約束します

いやー先日衝撃のなぞなぞを発見しました。みなさん、解けますか?

「外国旅行、しかも中東に行っている兄からハガキが届きました。どこから届いたでしょう」

答えはCMのあとで。

ってすみません。答えです。それは「郵便局」

……はい?

いや。だから「郵便局」ですよ。だってしょうがないでしょう郵便局なんだから(逆ギレしてどうする)

あ、そうだ。そう言えば小学生の頃、小学生向けの雑誌にこんななぞなぞがありました。

「お父さんが買ったばかりの立派な背広を着て会社に行きましたがみんなから笑われました。どうしてでしょう」

答えは…言いたくありません(なんだよ)

答えです。「背広は着ていたが下半身は裸だった」

    ………

私、思わず高橋英樹演じる桃太郎侍のように「‥ひゅるさん‥フォー」とワナワナ震えながら言ってしまいました。これってアリすか?じゃ、じゃあさ、「背中に“笑ってください”のイタズラ貼ってあった」じゃだめなの?「みんなが笑い茸食べてた」じゃどうよ?ええっどうなんよオッサンよォ(と凄む小学生)子ども心に「オトナって不潔っ。もープンプンだァ。アッハハハ」と思いましたね。
いずれにしてもこれら出題者は詐欺師です。こうした手口で人をダマすような者は世の中にS&Bカレー曜日の大きめ野菜のようにゴロゴロいます。注意しましょう。


さて。話はぜんっぜん変わります。

先回記事に「手術ってLOVE でもチョッピリセンチメンタル」と書いたところ、幾つかコメで励ましのおことばを頂きました。
ほんとうにありがとうございます(-.-)zzZ  いや間違ったm(u_u)m←これですから。

ブログへの記事ではひとりよがりのくだらないことを好き勝手に書いている私に…。本当にありがとう。


今回、ブログで知り合ったある男性の方が、私のごとき者のために「無事かえるためのお守り」を探すために3つの神社を回ってくださいました。そして、大吉がでるまでおみくじをひいて、しかも「病気 全快早し」のおみくじをひき当ててくださいました。さらに絵馬で願をかけてくださり、そうした画像を地元の「無事生還の神様」の画像とともに送ってくださいました。

こんなことありですか。
ありえますか。ブログでしか知らない私のようなふつつか者のためにですよ。泣きました。携帯持って。

あなたがおっしゃった約束‥絶対忘れません。約束を守るために、万一手術中気持ちよい川が流れる花畑への道が見えたとしても、川の方には行かないようにします。行きません。

また、ある女性の方はご自身も非常に大変な状況なのですが、私の無事のために教会に行って神様と天使にお祈りをしてくださるとおっしゃってくださいました。ご恩は忘れません。私はあなたを人間として愛しますし助けます。私は期待を裏切りません。


先日上記の男の方とオノ・ヨーコに関するやりとりをしたんですけど、今日なにげにテレビを見ていたら、偶然オノ・ヨーコさんがテレビ出演しており、次のようなことをおっしゃっておられたんです。
「1ついいことをすればそれは10になって返ってきます」と。

私は思うのです。
お二方、男性は財布を落とし510円しかないときでも10円のお賽銭を神様に捧げる方、後者の女性の方は、経済的に苦しい時でも募金箱を見ると必ず募金する方なのです。

不思議な偶然です。お二方からそうした話題を聞いていたのです。

こうした神仏を崇めたり見ず知らずの他人のために愛を注ぐ方からは、オノ・ヨーコさんがおっしゃったように何倍もの愛が世の中に波及していくだろうし、ご本人にも何十倍もの愛になって返っていくに違いないと私は思うのです。


みなさん。私はあなたがたから愛をいただきましたよ。必ず今回、元気に復帰しますから!!。で、あなたがたのために大吉のおみくじをひくことを約束します。神様に祈ります。愛を返します。

いまだかつてない旅

画像はカニのおさしみですあま〜いんです。お口に合えばうれしいんですが…


それにしてもボカァまいったよ。

今日はとうとう手術の時期を示されちゃいましたよー。2週間後だって。ウフッ

手術当日は、マインドを至れり尽くせりの旅行を楽しむ境地に持っていき臨むつもり。

旅行の名称はさしずめ「笑気ガスでトリップ! モルヒネ・高濃度栄養点滴付き、豪華ICUに泊まる解離性大動脈瘤人工血管置換の旅、心臓停止3時間付き」って感じかな。いやーこりゃケッサクだ(≧▽≦)アッハハハハ‥ハハ…ハー……
(´・ω・`)ショボーン…

まあいいや。元気になることだし。

痛くなけりゃいいさ。

じつは私、この手術では個人的に目標があるのです。

一つは以前記事で書いたんですが、手術中に夢は見れるか、見れるとすればどんな夢なのか覚えて生還すること。

あと、術後は麻酔から無理やり起こされるそうだけども、その際「じゅげむ」を最初から最後まで13秒以内にしゃべること。

で、余裕があれば更に、始生代、原生代、カンブリア紀、オルドビス紀、シルル紀‥から四積世までしゃべり、ついでにスイヘーリーベボクのフネ‥と元素記号を誦じ、とりあえず円周率下20ケタまで言う。で、さいごは般若心経すべて唱えて元気さ、思考のクリアさをドクターらに思い知らせたい‥という魂胆です。

「患者は思考が混乱しているっ」と騒がれなければよいのだが…。

たのしみだー。

目を見て話すことって

カツの卵とじです。アツアツごはんで召し上がれ


さて…まずリラックスする意味で…怪談を一つ……
カメの呪いの話なんですが…

しても…いいですか…


…そうですか。知りませんよ。


あなたも気丈な方だ…。


本当にいいんですね。


おおっ…考えただけで寒くなる。震えが止まらん…




カメはね…





…のろい。キャーッ



    …………



ゴホン。バレバレでしたか。だよねー


さて。話は変わります。

あなたは人と話をするときどこを見て話しますか。

子どもの頃から親や回りの者に「人と話をするときには相手の目を見て話しなさい」と言われ、それが当たり前だと思ってきましたが、社会人になってからある大先輩に言われたんです。

大先輩:「おまえは自分に自信があるだろう」

私:「えっ、なんでですか」

大先輩「おまえは人と話をするときジッと目を見るが、これはある意味失礼なことなんだぞ」

私:「えぇっ!?……そ、そうだったんスすか。知りませんでした。シターッス」(最後は運動部特有の語尾)

いやー驚天動地ですよ。
いままで自分にはやましいことがなく「見るなら見てください」とばかりに心を開き、相手と目でも話をするつもりで見つめて話してきました。

そういえば就職試験面接マニュアルに「受け答えの際の視線は相手の口もしくはネクタイ辺りがベスト」みたいなこと書いてましたけど、ホントのところドウよ(いきなりタメ口やめなさい)

でも、どうなんでしょうか。

それ以来話をするとき相手の目は見ず、ときどき顔全体をチラッとみる程度にとどめています。

あーっ目を見たいなー。

相手の光彩の模様や瞳孔の開き具合まで丹念に見てみたい。なめ回すように。いや、表現が変だな。しゃぶる‥いや余計変だ。すべて受け入れ合うように(そう。これだ)

互いに目を見ながらでも血圧5ほども変動なく話できる間柄の友達がほしい。

いないんだよね。私と対等に渡り合える勇者が。勇者というより、静かな湖面のような瞳の方と心静かに会話してみたい。

ちなみにお年寄りとは互いにちゃんと目を見ながらふつうに、自然に話をしています。

この気持ちは松岡修造さんあたりはわかってくれると思うんですが…

でも、マジでふつうはどうなんでしょうか。目を見て話をすることは犯罪ですか。犯罪でなくても無礼ですか。知りたいです。みなさんのご見解をお願いします。

犬と私の10の約束



私は病気なんでしょうか。


いきなりナンですが私は先天性の何かにかかっているのかもしれない。


何を言っているのかというと、次の文章を平常心で読めないのです。読むたびいつも目の前が洪水になってしまうのです。
先天性の泣き虫病なのかもしれない。


それは『犬と私の10の約束』(川口晴著 文藝春秋刊 原典:犬の10戒)の10カ条なのです。


犬が飼い主の子に言っていることばだと思います。


うちのわんちゃんもこんなこと言ってるのもしれないと思うとせつなくてたまりません。


4カ条だけ挙げさせていだだきます。




2.私を信じてください。それだけで私は幸せです。


8.あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません。


9.私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください。


10.私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。私がずっとあなたを愛していたことを。




だめです。


お気に入りのカップ

画像は私のお気に入りのEMILIO BERGAMIN氏がデザインした珈琲カップ。
赤い実が愛らしい。見ているとやさしい気持ちになる。これを布に包んでポッケに入れて珈琲飲みに行きます。
スタバはサービスがいい。愛用の850ml入りステンレスポット持ってVENTサイズの珈琲オーダーするとなみなみと入れてくれる。300ml以上のサービス。うれしい。
で、このカップで堪能するのです。安定感もあり、珈琲残量少なくなると広口・白磁の肌の利点で珈琲の澄んだ琥珀色が楽しめる。内側にもちょこんと実がデザインされているのもいい。買ってよかった。

幼少の頃はカップを含み器にはこだわらなかった。鍋でインスタントラーメン煮てそのまま食べていたくらい。一種の親孝行のつもり。
でも、ある日兄が「ジュース飲むにしても瓶でそのまま飲むよりもグラスに氷入れて飲んだら何倍も贅沢な気分になるだろ」と言ったのを聞き深く納得。小学低学年の頃。それ以来、器にこだわるようになった。茶碗は自分で洗えばいい。大事なカップだったら絶対他人には洗わせない。洗わせてなるものかガルルウダー

器に関しては、お茶の精神世界と道具に興味があったこともあり茶道に入道し、多大な影響を受けました。
裏千家15代鵬雲斎元お家元から幸運にも直接今日庵にご招待をいただいた時に、前世からの器との縁の歯車がかみ合ったという感じがしてならない。

いい器があれば料理は質素でも構わない。枝豆3つ、ワカサギ佃煮3尾でも絵になる。晩御飯のおかずそれしかないというのならそれはそれで構わないとすら思える。いい器は料理でもある。

さて。茶碗といえば「茶碗を投げれば綿にて受けよ」ということわざがあります。文字どおり相手が怒って茶碗を投げてきたらやんわり受け止めなさい、その方がのちのちうまくいきますよということですね。

私も最近まで肉食獣だったししょっちゅう献血(どちらかといえば成分。どうでもいいか)しなければ血の気が多すぎる感じでしたが、やっぱ相手が悪くてもこちらもカーッとなってはだめなんですね。

今まで何度か激昂したことがありますが後で考えると全て後悔です。そりゃ翌日でも怒鳴りたいくらいだったらそれは翌日怒るべきかも知れない。でも大抵は翌日までには怒りは半減するんですね。それは怒らず綿で受け止める方がのちのちいい。
生死がかかる場合は特にそう。逃げるが勝ちですよ。もし肩がぶつかったりしたら本当に申し訳なさそうにわびますよ。相手が誰であっても。何かあっても完璧に勝つ自信はありますがそうします。家元から「相手が誰であってもあなどることなく。ネ○○さん」(ポンと肩を叩かれる)と申し送りもされているし。だから私は怒りません。それ以来悪い夢見なくなった気がする。

そういえば「鼠が憎くて家に火を放つなかれ」ということばもありますね。小さな怒りを解消するために大事なものを失ってしまうようなことはするなとの例えです。チラッと怒りの予感がしたとき思い浮かべます。
カレンダー
<< 2009年01月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
アーカイブ