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芳醇で甘くわくわくする香りの珈琲

芳醇で甘く、わくわくする香りの珈琲を味わっている。

この香りをどう表現しようか、しばらく考えていた。


カフェ・ド・ランブルのブレンド。


かなり気に入っている。



さて。
今日は、特に書きたい話題はないのです。


皆さんは朝、元気に起きられてますか。


私は朝は、「はー‥、行きたくないな‥」と思いながら起きて、お風呂に入り、なんとか仕事に向かっているのですが。

この、「はー‥、行きたくないな‥」という気持ち、思えば私が幼稚園児だったころからいつも持ち続けてきた気持ちに思えるのです。


私は確かに、幼稚園児のころから幼稚園には行きたくなかった。

幼稚園の玄関で泣いていたのを覚えている。

いや、幼稚園に行く前、起きた時点から、うつぶせでおしりだけをピョコンと上げたピノキオみたいな姿勢(笑)で「行きたくない」と思っていたのを覚えている。


この「行きたくない」という気持ち、これはおそらく、きっと、私が生まれた時から感じていた気持ちではないかと思っている。

私はきっと、生まれる前には、母の胎内で安心してまどろんでいたに違いない。

暗くて、静かで、温かくて、心から安心していたところから、いきなり、明るい、喧騒な、悩み多い、苦に満ち溢れたこの世に生まれ、その時点から、ずっと、ずーっと持ち続けてきた気持ちのように思えてならない。


朝、睡眠から覚め、まどろんでいると、いつまでもこうしてまどろんでいたいという気持ちがある。

できればずっと。




でも。

それはできないのだ。
人は食べていかなければならない。

社会で、食品を購入し、社会資本を使わせてもらいながら暮らしていくためには、やはり税金を納めなくてはならない。
食料、道路とか病院とかは誰かの労力、お金で作られている。
私だけがお金とか労力を出さずにその恩恵だけをいただくわけにはいかない。


だから、労力を提供しなければならないのだ。


だから、起きる。


生きていくからには、いやだから行かない、というわけにはいかないのです。


私はこうした日々をこれからずっと繰り返していくのが非常に思い病みなんです。
あの世に行くまでは、途方もない道のりに思えるのです。

大丈夫だろうか。



でも。


こうやって、今までやってきたのです。
誰だってそうなんです。


とにかく、どうせ生きるのなら、どうせ職場に行くのなら、腹をくくり踏ん切りをつけて、できれば楽しめるようにして、行くしかないんですよね。



つまらないことを書いてしまいました。


※なお、念のために書きますが、ボスはいったん職場に行くと戦闘モードに入り、自宅の弱気は微塵も見せません。
トイレは2回のうち1回がまんし、昼は7分で済ませ、ただひたすら業務をやり続けるという、他人は「仏のボスは仕事のオニ」とか言ってます(笑)。
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