スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

江戸に学ぶ

ホットドック、いかがですか

あと、さっき枝豆を食べたんですがね。枝豆を食べると思い出すんです。
宴会最中。
同僚「あれー、この枝豆、やたらスカ(外れ)が多いなー」

上司「おっ、ワリィそれオレ食ったやつだ」

キャーキャーキャーキャーッ…

すみません。くだらないことを書いて。皆さんが枝豆を召し上がる際のトラウマにならなければいいのですが…(じゃあ書くな)


いや、話は変わりますがブログって旬物、生物ですよね。
実は先日、ここに二千文字くらい文章をしたためていたんですがね、翌日見直すと「は〜‥暗いなー」ですよ。で、掲載をやめました。
見た方はお一人しかいません。忘れてくださいネ(←別にハートでなくてもいいんですが)

さてと。今日はハッキリ言って特別、ネタはありません。たださっき朝風呂浴びてたら(表現が古いな)液体ソープがなくて詰め替え用のソープ入れてたんですがね。

そこでなんとなく思ったんですよ。

題名の「江戸に学ぶ」。
これは、最近特に話題に上る「エコ」については、歴史的、世界的にも非常に珍しい究極のエコ都市であった江戸に学ぶべきだということなんですよね。

言うまでもなく私は江戸を見ていません。あくまでうわさ話です。

江戸ってすごく物のリサイクルが徹底していた都市だったらしいじゃないですか。

極めて一部の話で言えば例えばキレ端(布)とかろうそくの垂れた部分とか、灰とか、ちゃんと回収業者がいて、それらがリサイクルされている、ゴミがでないとか。
生活排水がでないとか。

もったいないお化けがいなかったんですよね。いや、ちゃんといて、目を光らせていたのかも知れませんが。

世の中、最近まで「再利用」とか「もったいない」といったことばを言うと、表現がわるいのですが「貧乏くさい」とかといったイメージがもたれたりしましたよね。

違うんですよね。その「捨てるもの」って決して本人が自分で作れたものではなく、あくまで世の中の恩恵で使わせてもらっているものなんですよね。捨てるなんて簡単にできない、借り物なんですよ。
ちゃんと大事に使って、不要になったら別の、それを必要とする人に引き継ぐ義務があるんですよ。そう思う。

私は昔から缶ジュースとかペットボトル、シャンプーボトルとか、容器の使い捨てが非常にもったいないと思ってましてね。
これ、おそらく百年後には「百年前はなんてもったいない、ムダなことをしていたんだろう」ということになっていると思いますよ。だってサ、チョ考えてみてよ(はい、いつもの女子高生です)缶コーヒーとか、わずか200cc弱の液体がわざわざ金属の容器に入っているんですよ。缶は再利用はされていますがその形成とか再利用に要するエネルギーには莫大なものがありますよ。
普通に考えておかしいと思いませんか。

いや、これは私の狭い視野での言い分ですが、まあそんなこと朝風呂で思ったということです。

では、食後の珈琲をどうぞ

無地のマイセンです。デザインが好きなんだな。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2009年09月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
アーカイブ