最近、まったく非建設的な記事を書いているボスですが。
前前記事、エムブロさんのわいせつコミック広告に関する記事なんて、皆さん引いていらっしゃることでしょう。
あと、前記事なんてまったく無意味な記事です。
ただモヤモヤして書いた記事。
最近思うんですが。
1カ月前、私は手術をし、当時、おなかとか頭とかがハンパなく痛くて痛くて、そんな中で、人生における幸せって、健康で、どこも痛くないことだ、と心底思ったんですね。
どこも痛くないことって、ほんと幸せなことですよ。
でも。
人の気持ちって何なのでしょう。
何不自由ない状態になってしばらく経つと、なんか、気持ちに物足りなさ、というものが出てくるのです。
人って、やっぱり忘れる動物ですよね。
忘れる、とは、慣れる、何の感動もなくなる、気持ちが薄れる、とも言っていいかもしれない。
かつて、「早く痛みのない状態になりたい。痛みがないことがいちばんの幸せだ」と思っていた私、痛みが少ししかない状態になった現在、何か心の別の部分で、虚しさとか物足りなさみたいな、妙な気持ちが襲ってきているのです。
エムブロさんのわいせつコミック広告について数日前に書いた記事に対して、今日、拍手コメントがあったんですが。
「そう文句言っても仕方ないじゃないですか。私は特に気になりませんが、たまに間違えてクリックしたりしてますね…。それよりあなたがその広告フレーズを多々覚えている事にびっくりです。それほどじっくり見てるんですか?」
だって。
あんたは誰だ。
どこから来たのだ。
わいせつ広告側の肩を持つのか(笑)。
文句を言っても仕方ないのかどうかは私が判断することであなたが判断することではない。私はネタとして書く意味があるから書いている。仕方なくはない。
あと、あなたが言う「たまに間違えてクリックしたりしてますね…。」の「したりして」にはクリックするほかに、何をしていることを表現しているのだろうか。眺めたりしていることを表しているのだろうか。
また、「…」の余韻は何を表しているのだろうか。
第一、あれってふつう間違えてクリックするような位置にあるだろうか。
気になる。
更に、「それよりあなたがその広告フレーズを多々覚えている事にびっくりです。それほどじっくり見てるんですか?」
ってね、びっくりするほどのことですか。
記憶にあるわずか数フレーズ書くことが「多々覚えている事」に該当するでしょうか。
時々記事に書いているように私は記憶力がいいので瞬間的に見たものを覚えているにすぎないだけで、不愉快な広告なんてじっくり見る必要なんてないのです。
それとも、あなたは私がわいせつ広告、じっくり見ていてほんとはスケベ心満載な人だと言いたいのですか。
単に記憶力の問題です。
あなたの拍手コメント内容もそらで書いてます。
このレベルでびっくりされたのならあなたの記憶力は未熟だし幼稚すぎる。
それにしても、こんなヒマなときに冗談織り交ぜひっそり書いているようなブログの一記事に乗り込んで、悪意のあるコメントで絡んでどうするんですか。
あなたにはほかにもっとやることがあるでしょう。あなたのようなジョークを真に受けるような人はここに来てはいけません。