今日はうちの父親の月命日。

最近よく、うちの父親のことを懐かしく思う。


そうした中、自分の行く末を考えたとき、人は未来に希望的観測を交えるけど、冷静に考えると、人って未来は自分の両親、どちらかとは言えないけど、自分の両親のどちらか、あるいは双方の、似たような嗜好、志向、指向、思考で人生を歩み、終わっていくのではないか、終わる確率が高いのではないかと思ったりしている。

それはある意味確かだろう。
なんと言っても、遺伝子が同じところからきているのだから。

そして、真っ白な紙に例えられる純真無垢な赤子のときから両親の思考、志向、指向、嗜好とかが当たり前のように刷り込まれ、その上にその人の人生が成り立っているのだから。

これはそんじょそこらのマインドコントロールとかの比ではないくらいにその人に影響を与え、その人格そのものとなっている。


だから、自分の人生、幸せとか、人生の意義とか、行く末とかを考えるとき、両親がいかに生きたか、どういったことに喜び、生きがいを持ったか、とかを自分に当てはめて考えると、「あっ、そうだったのか、自分の喜び、人生の目的、生きやすい生き方ってこういうことだったのか」とか、あと自分の将来の体力の目処、行動とかの可能性といったこともわかることも多いのではないか。

そう思ったりしている。