おやつ いかがですか

そろそろ準備を始めなくては。

毎晩深夜まで病室のブラインドの間から階下に広がる街並みの灯火を眺めていると、内省的になる。

こうした景色もスイッチ一つでオフなんだろうな‥とか思ったり。

実際そうなんだ。広がっている世界だって自分がなくなればおしまいなのだ。自分がいなくなればその後世界があり続けることだって自分では確認しようがないのだ。

仏教かなんかで三千世界とか言うけど、世界ってそんな感じで三千次元もあるのかも知れないな。人それぞれにあったりして。重ならず。確認しようがない。
世界があり続けるなんて確認しようがないのだ。

だから、今を大事に生きろとか、人生の主人公はあなただ、とか言われるんだろうな。

回りに配慮することはとても大事。ただ、自分をおろそかにしてはいちばんだめなのだ。

テレビを見ている人が画面を楽しまず撮影現場のことを考えていてはだめなのだ。
楽しませるためにつくられた映像を楽しまずテレビ機の仕組みを考えているのは無意味なのだ。

生きているうちに人生を使いきって楽しみきらなければだめなのだ。

来世があるから今はどうでもいいとか考えてはだめ。来世だってあると証明した人はいないのだ。

よく生きるための知恵、手段として楽しい来世があるから苦しくても頑張ろうと考えるのはいいかも知れないけど、それはあくまで手段にすぎない。

現世でいかに魂を使いきるかが大事なのだ。

だから、現世で起こることは肯定しきって対処すべきなのだ。

人生は楽しいことばかりあるとは限らない。苦しいこともある。

人は生まれたときにポーカーの時のように人それぞれのカードを与えられている。

苦しいカードだったらその後うまくいくように悩み考え予測や駆け引きをしながらやっていくしかない。

失敗してもそれは二者択一の自分の選択の繰り返しの結果。今さらどうしようもない。後悔しても無駄。同じ過ちをしないため反省するのは大切だ。

私にとっての第1ステージは準備。親の庇護、基礎固め。第2ステージは実力付け。第3ステージは還元。第4ステージは終末。

竹の節のように区切ってやった方がメリハリが出るし節があった方が丈夫。だからそう恰好つけたい。

これからは第3ステージかな。

あえて恰好つけてしゃべったり、さもそれがあるように言うのも刹那的かもしれないけど、そんな感じでバヤッと考えて生きるのも悪いことではないと思ったりしている。