い、ほんとうに長いみちのりになる。

衝撃の女医さん

《ボス リバイバルシリーズA/10》

この記事は2009年9月10日、私が手術に向けてダイエットで苦しんでいる頃、手術する東京の病院で遭遇した衝撃の出来事です。なつかしいなぁ…

では、ごゆっくりどうぞ。
    

〜*〜*〜*〜*〜*〜

あなたと‥食べたい‥エチオピアのカレー(って私はイ・ビョンホンさんかいっ)


先回、「眠れない出来事があった、次回書きます」とか記事にしました。
眠れない方がいらっしゃるとまずいので書きますね。

じつは今回の東京での検査は「心エコー」の検査だったんです。心のエコではありませんよ。体の内部、今回は心臓あたりを超音波で見る検査です。

衝撃の出来事とは、担当の医者がとても若い、深キョン似の女医さんだったことなんですよ。

アレッ、ですよ。

心エコーの検査はカーテンの引かれた薄暗い部屋で行われます。上半身はだかでベッドに横になってなされる禁断の行為。いや、禁断ではないな。禁断だったら検査自体禁止されるし。

でもドキドキなのは間違いありません。


女医さん:「では、上半身はだかでベッドに横になって、お待ちくださいね」

ボス:「は、はい…」

(女医さん、一旦カーテンの外へ)

目を閉じしばし待つ私。落ち着け。落ち着くんだ。


女医さん:「では、体を向こうに向けてください」

ボス「ハッ、はい」

気づいたら女医さん、すでにベッドの横に来ていました。


女医さん:「これから体にゼリーを塗って、中を超音波の器具で見て行きます。ちょっとひんやりしますからね」

そう言ったかと思うと、なんと女医さん、ベッドに腰かけ私の体に体を密着させるではありませんか。

で、薄暗い部屋で(くどい)更に言うんです。

女医さん:「体をこちらに‥私に倒してください‥」と。

ボス:「た、倒す?」

もうドキドキですよ。

女医さん:「あらっ、おかしいなぁ、心拍数が高いですね。」

あったりまえです。

ボス:「あ、いや、すみません、いま戻します」(戻せるんかい)

女医さん:「うふっ緊張しなくていいですからね」

ボス:「‥すみません」


ぎこちない会話。


で、女医さん、ゼリーの付いた器具で私のボディをゆっくりくすぐるようになめまわ‥いや、なでまわすではありませんか!!

ボス:「はうぁ」ですよ。

薄暗い部屋ではベッドに2人(って表現がいやらしいな)、背中に女医さんの体温が伝わってきます。緊張感はピークです。


女医さん:「あらっ?おっきい、大きくなってますね」
ボス:「はうあっ!!」


まいりました。すべてお見通しです。はずかしい。

女医さん:「心臓が‥おっきい」
ボス:「はい?」

よかった…。あぶなかった。

私、目を大きく見開いていたんです。

目ですよ。目ですからね。もう。プンプン(ってなんなんだ)


願わくばこの時間が2時間くらい続けかし‥などと古語を使って思ったりした私。

その後、嫁の、いや夢のような時間が過ぎ(寝てました。冗談です。ギンギラギンでした。告白します)いよいよお別れのときがやってきました。

女医さん:「お疲れさまでした。これで終わりますね。ところでボスさんはおっきいですね。心臓が大きめ。血圧が高かったことがありますか?」

余韻がさめやらない私、最後は女医さんの目を見、カッコよくキメようと思いました。

「フッ‥ア ス リ ー ト ですからはぅあっ!?」

驚愕です。驚天動地。なんと深キョンが50代の柴田リエさんに変わっているではありませんか!!!!

最初カーテンから出た女医さん、じつは女医さんでなく事務の方で、その後入ってきた方が女医さん、柴田リエさん似の女医さんだったのです。


あの温かいぬくもり、湿りのある声、何よりあの「うふっ」は何だったんでしょうか…


しばらくは私、眠られません…
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