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わびしくスープ

低炭水化物ダイエットをしていながら、昨日、丼物を食べたのですが、そのまま体重になってしまいました。

よって、今日のお昼のメニューはわびしくスープ1杯です。


今日のお昼は、なんとなく休める雰囲気があり、いまは職場でゆったりしている。今だけは。



さっき、ロトを予想した。

もう、これ以外には考えられない、という渾身の3口を予想した。


ロト6、1等当たったら、まずは今年度で今の仕事をやめる。

そして、半年以内にカフェを開業する。



あとは祈るだけだ。

炭水化物カットダイエットの恐怖

画像は今日、お昼に出張先で食べた醤油ラーメン、コーンとネギのトッピング。

ただし、箸をつける前に、同僚に麺をすべて取ってもらったので、結局、醤油ラーメンをオーダーし、ラーメン(麺)は食べていないというお昼です。


私は、3週間弱前から、本気でダイエットしていることをこのブログに書いてます。

4月までにあと25キロ筋肉や脂肪を落とすのが目標。
その頃には、北斗の拳のトキ(ケンシロウの兄。北斗三兄弟の次兄)体型になっているはず。



じつはここ3週間弱、毎日2百グラム程度ずつ体重が落ちていたけど、数日前、金曜日、いつもは抜いているお昼に、カロリーメイトを2本食べたのです。

そしたら、夕方にはなぜか、物を食べたくて食べたくてたまらなくなったのです。


炭水化物カットダイエットのこわいところは、じつはここにあるのです。

いつもは摂らない炭水化物を摂ってしまったときに、揺らぎが生じるのです。
揺らぎ、とは、血糖値の乱れです。
血糖値の波が、高くなり、その後、高くなった波の分、低くなるのです。
その時に、激しくそわそわ落ち着かなくなり、ついつい誘惑に負けて、何かしら理由をつけて食べてしまうのです。

炭水化物カットダイエット時の炭水化物摂取は、あたかも静止した弦楽器の弦を弾くがごとく空腹の音を高らかに発し、それが長く共鳴し、食べない時に感じる空腹以上に空腹感をかんじさせるのです。

ほんと、おそろしい。


で、金曜日、いつもは食べない昼に、カロリーメイト2本を食べただけで、ダイエットはガタガタに崩れてしまいました。

せっかく落ちた3キロの体重が、1.5キロも戻ってしまった。
救いは、戻ってしまった体重の約1キロは、スープとかの塩分を含んだ飲み物の体重だったこと。

幸いにして、これは休日の1日をほぼ断食して元に戻しました。


炭水化物カットダイエットは、確かに効果があるでしょう。

巷で人気のライザップも、これを前提としてその分、蛋白質中心に置き換え、トレーニングを行うダイエットシステムでしょう。


私が危惧するのは、こうした炭水化物をカットするダイエッターが、たまに、たまーに炭水化物を摂取してしまった時のリバウンドなのです。

まさに、慎重に積み上げた積み木を、いかに崩さないか、つまり、炭水化物の誘惑に負けないか、がダイエットの成否を分けることになるのです。

ここで、負けたときには恐ろしいリバウンドが発生する、ということです。


炭水化物カットダイエットの恐怖はここにあるのです。こわいことです。

電話恐怖症

いつからだろうか。自宅の電話が鳴ると動悸がするようになったのは。

先ほども、何気についていたテレビの刑事ドラマで鳴っていた電話音で動悸が始まり、非常にいやな気持ちになった。


思えば、自宅電話が鳴ったことでいい思い出はほとんどない。

たいていが、セールス電話。

マンション経営しないか、NTTの子会社を名乗る極めてしつこい光フレッツの勧誘、養蜂場会社からのセールス、深海鮫エキスを買わないかとかの電話などなど。

まったくしつこい電話の数々。

こうした電話は、こちらでまったく不要で切りたいにもかかわらず、切らせないようにしてしつこくつなぐ迷惑なもの。
やりすごした後でも、いやーな、後味わるい感じが残るし、貴重な時間が費やされる。大事なことも中断されたり。



最近、ナンバーディスプレイに加入した。


着信は案の定、0120云々が多い。

あと、ネットで調べると北海道札幌とか、あと、○田養蜂場とか、評判のわるいクチコミの数々。


自宅固定電話はセールスを受けるためにつけているのではない!

携帯電話、スマホで用が足る時代、自宅電話はもはや不要なのではないかとも思っている。

そう思わせるほど、私はしつこいセールス電話の数々で電話恐怖症になってしまった。



画像は北海道産海ツブ。
大好きなお刺身。これでツブやいてみました。

本来無一物

2015.2.17の記事。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

私は家兼カフェを新築し、古い家とそこをしょっちゅう往復しているのですが。

新しい家と古い家は、約四十キロメートルほど離れており、古い家から新しい家に必要なものを取捨選択して運んでいるのです。

古い家は、いずれは取り壊しになるでしょう。私があの世に行く前には。


古い家から新しい家に運ぶものは厳選し、洗練した最小限のものだけを運ぶようにしている。

そして、いずれ畳む古い家のものは、少しずつ片付けるようにしているのですが。


さて、古い家の私の部屋の書棚とかには、以前からの断捨離で、極めて限られた書籍が残っているのですが、私は今日さらに、書籍をもっと断捨離しようと試みたのです。
部屋からことあるごとに、例えば一キロずつでも荷物を処理したり捨てたりするのを繰り返すと、いずれは部屋はスッキリからっぽになるでしょう。
私はそれを目指そうと思っていたのです。

で、今日は書籍、いくらかは断捨離をしようと。


いや、しかし。
断捨離って難しいものですよね。
本、もの、すべてに思い出があり、思い入れがあり、もったいなさがあり、眺めて考えると、必ずといっていいほど得るものがある。

以前見た断捨離に関する映画で、断捨離するか否かの決め手は「その物にトキメキがあるか、持てるかどうかだ」というのがあったけど、今日の私の場合、断捨離を繰り返して残った物、本とかの更なる断捨離ですよ。ほとんどすべてのものにトキメキがあるわけですよ。
だから、捨てたり古本屋さんに持っていくものを絞るのは非常に難しいものがあるのです。


でも、そうしていると物はなくならない。減らない。

今日は、私は私という人格から離れ、赤の他人みたいになりきって、本とかを整理しようと決めました。


まず、パソコン関係の書籍は問題なく処分。すべてネットから得られたりできる情報。

呪術、まじないの本は・・いずれ九字の印を素早く切りたいので残すと。誰かに術をかけられたら返したいし、式神とか小鬼とかが来たら困るし。防ぎたいし。

法律関係の本、ジュリストとかはボケ予防にたまに眺めたいし。残そうかな。


私はマンガ、卒業したのですが、残したいマンガはありますよ。
がんばれ元気の最終巻には泣く。あれはほんと、泣かせる巻ですよ。捨てられない。

男組。少年サンデー連載の単行本。あれは私の青春。高校生が機動隊と闘ったり、影の総理と対峙したりするのはあり得ないことかもしれない。しかし、あれは私の青春の力を一定方向に導かせる大事な役割を持った教科書だった。捨てるわけにはいかない。絶対。

北斗の拳は、捨てられようか、いや捨てられまい。

東大一直線。小林よしのり先生の。あれもいい味があり、私の青春の起爆剤だった。今だに懐かしく楽しめる。


いや、これではいかん。

ことわざ辞典。これは何冊もあるのでいちばん厚いのを残し、古本屋さんへ。

お茶の本。
禅の本はどうか。

禅の本を開く。
この本は、今から二十年以上前、茶道の師からいただいた本。


開いたページに「本来無一物」のことばがある。

人間、生まれた時は、なにも持たない体だった。
いや、その前は、母親の胎内で細胞だった。
この世に生を受けて、得た、と思っているものは、すべて、あの世に行くときには手放すもの。
現在持っているものは、すべて借り物なのだ。
生まれもった良心を生かして謙虚に進むのが人間本来の姿なのだ。


そう。
人間本来無一物。現在持っているすべてのものは、この世での借り物。
物への執着はやめよう。


この本は絶対捨てられないと決めた時点で、今日の私の断捨離は終了しました。

物はすべてこの世での借り物でしょうけど、この世に生を受けた以上、お借りしたものを大事に活用し、充実した生を生きる。物に縛られないようにできるだけ気をつけながら。


結局、断捨離は難しい。
断捨離って、もしかしたらその持ち主があの世に行った後、機械的片付けのプロからやってもらうのがいちばん楽なのかもしれません。


画像はあっさりと鉄火巻きです。よろしければどうぞ。

私は私を裏切らない。

先日、認知症サポーター研修を受講してきた。


認知症は、縁遠い問題ではない。


親や身近な人がなるかもしれないもの。

自分だって、ならないとは断言できない。



「この道はいつか来た道、この道はいつか行く道」

たまに言われることばです。

子どもが間違ったことをしていた。
あんまり怒るな。いつか来た道。

お年寄りが迷惑をかけている。
温かく接しなさい。いつか行く道。


認知症になったら、おそらく、日常の判断力がかなりにぶくなるでしょう。

若い、まだまだ判断力があるうちが華。

判断力が今あるのは幸せ。

自分の行動を制御できる。積極的にも消極的にも。

落ち込む自由もある。嘆く自由もある。幸せ。


他人は私を裏切ることがあっても、自分は自分を裏切らない。認知症になったら自信はないけど。


自分を裏切らない自分が今いるということは幸せ。


いつか認知症になるかもしれない前に、自分をたくさん楽しんでおこう。
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