ユニークなうどんですが、ご一緒にいかがですか







って、こんなの食べれるわけ…

ないパオーーーッ!!!


ダヨネー‥モフモフ。





ってクドいぞボス。





はい。やめます。




さてと。先回は友人のバスさんがここで好き放題にお下品な記事を書いていたようで、失礼いたしました。

あの日、バスさん、無事1階のトイレにたどり着き、和式でホッとしたそうなんですがね。

1階のレントゲン室の近くにあるそのこじんまりとしたトイレはバスさん馴染みの店‥いや、トイレで、中の二つある「個室」の方はいずれも和式なんですよね。
で、バスさんなかなかおもしろいことおっしゃってましてね。
と申しますのは「人間のテレパシー」についてなんですよ。鍛えようによっては人間はすばらしいテレパシーを持つことができるのではないかという話なんですよ。

バスさん、和のトイレでホッとしている最中、音からして看護師さんに車椅子を押されたおじいさんらしき人が入ってきたんですがね。隣の、やはり和式の扉を開け「アレッ」とおっしゃったのですよ。
で、今度はバスさんの入っているやはり和式の扉を開けようとしたんですが当然バスさんが入っていると。
で、バスさんすかさず「こちらも和です、和式ですっ」と上ずった声で言ったそうで、で「ありがとうございます」と返事が返ってきたそうなんですよ。

みなさん、おわかりですかこの意味が。これですよ。先ほど申し上げました「鍛えようによって持つことができるすばらしいテレパシー」というのは。
つまりですね、ここで言うテレパシーとは推理力のことなんですよ。

隣の空いた和式の扉を開けて「アレッ」と聞こえた、で今度はこちらの扉を叩いた‥これでバスさんは相手が洋式のトイレに入りたいことを察知し、かつこのままでは相手がバスさんの入っている和式トイレを洋式だと勘違いしてバスさんが出てくるのを待つだろうと。で、バスさんは相手がガッカリするのも気の毒だし、第一扉の外で待たれるのもいやだし、で瞬時に「こちらも和です」と言ったのですね。

これって幼稚園児では推理できませんよ。青年中・後期にかけて自然に身につく配慮、推理力。いや、大人でも相手の立場で物を見ない方だったら気付かないかも知れません。
バスさん言うには、この行動の一例はまったく当たり前で普通のことではあるんですが、考えようによっては、これを鍛え応用すればすばらしいことになるのではないかと、弱い人間が自分の身を守ることにつながるだろうし、また、人として生きやすくなる術を鍛えることになるのではないかということなんですよね。

この能力はいわゆる「プロファイリング」とも言えるでしょうね。

これを鍛えれば相手の心も読むことが可能になる場合があります。

例えば「わざわざありがとうございます」と「ご親切にありがとうございます」という言葉の深層心理の違いがおわかりですか。
「わざわざ」とは「しなくてもいいことをしてくれた」という意味合いがあることがあり、時に「こちらが気を使う」時に「ありがた迷惑だ」という深層心理があることもあるのです。
この機微がわかる方だったら「わざわざ」という用語を使わなくなります。「ご親切に」となるでしょう。もちろん「わざわざ」を使っても一向に構わないことではあるんですがね。

もっと例を上げれば、会話で、相手の話に対する返事で、言葉の前に「だから」と付ける方がいらっしゃいますが、この深層心理には「前にしゃべったでしょう、あんたもわからない人だなぁ」という意味合いが入っていることが多いか、または自分の中ではわかっていることについて、相手がわからないと苛立つという方に多いと私どもは見ています。

結局、こうした推理力を鍛えて生きることは世の中の支障を軽減してスムーズに生きるためには必要なことなのではないでしょうか(って誰に問うてるんだ)
でも、他人の身になって、相手がどう思っているかを自然に推理しながら生きるということは、妙なトラブルを避ける意味でも悪いことではないですよね。