皆さん、最近いいことありましたか。

楽しく暮らしてらっしゃいますか。


うちはなんかこう、なんといったらいいのか、無難な生活をしておりますよ。

波風ない、無難な生活。

これといって「すばらしい」とかいったこともなく、非常に無難な生活。

見方を変えれば平凡。

なんか物足りない。


よく、巷で、「幸せを探すよりも、幸せと感じる心を探した方が幸せになれるものだ」とか言われますが、そうかもしれませんね。


さて、標題の「人生におけるささやかな楽しみ」についてなんですが。

題名はささやかですが、大きなテーマとも言えます。でも内容はささやかといえばささやか。

いえね、人生の幸せにはいろいろなことがありますが、その幸せを感じる感覚って、いわば五感が気持ちよく、心地よく感じるものも大きいんじゃないか、と思ってですね。

五感とは、視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚のことですよ。

で、私が今感じていることは、世の中、おいしいものを食べるのは大きな幸せと感じる方が多いと思いますが、世の中こう不景気とかパッとしない状況の中、こうした五感をいかにもっと高めるのかが、更なる幸せのステージにつながるのではないかと思ってましてね私は。

つまり、おいしいものを食べるにしても、実際、おいしいものをほんとうに、とことん味わって食べている方がどれほどおられるか。

例えば、おいしいものを口に入れる。
味わう。
咀嚼する。
うなずく。
味わう。
飲み込む。
ためいきをつく。


物を食べるときにはふつうこうしたプロセスをたどると思うのですが、私はここで、飲み込むときにもうちょっと時間をかけてはどうかと思うんですね。

胃袋の大きさ、許容量はあるていど決まっている。
あるていど食べたらおなかいっぱい、楽しい食欲が急激におさまる。

私はこの、おなかいっぱいになるまでに、いかにもっとこう、食べ物を味わい楽しむ時間を増やすか、持続できるかが、食べる幸せの質をアップできるかのカギではないかと思う。

ヘンな話、皆さん、食べ物、食べて飲み込みますよね。
その、まさに飲み込む瞬間、一度お試しください。飲み込むのをこらえ、もう一度味わってみてください。
「きたない」とか言わずお試しください。第一、口の中で飲み込むものがきたないはずはありませんよね。お試しください。よろしければ。

そのときあなたは知るでしょう。「まだまだおいしいんじゃない!」と

そうです。もっと味わえるのです。楽しめるのです。
これを性急に飲み込み、あっという間におなかいっぱいにし、はー‥食べたな、楽しみが終わったな、とか思うより、もっと食べるプロセス、時間を楽しむ。これが一例として、ささやかな楽しみをふやすことにならないか。
いや、食べ物を牛さんのように反芻しようといっているのではありませんよ。もっと時間をかけて味わいましょう、ということなんです。


あと香り、嗅覚で楽しむ、というのもありますよね。
例えば、珈琲をドリップする。
香りが立ち上る。

私はここで、珈琲豆が蒸され、ふくらみ、そのとき立ち上る香りをとことん楽しみます。

珈琲の滴下した液体自体の香りより、もっとはるかに香ばしい、珈琲本来の濃厚な香り。これをとことん楽しまないのは、ほんとうに、もったいないこと。

珈琲、飲む際も、私は口に含み、すぐゴクッとはやらない。
濃厚な液体を口に含み、珈琲の深い味が自然になくなっていくくらいに時間をかけて味わったりする。


こうしたささやかな、日常ふつうに五感で何気なく短時間で楽しんでいることを、もっともっとじっくりと時間をかけて楽しみつくすことが、限られた人生の時間をもっといつくしむことにつながるのではないかと思った珈琲タイムのボスでした。