台風が近づいている。
災害の危機管理業務から外れ、台風、と聞いても動悸がしなくなったのはありがたいことだ。
じつは、不謹慎かもしれないけど、昔から台風はきらいではなかった。
小学1年生のころから、16、7年間、ずぶぬれに馴れていたからなのかもしれない。
台風の、各地の災害の状況を見ながら、大変だな、と思いながら、大雨に当たると何か気持ちが吹っ切れて気持ちいいんだよね・・とか遠い目で思ったりして。
つまらぬことを言ってますが。
さて、私は朝、職場の机までたどり着くのが大変なのです。
たどり着けばなんとかなるけど、たどり着くまでが問題。
朝、気持ちよく目覚め、ストレッチをして希望に溢れて起き、水圧の高いシャワーを浴び、空腹で食事をし、熱いコーヒーをゆっくり飲み、「さて、行くか!」と微笑みをたたえながら呟いて出勤する、というのが永遠の課題。理想。
そんな朝を迎えてみたい。
仕事に行くのがつらい。
夜中、目覚めるとゆううつ。
朝には、行きたくない、と10回は言いながら、まずは、今日、行かない選択肢というのはないか、自問する。
年次有給休暇もかなり少なくなっている。
だから、気軽に休める余裕もない。
最近、ほんとうに、休む選択肢がなくなってきている。
仕事、切羽詰まっているし、もし休めば、不安で不安で仕方がなくなるのがわかりきっている。
思えばほんとうに、最近は、休む、休める、という選択肢がなくなっている。
重圧がある。
つらい。
早く、早く、退職したい。
しかしながら。
休みたい、仕事に行きたくない、というのは、休めば休める、仕事に行かなければいかなくてもいい、最悪なんとかはなる、という選択肢、考えが、頭のなかにあるからそう思うのではないか。
人は、もし砂漠の中にいて、20キロ四方に水がない、20キロ先には水がある、といった場合、歩くでしょう。絶望的にはなっても。
それは、そこには歩かず干からびてしぬ、という選択肢がないから歩くのです。
仕事に行きたくない、という気持ちを持つのは、気持ちにまだまだ余裕があるということなのかもしれないな、と自分をだましたりしているボスでした。