桃を食べるといつも思い出すんです。中沢啓治原作の「はだしのゲン」のある一コマを。
はだしのゲンというのは、広島原爆で被災した少年ゲンを主人公にした漫画、物語で、戦争の悲惨さとか人間の生き方とか、はかなさとか、いろいろ考えさせられる物語なんです。
その一コマで、食料も乏しい中、何かの幸いで桃を手に入れたゲンだったんですが、確か、被爆で亡くなった姉だったかと思うんですが、その姉とそっくりの女性に大事な桃を食べられる(もしかしたら食べさせる)んですが、その女性が桃を発見したときに、「桃じゃないのっ」とゲンから桃を取り「ガブッ」と食べるというシーンがあり、そのシーン、小学生だった私はそれを見て、いまだにその「桃じゃないのっ、ガブッ」が忘れられないのです。
で、桃を食べるときはいつも物悲しいような、懐かしいような、私が少年だったころのそろばんを習っていたころのこととか、いろいろ思い出してしまうんですよ。
あと、なぜか、これも小学生のころ、両親と兄弟とで北海道旅行で青函連絡船に車で乗ったとき、隣に固定されたトラックの荷台にたくさん桃の箱が積んであったこと。なぜかそのことを必ず思い出すんです。
あれから、思えばほんと、遠くに来たものです…。
最近、昭和30年代前半の人のような暮らしをしています。
ほとんどテレビを見ない生活。
見る元気がないんです。新聞も読む気がしない。ブログもなかなか書く気力がない…。病気だろうか。
いつも外界が他の世界の物語のように、別の世界のことのように感じるんです。そう見えるんです。
楽しいことがない。楽しい気持ちにならない。
「幸せはいつも 自分のこころが決める」とか、ヘタウマの文字でどこかの「りっぱな人」が書いていましたが、それば自分のこころ・意思で、自分で幸せになれる人を対象にしたことば・格言?です。「お金があれば幸せだ」というのと同じ次元の話なんじゃないでしょうか。じゃあ、お金はどうしたら得られるのか、幸せを決める自分のこころをどう幸せを決めれるところまで持っていくのか、方法が書いていない。無責任なことば。これを他人に「これを読め」とばかりに書いて「心に刻め」とばかりに訴えかけている。自分の覚え書きくらいの話ならほほえましいが、あのことばは客観的にどう見ても外部の人宛てに書いていることば。他にもいろいろ「これを読んで感化されなさい」とばかりに出回っていますよね。今の私にはおしつけがましく思えたりするんです。
そのように考えてしまう私はいじわるな人間なのだろうか。悪人なのだろうか。
このような考えになるまで私の気持ちはすさんでしまいました…。
誰かに救ってほしいです。
2010-8-25 21:56
桃を食べると思い出す
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すぐに答えが出るような事ではないので、ゆっくりと行きましょう。
今日、私は山形産のを買って来ました。
が食べたところ、味は良いのですが、少し固かったそうです。
私は固いが結構好きですけどね。
格言のお話ですが、私は「心に刻め」で良いのだと思います
というのは、幸せに感じるのは
幸せな事があるからです
幸せな事がない時に幸せにはなれません。
心に刻んでおくと、幸せな時に幸せになるチャンスを掴めるからだと…
幸せなのに
感じ取れないときもあります
感じ取れなくても
自分が幸せと伝わらないまでの
自分のどこかの部分で
幸せな事を覚えていますから、それを元気なときに呼び起こす事もできます。
気付こうとしなければ見逃してしまうので、「心に刻め」で良いのだと思います
格言が幸せにしてくれる訳ではないので、自分が気付ける事が大切なのだと思います。
心というのは、コロコロと変わる、だからココロと言うのかもしれません。
自分の気持ちや感情しだいでいくらでも変わってしまうからなのでしょうね。