2015.2.17の記事。
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私は家兼カフェを新築し、古い家とそこをしょっちゅう往復しているのですが。
新しい家と古い家は、約四十キロメートルほど離れており、古い家から新しい家に必要なものを取捨選択して運んでいるのです。
古い家は、いずれは取り壊しになるでしょう。私があの世に行く前には。
古い家から新しい家に運ぶものは厳選し、洗練した最小限のものだけを運ぶようにしている。
そして、いずれ畳む古い家のものは、少しずつ片付けるようにしているのですが。
さて、古い家の私の部屋の書棚とかには、以前からの断捨離で、極めて限られた書籍が残っているのですが、私は今日さらに、書籍をもっと断捨離しようと試みたのです。
部屋からことあるごとに、例えば一キロずつでも荷物を処理したり捨てたりするのを繰り返すと、いずれは部屋はスッキリからっぽになるでしょう。
私はそれを目指そうと思っていたのです。
で、今日は書籍、いくらかは断捨離をしようと。
いや、しかし。
断捨離って難しいものですよね。
本、もの、すべてに思い出があり、思い入れがあり、もったいなさがあり、眺めて考えると、必ずといっていいほど得るものがある。
以前見た断捨離に関する映画で、断捨離するか否かの決め手は「その物にトキメキがあるか、持てるかどうかだ」というのがあったけど、今日の私の場合、断捨離を繰り返して残った物、本とかの更なる断捨離ですよ。ほとんどすべてのものにトキメキがあるわけですよ。
だから、捨てたり古本屋さんに持っていくものを絞るのは非常に難しいものがあるのです。
でも、そうしていると物はなくならない。減らない。
今日は、私は私という人格から離れ、赤の他人みたいになりきって、本とかを整理しようと決めました。
まず、パソコン関係の書籍は問題なく処分。すべてネットから得られたりできる情報。
呪術、まじないの本は・・いずれ九字の印を素早く切りたいので残すと。誰かに術をかけられたら返したいし、式神とか小鬼とかが来たら困るし。防ぎたいし。
法律関係の本、ジュリストとかはボケ予防にたまに眺めたいし。残そうかな。
私はマンガ、卒業したのですが、残したいマンガはありますよ。
がんばれ元気の最終巻には泣く。あれはほんと、泣かせる巻ですよ。捨てられない。
男組。少年サンデー連載の単行本。あれは私の青春。高校生が機動隊と闘ったり、影の総理と対峙したりするのはあり得ないことかもしれない。しかし、あれは私の青春の力を一定方向に導かせる大事な役割を持った教科書だった。捨てるわけにはいかない。絶対。
北斗の拳は、捨てられようか、いや捨てられまい。
東大一直線。小林よしのり先生の。あれもいい味があり、私の青春の起爆剤だった。今だに懐かしく楽しめる。
いや、これではいかん。
ことわざ辞典。これは何冊もあるのでいちばん厚いのを残し、古本屋さんへ。
お茶の本。
禅の本はどうか。
禅の本を開く。
この本は、今から二十年以上前、茶道の師からいただいた本。
開いたページに「本来無一物」のことばがある。
人間、生まれた時は、なにも持たない体だった。
いや、その前は、母親の胎内で細胞だった。
この世に生を受けて、得た、と思っているものは、すべて、あの世に行くときには手放すもの。
現在持っているものは、すべて借り物なのだ。
生まれもった良心を生かして謙虚に進むのが人間本来の姿なのだ。
そう。
人間本来無一物。現在持っているすべてのものは、この世での借り物。
物への執着はやめよう。
この本は絶対捨てられないと決めた時点で、今日の私の断捨離は終了しました。
物はすべてこの世での借り物でしょうけど、この世に生を受けた以上、お借りしたものを大事に活用し、充実した生を生きる。物に縛られないようにできるだけ気をつけながら。
結局、断捨離は難しい。
断捨離って、もしかしたらその持ち主があの世に行った後、機械的片付けのプロからやってもらうのがいちばん楽なのかもしれません。
画像はあっさりと鉄火巻きです。よろしければどうぞ。