私は昨日は言い過ぎた。
昨日の記事。
インスタントラーメンとかに入れた卵の黄身を崩すのを言語道断、とか、あり得ない、とか。
言ってしまったことについて。
価値観、味の感覚は人それぞれ。
私がラーメンとかのスープ入り麺に入れた卵の黄身を崩さない、という方向性を決めたのは、小学校低学年のころ。
たしか、鍋焼きうどんに入っていた卵を、どうやって食べるかで考えていて、崩して食べたんだと思う。
そうしたら、うどん、スープを全部は飲めなくて、残してしまったと。
大事な卵の黄身をスープに溶かし、それを残した後悔。
あと、濁って残ったスープの景観のわるさ。哀れさ。それがかわいそうだったんだと思う。
第一、黄身に麺を絡めて食べるならまだしも、大量のスープに黄身を溶かして、スープを濁しながら食べる無意味さに、小学生時点で疑問を感じ、これは絶対おかしいぞと思ったんでしょうね。
幼少のころに決めたこと、思い込んだことは変えにくい。
いや、変えられない。
実際、私は誤ってなかったといまだに確信している。
だから、昨日みたいな記事を書いた。
ただ、味の価値観、感覚は人次第。
他人の感覚には意見は付けられない。
そういうことなのです。