人間としての温かみ

今日の晩ごはんはローソンのおでんです。
質素かもしれませんが今豊かな気持ちでいます。

食後、ジョン・ベルトランという人のミュージックをバックに熱い珈琲を飲みながら、今日の出来事を思い出して手帳に残しているのですが、今しみじみと、うちの職場の長の温かみ、人間性を思い出しています。

私も私なりに世間を歩き、乏しい経験ではありますが多くの人を見てきました。

私、結構人の評価は厳しいのです。もち、私は他人を評価できるような立場の人間ではありませんが、人間観察については人相もやる関係で見ているつもり。

私は数年に一度ずつ、異動でまったく勤務部所が変わり、その都度職場内外を通じいろんな厳しい人、ひどい人、あるいは優しい人たちを見てきました。そうした中で、現在の組織の長はトップクラスの人格者だと思います。
世の中にスタイルだけの優しさをとる人が多い中で、この人は違う。で、50数歳なのにシャイで繊細なところもいい。人の痛みを知っている。ということは、もともとそうした繊細な心の作りをしているということ。

生まれつき粗い網の心では粗いものしか感じられない。うちの現在の長は心の網目がマイクロフィルターみたいで、かつ錆びない、ゴールドのマイクロフィルターみたいな感性なのだと。で、その感性は詰まらない。詰まる前にちゃんと処理できる、そんな人。

とにかく私は今、感動している。(酔ってはいません。)

皆さん、今日は私ボス、何を言っているのか余りにも漠然としていて意味がわからないかもしれませんが、とにかく私は今、感動しているということです。

感動すれば優しくなれますよね。他人に愛をもって接することができる。
こうした心でいることは、その影響がまた他人に伝わり広がっていくのです。

私はもっといろいろなたくさんの経験を積み、痛みも知り、他人に対する優しさを紡ぎだしていきたいと今しみじみ思っています。

人生の目的

珈琲タイム、おくつろぎくださいね


あなたにとっての人生の目的は何ですか。
ナヌ、話が堅い?人生の目的なんて意識していない?とにかく楽しく充実した、平穏なふつうの生活を送りたい?

いいでしょう。
今回のテーマはまったく価値観のお話です。

ひとが何を目的としようがそれは勝手な話、例えるなら自宅で何を食べようが他の人が口出しする筋合いのものではないような。

私、今までお金とか衣服とかにあまり欲というか執着がなく生きてきたつもり。ただおいしいもの食べて、肉体改造のこと考えて、あと生活に試練を設けたりして、その達成感とかその後の解放感、充実感とかを楽しんだりして、そうしたことの繰り返しで生きてきた観がある。

ところがここで病気になり、胸の大動脈にステンドグラフト(人工血管)入れることとなり、あと今後は激しい運動はできないし、ふつうの人以上のカロリーもとられなくなるということで、今までのスポーツカーで高速走行していた状態から今後はいきなり大衆車で制限速度で走るような、まったくふつうの、もしかしたらもっとジミな生活を送らねばならなくなるという状態になるわけで、今しみじみ「今後は人生を惜しんで、スルメのようにちょっとずつ楽しむようにして暮らしていかなければならないんだな‥」とか思ったりしているわけなんですよ。

こうした状態で今後はどのように人生を楽しんで行ったらいいのかなーとか思ったりしてね。

私は欲がないけれど、ただ、せっかくの人生、何か他人にいい影響を与えるというか、そうしたことをして上げられる、生きてきてよかったな、残せたなということを達成してみたいのです。

皆さんはそんな青臭いこと考えたことはありませんか。いや、この場合は自分を卑下する必要はないな。青臭いというよりもそんな「よりよい人生」を考えて何かをなさっておられますか。
聞きたい。知りたいのです。
こうしたこと、ふつうの会話ではできないですよね。ブログであっても表現とか文章にする煩わしさで書いたりはできにくいものがあるでしょう。
私、以前に書きました。「ブログは日常のふつうのつながりでは話せないようなことでも、(気心が知れれば)いきなり内面に入っていけるのだ」と。

私、今までブログをやってきて、なんとなく気心が知れそうな方がわかってきたような気がします。私が定期的に寄らせていただいている方にはみんな、そうした感情がある。
そうした方がたと実際に自由に話がしたい気もします。

もちろんそれは無理なことでしょう。そうした方がたと万一実際に会話することができたとしても、やはりそれは人間、しがらみが生じるでしょうし、やはりブログという魂、思考だけのつながりのほうが純粋に、互いに生身的にわだかまりなく(変な表現ですがこの言わんとすることの表現のしかた、難しい)自由に話ができるだろうからです。
ただブログってやはり私、いつも悩むのですが文章力がないゆえに表現したいことが表現できなかったりして歯がゆかったりするんですよね。

だいぶ前、中村雅俊さんの歌で「時代遅れの恋人たち」というのがあり、その歌詞にこんなのがありました。
「てのひらに澄んだ水を掬って お前の喉に流し込む そんな不器用で それで確かな つながりはないものか…」「伸び上がってもいだ青い林檎を 代わる代わるにかじり合う そんな飾らない それで優しい つながりはないものか…」というような。

あの歌詞、まったく青いですよね。
でも、私、はずかしいかも知れませんがああした関係って、ほんとないものかなとマジ思ったりしているのです。実際にはムリだとしても、ブログなりにそうした関係が築けないものか、であれば「人生の目的はなんだ」とか「あんたの夢はなんなの」とか、歯に衣着せず話せるのにな…とか、思ったりしているのです。

カレーとまったくとりとめのない話

♪わったしのわたしのカレーは‥

今日の夜のメニューはカレー曜日(辛口)ライス抜きです。
元気になったら私の手作りカレーライスをごちそうしますからねカレーには自信があるんですよね。

それにしてもカレーのあとの珈琲ってなんでこんなにおいしいんだろう‥ベストマッチ。

話題を伸ばして恐縮ですが、私、「珈琲とカレーの店」「カレーと珈琲の店」でもいいんですが、この文字というか看板、すごく好きなんですよね。
このネーミングを標榜する喫茶店があったらすぐ入りますよ。昔から「珈琲」とか「カレー」という文字が好きなんですよね。
ほんと、自分でもそういう喫茶店経営したいくらいですね。

話題は全然飛びますが、好きといえば私、革の匂いが好きなんですよね。すごく。
小学生に入る頃、買ってもらったランドセルの匂い。あの匂いですよ。靴とかなめし革の匂い、たまらない。昨日買ったショルダーバッグ、そばにあるんですが、匂いがいいんですよねー。

今日はとめどなくいくぞ。
匂いといえば小学生の頃、持ってた消しゴムの匂い、フルーツ消しゴムとか、あと、皆さんご存知ないかもしれませんが「小学○年生」という雑誌とかによく折り込まれていた紙、フルーツの絵、パイナップルとかイチゴとかがついていて、それをこすると甘いいい匂いがしましてねー。あの匂い大好きでした。いやー懐かしい。

匂いは不思議なことに昔の記憶を呼び寄せますよね。
花火の煙の匂いとか、鼻の奥にツンときて、あれって瞬時に子供の頃の記憶を呼び寄せますよ。

蛇花火、小さな磁石のような形の固形物に火をつけるといきなりモクモクモクッと大蛇みたいな黒いものが伸びてきましてねー、あの煙もすごかったなー。

まだいいですか?

煙といえば私、小学低学年の頃、浜辺に何年も放置されていたダンプカーがあって、その中で遊んでいて、そこに発煙筒があったんですよね。
やはり小学生。ダンプカーの中で発煙筒こすってしまいましてねー。密室でいきなり発煙筒ですわ。びっくりしましたね。モクモクモクモクー!!!!みたいな勢いで煙でしょう。中で消そうにもとうてい消えなくて、我慢しきれずドア開けて飛び出し、発煙筒、海に向かって投げ込みましたよ。びっくりしたなぁもう。
近所のオバさんに見つかりましてね、親に言われました。怖かったですね。私、いい子で通っていたわけなんですよね。

私、今、幼少のころからたまには悪いことやって、それがふつうだというように育ったならば、現在、もっともっと大きい冒険ができる人間になっていただろうな‥と思ったりするのです。
子供の頃にもっとハメ外すことをしておけばよかったなーなんて。

今日はとりとめもなく書きました。

皆さんからいつもお立ち寄りとかコメいただいてます。感謝。先回、先先回の記事で十六夜さんが絵文字入りでいい味のコメくださいましたね。驚きましたよ。私もみなさん一人一人にそんな風に情のこもったコメしたいものです。

お付き合いいただいてありがとうございます。珈琲タイム、おくつろぎください
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