きょうはヘレンドのカップで苦みの強い珈琲を。
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一年前がなつかしい。
私は変わってしまった。
人間は食べ物でつくられる。
肉体は食べ物で構成され、思考もそうなんです。
牛を食べる人は牛より強くなります。
チョコしか食べない人は考えがチョコ。
ポテチしか食べない人は考えがポテチ。
魚しか食べない人は考えが魚。(ンな)
でも雰囲気はそうでしょう。牛を食べる人は気持ちが牛より強い。
私は一年半前には、1日1000キロカロリー弱で暮らしていました。
いわゆる「バランスのよい食事」(というか炭水化物ほとんどカットした食事)をとりながら68キログラム痩せました。
これ、病気で体重落とす必要があったからできたこと。
当時、筋肉落としても体重90キログラムだった私、社会復帰して、千数百キロカロリーで社会生活をしてましたらうつ病みたいになりました。
で、これではいけないと、6月ころから蛋白質中心に、お肉とか食べ始めたのですが、そしたら、かつては職場をやめようとまで思っていたほどの消極性が、「たいていの難問でもなんとかなる」とまで思えるようになりました。
あなたが気が滅入っているならば、もしかしたら食事ものどを通らないのかもしれませんが、でもなんとか、私が最初に申したような、強くなりたいレベルの食べ物を召し上がってください。
ところで、世の中、難問に突き当たると、ときどきこんなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。
「神は乗り越えられない試練は与えない。」と。
あの意味が最近わかりました。
たいていの試練でも、人はしなないということです。
しなないで時が過ぎれば、試練もいつしか終わっているのですね。
だから、結論からすればたいていはしぬほどの試練はないわけですから、「神は…」などとも言えるのです。
でも、中には、しんでしまう人もいます。あれって、結局は乗り越えられない試練だったわけなんですよね。その人にとっては。
今日はなんのスタンスも定めないまま記事を書いています。
一年前、二年前に親しかった人と、たまにはお話したいな‥とかおもって考えごとをしていたら、妙なことを思っていたということです。