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朝の風景から感じたこと

潮風が香る海沿いのドライブインのアツアツの焼きイカです。

よろしければご一緒にイカがですか‥。



さて。

朝、職場に向かう途中の道沿いの中学校で、野球部の少年らがいつも朝練をしているのです。

私が車で通過するころは、キャッチボールをしていることが多いのです。

皆が皆、小さなボールを投げて、キャッチして、また投げている。

野球って、あんな小さなボールを使って、追って、一喜一憂するスポーツなんですね。

で、少年らは、白い球を追ったりして、青春の貴重な時間を消費している。


時間がくれば道具を片付け終了。

残るのは心地よい疲れとか、あと野球技能とか。
あと、連帯意識とかチームワークとか礼儀とか友情とか。


多くは形に残らないもの。


でも、彼らは多くのことを得ているのだろう。



思えば私も、形の残らない多くのことをやってきた。

私の場合、今思えば、ほんと膨大な無駄な時間を過ごしてきて、かなり後悔したりしている。


私は昔は、例えば、ジグソーパズルをする友人を心の中で、「あんなことをやってどうするのか」とか、「全く時間の無駄なことをしている。無意味。」とか思っていたけど、よく自分の行動を考えると、私だってほとんど形の残らない、無駄なことで時間をかなり費やしてきたように思うのだ。
(ジグソーパズルをする人を今は軽視しているわけではありません。私だってロト、ミニロトでずっと数字だけを眺め時間を費やしているのですから。)



で、ある時期から私は、しょっちゅう、「自分は無駄なことをしてきたな」と激しく反省するようになってきていたのです。


でも、今日、中学生の朝練の風景を見て、一見無駄な時間を過ごしているように見えても、あれはあれで集中し、さまざまなことを得、人生の成長の糧になることをしているのだなと、私もあんなことを繰り返してきたのだなと、あれはあれで無駄なことではないのだなと、そう思ったりしたんですよ。


私はここずっと、ほんと、「思えば人生無駄な時間をすごしてきたな」とことあるごとに落ち込んできたのですが、人って、思えば形に残らない、一見無駄に見えることで人生を構成しているのではないのかな、それが人生なんじゃないのかな、とか、思ったりしたボスの朝なのでした。

今の業務が一段落したら

今日は持ち帰り業務。

というか、私の業務には残業手当てというものがほとんどないので会社でやろうが自宅でやろうが自由。

完成させればよいだけ。
だから、私にとって快適に感じる方で仕事をするのです。

今日はあまりにもおなかがすいたし暑かったので自宅で業務。

前の記事で書いた「知恵を貸せ」の業務です。

「無」から、とある産業分野のプロジェクト計画を作って、というものです。

計画を作るにはやる事業を想定してつくらなければなりません。

そうなると、プロジェクト計画だけではなく、結局、事業の予算作成から実施の詳細の指示等までを私がやることになるのです。

「知恵を貸せ、貸したらおしまい、君がやれ。」とはこういうことなのです。

私がやると出来がすばらしくなるのですが、私にとっては結局つらいことになるのです(自慢かっ(笑))。



さて。
私は今の業務、とりあえず一段落ついたら、ほんとカフェメニューを絞り込み、とりあえずメニュー表をつくりたい。
メニュー本体はだいたい固まっている。
非常においしく、美しくできている。

ただ、数を絞り込んで磨き上げたい。
そういう意図がある。

もちろん、「季節の」とか「日替わり」とかの部分は設定しつつ、「これだけは」というメニューを「表」という形で一回固めてみたいのです。


あと、一つ悩んでいることがあるのですが、私のカフェのお店の名前。
これを定めるのがなかなかで。

ここ一年くらいずっと考え続けています。

なんか、名前が定まらないと、いつまでも本腰が入らないような気もして。

お店の名前が定まったら、ほんと、「やるぞ!」という気になるような気もする。

こうした名前は、やはり本人がしっくりこなければどうしようもないもの。

でも、いつか、「おおっ!これはいい!!」という名前がポン、と思いつくような気がする。それが閃くのもじっと待っているボスなのです。



では、業務に戻ります。

画像はグアテマラ。ウエッジウッドのお気に入りのブルーのカップで。

知恵を貸せ

ファイヤーキングのマグで飲む珈琲も私は好きなんです。

画像はボスコレクション。



さて。
最近、職場でおそろしいことになっているんですよ。


皆さんは他人から「知恵を貸して」とか言われることがありませんか。


私はいわゆる総務企画的な部署におり、そこの中間管理職的なところにいる関係で、雑務も含め縦横からいろいろなことが集中してくるのです。

で、上司も私を頼りすぎている状況がある。


最近、しょっちゅう上司が「ボスさん、知恵を貸して」とくるのですが。

これがおそろしいのです。


知恵を貸すのはいい。

でも、これ、貸したら最後、私が全部やらなければならなくなるのです。


私は業務についてはいつも真剣です。決して手を抜きません。そして、やるからには必ず抜きん出た成果を上げるように仕上げるのです。
これは私のプライドにかけてのものです。

でも、そうすると上司は、他の人にやらせるより私に任せると成果が出るのでどんどん私を頼り仕事を任せてくるのです。

で、たまに「知恵を貸して」です。


以前、ニッセイのサラリーマン川柳にありました。

「知恵を貸せ、貸したらおしまい、君がやれ」


これはほんとよくあることですよ。


今日は業務があまりにも集中しすぎて後頭部が痛くなり、私は思わず来客室のソファにもう年次を取って休むつもりで座り込んでしまいました。
今日だけは、もう、仕事を放てきして帰ろうとすら思ってしまいました。


7分くらいで持ち直しましたけど。


最近、仕事でおそろしいことになっている。

大丈夫だろうかと思っているボスでした。



    ……



いや、すみません。

大丈夫なのははっきりわかりつつ愚痴ってしまいました。

ブログ記事、書いているうちはまだまだ大丈夫です。ご安心ください(笑)。

芳醇で甘くわくわくする香りの珈琲

芳醇で甘く、わくわくする香りの珈琲を味わっている。

この香りをどう表現しようか、しばらく考えていた。


カフェ・ド・ランブルのブレンド。


かなり気に入っている。



さて。
今日は、特に書きたい話題はないのです。


皆さんは朝、元気に起きられてますか。


私は朝は、「はー‥、行きたくないな‥」と思いながら起きて、お風呂に入り、なんとか仕事に向かっているのですが。

この、「はー‥、行きたくないな‥」という気持ち、思えば私が幼稚園児だったころからいつも持ち続けてきた気持ちに思えるのです。


私は確かに、幼稚園児のころから幼稚園には行きたくなかった。

幼稚園の玄関で泣いていたのを覚えている。

いや、幼稚園に行く前、起きた時点から、うつぶせでおしりだけをピョコンと上げたピノキオみたいな姿勢(笑)で「行きたくない」と思っていたのを覚えている。


この「行きたくない」という気持ち、これはおそらく、きっと、私が生まれた時から感じていた気持ちではないかと思っている。

私はきっと、生まれる前には、母の胎内で安心してまどろんでいたに違いない。

暗くて、静かで、温かくて、心から安心していたところから、いきなり、明るい、喧騒な、悩み多い、苦に満ち溢れたこの世に生まれ、その時点から、ずっと、ずーっと持ち続けてきた気持ちのように思えてならない。


朝、睡眠から覚め、まどろんでいると、いつまでもこうしてまどろんでいたいという気持ちがある。

できればずっと。




でも。

それはできないのだ。
人は食べていかなければならない。

社会で、食品を購入し、社会資本を使わせてもらいながら暮らしていくためには、やはり税金を納めなくてはならない。
食料、道路とか病院とかは誰かの労力、お金で作られている。
私だけがお金とか労力を出さずにその恩恵だけをいただくわけにはいかない。


だから、労力を提供しなければならないのだ。


だから、起きる。


生きていくからには、いやだから行かない、というわけにはいかないのです。


私はこうした日々をこれからずっと繰り返していくのが非常に思い病みなんです。
あの世に行くまでは、途方もない道のりに思えるのです。

大丈夫だろうか。



でも。


こうやって、今までやってきたのです。
誰だってそうなんです。


とにかく、どうせ生きるのなら、どうせ職場に行くのなら、腹をくくり踏ん切りをつけて、できれば楽しめるようにして、行くしかないんですよね。



つまらないことを書いてしまいました。


※なお、念のために書きますが、ボスはいったん職場に行くと戦闘モードに入り、自宅の弱気は微塵も見せません。
トイレは2回のうち1回がまんし、昼は7分で済ませ、ただひたすら業務をやり続けるという、他人は「仏のボスは仕事のオニ」とか言ってます(笑)。
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