座して待つより

少しばかりですがご一緒しませんか


う〜む‥いけない‥

前回の記事、どうしても矛盾だ。矛盾すぎる。

だから記事の追加をします。

以前「男組」という少年サンデー連載の、雁屋哲原作、池上遼一作画の劇画があり、その中で主人公、流全次郎が一時盲目になってしまい、そんな時、蟷螂拳の刺客「殺人機械」と闘うシーンがあったのですが、圧倒的な強さの殺人機械になすすべもなくやられて行く中で、流が取った行動が「座して死を待つより構えろ」だったのです。で、構えた結果、奇跡的に血路が見えたのです。
だいぶ引っ張りましたが、今回の私の記事のコンセプトは「座して落ち込むより上書きせよ」です。

内容がなくても書きなさいと、(誰が言ってるんだ)書けば矛盾の情けなさも消えるだろうと、ま、そういうことです。

いつも思うのですが、やはり落ち込んだ時とか悲しい時とか気持ちがネガティブな時って、敢えて行動することが大事、必要ですよね。体調が悪い時でない限り行動した方がいい。最近気付きました。

以前はそういう時には「手負いの獅子が穴蔵で傷を癒やすように」暗いところでじ〜っと癒えるのを待っていたものですが(まあ、今も時々やりますが)それよりは大抵、新たな刺激をインプットする方がネガティブなものを忘れやすいということに私は気付いたのです。
皆さん、落ち込んだ時には明るい元気な所に行ったり、忙しくしたり、別の集中せざるを得ない状況に身を持って行くべきですよ。

さて、話は変わりますが、先日テレビ番組で「世界の衝撃映像」を放映していて、それを見ていたら、サファリ動物園かなんかで、そこで飼われている人間によく馴れていると思われたトラがいきなり飼育員を襲うシーンが流れたわけなんですが、それを見た知人が言ったんです。「トラって油断も隙もあったもんじゃないな」だって。
プッ。めったにトラっていないってば。というか絶対トラになんか遭遇しませんから。

ということです。

ブログはすごいおもしろい

昨日見た花景色です。
体を治して来年はここをしっかりと歩いてみたい…。

さてと。私たちは何気なく、当たり前のようにブログ書いたり閲覧したりしているわけですが、思えばブログってすごいものですよ。
何がすごいかと申しますと、いきなり見ず知らずの方の内面、思考を見ることができるというところなんですよね。

生身の人間関係の場合、まず最初に五感を通して相手を判断すると思います。
見かけ(服装、身なり、顔立ち、表情、体格、態度等)とか声とか、そうした感覚から入っていって、次にじわじわ相手の話とか思念とかを見聞きし、感じ、分析し、相手の性格、気持ち、考え方(いわゆる中身)を判断していくのではないかと思うんです。ふつう。

生身の人間関係の場合、最初の段階で相手から受ける五感の感じが先入観となって、相手の中身を見ることができないまま相手と別れたり、または浅くつき合ったり、まあ時にじわじわ深くつき合っていくこともあるのですが、いずれにしてもまず本質での付き合いの前に五感というフィルターがあって「ズバッ」と入っていくことができない場合が多いと思うんです。
相手も警戒心とかがあってそのままの自分を見せない場合もあるし。

まあ付き合いというのは五感で好き嫌いを判断するということも大事で、むしろそれが一番大事だとおっしゃる方もいらっしゃいますよ。むしろこの五感でのフィーリングが一番大事だとおっしゃる方が大部分でしょう。
なにより五感から得る情報量にはものすごいものがあるので、やはり五感は一番大事ではあるのです。

しかし、心眼という世界があります。最初から相手の「内面だけ、内面のエッセンスだけ」を見てみたいといった場合、ブログは本当にすごい手段だと思うのです。

もちろん相手がどこの誰なのかはわかりませんよ。相手を特定した付き合いは特別のことがない限り皆無。
でも、普通の暮らしで出会い、最初から殻を割って付き合っていくような件数より、ブログで巡り合うことができる件数の方がはるかに多いのではないでしょうか。クリックすればいいんですから。で、コメントとかすると。付き合い方は超希薄ですけど。
しかもブログではいきなり気軽に会話できるような感じもあるし。

もちろん相手がうそつき、詐欺師で文章をカタっている場合もあるでしょう。でもその場合、いずれボロが出ます。うそつき、詐欺の目的はだましによる利益の詐取ですからいずれ欲が出てボロが出る。

ブログで自分を飾る人もいるでしょう。文章表現が巧みな人は他人を惹きつけたり、悪意がある人は閲覧者をだましたりすることがあるかも知れません。
また、ブログに皆が皆、考えを最大表現するとかしているわけでもないし、単に暇つぶしに近況を数行程度書いている場合だってあるでしょう。それが大部分。

でも、文章の多い少ない、巧拙、中には飾り、だましとかはあっても、なぜその方が敢えてその内容のことを公表しているかを考えるとき、やはりその方の思考の目的が見えると思うのです。
画像の場合だってそうです。何か感じたから敢えてその画像を掲載しているのです。

そうした意味でブログって、語弊があるかも知れませんがいきなり相手の中枢を見ることができるので、すごいしおもしろいものだと思うのです。

さらに、物理的接触に結びつくことさえしなければ安心な感じもあるし。

ブログでいい付き合いができ、さまざま方からいい刺激、影響を受けていければいいと思っています。


お花はほんといいなぁ。

何か元気が出ない

今日の夕食は「結びこんにゃくと山のきのこ小悪魔風」です。何が「小悪魔」なのかは秘密です(笑)。
これ、糸こんにゃくを結んだものと、キクラゲ、エリンギ、しいたけ、タマネギをラーメンスープ(鶏ガラ味)で煮たものなんです。キクラゲの歯ごたえがたまらない。おいしいんです。

さてと。今日は特別お話できることはありません(キッパリ)。なんと申しましょうか、ここ2週間、ごはんとかの炭水化物全く摂ってないんですよね。糖質としてはイチゴを久しぶりに食べてみました。その程度。

炭水化物を摂らないと頭が回らないんですよね。
今日は多く見積もっても摂取カロリーは700程度。で、記事を書ける思考力がないと。そういうことです。

ほんと、マジやばいですよ。食べることに罪悪感がある。

病院に入院して10カ月半、体重は67kg落ちました。連休は一時帰宅していますが、病院に戻るとまず体重を尋ねられます。手術を控えています。重くなられません。毎日が食べられない絶望感。

で、こんなこと敢えて申すのもナンですが大動脈瘤が7.5cmに拡大し、大動脈内部の裂けが胸から右足まであるため血圧も上げられない、運動できないんですよね。
八方塞がりみたいな感じ。

ほんとびっくりするくらい楽しげな発想が出てこない、考えもまとまらないんですよね。

皆さんごめんなさい。明るくなれない。私は弱い人間だ。今日はこれから休みます。

今日は私の愛車、戦友「ボス1号」を眺めて過ごしました。

若い人たちに言いたいことがある

今日の減量メニュー、夕食はズバリこれ、白菜の浅漬け、キュウリ2本、トマト、以上です。い〜んですこれで。充分です。

この浅漬け、私の気に入っているイタリアンの店で午後、珈琲飲んで帰る際発見したんですが、なんと1袋100円なんですよね。キュウリはスーパーで1本38円。安い夕食でしょう(変なところで自慢)

漬け物といえば小学生のときにすごいことがあったんですよ。

当時年に何回か給食が休みの時がありまして、各自家からお弁当とか持って来なければならないことがあったんですよ。

そしたら同級生の高橋君の持ってきた弁当のおかず、たくあん丸々1本だったんですよね。おどろきましたねー。笑うに笑えない出来事。
その後、彼のおかず、スイカだけだったこともありました。ごはんのおかず、スイカですよ。考えられますか。
彼、おかあさんとおばあちゃんと弟との暮らし。何か事情があったんでしょうね‥。
彼とは珠算塾に行く仲間でもあり、珠算サボってボウリングに行ったり、とても気が合う仲間でしたねー。彼、考え方がユニーク。詩を書かせたら想像を絶する感性でした。今ごろどうしてるかなー。どっかの社長になっている気がする‥。

さて、話は変わりますが、さっき温泉に行ってきたんですがね、北海道からきた中学生でかなり混んでいたんですよ。
中学生って元気ですよねー。思い付くままいろいろ話している。パワーがある。夢、未来がある。

私、今ちよっと後悔しているんです。
若い頃(モチ、今でも若いんですけど)自分なりにいろいろ悩み考えたつもりなんですが、考えるばかりで行動に移さなかったことがたくさんあったんではないかなと。
で、若い頃は考えたこと、計画したことをがむしゃらに行動に移せばよかったなーと、今つくづく思っているのです。

私は人生は大きな木への木登りに例えることができると思っているのです。

歳をとって枝を伝って進めば進むほど先が見えてくる。
高所からいろいろ見えて反省できる目は養われているが、今後の行くべき方向、残りの可能性はかなり限られており、残された時間もかなりなくなっている。
実際、選択した枝が高いところに至るものだったら登った意味もあるでしょうが、中途半端に低いところの枝を選択し、先に進んで行った場合、人生は中途半端な結果しか出せないまま終わってしまうことになるのです。

しかしですよ、若い頃は間違った枝を選択しても後戻りして別の高いところに向かう枝を選び直すことができるのです。
その時間もパワーもあるのです。若い人たち、ためらわず、がむしゃらに行動してもらいたい。

行動してこその人生。

考えるだけでその後の結果まで予測して、行動をしないような人生を送ってほしくない。

歳を重ね、大人になって、過去を振り返るとき、記憶に残っている充実した楽しい時ってがむしゃらに行動しているときのことが殆どなんです。

そして「自分を成長させてくれたなー」と思うのは目的を定め、とりあえずがむしゃらに行動した、その結果なのです。

やってください。思いっきり行動(勉強も含む)していってください。私はそう思う。
もちろん苦悩すること、考え通すこともいいでしょう。ただ、それから何かに至り行動してほしいのですよ。

30代以降の方々も諦めずにいろいろ行動しましょうねファイッ

以上、夜に酔いながらの話でした。飲んでませんけど。

小中学生時代の思い出

うどんを見るたび、中学生時代の国語の先生が生徒の眠気覚ましにおっしゃった笑い話を思い出す。

その先生が教員になる前、教員採用試験の時に、面接の先生からある質問をされたそうなんです。

「あなたはどんなうどんが好きですか」

で、先生、一瞬妙だなと思ったのですが、「ああ、これは緊張した自分をリラックスさせる質問なんだな」と思って笑顔で「天ぷらうどん、タヌキうどんでしょうか。あと、なべやきうどんも好きです」などと答えたそうなんです。

面接の先生がおっしゃったそうです。「いや、うどんじゃなくて、何の運動が好きなんですか」と。

私、その時、緊張してあれこれうどんに思いを巡らせた国語の先生のこと、見直しましたよ。いい話だと。ありがとうと。先生、どうしてるかなー‥。

あと、小学校時代の同級生の学くん、どうしてるかなー。
彼はなかなかユニークでしたよ。話し方が独特で、あと、前に出ることが苦でない子だった。

社会科の授業中、先生が教科書を開かせ、「原人、旧人、新人にはどんなものがありますか」と質問したところ、皆は教科書を見ながら「北京原人」とか「アウストラロピテクス」とか「クロマニヨン人」とか言っていたのですが、教科書に載っているすべてを言い尽くし、ちょっと沈黙になった時、彼、「ハイ!」と元気よく手を上げたんです。
で、何と言ったと思いますか。

「ホッキョウ原人と言うのもいます」と回答したんですよ。

みんな大爆笑ですよ。彼、北京原人のことをホッキョウ原人と読んでしまったんですね。

いやー‥何の苦もない無邪気な時代でしたよ‥。

次回につづく。なんて
(^-^)ノシ
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