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冬こそ鰻

冬こそ鰻。


夏も秋も冬も。もちろん春も。


年中、鰻。


うなぎおいし、あの山、小鮒釣りしかの川。


とにかく鰻。鰻が食べたかったのです。

神は乗り越えられる試練しか与えない、ということばについて。

先般、電通に東京労働局による大規模な捜査が入った、との報道があった。

三六協定を超える長時間労働の常態化という労基法違反、亡くなる人まで出たという事態に、捜査が入ったもの。

亡くなった方は若い女性。過重労働の末のじさつで、労災認定されたらしい。

かわいそうなことです。


亡くなった女性、逃げることができなかったのか、失踪する手はなかったのか、とか思うけど、それは何の責任もない考え。

当事者にしかわからない、耐えられない辛さがあったことは間違いない。




よく、巷で、神は乗り越えられる試練しか与えない、ということばを聞く。

私はこのことば、間違っていると思うのです。

今回の事例では、本人には乗り越えられなかった。
乗り越えられるのを乗り越えなかったのではなく、乗り越えられなかったのです。


世の中、病にかかり、頑張っても回復せず亡くなる方もおられる。
この場合も、病は乗り越えられない試練、といえるでしょう。

乗り越えられない試練、というのは、世の中に山ほどあるでしょう。


そうした中で、神は乗り越えられる試練しか与えない、なんて、他人に言ってはいけない。

それを言う人は、神のことを知っているのだろうか。世の中の事象を知っているのだろうか。

軽々しく、神に、試練は乗り越えられるのだ、という無知を結びつけるのは冒涜なのではないだろうか。




興奮してしまった。
画像のパフェで頭と気持ちを冷やそうか・・。

今、彼女と。

今、彼女とふたりっきりでコーヒーを飲みながら。


彼女と、甘いひとときをすごしている。


具体的に言えば、彼女を味わっている。


もっと具体的に言えば、彼女を食べている(はぁ?)



彼女の名前は夕子さん。


そう。

京都、井筒八ツ橋本舗の生八ツ橋の夕子さんなのです。


びっくりしましたか。

このネタを使うのは、今回で2回目になります。


最近、話題があまりなくてですね。




じつは。

今日、職場を休んだんですよ。

明け方から動悸がして。
変な脈の打ち方をしていて。
休日だった昨日もそうだった。昨日は明け方、胸の中が逆流するというか、沸騰するというか、変な音を立てて危なかった。
胃ではないと思う。不整脈か。サンリズムが必要なのか。


で、今日は、今後の行く末などを思い、とことん怠惰にすごした。

朝から14時まで眠り。


眠っても、浅い眠りのなか、後ろめたさと、悲しさと、寂しさがあり。
何か最近、むしょうに悲しいんですよ。


先ほど、骨付きチキンと目玉焼きを食べ、今は夕子さんとコーヒーを飲みながら、物思いにふけっている。


仕事は、団体の統合シミュレーションデータ作成とそれをもとにした役員会開催を任せられている。
不安でしかたがない。せかされている感じもする。不安だ不安だ不安だ・・

はー・・、ロトを当てて逃避したい。

京都のお寺巡りをしたい。

旅館でゆっくりしたい。

私が職員を採用するとしたら。

私が職員を採用するとしたら。


さりげなく、いろんなことをさせてみて、その中で、鍵となる仕事の仕上げの質やセンスでその人を評価するだろう。


例えば、乱雑にちらかった部屋を掃除させてみたい。

その中で、じつはちょっとホコリのついたテーブルの拭き方とか、モノのたたみ方とか、本の並べ方とかをいちばん見たりしたい。


テーブルの拭き方は、乱雑に円を描くように適当に仕上げる人は採用しない。

ホコリを縦とか横とか、一定方向に拭きながらまとめ、拭き取り、最後も縦か横か、一定方向に拭き上げて仕上げる人を採用したい。

テーブルを乱雑に円を描くように拭くと、テーブルが乾いて例えば光が当たったときに、乱雑なアトランダムな丸いぐちゃぐちゃの筋がみえるでしょう。

そうしたことに無頓着な人間は、私は採用しない。


あと、例えば、乱雑にちらかったレジ袋をまとめるとして、画像の上のようにまとめる人は、決して採用しない。

採用するとしたら、画像の下のようなたたみ方をする人。



百枚の紙を折ってもらう。

紙の端と端をぴったりと合わせて折らない人は採用しない。つまり、端と端がズレてしまう折り方をする人は、私は採用しない。


指紋とか脂のついた透き通ったプラスチックをきれいにしてもらう。

ティッシュペーパーでふつうに拭く人は、私は採用しない。

透き通ったプラスチックをティッシュペーパーでふつうに拭くと、じつは傷がつくのだ。
極めて微細ではあるが、ヘアスクラッチといわれる細かい傷がつくのだ。

だから、ティッシュペーパーで拭くにしても、水で濡らすとか、プラスチック面に蒸気を当てて湿度を与え、摩擦を和らげる必要がある。

蒸気を与え、優しくデリケートに拭くと、傷はつかないのだ。

そうした細かい機微というか、繊細なところを、人生経験でちゃんとわかって、当たり前にふつうにやってくれる、センスのある人を採用したい。


床に散らばった様々な本を、本棚に適当に並べてもらう。

私が期待するのは、本の縦の高さ。これが高い順にからちゃんと並ぶこと。本の高さがギザギザに、適当に並ばないこと。



一緒に食事に行ってみる。

食べ方はもちろんだが、食べたあとも見てみたい。

食べたあとのお皿を、乱雑に置いていないか。


回転寿司に行ってみる。

お寿司の皿、色別に重ねて置くかどうか。
お皿にごはん粒をつけていないか、お皿にエビの尻尾の殻を乗せて、その上にお皿を更に重ねていないか。
そんな重ね方をしていたら、その時点でアウトである。


こうした様々なセンスの有り無しを私は見たい。


一事が万事。
こうしたセンスのある人は、さまざまな部分にもセンスを発揮する。



いいセンスのある人を採用したい。                     



とは言っても。

以上述べたことは、私が小中学生時代に常識として認識し、実行していた、私にとってはやって当たり前のことです。

でも、当たり前のことが当たり前にやれていないということがあまりにも多いと思えてしまい、どうなんだろうかとここに書いてしまいました。                                                                                                                                                            
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